概要
内乱までの経緯
ビーストバリア国は、明確な法も議会もなく、それぞれの将軍が自由に発言することで国の方針を決めていた。
そのため、時に方針をめぐる対立は、将軍たちの感情的な対立にまで発展することもあった。
それまでも、個人単位の出奔や反乱は絶え間なく続いていたが、2998年、鬼龍(
鬼龍の父で先代)を筆頭とする外征を主張していた巨大な派閥が、自らの主張が通らなかった事により、派閥単位による大掛かりな出奔(実質上の独立)を決意する。
彼らは、先代鬼龍の直轄領であった
ビーストバリア国領北部に集結すると、ここを拠点に正当な
ビーストバリア国を名乗った。
ただし、正式な国家として周辺諸国に認められたわけではないので、いつしか「
鬼龍軍」と呼ばれる様になり、自分たちでもそう名乗る様になっていた。
実質上の独立国
当初、
ビーストバリア国内では、この独立勢力を早期武力制圧する意見があがっていたが、不作によって数年にわたって続いた食糧問題もあり、すぐに動くことができなかった。
鬼龍軍においても、独立直後の国内の統治に奔走され動きをみせなかった為、しばらくはにらみ合いのまま時が流れるが、3050年にはじめて両軍は激突する。
以後、小規模な小競り合いが続くが、
鬼龍軍の侵攻はことごとく撃退されていたため、
ビーストバリア本国において、徐々に彼らの反乱に対する扱いは小さくなっていた。
一方で、
鬼龍軍は周辺諸国との繋がりを強め貿易や外交を行うという、小規模ながらも実質上の独立国となっていた。
ただし史書においては、あくまでも「
ビーストバリア国内における反乱勢力」である。
内乱の終焉
歴史
- 2998年 先代鬼龍によって独立。
- 3050年 それまではにらみ合いが続いていたビーストバリア本国と、はじめて軍事衝突が行われる。
両陣営による軍事衝突が散漫的に行われるが、基本的に
鬼龍軍が進軍し、
ビーストバリア国が撃退するという形となる。
この頃、
鬼龍が父の後継者となる。また、
アトレティア国という後ろ盾を得た勢いもあり、
鬼龍軍が徐々に領内を侵略しはじめる。
最終更新:2024年07月12日 13:29