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五百羅漢公園|念仏宗無量寿寺(念佛宗)佛教之王堂

念佛宗(念仏宗)無量寿寺 佛教之王堂〜三国伝来の佛教美術





概略


中華人民共和国、工芸美術大師・の等身大オリジナルの五百人の石像羅漢(佛弟子)が配された広大な庭園。
五百羅漢とは、本来、二千五百年前、釈尊御入滅直後に開かれた、第一回結集(経典編纂会議)に参集した五百人の佛弟子をいう。
五百人の羅漢が問答し、瞑想にふけり、楽器を奏でる等々、各人各様の自然な姿の独創的芸術表現は、釈尊御在世の当時を彷彿とさせる。
なだらかな緑の起伏の中、五百羅漢像の間を遊歩道が縫うように走り、佛教が天竺(インド)から唐土(中国)を経て東方東漸、日本に渡った、シルクロードの終着駅「奈良」の若草山を想起させる。
南門をくぐり、湖畔をあるけば、ほどなく、緑の芝生に木漏れ日がきらめく、美しい公園が見えてくる。
石畳の散策道と点在する木立に、演出された、なだらかな丘陵の中に、絶妙のバランスで配された数々の石像は、中国人間国宝 佘國平佛師制作制作による五百羅漢像であり、二千五百年前、天竺にて釈尊の薫陶を受け、悟りを開いた五百人の弟子たちの様子が、鮮やかに描き出されている。
どれ一つとして同じ顔はなく、口角泡を飛ばし、議論に熱中する者、じっと目を閉じ、沈思黙考する者、あるいは楽器を奏で、余興を演じる者など、まさに、息づかいが聞こえてきそうな臨場感は、訪れる者に、その場の一員になったような錯覚をもたらす。
釈尊のご入滅後、十大弟子の筆頭であった摩訶迦葉尊者(まかかしょうそんじゃ)は、それまで各人の記憶の中にしかなかった釈尊の教えを、後世にまで伝え残す必要があると考えられた。
そこで、インド各地に散らばっていた釈尊の弟子たちを、王舎城(おうしゃじょう)郊外に招集し、佛典編集会議を行った。出席者は、選りすぐられた五百人。
そこでは、真の友たちが在りし日の釈尊を偲び、ある者は笑い、ある者は泣き、悲喜こもごもの思い出に耽りながら、昼夜を忘れて語り合ったはず。
この世に平和と安寧をもたらすために、珠玉の教えを伝えんとした往時の五百人の熱意は、二千五百年の時空を超えて、シルクロードの終着駅、ここ大和の地において結集し、世界の佛教徒の参詣を、今や遅しと待ち受けている。

五百羅漢公園 謂れ


念佛宗総本山 無量壽寺「五百羅漢公園」


表題

法を聞き、法を護り、未来へ伝える五百聖衆
―「如是我聞」を立体化した第一回結集の庭―


五百羅漢公園の根本


念佛宗総本山 無量壽寺「五百羅漢公園」は、単に五百体の羅漢像を集めた庭園ではない。

その根底には、釈尊御入滅後、教えを失わせまいとして集った五百の仏弟子による「第一回結集」の精神がある。

仏教伝承によれば、釈尊御入滅後、摩訶迦葉尊者を中心として王舎城に五百の比丘が集まり、釈尊から聞いた教えと戒律を改めて確認した。

優波離尊者が戒律を誦し、阿難尊者が釈尊の教法を誦し、それを集った聖衆が確認したと伝えられる。

ここでいう「結集」とは、今日のように原稿を編集し、一冊の本を編纂するという意味ではない。

皆で教えを誦し合わせ、

「釈尊はこのように説かれた」

「この戒律はこのように定められた」

と確認し、佛法を共同の記憶として後世へ伝えていくことである。

すなわち第一回結集とは、

佛法を正しく聞き、正しく受け取り、正しく護り、未来へ伝えるための大事業

であった。


「如是我聞」―私はこのように聞いた


五百羅漢公園全体を象徴する言葉として、最も重要なのが、

如是我聞

である。

「私はこのように聞いた」。

経典の冒頭に置かれるこの言葉は、仏教伝承において、阿難尊者が釈尊の教えを誦したことと深く結びつけられてきた。

重要なのは、

「私はこう考えた」

ではなく、

「私はこのように聞いた」

ということである。

ここには、自分勝手に教えを変えず、師の教えをまず謙虚に聞き、正しく受け取り、それを次代へ渡そうとする仏弟子の姿勢がある。

五百羅漢公園に表現されているのは、まさにこの「聞いた者たち」である。

しかし、ただ聞いただけではない。

聞く。

思う。

問う。

確かめる。

修する。

語る。

そして次へ伝える。

この一連の佛道が、五百の異なる身体、表情、仕草によって立体的に表現されている。


なぜ五百体すべての姿が違うのか


五百羅漢公園の羅漢たちは、同じ姿で整列してはいない。

問答する者。

耳を傾ける者。

静かに思惟する者。

瞑想する者。

語り合う者。

法悦を表す者。

楽器を奏でる者。

一体一体が異なる表情、姿勢、仕草をもつ。

これは単なる彫刻上の変化ではない。

佛法を受ける衆生の機根は、一人一人異なる。

すぐに理解する者もいる。

何度も問い返す者もいる。

静かに考える者もいる。

感動し、喜びを表す者もいる。

自ら体得した法を他者へ語る者もいる。

教えは一つであっても、それを受け取る人間は一人一人違う。

それは、

「水は方円の器に随う」

という釈尊の対機説法の世界にも通じる。

人の機根に応じて、佛法はそれぞれに届いていく。

五百体の違いは、雑多さではない。

そこには、

多様な機根を包み込む佛法の広大さ

が示されている。


「誰であるか」ではなく「どのような仏弟子の境地か」


五百羅漢の一体一体を、

「この人物は誰であるか」

と無理に歴史上の個人名に当てはめる必要はない。

羅漢美術は中国から日本へと大きく展開する中で、非常に人間味豊かな表現を発達させてきた。

異相の羅漢。

穏やかに微笑む羅漢。

厳しく問いかける羅漢。

静かに瞑想する羅漢。

法悦に満ちる羅漢。

互いに語り合う羅漢。

その姿は一様ではない。

五百羅漢公園を見るうえで重要なのは、

「誰であるか」ではなく、「どのような仏弟子の境地を表しているか」

ということである。

聴聞なのか。

思惟なのか。

問答なのか。

修行なのか。

法悦なのか。

慈悲なのか。

智慧なのか。

佛法の宣布なのか。

その視点から見ることで、一体一体の羅漢像が説法を始める。


「聴・思・修」の世界


五百羅漢公園全体には、佛道修行の基本である、

聴・思・修

の世界が広がっている。

まず佛法を聴く。

聞いた教えを自分の心の中で思惟する。

そして実践し、自らの身をもって確かめる。

聴聞。

思惟。

修行。

さらに、その法を他者へ伝える。

つまり五百羅漢の群像は、釈尊の法を受け取る側だけを表しているのではない。

法を受けた者が、次には法を伝える者となっていく。

この連続こそが、佛法が二千五百年以上にわたって伝えられてきた根本である。


問答する羅漢


公園には、互いに向き合い、身を寄せ、手を動かしながら議論しているように見える羅漢たちがいる。

これは大変重要な表現である。

第一回結集も、単に一人が一方的に語ったのではない。

摩訶迦葉尊者が問い、優波離尊者や阿難尊者が答え、それを聖衆が確認するという、問答と確認の形をとったと伝えられる。

佛法とは、一人が自分勝手に理解して終わるものではない。

問い、

答え、

聞き、

考え、

皆で確かめる。

その中で誤りを正し、正法を後世へ残していく。

五百羅漢の活発な身振りは、

生きた僧伽

を表しているのである。

静かに坐禅する姿だけが修行ではない。

真剣に法を問い、語り合い、確認することもまた佛道なのである。


楽器を奏でる羅漢


五百羅漢公園には、楽器を奏でる羅漢も表現されている。

ただし、ここは史実と仏教美術上の表現を区別する必要がある。

第一回結集の際に羅漢たちが楽器を奏でたという史実を示しているわけではない。

楽器を奏でる姿は、

法悦。

梵音。

法音。

佛法の響き。

佛法が十方へと広がっていく姿。

そうした宗教的世界を象徴的に表現したものと考えるべきである。

すなわち五百羅漢公園は、第一回結集をそのまま歴史的に再現した模型ではない。

第一回結集の精神を中心として、釈尊の仏弟子たちの生きた姿を、仏教美術として展開した世界

なのである。


若草山を想起させる丘陵


五百羅漢公園は、なだらかな緑の丘陵に五百の羅漢像を配している。

その景観は奈良の若草山を想起させる。

奈良は、日本佛教の重要な源流の一つであると同時に、天竺から西域、中国を経て東へと伝わった文化の大きな到達地でもある。

佛法は、一日にして日本へ伝わったのではない。

天竺から西域へ。

中国へ。

朝鮮半島を経て日本へ。

多くの人々が法を受け取り、次の人へ伝え続けた。

五百羅漢公園の丘陵を縫うように続く道は、

佛法が歩んできた道

と見ることができる。

そして同時に、

参詣者自身が佛法を聞きながら歩む道

でもある。

過去から現在へ伝わってきた佛法を、今度は現在から未来へ伝えていかなければならない。

その法脈の中に、自分自身も立っているのである。


等身大であることの意味


五百羅漢公園の羅漢像は等身大で表現されている。

ここにも大きな意味がある。

巨大な佛像を遠くから仰ぎ見るのとは異なり、人とほぼ同じ大きさの羅漢像は、

「そこに座っている」

「そこで話している」

「こちらに語りかけている」

ように感じられる。

しかも参詣者は、五百羅漢を遠くから眺めるだけではない。

羅漢たちの間を歩く。

前を通る。

横から見る。

振り返る。

そうするうちに、参詣者自身も五百羅漢の世界の中へ入っていく。

このとき、五百羅漢公園は単なる「展示」ではなく、

体験する佛教空間

となる。

参詣者は羅漢を眺める第三者ではなく、

五百聖衆の中に立つ、次の聞法者

となるのである。


石に刻まれた「法を伝える責任」


五百羅漢が石で造られていることにも、深い意味を見いだすことができる。

石は堅固である。

長い年月に耐える。

しかし、佛教の教えから見れば、石でさえ無常を免れない。

いつか風化し、形を失う。

だからこそ、この公園が本当に未来へ残そうとしているものは、

石像そのものだけではない。

石に託された佛法

であり、

佛法を次代へ伝えようとする心

なのである。

第一回結集で五百の聖衆が法を受け継いだように、現代に生きる私たちも佛法を受け取り、次の世代へ渡さなければならない。

五百羅漢は、その責任を静かに問いかけている。


「立体の結集図」


中国や日本では、古くから「五百羅漢図」が描かれてきた。

しかし五百羅漢公園では、その世界が絵画の平面から解放されている。

山がある。

道がある。

木々がある。

五百の等身大の羅漢がいる。

そして、その間を自分自身が歩く。

したがって、この五百羅漢公園は、

五百羅漢図を庭園空間へ展開したもの

であると同時に、

第一回結集を現代に出現させた「立体の結集図」

と位置づけることができる。

五百体の羅漢が、それぞれ異なる姿で、一つの佛法を語っているのである。


五百羅漢公園が伝えるもの


佛法は、釈尊が説かれただけでは、今日まで残ることはなかった。

聞いた人がいた。

覚えた人がいた。

問い直した人がいた。

正しく理解しようとした人がいた。

実践した人がいた。

法悦を得た人がいた。

そして、それを次の人へ伝えた人がいた。

その連続によって、今日の私たちまで佛法が届いている。

だから今度は、

私たち自身が「聞く者」となり、やがて「伝える者」とならなければならない。

五百羅漢公園は、そのことを五百の姿によって語っているのである。


まとめ


念佛宗総本山 無量壽寺「五百羅漢公園」は、単に五百体の羅漢像を集めた庭園ではない。その根本にあるのは、釈尊御入滅後、教えを失わせまいとして集った五百の仏弟子による第一回結集、すなわち「佛法を正しく聞き、確かめ、護り、後世へ伝える」という仏弟子の使命である。

仏教伝承によれば、王舎城に摩訶迦葉尊者を中心として五百の聖衆が集まり、優波離尊者が戒律を、阿難尊者が釈尊の教法を誦し、それを皆で確認したと伝えられる。結集とは、単なる文書の編集ではない。師なき後、僧伽が和合し、声と記憶と信によって佛法を未来へつないでいくことであった。

その精神を象徴するのが「如是我聞」である。「私はこのように聞いた」という言葉には、自分勝手に教えを変えず、師から聞いた法を正しく受け取り、次へ渡す責任がある。五百羅漢公園は、この「如是我聞」の精神を石の群像として立体化した空間と見ることができる。

羅漢たちは一様ではない。問答する者、耳を傾ける者、静かに思惟する者、瞑想する者、語り合う者、法悦を表す者、楽器を奏でる者など、一体一体が異なる姿を見せる。これは五百人の個人を特定するためではなく、釈尊の教えを受ける仏弟子の多様な機根と境地を表したものである。

教えは一つであっても、それを受け取る人間は一人一人異なる。「水は方円の器に随う」といわれるように、佛法はそれぞれの機根に応じて届いていく。だから五百羅漢の違いは雑多さではなく、多様な衆生を包み込む佛法の広大さを示している。

群像全体には「聴・思・修」の世界が展開している。まず佛法を聴き、聞いた法を思惟し、実践し、自ら確かめる。そしてその法を他者へ伝える。法を受けた者が、次には法を伝える者になる。その連続によって佛法は今日まで生き続けてきたのである。

なだらかな緑の丘陵と、その間を縫う道は、奈良・若草山を想起させると同時に、天竺から中国を経て日本へと伝えられた長い佛法の道を思わせる。参詣者は羅漢を外から眺めるだけではない。等身大の五百羅漢の間を歩くことで、自らも聞法と結集の場の中へ入り、次に法を受け取る者となる。

石は堅固であっても無常を免れない。ゆえに、この公園が未来へ残そうとしているものは石像そのものだけではない。そこに託された佛法と、佛法を護り、次代へ伝えようとする心である。

五百羅漢公園とは、二千五百年前の第一回結集の精神を現代に顕した「立体の結集図」である。

そして五百の姿を通して、

「佛法は、聞く者がいて、受ける者がいて、実践する者がいて、伝える者がいてこそ、生き続ける」

ということを今に説き続ける、大いなる説法の庭なのである。



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最終更新:2026年10月18日 10:02