驚いた。驚いた。驚いた。
一目散に駆け出す。
途中、台を下げる者の肩を掠めたり、廊下を渡る姐女郎に袖を引っ掛けたりしたような。
ええぃ、新造となってからこちら、この着物はひらひらと邪魔くさくてかなわぬ。
確かに、幼き頃より廓に勤める身であるゆえ、薄明かりの中姐女郎の情事を垣間見たことは幾度かあった。
だがしかし、かように煌々と照らす行灯の元で、初めて真正面から見てしまった。
いや見てはいたのかもしれぬ。ただ意識していなかっただけなのかもしれぬ。
佐助の、夜の顔。
常に飄々とした掴みどころのない性分ゆえ、中性的な雰囲気を醸し出している佐助。
そんな昼の顔とはまるで別人。
あの、お館様の、逞しき身体に組み敷かれ、天を仰ぎながらどこか虚ろな表情で空を見つめるその横顔は、例えようなく美しかった。
いや、美しい、と形容してしまう事すら卑猥なような、背徳的なその表情。
それが、こちらを向いて、瞳が合った。
途端に恥ずかしさが全身を襲った。
淫靡だと、感じた自分を見透かされたのだと思った。
思い出せば、また全身から火が出そうだ。
夜風にさらされて冷えた廊下板の感触が素足に心地良い。
今日はもう部屋へ戻ろうと、止まりかけていた足をまた速めた。
「あいたっ」
「っ!?」
角を曲がってぶつかったのは、幾分大柄な、山吹の着流しをまとった人影だった。
厚みのある胸に潰された鼻が痛む。さすりながら自分と頭一つ分も離れた顔を見上げれば、やはりそれは…
「慶次殿…」
「よっ、幸村。随分急いでどこ行くんだい…っと」
質問半ばで、周囲の様子に気付いたようだ。
見世のあちらこちらから上がる夜雁声に。
慶次殿は訳知り顔で「はは~ん」と笑みを浮かべて頷いた。
「まだ慣れないの?もう新造なのに、それじゃー困るねぇ」
小首を傾げて俺の顔を覗き込んでくる。
紅く染まった顔を見られまいと、慌てて顔を背けた。
「幸村だって、いつか同じ事しなくちゃなんないんだよ、分かってる?」
優しい声が降りかかる。顔は見れないが、それは困った顔をしているんだろう。
本当は、分かっているのだ。
十七になり、突き出しが済めば、皆と同じ役目を務める事。
ただ、同じに出来る自信はない。
自分もあのように、男の前で脚を広げ、あられもない声を上げなければならないのだろうか。
それは、とても…
「恥ずかしいと思っちゃ駄目だよ」
心を読んだかのように、慶次殿が言った。
驚いて、顔を上げれば、その澄んだ眼とぶつかる。
あぁ、慶次殿の瞳は、何故かいつも泣きそうなんだ、と頭のどこかが考えている。
「みんなさ、女郎の誇りを持って働いてんだから、それを恥だと思っちゃ失礼だろう?」
誇り、と口の中で繰り返した。
何かが、剥がれ落ちる感覚がする。
(その安っぽい誇りを、捨てちまうんだな)
あの日、佐助に言われた言葉が蘇る。
あぁ、職を全うせんとする誇りに比ぶれば、己を貫かんとする誇りとは、なんと安っぽいことか。
その上で、消して心根の折れぬ遊女達のなんと気高く美しいことか。
与えられた仕事もこなせずに、自分は何を守る事に必死だったのだろう。
ようやく、廓という場所がどんな所なのか、分かった様な気がした。
「ありがとう…ございまする、慶次殿」
礼を言って顔を上げれば、慶次殿はまた、優しげに微笑み返してくださった。
「いい目…だね」
言ってぽんぽん、と頭を撫でられる。
あぁ、いくつになっても童子扱いだ。
しかし、自分もまた、慶次殿を兄代わりに想っているのだと気付く。
昔、失ってしまった実の兄の面影を、無意識に重ねていたのか。
それでは童子扱いされて当然だ。
だが逆に、この人の前ではいつでも童子に戻れるかもしれない、と思ったら安堵の笑みがこぼれた。
一目散に駆け出す。
途中、台を下げる者の肩を掠めたり、廊下を渡る姐女郎に袖を引っ掛けたりしたような。
ええぃ、新造となってからこちら、この着物はひらひらと邪魔くさくてかなわぬ。
確かに、幼き頃より廓に勤める身であるゆえ、薄明かりの中姐女郎の情事を垣間見たことは幾度かあった。
だがしかし、かように煌々と照らす行灯の元で、初めて真正面から見てしまった。
いや見てはいたのかもしれぬ。ただ意識していなかっただけなのかもしれぬ。
佐助の、夜の顔。
常に飄々とした掴みどころのない性分ゆえ、中性的な雰囲気を醸し出している佐助。
そんな昼の顔とはまるで別人。
あの、お館様の、逞しき身体に組み敷かれ、天を仰ぎながらどこか虚ろな表情で空を見つめるその横顔は、例えようなく美しかった。
いや、美しい、と形容してしまう事すら卑猥なような、背徳的なその表情。
それが、こちらを向いて、瞳が合った。
途端に恥ずかしさが全身を襲った。
淫靡だと、感じた自分を見透かされたのだと思った。
思い出せば、また全身から火が出そうだ。
夜風にさらされて冷えた廊下板の感触が素足に心地良い。
今日はもう部屋へ戻ろうと、止まりかけていた足をまた速めた。
「あいたっ」
「っ!?」
角を曲がってぶつかったのは、幾分大柄な、山吹の着流しをまとった人影だった。
厚みのある胸に潰された鼻が痛む。さすりながら自分と頭一つ分も離れた顔を見上げれば、やはりそれは…
「慶次殿…」
「よっ、幸村。随分急いでどこ行くんだい…っと」
質問半ばで、周囲の様子に気付いたようだ。
見世のあちらこちらから上がる夜雁声に。
慶次殿は訳知り顔で「はは~ん」と笑みを浮かべて頷いた。
「まだ慣れないの?もう新造なのに、それじゃー困るねぇ」
小首を傾げて俺の顔を覗き込んでくる。
紅く染まった顔を見られまいと、慌てて顔を背けた。
「幸村だって、いつか同じ事しなくちゃなんないんだよ、分かってる?」
優しい声が降りかかる。顔は見れないが、それは困った顔をしているんだろう。
本当は、分かっているのだ。
十七になり、突き出しが済めば、皆と同じ役目を務める事。
ただ、同じに出来る自信はない。
自分もあのように、男の前で脚を広げ、あられもない声を上げなければならないのだろうか。
それは、とても…
「恥ずかしいと思っちゃ駄目だよ」
心を読んだかのように、慶次殿が言った。
驚いて、顔を上げれば、その澄んだ眼とぶつかる。
あぁ、慶次殿の瞳は、何故かいつも泣きそうなんだ、と頭のどこかが考えている。
「みんなさ、女郎の誇りを持って働いてんだから、それを恥だと思っちゃ失礼だろう?」
誇り、と口の中で繰り返した。
何かが、剥がれ落ちる感覚がする。
(その安っぽい誇りを、捨てちまうんだな)
あの日、佐助に言われた言葉が蘇る。
あぁ、職を全うせんとする誇りに比ぶれば、己を貫かんとする誇りとは、なんと安っぽいことか。
その上で、消して心根の折れぬ遊女達のなんと気高く美しいことか。
与えられた仕事もこなせずに、自分は何を守る事に必死だったのだろう。
ようやく、廓という場所がどんな所なのか、分かった様な気がした。
「ありがとう…ございまする、慶次殿」
礼を言って顔を上げれば、慶次殿はまた、優しげに微笑み返してくださった。
「いい目…だね」
言ってぽんぽん、と頭を撫でられる。
あぁ、いくつになっても童子扱いだ。
しかし、自分もまた、慶次殿を兄代わりに想っているのだと気付く。
昔、失ってしまった実の兄の面影を、無意識に重ねていたのか。
それでは童子扱いされて当然だ。
だが逆に、この人の前ではいつでも童子に戻れるかもしれない、と思ったら安堵の笑みがこぼれた。




