ファシアナートテラーレ

ファシアナートテラーレ(府:FathianahtTerahle)とは、ファタ・モルガナ帝国で開発された主力戦車の総称である。

開発経緯

ワーレリア独立戦争終結後のファタ・モルガナ帝国は陸戦における戦略構想を根底から練り直さなければならない状況に置かれていた。広大な大陸領土であるワーレリア女皇領の喪失や、軍事方面における政府の方針転換による海外派遣部隊の規模縮小などによりそれまで運用されてきた戦車の巨大な重量を存分に支えられるような地盤での戦闘が起こり得る確率が激減し、反対に本土の不安定な地盤での防衛戦の方が強く意識され始めたからである。想定された本土防衛戦においては大重量かつ大柄なCpT-78などでは戦術機動性に悪影響が出ることが懸念されたことから新規開発の戦車にはそれまでのものとは違った厳しい制限が課され、その条件は、

  • 全長1660Ak(≒9.5m)以下、車幅600Ak(≒3.43m)以下
  • 重量は戦闘重量で40fo(≒50.34t)以下
  • 最大速度は整地で65km/h、後進50km/h以上
  • 攻撃力、防御力はCpT-78と同等以上
  • 乗員数は3名とし、その生残性を考慮する

というものだった。
当初は同盟国のグランダや立地条件が近しい晋迅共和国などからの輸入も検討されたものの性能要件を満たした車両が見つからなかった為国内の企業から開発担当を探すこととなった。
独立戦争終結間もない1725年には入札公告が行われ、コーネリアス重工業ヴルニト重工業の二社が応じた。1726年5月13日にコーネリアスから提示された初期案であるt80-726案は自社製の48口径22Ak滑腔砲スィライン1を搭載した戦闘重量39.8fo(≒50.08t)のモデルで従来通りの有人砲塔に同じく自社製の自動装填装置を搭載した手堅い設計であった。
一方のヴルニトは同年11月8日にcpt4-4の名を持つコンセプトモデルを提示した。これは新興企業オルミクス工業ヤーリョンニキートとの共同製作での開発を発表した44口径22.5Ak滑腔砲ZBc-28を前代未聞の無人砲塔に搭載した前衛的な案であり、乗員を一か所に固めて集中的に防御することによる生残性の向上、取り外し可能な装甲モジュールによる輸送の容易化などのメリットがあることが説明されたものの軍部側は無人砲塔の実用性に疑問が残ることなどを理由にコーネリアス案の採用を決定した。
採用を見越してかねてより製作されていたコーネリアス案の試作車両であるOCpT-80は1727年3月には完成、直ぐに軍の陸上兵器統制部による試験に供されたものの要求性能の厳しさから無理にコンパクト化されていたパワーパックや砲塔旋回機構の欠陥が発覚し、更に2か月に及ぶ調査の末これら以外にも多数の不具合が潜んでいたことが発覚した。軍はこれらの欠陥の改善要求を出したものの、コーネリアス側は「要求性能の引き下げを行わない限りこれらの問題を完全に解決することは出来ない」と回答、逆に寸法と重量に関する要件の引き下げを軍側に要求した。陸上兵器統制部はこの要求を拒否し、一転してコーネリアス案を破棄しヴルニト案の採用を発表、OCpT-81の試作名称を与え開発契約を結んだ。
ヴルニトは不採用が決定した自社案の逆転勝利に驚きつつも試作車の製作を開始、1727年7月に完成した試作1号車を試験に提出した。走行試験においては特段の問題は見つからず、模擬戦闘試験においても自動装填装置の装填遅延が見つかった以外は無問題であった。この装填遅延問題も電装系の改良に解決し、同年8月に増加試作が命じられた。
完成した3両の増加試作車両はアンジャート近郊のエルネスク試験場で最終試験に供され、これに合格し、晴れて制式採用される運びとなった。
同車は通例通りCpT-81の名称が与えられるかと思われたが、兵器統制局局長のアレミエラ・フォールが直々に「かの戦争(=ワーレリア独立戦争)の終結後に新生した帝国を象徴するような名をこの戦車には命名したい」との意向を示し、「ファシアナートテラーレ(ファシアの団結を示す車両)」の名称を与えた。

特徴

ファシアナートテラーレ1型

無段階自動変速操向機、アクティブサスペンション、モジュール式装甲ブロック及びサイドスカートによる三段階の防護レベル選択(L0~L2)、4秒に1発の装填速度を持つ自動装填装置、無人砲塔、車体前部に搭乗する3名の乗員を保護する装甲カプセルなどの新機軸が多く盛り込まれた高性能を持ち、ファタ・モルガナ帝国の立地条件に完全に適応した独特の車両である。
限られた機甲部隊の人材を失わない為に乗員数は3名とされ、その生残性には細心の注意が払われている。

ファシアナートテラーレ2型

1型の特徴に加え、乗員生残性を更に底上げする為にフロントエンジン方式とされ、操縦手はエンジン直後、それ以外のクルーは車体後部に搭乗する方式となった。
主砲はより長砲身の54口径砲が搭載され、新型のZP-36装弾筒付翼安定徹甲弾はRHA換算800~900mmの貫通力を持つとされた。

顛末

1735年3月、フォール統制局長とオルミクス工業の癒着問題に端を発する汚職事件が露呈し、その煽りを受けたファシアナートテラーレ計画は頓挫した。最終的にフォールには懲役6年の実刑判決が下されオルミクス工業は事件発覚から3年後に倒産、そしてヴルニト重工は計画の無期限凍結と設計図の破棄を履行した為この車両の開発が再開される可能性は完全に潰えた。

バリエーション

名称 画像 試作車両完成年 調達数 主武装 重量 備考
ファシアナートテラーレm1 1727年 2両 44口径128.70mm滑腔砲 46.5t 試作名称OCpT-81
ファシアナートテラーレm2 1734年 4両 54口径125.84mm滑腔砲 49.3t 試作名称OCpT-811
最終更新:2022年09月27日 17:17