「お館様は、よい機会だと。佐助を、もっとおそば近くで使いたいと、以前より思うておられた、と。大出世だと、某も思う。お前には、いいことなのだろう。だが」
ふっと目がそらされた。
明るい茶色の目が、闇の中を落ち着かなくさまよう。
そらされたまま、瞼がきつく閉じた。
「某はいやだ」
体の震えが大きくなった。
「……婿など、誰でもよい。誰でも、どうでもよい」
血の気のうせた唇が、小さく動く。
「だが、佐助がいなくなるのはいやだ」
どこにも行ってはいやだ、と、幼子のように首が振られる。
閉じていた目がうっすら開いた。怯えた光を浮かべ、震えながら俺を見上げる。
「……だから、誰でもいいなら佐助がいいと、お館様にお頼み申したのだ」
ふっと目がそらされた。
明るい茶色の目が、闇の中を落ち着かなくさまよう。
そらされたまま、瞼がきつく閉じた。
「某はいやだ」
体の震えが大きくなった。
「……婿など、誰でもよい。誰でも、どうでもよい」
血の気のうせた唇が、小さく動く。
「だが、佐助がいなくなるのはいやだ」
どこにも行ってはいやだ、と、幼子のように首が振られる。
閉じていた目がうっすら開いた。怯えた光を浮かべ、震えながら俺を見上げる。
「……だから、誰でもいいなら佐助がいいと、お館様にお頼み申したのだ」
唐突に、夕焼け空が目の前に広がった。
あれは何年前だったか、確か真田の先代が亡くなって、すぐのころ。
父も兄も亡くなって一人ぼっちになったのに、小さな姫様はそれが信じられなくて、いつか迎えに来てくれるのではないかと、ずっと思い込んでいた。
迎えにきたらすぐわかるようにと、夕暮れのたびに館の庭で一番高い柿の木に登って、侍女や世話役を困らせていた。
勢いよすぎて天辺まで上って、降りられなくなって泣くのもいつものことで。
(だからね姫様ー、姫様の父上も兄上も迎えにはこれないんだよ。何回言ったらわかんの)
(何故だ?どうして来てくださらぬのだ!こんなに待っておるのに!)
(どうにもおバカだねこの姫様は……だから、死んじゃったからでしょ)
俺もあの頃はガキだったんで、うまい言い方なんか思いつかなくて、迎えに行くたび、よけいに泣かせていた。
あれは何年前だったか、確か真田の先代が亡くなって、すぐのころ。
父も兄も亡くなって一人ぼっちになったのに、小さな姫様はそれが信じられなくて、いつか迎えに来てくれるのではないかと、ずっと思い込んでいた。
迎えにきたらすぐわかるようにと、夕暮れのたびに館の庭で一番高い柿の木に登って、侍女や世話役を困らせていた。
勢いよすぎて天辺まで上って、降りられなくなって泣くのもいつものことで。
(だからね姫様ー、姫様の父上も兄上も迎えにはこれないんだよ。何回言ったらわかんの)
(何故だ?どうして来てくださらぬのだ!こんなに待っておるのに!)
(どうにもおバカだねこの姫様は……だから、死んじゃったからでしょ)
俺もあの頃はガキだったんで、うまい言い方なんか思いつかなくて、迎えに行くたび、よけいに泣かせていた。
「……なんで」
自分の声とも思えない、しゃがれた声が喉から漏れた。
笑顔の仮面なんかとっくに剥げ落ちて、今自分がどんな顔をしているのかもわからない。
「なんで俺なの」
見上げる目が、驚いたように見開かれた。
ぼんやりと俺を見つめ、またくしゃっと泣き顔になる。
「……佐助が」
すがるような目の色と、途切れ途切れに漏れる息。
「佐助が、いったのだ。ずっと、某のそばにいると」
自分の声とも思えない、しゃがれた声が喉から漏れた。
笑顔の仮面なんかとっくに剥げ落ちて、今自分がどんな顔をしているのかもわからない。
「なんで俺なの」
見上げる目が、驚いたように見開かれた。
ぼんやりと俺を見つめ、またくしゃっと泣き顔になる。
「……佐助が」
すがるような目の色と、途切れ途切れに漏れる息。
「佐助が、いったのだ。ずっと、某のそばにいると」
泣き虫で、無茶ばかりして、回りを困らせていたむずかりやの小さな姫様。
それでもいつの頃からか、あまり泣かなくなって。
そのうち木にも上らなくなって。
ああそうだ、あれは確か。
(はいはい悪かったって!佐助が悪かったですよ!ごめんねって!)
(ほら、もう泣かないでよ。代わりに俺が迎えに来てあげたでしょ)
(これからは俺がそばにいてあげるから)
(……佐助は、いなくならぬか?ずっといるか?)
(はいはい大丈夫だよ。俺はずっと姫様のそばにいるから。はい、柿の実あげるから泣きやみなよ)
(本当か?本当に?どこにも行かぬか?)
(本当だっての)
(……そうか)
ようやくほっとしたように笑った、涙でびしょびしょの顔。
それでもいつの頃からか、あまり泣かなくなって。
そのうち木にも上らなくなって。
ああそうだ、あれは確か。
(はいはい悪かったって!佐助が悪かったですよ!ごめんねって!)
(ほら、もう泣かないでよ。代わりに俺が迎えに来てあげたでしょ)
(これからは俺がそばにいてあげるから)
(……佐助は、いなくならぬか?ずっといるか?)
(はいはい大丈夫だよ。俺はずっと姫様のそばにいるから。はい、柿の実あげるから泣きやみなよ)
(本当か?本当に?どこにも行かぬか?)
(本当だっての)
(……そうか)
ようやくほっとしたように笑った、涙でびしょびしょの顔。
覚えていたのか、まさか。あんなガキのころの、くだらない口約束、ただの慰めを。
胸の奥からじわじわこぼれていた黒いものが、瞬時に消えた。
代わりにあの、どうしようもないいたたまれなさがこみ上げてくる。
ぎりぎりと、痛みさえ伴って。
それは押さえる間もなく、押し殺すこともできず、腹の中で渦巻き、胸を突き破り、俺の中からあふれ出した。
全身に鳥肌が立った。
組み敷いた体以上に、とめようもない震えがこみ上げる。
手足が冷たくなっていくのがわかる。
ぐるぐると、視界まで回りだした。
見上げる茶色の目から目を逸らし、貫いていた指を抜き、逃げるように体を離した。
数歩下がったのが限界で、俺はそのままずるずると、その場に座り込んだ。
情けないほど手が震えている。
来る冷や汗で、忍び装束がぐっしょり濡れていくのがわかる。
腕に爪を立て、口元に手を当てて、叫びだしそうになるのを必死に押さえる。
胸の底、一瞬で湧き上がったそれは、これまで感じたこともないほどの、押し殺すことも押しつぶすこともできない、純粋なまでの。
恐怖だった。
代わりにあの、どうしようもないいたたまれなさがこみ上げてくる。
ぎりぎりと、痛みさえ伴って。
それは押さえる間もなく、押し殺すこともできず、腹の中で渦巻き、胸を突き破り、俺の中からあふれ出した。
全身に鳥肌が立った。
組み敷いた体以上に、とめようもない震えがこみ上げる。
手足が冷たくなっていくのがわかる。
ぐるぐると、視界まで回りだした。
見上げる茶色の目から目を逸らし、貫いていた指を抜き、逃げるように体を離した。
数歩下がったのが限界で、俺はそのままずるずると、その場に座り込んだ。
情けないほど手が震えている。
来る冷や汗で、忍び装束がぐっしょり濡れていくのがわかる。
腕に爪を立て、口元に手を当てて、叫びだしそうになるのを必死に押さえる。
胸の底、一瞬で湧き上がったそれは、これまで感じたこともないほどの、押し殺すことも押しつぶすこともできない、純粋なまでの。
恐怖だった。




