「おまえ、何かい?罪を償おうと改心すれば、怨霊に許してもらえるとでも思ったのかい?」
「だったら、愚かな了見だね。怨みを抱いて死んだ者に、そんな加害者側の理屈が通じるとでも?」
「相手が神や仏なら許すかもしれないね。けど、人を怨むのは同じ人間しかいないんだ。
死んだ人間が生きている人間を許すことは金輪際ありゃしない」
「“呪い”っていうものはね、動き出したらもう人間の都合は関係ないんだよ。
工場の大きな機械と同じ類のものなんだ」
他者への憎しみや恨みといった負の情念がこの世の因果に影響を及ぼし、実際に不幸や災難を呼ぶ現象を“呪い”と呼ぶ。または呪とも呼称。
その対象は、知人・肉親・縁者・地域住人といった相互の因縁が深い相手に限られるのが常であり、
距離の遠い他人(直接関わりがない権力者や有名人など)に負の情念を抱いても呪いとしては成立しない。
その一方で、現象にすぎない“呪い”を理論によって恣意的に操り、関わりのない者同士をも“呪い”で繋げる手段が“呪術”である。
歪みを内に宿し呪術を操ることが可能な者―呪術師―は自らの願いあるいは他者の願いに沿う形で、本来結びつくはずの無い“縁”を捻じ曲げ(あるいは探り当てることで)、“呪いによる死”という対象者にとって最悪の“結果”を一方的に押し付けることができる。
呪術による殺人は、術師と標的との(物理的な)距離も関係なく実行可能。当人がそれと意識しないような些細なきっかけであっても“縁”を結ばれてしまえば、呪いとそれを操る術に抗する備えを持たない人間は、瞬く間に命を刈り取られる。
そしてこれら呪いと呪術においては、広く術者達に理解されている重要な事柄がある。
まず一つは、極まった憎悪・憤怒を抱いて死んだ人間が、因果を通じ生者へ災いもたらす
祟り神へと転じた場合、
いずれもその験力は絶大なものとなり、生きている術者には策を講じて致命となる傷を避けることは可能でも、祟り神の本体を完全に調伏することは極めて困難である、ということ(呪術の歴史においてそれを成し遂げた術者は
いないに等しいとされ、故に対処法は荒ぶる死者を神として祀り上げ、その猛威を鎮めるという手段しかないと言われる)。
そして、もう一つは死者より生ずる祟りであれ、生者の操る呪術であれ、それを防ぐことに失敗し命を落とした場合……
人間は、“死ぬよりも恐ろしい”末路を迎える――すなわち未来永劫業苦が襲い来る、人の想念が生み出した最大の呪い“地獄”へとその魂が繋がれる、ということである。
- これが跋扈してるあの世界普通に最悪で笑えない -- 名無しさん (2024-06-04 22:01:47)
最終更新:2025年01月16日 00:00