基本情報



略歴

父の代はビーストバリア国将軍であったが、2998年のビーストバリア内乱において北へ逃れた。
それ以後は、父と共に孤立無縁の戦いを親子二代続け、ビーストバリア国中央部への侵略を続けていたが、3318年にアトレティア国に懐柔されダルスバード艦隊を預かり、「アトレティア国派遣艦隊部隊」となる。
その後、鬼龍は病床に伏した父の後を継ぎ、この派遣部隊の総指揮官となる。

ザールック3325年、ビーストバリア国への奇襲を画策するが、コルディアに情報を売られ、フォルッカの戦いにおいて敗北する。
しかし、ビーストバリア国軍がリゼルバ攻略戦で大敗すると、一気に領土に侵入、ついに3326年10月に首都にまで接近、ディジィの戦いに自ら兵を率いて参戦、ビーストバリア国をあと一歩まで追い詰めるが、霊虎によって動かされたフレイミスト国軍に後方から襲われ、急ぎ撤退する。

3328年チャリオスの戦いに参戦するも、またしてもフレイミスト国の横槍により撤退。
二度の敗戦で領土を失うが、ビーストバリア国軍との直接の戦いでは常に鬼龍軍が押していた為、彼はそこまでの危機感を持っていなかった。

3330年、ビーストバリア国主力部隊が、突如としてセロナバルス国へ遠征をはじめると、その留守を狙って出陣、しかしこれは、今回も後背をフレイミスト国が狙ってくるであろうと予見しての出陣であり、すぐさま軍勢を反転させて待ち伏せ、フレイミスト国との決着をつけるべく、帝戟門の戦いになだれ込む。
だが、この戦いでフレイミスト国に完敗し、リョウガリュウの集中砲火を受けて戦死、ここに鬼龍軍は瓦解し、歴史から消滅することとなる。

彼の領土はフレイミスト国に占拠されるが、後のトリスの戦いにより、祖国となるビーストバリア国の元に戻ることとなる。


関連項目





最終更新:2024年08月12日 01:44