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校章



特徴

ガーマスシャルティア王国に存在する魔導学園。
元々はゴルドラドの発掘を目的として作られた魔導師育成施設だが、時代の変化と共にゴルドラドは単なるおとぎ話という考えが主流となったことから、「魔導学園」と名を変え、シャルティア王国を支える人材を育成するエリート学園となる。

貴族による支配が激しいこの国において、例外的な「貴族と平民が共に学べる場所」であるり、学園は一貫して両者を平等に扱い、食事や学生寮も同じものを用意したが、決して聖域になることはなく、同じ学年でも基本的に貴族組と平民組に別れ、貴族による差別は常に学園教師たちの悩みの種であった。

後にシャルティア国が朱焔国と同盟を結ぶと、両国の親睦を深める為毎年留学生を迎え入れることとなる。
同盟国からの賓客扱いのため、貴族組も留学生に対しては対等の立場で接することとなる。

こうした微妙なバランスの上で成り立ちつつも、毎年人材を育てていた学園だが、ガーマス7970年にアステリアを代表に、まるで導かれたかのように多くの優秀な生徒が入学、後に「豊穣なる聖杯」と呼ばれる生徒たちが、卒業後にシャルティア王国の行く末を変えていくこととなる。

元々魔導と関わりのある施設だったことから、学園になった時に情報の引継ぎが完璧に行われなかったこともあり、学園関係者ですら存在を知らない地下施設が存在する。

校長であるカミルは、ゴルドラド研究の第一人者で、数々のゴルドラドの遺産を発掘していたが、これらが兵器転用されることを懸念して秘匿していた。
その一方で、学園の運営、研究資金捻出のため、一部の魔導具は国に渡していたが、7974年になると、すべての魔導具を手に入れようとした王国軍の侵攻を受ける。
一度は撃退するが、結ばれた和睦を一方的に破棄された二度目の侵攻によって学園は崩壊した。

7976年2月に、学園の卒業生を中心とした聖杯の蜂起が勃発し、国内の情勢はひとまず落ち着くと、3月から学園の復興作業がはじまり、7977年4月新たな学生を迎えて正式に復興する。


歴史

  • 7753年 魔導師育成機関として創立される。
  • 7795年 目的を人材育成に変更し、この時より学園となる。
  • 7953年 カミルが校長に就任。
  • 7959年 ファンティ失踪事件が起きる。
  • 7970年 アステリアたちの世代が入学する。
  • 7972年 魔導学園占拠事件が勃発する。
  • 7974年1月 所持しているゴルドラドの遺産を没収するため王国軍が派遣されるが撃退する。(魔導学園攻略戦
  • 7974年2月 王国軍との和睦が結ばれ、互いに不可侵条約を結び、一度は離散していた学生たちが戻ってきて授業が再開される。
  • 7974年4月 マルティンは、再侵攻の準備が整うと一方的に条約を破棄して二度目の襲撃を仕掛け、この攻撃で学園は壊滅し校舎も炎上崩壊する。(魔導学園攻略戦
  • 7976年3月 2月に聖杯の蜂起により国内が安定したため、学園の復興作業がはじまる。
  • 7977年4月 新たな学生を迎えて正式に復興する。



最終更新:2026年04月30日 15:00