「なっ!?」
押し倒されたのだ、と理解するのに暫しかかった。
黒曜の様な漆黒の髪が、さらり、と自分の頬へとかかる。
「俺はな、今イライラしてんだ。女なら誰でもいいんだよ。なんならてめーを犯してやろうか?」
振袖新造は、床の相手はしない。
そんな事は分かっている、と言った風に、御仁は自嘲気味に口の端で笑った。
このまま、犯される…?
組み敷かれていても尚、実感の湧かぬせいなのか、頭の中は驚く程冷静だった。
腕を掴むその掌は、意外に大きいのだとか、長い睫に縁取られた瞳は、黄金色にも見えるのだとか、改めて相手を見る余裕すらある。
「誰でも良いのであれば、最初から河岸(かし)に行って鉄砲女郎を抱けば良いであろう」
自分で思っていたよりも、穏やかな声音が漏れた。
色街で、最下層と言われるその場所で。
死に至らしめる病を伝染すやもしれぬゆえに、"鉄砲"と呼ばれるその女子を。
さすればその言葉の真偽も分かるもの。
御仁は組み敷くその手の力を緩めぬまま、黙って俺の目を見つめていた。
あれ程酔っていた筈なのに、たった一寸のうちに素面に戻っているような顔をしている。
先程までは荒れ狂う雷雨の様であったのに、一転して小波一つ立たぬ静かな湖面の様だ、と思った。
今、全身で、某の価値を図ろうとしておられるのか。
どうやら、やっと取り成して頂けたらしい。
と、体勢は未だ変わらぬのに安堵している自分に驚いた。
「ここは廓。狼藉を働いて、体面を悪くされるのはそちらなのでは。このような場所で名を落としても、お困りになりませぬか」
目は、逸らさない。そういえば、このように男と長い間見つめ合っているのは、初めてなのではないだろうか。
瞬間、御仁の瞳が緩んだ様に見え、その後聞き慣れぬ言葉で何事か呟いた。
と、ようやく身体を解放される。
「…そーだな、こんな小娘相手にするくらいなら、切見世の方がずっとマシか」
軽薄そうに、だがどこかきまり悪そうに、ガシガシと頭を掻く。
「…ったく、肝の据わった新造がいたもんだぜ。てめぇ、名は」
脇息に体重を預けて、気だるげに御仁は尋ねてきた。
俺は乱れた襟元を正しながら、しゃんと座りなおす。
「お侍様に名乗る程の名は持ち合わせておりませぬ」
「おいおい、悪かったよ。機嫌直しちゃくれねーか」
つんと顎を上げて顔を逸らせば、先程までの態度とは打って変わり、下手になって拝んでくる。
随分変わり身が早いが、どうやら頭は悪くないようで、本当に心を変えた様だった。
「俺はな、伊達政宗ってんだ。仙台藩の藩主をやっている」
その言葉の意味を一瞬疑う程、御仁の地位は高く、しかも事も無げに言ってのけた。
仙台藩と言えば、今や実高100万石とも言われる海産物も鉄鋼資源も豊富な大きな藩だ。
「なんと、こんな若くして一国一城の主でござったか」
感嘆の声が、そのまま口を突いて出る。
まじまじとその顔を見つめれば、ふっと柔和な笑みを返してきた。
笑うと存外幼い顔をしておられる。このような顔も出来るのかと、暫しそれに見入っていた。
だがはっとして、今一度姿勢を正す。
「殿に先に名乗らせるなどと、某も無礼を働き仕りました」
畳に両手を付き、深々と頭を下げた。
「某の名は…幸村。花魁佐助に控える振袖新造にございまする」
言って顔を上げれば政宗殿は、「ゆきむら」と、声に出さずに唇の動きだけで某の名を追っていた。
それが何か呪いめいたものに見えて、呪縛を掛けられたように政宗殿のお顔から視線を逸らせない。
先に視線を外したのは、政宗殿の方だった。
押し倒されたのだ、と理解するのに暫しかかった。
黒曜の様な漆黒の髪が、さらり、と自分の頬へとかかる。
「俺はな、今イライラしてんだ。女なら誰でもいいんだよ。なんならてめーを犯してやろうか?」
振袖新造は、床の相手はしない。
そんな事は分かっている、と言った風に、御仁は自嘲気味に口の端で笑った。
このまま、犯される…?
組み敷かれていても尚、実感の湧かぬせいなのか、頭の中は驚く程冷静だった。
腕を掴むその掌は、意外に大きいのだとか、長い睫に縁取られた瞳は、黄金色にも見えるのだとか、改めて相手を見る余裕すらある。
「誰でも良いのであれば、最初から河岸(かし)に行って鉄砲女郎を抱けば良いであろう」
自分で思っていたよりも、穏やかな声音が漏れた。
色街で、最下層と言われるその場所で。
死に至らしめる病を伝染すやもしれぬゆえに、"鉄砲"と呼ばれるその女子を。
さすればその言葉の真偽も分かるもの。
御仁は組み敷くその手の力を緩めぬまま、黙って俺の目を見つめていた。
あれ程酔っていた筈なのに、たった一寸のうちに素面に戻っているような顔をしている。
先程までは荒れ狂う雷雨の様であったのに、一転して小波一つ立たぬ静かな湖面の様だ、と思った。
今、全身で、某の価値を図ろうとしておられるのか。
どうやら、やっと取り成して頂けたらしい。
と、体勢は未だ変わらぬのに安堵している自分に驚いた。
「ここは廓。狼藉を働いて、体面を悪くされるのはそちらなのでは。このような場所で名を落としても、お困りになりませぬか」
目は、逸らさない。そういえば、このように男と長い間見つめ合っているのは、初めてなのではないだろうか。
瞬間、御仁の瞳が緩んだ様に見え、その後聞き慣れぬ言葉で何事か呟いた。
と、ようやく身体を解放される。
「…そーだな、こんな小娘相手にするくらいなら、切見世の方がずっとマシか」
軽薄そうに、だがどこかきまり悪そうに、ガシガシと頭を掻く。
「…ったく、肝の据わった新造がいたもんだぜ。てめぇ、名は」
脇息に体重を預けて、気だるげに御仁は尋ねてきた。
俺は乱れた襟元を正しながら、しゃんと座りなおす。
「お侍様に名乗る程の名は持ち合わせておりませぬ」
「おいおい、悪かったよ。機嫌直しちゃくれねーか」
つんと顎を上げて顔を逸らせば、先程までの態度とは打って変わり、下手になって拝んでくる。
随分変わり身が早いが、どうやら頭は悪くないようで、本当に心を変えた様だった。
「俺はな、伊達政宗ってんだ。仙台藩の藩主をやっている」
その言葉の意味を一瞬疑う程、御仁の地位は高く、しかも事も無げに言ってのけた。
仙台藩と言えば、今や実高100万石とも言われる海産物も鉄鋼資源も豊富な大きな藩だ。
「なんと、こんな若くして一国一城の主でござったか」
感嘆の声が、そのまま口を突いて出る。
まじまじとその顔を見つめれば、ふっと柔和な笑みを返してきた。
笑うと存外幼い顔をしておられる。このような顔も出来るのかと、暫しそれに見入っていた。
だがはっとして、今一度姿勢を正す。
「殿に先に名乗らせるなどと、某も無礼を働き仕りました」
畳に両手を付き、深々と頭を下げた。
「某の名は…幸村。花魁佐助に控える振袖新造にございまする」
言って顔を上げれば政宗殿は、「ゆきむら」と、声に出さずに唇の動きだけで某の名を追っていた。
それが何か呪いめいたものに見えて、呪縛を掛けられたように政宗殿のお顔から視線を逸らせない。
先に視線を外したのは、政宗殿の方だった。




