概要
聖杯の蜂起とは、
遺産戦争の終盤にあたる
ガーマス7976年2月に勃発した政変である。
「聖杯の蜂起も
ブレイアスの乱の中の一つの戦い」とされているが、組織は途中で人材の入れ替えが行われているため(後述)、最初に決起した
ブレイアスの一部メンバーが最終的に討たれる側に名を連ねるという現象を起こしている。
戦闘に至るまでの背景
▲7976年2月における勢力図
7975年1月に新法律が制定され、旧貴族への攻撃が法的に認められ、民衆たちによる貴族狩りが各地で勃発する。
最初のうちはかつて自分たちを支配していた貴族への意趣返しとして受け入れられていたが、やがて良信派だった貴族にも攻撃が及び、法は拡大解釈され新政権に疑問を抱く平民たちですら攻撃の対象となり、平民たちが互いに監視と密告をする社会になっていった。
これは、王都を占拠したものの、思っていたよりも国庫がなく、立て直しに苦労した
ボナトゥーラが民衆の矛先を自分たちに向けさせないための処置であったが、10月に治安位置局長として民衆を絞めつけていた
ガレリアが民衆の蜂起によって討たれ、その首謀者だと決めつけられた
ディアナやその領民が冤罪で処刑されると、民衆の怒りはついに頂点に達する。
両軍の戦力
聖杯の蜂起
7976年2月、
豊穣なる聖杯が受け継いだ
ブレイアスは、学生時代からの人脈による仲間たちと民衆を伴って
聖杯の蜂起の政変を起こす。
彼らが掲げた大義名分は、旧知である
フィルツが処刑される寸前に託してきた資料にあった「そもそも
遺産戦争のはじまりは
ボナトゥーラが進言したところからはじまっている」というものであった。
カリスト、
トビアス二将軍にも協力の約束を取り次ぎ、彼らに偽情報を流してもらう王都の兵力を移動させると、手薄となった王城に一気に攻め込んだ。
主力部隊を王都の外に出したといっても、それでも放棄軍より守備隊の方が人数は多く、また出陣した部隊が本当に国境に接近すると他国が動き出してしまうため、そこまで遠くに引きずり出すわけにはいかず、時間的な猶予はあまりなかった。
一人ずつが優秀な術者であることと、
ゴルドラドの遺産を使いこなせること、そして奇襲であることから、兵力の差を考えずに一気に城に突入するが、既に
ボナトゥーラの治世に疑問を抱いていた一部の兵士たちも放棄軍に賛同して抵抗せずに道を開けた。
城内の戦いで
オレール、
バルドゥルを討つが、
ボナトゥーラは密かに改築させていた玉座からの抜け道で城外に脱出していた。
しかし、
ディアナが処刑される寸前に民衆たちのくすぶる火種に火をつけ、立ち上がった民衆たちによって
ボナトゥーラは発見され、その場で討たれた。
玉座に一人残っていた
ベンノは
アステリア達と対峙、皮肉にも組織を作り出した男である
ベンノ自身が
ブレイアスの組織として戦う最後の敵となったが、このとき彼の口からはじめて
ブレイアス結成の動機を聞かされる。
彼は国の未来になど何の興味もなく、ただ自分の恋人が貴族に奪われたことから貴族社会の破壊と、自分の能力と才覚なら国を動かすことの事ができるはずであり、それを実行して自分を捨てた恋人の方が見る目がなかったことを証明したかっただけであった。
そんな彼を
アステリアは「空っぽの人」と表現し、この戦いで
ベンノも討ち取られた。
セシルの戴冠
一覧の政変を終え、
セシルが新たな国王となる。
彼らの統治も一歩間違えれば
ボナトゥーラの再来となり、今度は自分たちが討たれる側となるため、慎重な治世が行われたが、結果として
セシルは後世において「治世王」と呼ばれるほどの才覚を見せ、
シャルティア王国中興の祖となった。
最終更新:2026年06月18日 15:38