概要

帝戟門の戦いとは、ザールック3330年9月、フレイミスト国と、アトレティア国軍鬼龍軍との間で起きた戦いである。


戦闘に至るまでの背景


▲3330年前後の勢力図

アトレティア内乱の最中、突如としてビーストバリア国は、セロナバルス国を占拠していたロザンド軍に向かって遠征をはじめた。
あらかじめアーズ国には、領土縦断の許可を得ていたため、進軍に関して問題はなかったが、この時期に、何故自国を空にしてまでその様な遠征を行ったのかは誰にも判らず、アーズ国ほとんどの者が「所詮は獣の国、時勢がまったく見えない」と嘲笑し、今回の出兵を極秘に聞かされていたサルファーをもってしても、「何か、絶対の自信の元に考えがあるのでしょうか……それとも、本当に何も考えていないのでしょうか……私にもそこまでは判りません。あの国は強弱の均衡が見えないのです」とつぶやいた。

周囲の思惑通り、彼らの出陣を待って鬼龍軍は、空になったビーストバリア国へ進軍を開始したが、その鬼龍の動きもまた、フレイミスト国のリョウにとっては予測の行動であり、彼らも鬼龍軍へ向かって出陣した。
フレイミスト国は、アトレティア国陣営に寝返ったばかりであったが、直後に始まった内乱により、もはや誰が味方で誰が敵になるかわからない第三軍的な立場であった為、アトレティア国であろうとも、鬼龍軍を敵として考え、ここを攻め取り、フレイミスト国の地盤を固めなければならなかった。
しかし、鬼龍にとってもその行動は予想の範囲内だった為、すぐに反転して両軍は激突する。

一見すると、予測の範囲内の行動を繰り返した上でたどり着いた、当たり前の結末であるが、ビーストバリア国が動いたことでその状況が作り出された。
これが、ベルーマが、意図的に彼らを躍らせて作り出した「舞台」だったことに、ようやくリョウは気付き始めていたが、自らの国をわざと空き家にするという危険すぎる賭けに勝利して作り上げた舞台でもあった。


両軍の戦力

攻撃側 守備側

フレイミスト国軍
軍勢
鬼龍軍
総兵力34000 兵力 総兵力28000
リョウ 総指揮 鬼龍
軍師
主要参戦者

リョウ

ガリュウ

エレナ

鬼龍

ウェンディ

ガイラ


戦闘経緯


フレイミスト国軍は、防衛軍のほとんどいなかったチャリオス岬をあっさりと制圧し、そのまま進軍を続けた。
しかし鬼龍軍は最初からフレイミスト国軍を誘い出して撃滅する作戦で、彼らを待ち構えていた。

フレイミスト国軍をやり過ごし、後方から奇襲を仕掛ける筈であった鬼龍部隊ではあったが、フレイミスト国軍の密偵にその動きを察知されてしまう。
この伏兵作戦に絶対の自信を持っていた鬼龍は、こうも簡単に居場所を見つけられた事にしばし唖然とするが、すぐさま全軍を再集結させる。
こうして両軍は、まるで門の様に岩場が構える事で名付けられた「帝戟門」にて激突する。

元々数で劣る鬼龍軍にとって、奇襲の失敗は痛手であった。
それでも、ガイラウェンディの勇戦により、一度はフレイミスト国地上部隊を後退させる。
しかし、高速艦を中心に編成されたエレナ艦隊が、鬼龍艦隊の霍乱をはじめ、これに対応するべく迎撃の準備にとりかかった瞬間をリョウが一気に突撃して突き崩した。
この僅か数時間の戦いで与えた損害は、戦史上稀にみる程膨大なものであり、「破壊力において最強なのはフレイミスト国」という噂が真実だったことを諸国に知らしめた。
しかし、その反面守備においても脆さも露呈し、これが後のビーストバリア国との決戦において、戦力的に圧倒できなかったことに繋がっている。

この数時間の戦いでガリュウは、ウェンディを追い詰めて撃ち破り、ウェンディは戦死。
ガイラは降伏勧告を受け入れて投降、以後はフレイミスト国の将となる。
そして鬼龍は、リョウエレナに続けざまに攻撃され、ついに旗艦も炎に飲まれていった。
「ばかな、こんなことが……誰だって俺達と決着をつける権利と責任があるのはビーストバリア国、そう思うだろっ!!何故だっ!!何故関係ない貴様達がいちいちしゃしゃり出てくるっ!!宿命の対決に割り込むかっ!!」
鬼龍は、燃え盛る旗艦の中で叫ぶが、戦後その話を聞いたガリュウは、「宿命の戦いなんてないんだよ、色々な戦いが各地で行われて、戦後になってからよさげな戦いをチョイスしてあれは宿命の対決だったってタイトルつけるんだ、お前たちは前座がお似合いよ」と嘲笑した。


戦いの結末

鬼龍軍を打ち破り、フレイミスト国の破壊力は恐怖の対象として各地に広まった。
フレイミスト国はその後ビーストバリア国を攻めずに撤退。この撤兵を「凱旋」と触れ回り、誰もがそう信じていたが、遠征中のベルーマは、彼らの高い攻撃力と同時に、脆い守備力を見抜いていた為、鬼龍との戦いで一度戦力を使い果たして撤退するとにらんでいた。
事実、この時ビーストバリア国まで進軍しなかったのは、この戦いで受けた損害が想像以上に大きく、一度軍を再建しなければならなかった為であった。




最終更新:2024年07月18日 05:05