牡丹園
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 日本庭園
概略
獅子に牡丹
釈迦堂彫刻、須弥壇飾金具 謂れ ご参考🙏
牡丹(別名)百花の王、天香国色、富貴草、宝相華、日本には空海が遣唐使、長安よりもたらした。大きく雅やかな姿は古来から富貴吉祥、繁栄隆盛の象徴とされる仏殿荘厳には欠かせない花である…無敵の獅子百獣の王にして、敵は獅子に寄生する虫(獅子身中の虫)。そのまま捨て置くと、たちまち繁殖し皮膚を破り肉を喰らう。
それ故、獅子は夜間安心して休むことが出来ず、牡丹の力を借りるのである。
牡丹から落ちる夜露には虫を殺す力が有り。
其れにより獅子は夜間安心して眠りに着く事ができる。
牡丹は薬草にして止血、鎮静、鎮痛に用いられる。
獣の王、花の王は勇猛にして華麗な姿は
異なる種で有れど共存と調和が大切であるとの教え。
「百花の王」牡丹をはじめ、憩いの場となる藤棚、散策道の紫陽花、小川に咲き乱れる菖蒲など様々な花を見ることができ、中央にはツツジに囲まれた枝垂れ桜が配されている。
念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂 総本山の日本庭園では、新たな季節を前に、春を名残惜しむかのごとく咲く花々が賑わいを見せる。
ゆったりとした姿形の牡丹は、中国ではその風格から「花王」とも称され、その豪華な大輪をもって古より宮廷を賑わせてきた。
日本においても、そんな牡丹を、歌人はあらゆる賛辞で詠じています。
青丹よし 奈良の都は 咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり (小野老朝臣)
鮮やかな色を装う奈良の都は、花が香りを一面に漂わせるごとく、盛況な様子です
千三百年の古、九州太宰府(だざいふ)に着任した朝富は奈良を懐かしみました。神社仏閣の鮮やかな朱で彩られた奈良の都は隆盛を極め、まさに百花撩乱たる様子だったのでしょう。
時を経て、ここ念佛宗(念仏宗)総本山でも花々が色とりどりに庭園を彩り、連日訪れる参詣者が境内を賑わせて、いつも活気に溢れています。
沿道の木立も、青葉若葉を両手いっぱいに広げて、新緑をきらめかせ、新たな季節に胸を膨らませます。
晩春から初夏へ。この季節には、優美な藤の花が見頃を迎えます。
わが屋戸の 池の藤波 咲きにけり 山時鳥(ほととぎす) いつか来鳴かむ (詠み人しらず)
わが家の池のほとりの藤の花が見事に咲きました。山の時鳥は、いつここに来て鳴いてくれるのでしょう。
初夏の訪れを告げる時鳥。
人々は、藤が咲く頃から、今か今かとその来訪を待ちこがれ、胸の高鳴りを覚えたのです。
極楽は 遥けきほどと聞きしかど つとめていたる ところなりけり (詠み人知らず)
極楽は遥か遠くと聞いていたけれど、つとめれば、すぐそこにあるのです
牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉 (松尾芭蕉)
広庭のぼたんや天の一方に (与謝蕪村)
藤の花は、しなひながく、色こく咲きたる、いとめでたし (『枕草子』清少納言)
たごの浦に そこさへにほふ藤なみを かざしてゆかむ みぬ人のため (縄丸)
多ごの浦の藤の花は今が盛りで、その影が水に映り、水底まで匂うばかりの素晴らしさです。これを頭に挿して今日見に来られなかった人のために持って帰りましょう
おもひいづる ときはの山の岩躑躅(つつじ) いはねばこそあれ 恋しきものを (よみ人しらず)
常磐の山の岩ツツジのように、口に出してこそ言いませんが、あなたを思えば、ただもう恋しくてたまりません
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最終更新:2025年02月22日 17:12