川崎市(かわさきし)は、川崎市に所在する政令指定都市であり、東京都と横浜市の間に位置する工業都市として発展してきた。多摩川を境に東京都と接し、南は東京湾に面する。人口は約154万人(2025年頃)で、神奈川県では横浜市に次ぐ規模を持つ。
古代・中世
現在の川崎市域は古代には武蔵国橘樹郡・多摩郡に属していた。多摩川流域は古くから交通の要地であり、古墳や集落遺跡が多数確認されている。
平安時代以降、この地域は東海道と関東内陸部を結ぶ交通路として重要となり、荘園や武士団が成立した。鎌倉時代には鎌倉を中心とする鎌倉幕府の勢力圏に入り、武士の所領として管理された。
近世(江戸時代)
江戸時代には東海道の宿場町として発展した。現在の川崎区付近には東海道五十三次の宿場の一つである川崎宿が置かれ、江戸と京都を結ぶ交通の要衝となった。
多摩川の渡河地点としても重要であり、江戸への玄関口として旅人や物流が集まった。農村地域では稲作や漁業が行われ、江戸の都市経済を支える供給地でもあった。
近代(明治〜戦前)
明治維新後、1889年の市制町村制施行により川崎町が成立した。鉄道の開通により地域は急速に都市化する。
特に1910年代から東京湾岸部で大規模な埋め立てが進められ、工業地帯が形成された。これにより製鉄・石油・化学などの重工業が集積し、後の「京浜工業地帯」の中心の一つとなった。
1924年、川崎町は市制を施行し川崎市となった。
戦後
第二次世界大戦末期には工業都市であったため空襲を受け、市域の多くが被害を受けた。戦後は復興とともに重化学工業が再び発展し、京浜工業地帯の中核都市として成長した。
高度経済成長期には人口が急増し、東京のベッドタウンとして住宅地開発が進んだ。南部の工業地帯と北部の住宅地という都市構造が形成された。
現代
1972年、川崎市は政令指定都市となり行政区制度を導入した。現在は以下の7区で構成される。
川崎区
幸区
中原区
高津区
宮前区
多摩区
麻生区
幸区
中原区
高津区
宮前区
多摩区
麻生区
産業構造も変化し、重工業に加えて研究開発拠点やIT関連企業が集積する都市へと転換している。臨海部では環境技術・先端産業の拠点化が進められている。
文化面では、現代美術館や音楽ホールなど文化施設の整備も進み、都市文化の発信拠点としての役割も強めている。
地理・都市構造
川崎市は南北に細長い形状をしており、地域ごとに性格が大きく異なる。
南部(川崎区・幸区)は東京湾に面した工業地帯であり、京浜工業地帯の中心部である。中部(中原区・高津区)は商業・住宅地域として発展し、北部(多摩区・麻生区)は丘陵地の住宅都市として形成された。
多摩川沿いには古くからの農村や集落が残り、都市化と自然環境が混在する地域となっている。