明治大学は、東京都千代田区・中野区・生田(明治大学生田キャンパス)(川崎市)・中野(新キャンパス)に4キャンパスを構える私立大学である。1881年(明治14年)に明治法律学校として創立され、1920年に大学となった。
学生数は約3万3千人規模の総合大学で、法・商・政治経済・文学・理工・農・経営・情報コミュニケーション・国際日本・総合数理の10学部を擁する。駿河台キャンパス(和泉キャンパスと並ぶメインキャンパス)は地下鉄御茶ノ水駅近くに位置し、赤レンガ校舎とアクセスの良さで知られる。法学部は司法試験合格者数で長年全国トップクラスを維持し、スポーツでは野球部・サッカー部・ラグビー部が全国レベルで活躍。「M」の筆頭として、MARCHの中でも伝統と知名度でリードする存在である。
学生運動
荻野反帝学評議長69を出す。70年代前半の明大和泉反帝学評は自らを「独立反帝学評」と呼び独自の路線を歩む傾向もあった。80年代以降は、労対との分裂で神奈川大の解放派が弱体化した結果最大拠点校へとなっていった。とは言え、明大生え抜きの解放派学生は少なく、実際には他大学出身の活動家の詰所になっていた。一大拠点でありながら全学連委員長経験者を出したこともない。2003年ごろまで解放派の拠点校であった。「明大ゴスペル愛好会」との闘争が激化した。「明大ゴスペル愛好会」は韓国からの留学生が主体のヨハン早稲田キリスト教会系の偽装サークルで、キリスト教原理主義の立場に立ち、政治的には反共とシオニズム支持(クリスチャン・シオニズム)であった。革労協は同愛好会を襲撃をするも返り討ちに合い、警察へ突き出されるなどの失態まで出すことになった。そこで明大ゴスペル愛好会への対応をめぐり、闘争をやめて事態の鎮静化を図ろうとする穏健派の山田茂樹ら反主流派(後の赤砦社派)と、徹底抗戦を主張する強硬派の狭間、千木良ら主流派(後の現代社派)が対立。以前から革労協内部でくすぶっていた現代社常任幹部(狭間派)と全学連・寄せ場労働者などのメンバー(赤砦派)の対立が表面化する。特に山田茂樹が個人の判断で勝手にゴスペル代表者と手打ちをしたことで、狭間嘉明の怒りを買い杉並区高井戸の「現代社」での反主流派への査問が始まった。
現代社派、赤砦社派の対立が激化し、明大生協職員が2人も殺害されるという結果が生じたため、「大学の対外的イメージの悪化」を恐れた大学側は、片山美恵子の殺害事件が新聞沙汰となるなかで遅ればせながら強硬策に転じる。これまでの赤砦社派との「共存」を放棄、《双方が殺人の応酬をしており、事実凶器類も押収されるなど、キャンパス全体を生命の危険から守るため…やむを得ず》との大義名分を獲得する。そして公然と突き出されてきたのが警察・ガードマンによる赤砦社派を先頭とした新左翼系活動家の学内からの締め出し。徹底した入構禁止。さらに、生協解体、二大学園祭(駿台祭と生田祭)中止といった対革労協(=生協)施策を次々と打ち出した。駿河台キャンパスでは門や扉に、オープンな敷地構造だけに「通行人にも見える」位置に明大当局の名で『これら以下の者らは本学生ではなく…』と、両派の「明大担当」らしき人物の本名が羅列されたビラが貼りめぐらされた。いわく、『立ち入った場合は直ちに法的措置となる』旨の警告文があちこちに最後通告として掲示される。これらの措置によって明大当局+狭間派の”主敵”である赤砦社派の活動拠点は奪われ、資金源となっていた生協・自治会費からのみかじめ料収入が全面的に断絶される。この措置により赤砦派だけでなく革労協にとっての金城湯池=明大は永遠に失なわれてしまい、全体的にも両派は深刻な打撃を受けた。現在にいたるも革労協両派は明治大学から完全に締め出されている状態が続いている。
現代社派、赤砦社派の対立が激化し、明大生協職員が2人も殺害されるという結果が生じたため、「大学の対外的イメージの悪化」を恐れた大学側は、片山美恵子の殺害事件が新聞沙汰となるなかで遅ればせながら強硬策に転じる。これまでの赤砦社派との「共存」を放棄、《双方が殺人の応酬をしており、事実凶器類も押収されるなど、キャンパス全体を生命の危険から守るため…やむを得ず》との大義名分を獲得する。そして公然と突き出されてきたのが警察・ガードマンによる赤砦社派を先頭とした新左翼系活動家の学内からの締め出し。徹底した入構禁止。さらに、生協解体、二大学園祭(駿台祭と生田祭)中止といった対革労協(=生協)施策を次々と打ち出した。駿河台キャンパスでは門や扉に、オープンな敷地構造だけに「通行人にも見える」位置に明大当局の名で『これら以下の者らは本学生ではなく…』と、両派の「明大担当」らしき人物の本名が羅列されたビラが貼りめぐらされた。いわく、『立ち入った場合は直ちに法的措置となる』旨の警告文があちこちに最後通告として掲示される。これらの措置によって明大当局+狭間派の”主敵”である赤砦社派の活動拠点は奪われ、資金源となっていた生協・自治会費からのみかじめ料収入が全面的に断絶される。この措置により赤砦派だけでなく革労協にとっての金城湯池=明大は永遠に失なわれてしまい、全体的にも両派は深刻な打撃を受けた。現在にいたるも革労協両派は明治大学から完全に締め出されている状態が続いている。