ここしばらく多忙を極めている琴峯教会ではあるが、多忙も続けば日常として受け入れ始めてしまうのが人間という生き物で。
 あるいは住民の不安と恐怖に起因する多忙が、住民側の不安と恐怖への麻痺で薄まったのか。
 …………あるいは、人々を救わぬ神に見切りをつけてしまったのか。

 理由はともかくとして――――午後も昼過ぎという時間になれば、ある程度余裕が出てくるようになった。
 救いを求めてやってくる信者たちにも、当然だが自分の生活というものがある。
 教会で不安と恐怖を吐き出して、彼らの日常に帰って行ったのだろう。
 まだまだ救いを求めてやってくる信者はいるが、なんにせよピークタイムは過ぎた……といったところである。

 連日の多忙には慣れて来たナシロではあったが、今日は特に疲れた。
 理由は考えるまでもない。つい先ほど、聖杯戦争参加者同士の戦いに介入したためであろう。
 やったことはヤドリバエに魔力弾を撃たせてすごんだだけだが、それでも殺し合いに割って入る緊張感は中々の疲労感を与えるに十分なものであった。
 自分たちは今、殺し合いの儀式の渦中にいるのだという実感。
 積極的に関わるつもりがナシロに無いとはいえ、いつまでも無関係でいられるわけではない。
 身の振り方を、考える必要があるか。
 ふと空いた時間にひと息つきながら、そんなことを思案していた時のことだった。

「琴峯さん、貴女にお客様がいらっしゃいましたよ」
「……私にですか?」

 年老いた修道女――白鷺教会という知古の教会に頼んで臨時で手伝いに来てもらった女性――が、ナシロを呼びに来る。
 普段から朗らかな女性だが、それにしたって妙にニコニコしているような気がする。
 はて、救いを求めにやってきた信者……ならばわざわざナシロを指名で尋ねはすまい
 ナシロは琴峯教会の責任者ではあるが、同時に一介のシスターに過ぎないのだから。
 とすると……ナシロ個人に用があるとは考えにくいし、琴峯教会の経営に関する話だろうか。
 この老シスターが嬉しそうなのは、なにかポジティブな話でもあるのだろうか……とも思ったのだが。

「――――ええ、琴峯さんのクラスメイトの男の子です。お話したいことがあるそうで……」

 ……来客の正体に予想がつき、そして老シスターが妙に嬉しそうな理由にも予想がつき、ナシロは深くため息をついた。



   ◆   ◆   ◆



 ――――そして、教会裏庭。

「おまえ、なんて言って私を呼んだんだ?」
「大事な話があるので琴峯さんと話す時間をもらうことはできないだろうか、と伝えたが」
「……ああそう。大事な話ね……」

 命に係わる話をしようというのだから、大事な話には違いあるまい。
 だがあの老シスターはまさかナシロたちが殺し合いの相談をするのだとは夢にも思わないだろう。
 結果として彼女がどんな“勘違い”をしたのかは火を見るより明らかであった。ナシロはげんなりした。

「……まぁいいや。それで? 改めてなんの用だよ、高乃」

 そういった面倒臭さを一旦脇に置き、ナシロは目の前の少年――――高乃河二を改めて見据える。
 あの伊達男風のサーヴァントは連れていないのか、霊体化しているのか。姿は見えない。
 悪気も他意もなくナシロを呼び出したに違いないこの男は、当然ナシロの感じた面倒臭さにも考えが及んでいないのだろう。
 それは少しムカついたが、とはいえ悪気の無いことを責めても仕方ない。
 もう少しうまいやり方もあっただろうとは思うが、それを求めるのはナシロ側のワガママだ。故にこれは脇に置く。

「僕からの話は単純で、公園の後始末は無事に終わったという報告だ」
「ん。ありがとうよ。助かった……けど、まさかそれだけのために私を呼び出したわけじゃないだろ?」
「ああ。……誓って騙し討ちをする意図は無いので正直に伝えるが……」

 ここで河二は少しバツが悪そうに、いくらかの間を置いた。

「……先ほど交戦した雪村鉄志から接触を受け、琴峯さんを交えての交渉を希望されている」
「…………さっきのオッサンが?」
「そうだ。今はすぐ近くで、僕のランサーと共に待機してもらっている。
 琴峯さんが構わなければ彼らをここに呼ぶし、拒絶するのならこのまま彼らを連れて撤収するが……どうだろうか?」

 先ほど殺し合いをしていて、他ならぬナシロが介入して戦いをやめさせた二組が、揃って話をしにくる。
 ……冷静に考えて凄まじい状況ではあるが、ナシロはさほど動揺しなかった。
 雪村鉄志は理性的な人物に見えたし、目の前の河二にしたってそうだ。
 戦って失ったものがあるわけでもなし、むしろ軽い交戦を経て多少なり戦力と人格が知れている相手と交渉の席に着きたいと考えるのは自然なことなのだろう。
 そしてその輪の中に、ナシロも入れたいという話なわけだ。
 ナシロは少し考えるそぶりを見せてから、いくらかの警戒を乗せた声で訊ねた。

「なら正直に答えろ、高乃。
 おまえ、あの探偵とどこまで話した上でここに来たんだ?」

 既に河二と鉄志の間で十分な話し合いがあり、強固な関係が結ばれているというのなら――――ナシロはこの交渉を蹴るつもりでいた。
 それは三組での交渉ではなく、二組と一組の交渉になるからだ。
 ナシロとて聖杯戦争に対して身の振り方を考えるべきだとは思っていた身である。
 故に交渉自体は望むところですらあったが、仕掛けられた網に自分からかかりに行くほど愚かなつもりも無い。交渉の席にも有利と不利の概念はあるのだ。

「いや……交戦の意志が無いことと、話したいことがあること。
 そして琴峯さんと知り合いかどうか。知り合いなら声をかけてほしいということ。
 僕が彼から聞いたことはそのぐらいだ。僕は知り合いだと答え、今に至る」
「ふぅん……なんで私とおまえが顔見知りだって思ったんだろうな」
「態度でわかる、のだそうだ。カマをかけられたのかもしれないが」
「なるほど、中々の名探偵ってわけだ」

 ひとまず最低限のラインはクリア。
 話に不自然な点も感じられない。
 無論、河二が回答を誤魔化す可能性もあるにはあったが……

「――――それ、嘘でないって誓えるか?」
「――――誓おう。高乃の名と、亡き父に」
「………………そうか」

 言葉だけの誓い。
 だが、ナシロはそれを信じることにした。
 河二が何を尊び、何を信奉するのか、ナシロはなにも知らない。
 けれど代名詞で呼ばれることを嫌がるほどに、高乃の名と両親を敬愛していることは伺えている。
 ……そしてやはり、彼がその敬愛する父を喪っているのだということも。

「わかった。くどいこと聞いて悪かったな。交渉には応じるよ」

 ひとまず、交渉の席につくぐらいのことはしていいだろう。
 河二は短く礼を言ったが、礼を言われるようなことでもない。
 ともあれ恐らくは念話でサーヴァントと連絡を取った河二と、しばらくは待機の時間となる。
 まぁじきに鉄志やランサーたちもやってくるだろうとはいえ、無言で待つのもなんだか気まずいものがある。

「…………そういえばおまえ、休校中の課題どうしてる?」

 というわけで、ナシロは無難な雑談を振った。学校の話である。

「ああ、あれならもう終わらせたが」
「終わっ、おま、手際いいな……」
「学校の課題にかかずらっている場合ではないからな……早急に終わらせたよ。そういう琴峯さんはどうなんだ?」
「……私は全然だよ。正直あんまり時間が取れてない」
「…………僕の分を書き写すか? 僕は構わないが」
「いや、いいよ。ちゃんと自分で終わらせるし、そこまで落ちぶれたつもりはないさ。ありがとな」
「そうか……すまない、出過ぎたことを言ったな」
「謝んなって。別におまえが謝ることでもないだろ?」

 学業に纏わる、他愛のない雑談。
 仮想の学校、仮初の転校生、一ヵ月程度の付き合いとはいえ、学友は学友だ。
 今までろくに会話をしたことがない相手でも、それなりに共通の話題として成り立つものである。
 元より堅物同士、雑談というにはいささか硬い話題ではあったがそれなりに話に花が咲く。

「待たせたなマスター……なんだ随分仲良さげじゃねーの。会話もしたこと無いって言ってなかったか?」
「お前らこの状況でもちゃんと勉強してんのか……最近のガキはしっかりしてんなぁ」

 と、その雑談も来客……河二のランサーと雪村鉄志、そしてマキナの登場で中断となった。
 革ジャン姿のエパメイノンダスも、長袖のワンピースを着たマキナも、その見目麗しさから相応の存在感こそあるものの、古代の英霊とは思えぬほど現代社会の風景に溶け込んだ格好をしていた。
 むしろギリシャ系美男美女に挟まれたジャパニーズ中年男性の鉄志がいっそ場違いに浮き気味な感もあった。鉄志からすれば大きなお世話であろうが。

「しっかりしているもなにも、学生の本分は学業だろう」
「今は忙しいとか他にやることがあるとか、そうやってサボる理由を探すのは性分じゃないんだよ私は」
「ははぁー、日本の未来は明るいなオイ……」

 鉄志は関心と呆れが混ざったような声を出した。
 彼が学生の頃は、こんなにも真剣に学業と向き合ったことはなかった。理解の外の生き物を見た反応である。

「……ともかく、改めて……探偵の雪村鉄志だ。まずは話を聞いてくれるってことで、感謝する」
「サーヴァント・アルターエゴ。設定通称マキナです。よろしくお願いします」

 礼を告げる鉄志、折り目正しく頭を下げるマキナ。
 一度名乗った名を改めて名乗るのは、己の立場を明確にする意図。

「高乃家次男、高乃河二だ。こちらこそ、一度礼を失した宣戦布告を行った僕に声をかけてくれたことに感謝を」
「そのサーヴァント、ランサーだ。……俺もなんか通称とか考えた方がいいかねぇ」
「……僕に聞かれても困る」

 河二が返したのは握り拳を覆って示す、堂に入った包拳礼。
 この中で最も交戦的な陣営として、矛を収めるという改まった宣言。

 さて。
 こうなると当然、ナシロも名乗る流れだろう。
 無論それ自体は望むところなのだが……致し方あるまい。

琴峯ナシロ、この教会を預かってる管理者だ。それから――――」

 そこで言葉を切り、ナシロは念話で合図を示した。
 同時に響く、微かな蝿の羽音。
 音に違和を感じた瞬間には、その悪魔はナシロの傍に侍っている。
 薄く白い外套を纏い、その白を塗り潰さんばかりの黒の長髪を垂らし、背に透明な翅を畳んだ、酷く妖しく嗤う、少女。

「――――――――はじめまして、皆さん」

 じとりとした圧迫感が、場を包む。
 威圧感。
 あるいは嫌悪感。
 本能がその存在を拒むような、魂の拒絶反応。
 それを嘲笑うように、少女は笑みを深く。

「ナシロさんのサーヴァント、アサシンです。お見知り置きを」

 精神干渉に対して強い抵抗力を持つマキナだけが少女の放つ威圧の気配から逃れ、しかし場の緊張を読み取って鋭い視線を向けている。
 あの時、公園での戦闘に介入した悍ましき威圧感の正体。
 あれはこのサーヴァントが、姿を見せぬままに放っていたものなのだと、直感が理解する。
 緊張走る空間に、ナシロがひとつ、大きくため息をついた。

「……やめろアサシン。そういうのは」
「おやおや。わたしはご挨拶をしただけなんですけどね?」
「アサシン」

 有無を言わさぬナシロの非難を受け、アサシンは肩を竦める。
 瞬間、場を支配する醜悪な嫌悪感が薄らいでいった。

「…………すまん。ごらんの通り、真っ当なサーヴァントじゃないんだ。
 とはいえ、私だけ……しかもアサシンのサーヴァントを隠しておくわけにもいかないだろ。同席させてもいいか?」

 申し訳なさそうに弁明するナシロだが、実際のところは相当心中穏やかではない。
 恐るべきアサシンのサーヴァント、ベルゼブブ――――しかしてその正体は、ぽんこつクソ雑魚コバエなのだ。
 蝿の王ベルゼブブに由来する強力な力こそ保有するものの、その強力な力を十全に発揮することなど夢のまた夢なぽんこつ具合。
 現状、ヤドリバエの切れる最も強力で確実なカードはベルゼブブ由来の威圧によるハッタリであり――――それはつまり化けの皮が剥がれてしまえば使えなくなってしまう儚いカードが頼みということで。
 この状況でアサシンたるヤドリバエの姿を見せないという不誠実な態度は道義としても心情としても論外だが、ヤドリバエを人前に出すということはナシロたちにとって極めてリスキーな行動でもある。
 虎の威を借る狐ならぬ、悪魔の威を借る小蝿であるヤドリバエが迂闊な発言でボロを出さないか、内心では細い綱の上を渡っている気分であった。

「……問題ねぇさ。むしろ心遣いに感謝したいぐらいだ」

 果たして一連の流れに何を感じたのか、鉄志は懐から煙草の箱を取り出し……一本吸おうとして、やめた。
 煙草で気分を落ち着かせようとして、この場の未成年比率に思いあたってやめたのだろう。
 誰に言われるわけでもなく喫煙エチケットを気にする姿は、どことなく哀愁が漂っていた。

「さて……お前らに集まってもらったのは、まぁだいたい察しもついてるだろうが……
 その“本題”に入る前に、お前らに話しておきたいことがある」
「情報交換か?」
「いや、情報“提供”だ。前提として話さにゃならんことだし……話した時点で、俺の目的は何割か果たしたことになるからな。
 俺の推論も混じるが、まぁ少し聞いてくれや」

 エパメイノンダスの確認に返答しつつ――――雪村鉄志は、話し始めた。
 彼らと別れた後に出会った男について。

 即ち――――――――この聖杯戦争の、“前回”について。



   ◆   ◆   ◆




「――――――――“一回目”、だと?」

 にわかには信じがたい――――その意図を言外に含めつつ、ナシロは眉をひそめた。

 赤坂アギリなる、魔術師専門の暗殺者と遭遇したこと。
 彼のサーヴァントである弓兵の真名が、狩猟の巨神スカディであったこと。
 ここまでは飲み込める。
 悪魔のベルゼブブは聖杯戦争じゃ呼び出せないとかいう理屈で“これ”なのに、女神のスカディとやらは本人が出て来るのかよ、とナシロは少し思ったが、まぁ飲み込める。ナシロはハズレを引き、赤坂アギリはアタリを引いた。それだけの話だ。

 だから飲み込めないのは――――彼が、そして“彼ら”が、一度目の聖杯戦争の敗者であり、蘇って“二度目”たる今に挑む亡者である、ということ。

「……ふざけた話だし、信じられねぇのも無理はねぇ。
 だが、俺はこれ自体は嘘じゃねぇと思ってる。嘘じゃないとした方が、状況が飲み込みやすすぎるしな」
「…………そうだな。確かに、納得できる点は多い」

 怪訝そうなリアクションを見せたナシロに対し、河二は驚愕こそすれすぐに理解を示した。

「高乃……確かに、聖杯の奇跡なら死者の蘇生も可能とは聞いたけどな。
 その数が六人ってなると、流石に話が違ってこないか? そんなになんでも願いが叶うものなのかよ、この儀式は」
「思考の順序が逆なんだ、琴峯さん。
 確かに死者の蘇生はそう簡単に為し得る奇跡じゃない。
 だが……僕たちは既に、“この世界に作られた命”をいくつも見ているはずだ」
「――――――――。」

 この世界に作られた命。
 ……そうだ。
 この戦争の舞台は偽りの東京、針音響く仮想の箱庭であり――――そこに住まう人々は、全て魂持たぬ虚像である。
 ナシロが先ほど言葉を交わした老シスターも、彼女を応援に寄越してくれた白鷺教会のダヴィドフ神父も、教会にやってくる信者たちも、学校で共に過ごすクラスメイトたちも、街中ですれ違う人たちや立ち寄った店で働く人たちも、本物ではない。
 魂の通わぬ舞台装置……だがこの一ヵ月、そのことを強く感じる瞬間が一度でもあっただろうか?

 いいや。
 いっそ恐ろしいほどに、違和感を覚えることは無かった。
 彼らはまるで本物のように、考え、喜び、悲しみ、苦しみ、日々を生きているように見えた。

「――――――――生者の再現ができるのなら、死者の再現ができない道理も無いだろう」

 無論それは、この偽りの東京の中でのみ存在を許された地縛霊に過ぎないのだろうが。

「結果が既に存在するのなら、前提を論じることに意味はない。
 そもそもからして、東京という規模の都市を……1000万人近い人間ごと再現して、一ヵ月以上維持していることからして十分に異常だ。
 通常の手段で不可能なら、通常ではない手段を取っているという理解をした方がわかりやすい」
「ああ。冷静に考えりゃ、聖杯規模の奇跡でもなけりゃこんな聖杯戦争が成立すらしねぇだろうからな」

 参加者の選定の仕方だって異常だ。
 参加者の数だって異常だ。
 事実として成立されているから飲み込んでいただけで、この聖杯戦争は最初から、なにもかもが異常なのだ。

「聖杯を取って願いを叶える権利が手に入ったってのに、なんでわざわざ二回目なんかを……」
「それは正直わからん。イカれた戦闘狂なのかもしれんし、より大きな願いを求めてのダブルアップ宣言なのかもしれんが……なんにせよ、サーヴァントが聖杯と相性のいい奴だったんだと俺は睨んでる。
 普通のサーヴァントとして活動する分には使えない、現実改変規模の奇跡を起こす宝具を聖杯の力で無理やり起動した、とかな」

 その推論は、鉄志が契約するサーヴァントがデウス・エクス・マキナであったからこそ辿り着いたもの。
 彼女が持つ、しかし現状使用不可能な第三宝具『律し、顕現する神鋼機構(デウス・エクス・マキナ)』のように、荒唐無稽で、しかしそれだけに封印された能力を聖杯の力で引き出した、とか。
 これはあまりに具体的過ぎる推論ではあったが、少なくとも聖杯というリソースを十全以上に扱えるサーヴァントを優勝者は従えていたのだろうと鉄志は予測していた。
 神話級の魔術師であるとか、星を開拓した発明家であるとか……そういった類のサーヴァントを。

「……ほんとにふざけた話だよ。
 後手に回ってる自覚はあったが、そもそもからして先手を取る権利ってのが俺達には無かったわけだ」

 “前回”の仔細はともかくとして――――所詮は懐中時計に導かれた“巻き込まれ”に過ぎない鉄志たちに比べ、ある程度明確に聖杯戦争に臨んでいた“二度目”の連中は心構えからして違う。
 一度は“死ぬまで”聖杯戦争を戦い、互いの手の内を知りながら再戦の権利を与えられた亡者ども。
 聖杯戦争の成り立ちと、他六人の手の内を知っているという情報アドバンテージは微々たるものではあるが、それでもあるとないとでは大きく話が変わってくる。
 鉄志たちが状況を理解しようと奔走している間に、彼らはとっくに睨み合いを始めていたのだから。

「で……今わかってる“二回目”連中四人の情報を共有して、本題はなんだ?」

 エパメイノンダスが話の続きを促す。
 この聖杯戦争が二回目であり、継続して参加している亡者たちがいる……ここまでは前提で、本題は別にあるという話だった。
 といっても、ここから切り出される話となると大方の予想はつくところであったが。

「まぁだいたい予想はしてると思うが――――結論から言えば、お前らと同盟を結びたい」

 その“本題”には、やはりこの場の誰もが驚愕を示さなかった。
 前提や詳細はともかくとして、行きつく提案はそれであろうというのは、この話し合いが持ち掛けられた時点で想像のつくことだ。
 ならば会話の焦点となるのは、ともかくとした前提や詳細の部分。

「では聞こう。同盟の目的と期限は?」

 故にそこを訊ねれば、鉄志は忌々しげに眉をひそめた。

「……俺の勘が言ってんだ。
 これ以上後手に回ってると、取り返しのつかねぇことになるってよ」

 質問に直接は答えず、しかし。

「昨夜、板橋区が大規模な蝗害と季節外れの猛吹雪、そして大規模な火災で壊滅的な被害を受けた話はニュースでやってたろ」
「流石に知ってるよ。どっかの陣営が派手にやり合ったんだろうとは思ったけど……そうか、その赤坂アギリってのと、スカディってのが片割れか」

 火災と吹雪。
 なるほど、それが発火能力者と霜の巨人の主従によるものだというのは、理解しやすい予測だ。
 彼らが蝗害の主と交戦した結果として、板橋区は甚大な被害を受けたのだろう。

「少し調べたが、蝗どもの活動が今日は大人しい。派手にやり合って痛み分けってとこかね」
「つまり――――状況が動く、と?」

 ゆっくりと鉄志は頷き、肯定を示した。
 …………厳密に言えば、鉄志の推理は僅かに間違っている。
 昨夜に蝗の主とアギリたちが交戦したのは事実だが、それは小競り合いに過ぎない。
 蝗たちが大人しいのは、その後に無謀にも“太陽”に挑み、イカロスの如く翼を灼かれたためだ。

 とはいえ、導き出された結果の推測には不足が無い。
 蝗の主が“亡霊”の手駒であるかどうかは不明――状況証拠や赤坂アギリの態度からしてその可能性は高いと見ている――だが、なんにせよ状況が動くに足る不均衡が生まれた。
 アギリがわざわざ探偵を頼ったのがその証左だろう。
 彼には明確に他の“六人”の状況を特定し、始末する意図があった。
 その動きがアギリのみであると考えるのは…………いくらなんでも、楽観的過ぎるだろう。

 この東京は戦場なのだ。
 この一ヵ月、ずっとそうだった。

「蝗害、半グレ抗争の過激化と暴徒の出現、独居老人の連続行方不明、前回参加者のうち所在が知れてる蛇杖堂記念病院の名誉院長――――恐らく今日明日にはどれかに火が着く」
「あるいはその全てに、か」

 東京を蝕んできた、聖杯戦争の魔の手。
 それらの緊張が今、限界を迎えて決壊しようとしている。
 鉄志の懸念はそういう話であり、確かにそれはある程度の現実味を帯びていた。

「俺とマキナだけじゃ対応しきれねぇ。
 だからお前らの力を借りたい……それが目的で、期限は状況が動き出すまでだ」

 状況が動き出したら、また改めて同盟を継続するか考えればいい。
 だがひとまず、状況が動き出すまでは手を組み、均衡の決壊に伴う濁流に押し流されないようにしたい。
 手が足りないなら増やせばいい。
 最終的に聖杯を巡って争うにせよ、より規格外に凶悪な陣営や出来事があるのなら多少なり協力し合うことはできるはずなのだ。

「なんなら一緒に戦わなくたっていい。情報をこまめに共有し合えるだけでも意味があるからな」
「さっきの前提を話した段階で目的が何割か果たせてるってのはそういうことか……」
「情報のパイプだけでも繋いでおきたいということだな」
「そうだ」

 それは同盟と呼ぶには緩やかな協調関係だが、それだけでも十分に意味があった。
 とにかく、急速に動き得る状況に喰らい付くだけの手数を求めて交渉を持ちかけているのだから。

「ふむ……………ランサー、貴方はどう思う?」

 河二はしばらく思案の様子を見せてから、相棒たる不敗の将軍に訊ねた。
 ここまで時折話の続きを促す程度で控えていたエパメイノンダスは、興味深そうに微笑を浮かべている。

「ま――――いいんじゃねぇの?
 軽くやり合って実力と傾向もある程度わかってるし、確かにあの蝗害みたいな規格外の災厄とやり合うなら単騎じゃ苦しい。
 ちゃんと解散も視野に入ってるし、かなり悪くない話だと思うぜ」

 だが、と。
 エパメイノンダスは鉄志とマキナを、油断なき瞳で真っ直ぐに見据えた。
 口元では微笑を象りつつも、目元は猛禽の如く鋭いそれで。

「――――むしろ、そっちこそそれでいいのかよって、俺は思うけどな」

 なにを――――と口を挟むよりも早く、エパメイノンダスは破顔した。

「つーわけで、同盟には乗ってもいいが条件をひとつ付け加えさせてもらおうか!」
「…………条件?」
「おうとも。同盟を組むからには、お互いの弱みのひとつぐらいは握っとかないと安心できないだろ? 現代じゃ相互破壊保証っつーんだったか」

 なるほど同盟を持ちかけたのは……“お願い”をしているのは鉄志側であり、それを受ける河二・エパメイノンダス側には条件を加える権利がある。
 もちろん、突きつけた条件を飲むかどうかまで含めて交渉なわけだが……

「『同盟に参加する陣営は秘密をひとつ開帳する』、ってのはどうだ?」
「秘密ってのは……例えば真名とかか?」
「真名でもいいし、宝具の詳細でもいいし、別のもんでもいい。とにかく秘密だよ。例えば――――」

 エパメイノンダスが、どこか嗜虐的な笑みを浮かべる。


「――――――――『俺がエウリピデスの大ファンである』、とかな」


 やられた、と鉄志が感じた時にはもう遅い。
 彼の傍らで、マキナが明らかな動揺を見せてしまっている。

 エウリピデス……マキナの“製造記号”であり、物語をご都合的にハッピーエンドに導くデウス・エクス・マキナを多用したことで知られる古代ギリシャの悲劇作家。
 ……マキナの、英霊デウス・エクス・マキナの依り代となった少女の、父親であったヒト。

 その名を出したのは、決して偶然ではあるまい。
 カマをかけられたのだ。
 マキナの真名におおよその予測を立て、見事に予測を確信に変えたのだ。

「……ほらな。ちょっとした冗談ひとつで、そっちの秘密をひとつ掠め取っちまった」
「なっ、ち、ちがっ、わたしは……」
「――――テメェ……」
「腹立つだろ? 俺が言いたいのはそういうことだよ」

 動揺するマキナ。
 エパメイノンダスを睨む鉄志。
 何食わぬ顔で肩を竦める、エパメイノンダス。

「こう見えて、複数の国家からなる大同盟を盟主として指揮してたこともあってな。
 言っちゃあなんだが“同盟”ってもんの取り扱いに関しちゃ相当熟達してる自負があるし、間違いなく俺が一番この同盟を“しゃぶりつくせる”だろうよ」

 エパメイノンダス――――ボイオティアというひとつの地方をまとめ上げ、スパルタやアテナイといった大国を打ち破ったテーバイの名将。
 都市国家同士の連携で成り立つ古代ギリシャで覇を唱えるということは、国家間の同盟関係を巧みに利用する手練手管を持つこととイコールだ。
 そんなエパメイノンダスと――――その真名を知らずとも、この名将と同盟を結ぶということは――――


「もっかい聞くが――――――――お前らこそ、俺らと同盟を結んじまっていいのかよ?」


 徹底的に利用される――――そのことを、受け入れられるか。
 エパメイノンダスの支配と搾取を受け入れてまで同盟を結ぶのかと、今問われているのだ。
 ……同盟を打診する、という形で最初に頭を下げたのは鉄志である。
 しかしこれでは、あまりにも……“従属”の形になってしまう。
 これを受け入れるのであれば、明確に同盟内の上と下が決まってしまう。

 河二は口を挟まない。
 これが将軍エパメイノンダスの戦い方のひとつだと理解しているからだ。
 協力の余地はあれど、あくまで他の陣営は競争相手。
 なればこそ勝てる土俵での戦いを譲る理由などどこにあろう?

 甘く見ていた、と言わざるを得まい。
 鉄志が持ち掛けたのは妥当な同盟交渉であり――――妥当であるからこそ、相手の力量を見誤った。
 多少鉄火場慣れしているとはいえ、所詮は一介の私立探偵。
 むしろそういった政治的駆け引きを不得手とする、泥臭い刑事であった鉄志にとって――――“将軍”という人種は未知の領域であったのだ。

 残念ではあるが、交渉を打ち切って退くべきか。
 鉄志の脳裏にその考えが過った時――――


「………………あー、こっちからもいいか?」


 遠慮がちに手を挙げて割って入ったのは、琴峯ナシロであった。
 その隣ではヤドリバエが、どことなく不機嫌そうに唇を尖らせている。

「そっちで盛り上がってるところ悪いんだけどさ。一応私らも話に混ぜて貰わねぇと」
「おっと、確かにそりゃそうだな。
 それでどうだ? お嬢さん方は、この同盟に乗り気なのかい?」
「まぁな。で――――秘密だったか? どっちみち同盟組むなら話すつもりではあったんだが……」

 果たして今の状況を理解しているのか、いないのか。
 ナシロはいくらかのバツの悪さを滲ませながら、しかし特に緊張するでもなく。



「――――アサシンの真名はベルゼブブだ」



 爆弾を、投下した。

「なっ――――」
「……と言っても、本物の悪魔ってワケじゃない。
 あくまで大悪魔ベルゼブブの力を借り受けた……ヤドリバエってわかるか? まぁハエだハエ。
 ハエがベルゼブブの力を借りて使えてるだけで、戦闘とかはほとんどできないんだよ。
 威力はともかくエイムがクソでな。だから正直、戦力としては期待しないでくれ」

 各々が驚愕する間も無く、ナシロは全てを開示した。
 全て――――そう、全てを。

「も~~~~~~~~~~~~なーんで全部言っちゃうんですかねぇナシロさんってば!!
 私の正体バラしちゃったら、その蝿王様の力だって一部使えなくなっちゃうんですよ?」
「仕方ないだろ。同盟組むんだったら隠し通すのは無理があるし、命を預けあう相手にそんな大事なことを隠すのは誰が許そうと私が許さん」

 その情報はまさしく、ナシロとヤドリバエにとっての生命線。
 先刻発揮して戦果を挙げた威圧的嫌悪感も、正体がバレてしまえば効力を失う。
 蝿の王ベルゼブブというメッキを剝がされて残るのは、戦闘センス皆無のコバエのみ。
 絶対に明かしてはいけない情報を、ナシロは何の躊躇もなく開示してしまったのだ。

「なっ、ばっ、おまっ……正気か嬢ちゃん!?
 今の俺とランサーの会話を聞いてなかったのか!?」

 詰め寄るように鉄志が叫ぶ。
 たった今、エパメイノンダスが鉄志に従属を迫っていたばかりなのだ。
 ならば自らの腹を見せるが如き告白は、弱者による従属の宣言か?
 それにしてはあまりにも、ナシロの態度は堂々としていた。

「……この世界は作り物で、私ら以外の住民も本物じゃないってのは、私もわかってるんだがね」

 堂々と、自然体で、しかし瞳には強固な意思を。

「それでもあの人たちは、毎日うちの教会に来るんだよ。
 神のご加護に救いと安寧を求めて、また不安を抱えながら自分達の日常に帰って、毎日を戦ってるんだ」

 それは、魂無き傀儡たちが入力に対して見せる反応に過ぎないのかもしれない。
 東京が脅かされれば市民たちは不安と恐怖に苛まれるという、単純なシミュレーションに過ぎないのかもしれない。
 不安と恐怖に苛まれながらも都市機能を維持するという、NPCの挙動に過ぎないのかもしれない。

 ――――――――けれど。

「主は預言を残して我々を見守ってくださっているが、我々を直接お救いくださることはない。
 なら、主に仕える私たちぐらいは人々のために頑張らないと、神を信じる甲斐ってもんが無いだろう?」

 ナシロは神を、それほど信じていない。
 神が人を救うのなら世の中の悲劇はもっと少ないはずだし、信じる者が救われるなら敬虔であったナシロの両親は亡くなっちゃいないだろう。
 神は特に愛する者を天の国に迎えるという考えは、遺された生者が親しい者の早世に折り合いをつけるための方便に過ぎないのだと理解している。

「ありがとな、探偵さん。あんたの推理のおかげで、覚悟が決まったよ」

 けれど知っている。
 救いを求める人々の祈りは、どうしようもなく本物であることを。
 神が直接人を救うことは無くとも、信仰が人の支えとなって心を救けることはあると。
 そして聖職者の役目とは、信仰の支えで救われた分、それを人々に還元していくことにあるのだと、知っている。
 そういう人たちの背中を見て育ったから、知っているのだ。

 ナシロは神を、それほど信じていないけれど。
 信仰で人が救われて欲しいと、そう思うから。

「あの人たちを見捨てちまったら、私はもう私じゃなくなっちまう。
 ……ずっとどうにかしたいと思ってたけど、どうしたらいいのかわからなかった。
 そんな私が、ようやくあの人たちの力になれるんだったら――――」

 一片の曇りなき瞳で、堂々と。
 胸を張って、琴峯ナシロは高らかに宣言した。


「――――――――――――せいぜい、うまく使われてやるよ」


 殉教者の如き、気高き降伏の意志を。

 ……しん、と場が静まり返った。
 誰もが、ナシロの宣言をゆっくりと理解していた。
 その恭順はあまりにも気高く、力強いものだった。
 遅れて、最初に動いたのは――――


「――――――――わっはははははは!!! アンタ、面白れぇ奴だなァ!!」


 ――――やはりというか、エパメイノンダスであった。
 破顔一笑、先ほどまでの威圧的な微笑はどこへやら。
 腹を抱え、膝を叩いてゲラゲラと笑い転げている。

「……ランサー、僕は――――」
「あー、わかってるわかってる。みなまで言うなよマスター」

 見かねたか声をかけた河二を制し、エパメイノンダスは改めてナシロと向き合った。
 流石に決意の宣言を目の前でこれほど笑われたのはナシロとしても中々腹に据えかね、一発殴ってやろうかとも思ったのだが。

「あーあ――――――――俺の負けだよ、お嬢ちゃん」

 ――――意外にも、彼の口から出たのは敗北宣言であった。

「…………は? いきなりなにを……」
「俺のマスターは“善意には善い報いが返って欲しい”とか考えてるクチだからな。
 そういう善意の化身みたいなとこ見せられちまったら、もうコージはお前のことをないがしろにできねぇ。
 そんでもって俺はマスターの意向を無視できるほどのロクでなしでもねぇ。
 お前らをコキつかって使い潰す俺の算段はもう立ち行かなくなっちまったのさ。
 ここは引かせといて後で足元見るだけ見れるタイミングで吹っ掛けようと思ってたんだがなァー。負けだ負け! わっはっは!」
「……あまり見透かしたようなことを言うなランサー。事実ではあるが……」

 ……高乃河二は、競争相手への攻撃に躊躇を持たない実に模範的な魔術師である。
 復讐という強固なモチベーションも相まって、この聖杯戦争においては十分に好戦的な態度を取っている。
 だが本質として、彼は善を好み悪を憎む素直な感性を持ち合わせているのだ。

 だから、弱いのだ。
 こういう、無私の心で誰かのために戦える人を見ると、報われてほしいと思ってしまうのだ。
 善因善果・悪因悪果――――善の行いには善き報いを。悪しき行いには悪しき報いを。
 世の中がそんな都合のいいものではないと理解しているけれど、どうかそうあって欲しいと思ってしまうのだ。

 思ってしまうのだから、やはりこれは河二とエパメイノンダスの敗北である。
 他の陣営を利用して食い潰そうという策略は、尊き善意にて打ち砕かれた。
 この“敗北”が己のせいであると理解している河二はエパメイノンダスに申し訳なさそうな表情を示し、エパメイノンダスはそれすらも笑い飛ばした。

「……雪村鉄志と、マキナ。貴方がたにも謝罪する。
 僕はもう、この同盟を私欲のために運用することはできない。貴方の提案に従おう」
「…………やれやれ、思わぬところから助け船が入っちまったな」

 随分と追い詰められた盤面を、横から急に引っ繰り返されてしまった格好だ。
 鉄志からすれば、ナシロに対して借りがひとつといったところだろう。

「……おい。状況が飲み込めないんだが。どういうことだ?」
「俺らは喜んでこの同盟に参加するし、二心なくお前を助けるって話だよ。
 さて――――負けちまったからには賠償もしとかねーとか」

 エパメイノンダスと河二が簡単に視線を交わし、河二が静かに頷く。
 念話による会話。
 といってもこの短さとなると、簡単な確認を取っただけのこと。
 なんの確認を取ったのかといえば、他でもなく――――


「――――我こそは忠実なるスパルトイの末裔、偉大なるカドモスの遠き子ら、愛深きテーバイ最後の英雄、エパメイノンダス!!
 そして我が宝具は生前率いて栄光を共にせし『神聖隊』、その機能的再現たる150対300の自立駆動する槍と盾!!
 以上敗戦の賠償として我が軍機をふたつ、ここに開示するッ!!」


 高らかにして堂々たる、真名と宝具の開帳。
 ともすれば宝具は秘したヤドリバエのそれを超える、完全なる手の内の開示。
 ぽかん、と口を開けてそれを眺めるナシロを、テーバイの不敗将軍はまた笑い飛ばした。

「……まっ、この国じゃそんなに知られてねぇらしいからな! 口惜しい話だが、後で調べておいてくれ! わっはっは!」

 スパルトイだのカドモスだのエパメイノンダスだの、ほとんど聞き覚えの無い単語の数々。テーバイは世界史の授業で聞いたような気もしたが。
 横で聞く鉄志にとっても聞き覚えの無い名であったし、ヤドリバエにしても同様。
 この中でその名に覚えがあるのは、同じく古代ギリシャを生きたマキナのみであったろう。

「…………ランサーにはもうバレちまったしな。こっちも名乗っちまうか」
「いえす、ますたー」

 続いて鉄志が、どこか強い決意を滲ませたマキナを見やり、促す。
 マキナはこくりと大きく頷くと、ナシロにもエパメイノンダスにも負けじと、堂々と小さな胸を張った。

「クラス:アルターエゴ。機体銘:『Deus Ex Machina Mk-Ⅴ』。製造記号:『エウリピデス』。
 即ち真名を『デウス・エクス・マキナ』――――全ての人類を幸福へと導く、最新の人造神霊です」

 ヒュウ、とエパメイノンダスが口笛をひとつ。
 わざとらしいリアクション。もうマキナの真名を知っていたであろうに。
 しかしマキナはそれに反応を示さず、真っ直ぐにナシロを見据えて続ける。

「私の目指す真なる機神は、貴女の信じる旧式の神とは違いより完璧かつ具体的な救済を世の中にもたらす設計となっております」
「………………いや、急に面と向かって旧式の神とか言われてもだな……もしかして今、喧嘩売られてるか?」
「あっ、いえっ、そうではなくて、あの……」

 神をそれほど信じていないナシロだが、流石に正面から旧式などと言われるとカチンと来るものはある。
 デウス・エクス・マキナ――――舞台演出上の、物語をご都合のハッピーエンドへと導く概念のことであったか。
 今こうして、自分の失言のリカバリーも思いつかずにわたわたしている少女がそんな立派な存在にはとても見えないのだが……
 ナシロは傍らのヤドリバエを見て、まぁ真面目そうな分こっちよりはマシか……と思った。ヤドリバエは慌てるマキナを指さして笑っていた。やめろ。

「そっ――――そうではなく! ですね……その……」
「……ごめんな。大丈夫、冗談だよ。ほんとは他に言いたいことがあるんだよな?」

 このままでは埒があかないと判断し、ナシロは膝をついて視線の高さをマキナに合わせた。
 仕事上、子供の相手は慣れている。
 宗教家というものは子供に優しいのだ。基本的に。
 ゆっくりで大丈夫だと伝えて、マキナの言葉がまとまるのを待ってから。

「その……私とは異なる神に仕えているとはいえ、貴女の信仰形態は信者のモデルケースとして極めて模範的なものだと判断しました。
 当機はあらゆる悲劇を迎撃するための存在であり、貴女がたを直接救済しないという貴女の神とは設計コンセプトを異にするものですが――――」

 幼い機神は、大人に夢を告げる子供のように宣言する。

「――――――――だからこそ貴女から、信仰というものを学習させていただこうと思います」

 ナシロの信仰は、愛と赦しの宗教と言われているもので。
 だというのに信者であるナシロ自身が、神による救済を否定するというのなら。

 ――――――――人を愛する神に、人は救えない。

 ……スカディの言葉が、マキナの中でフラッシュバックする。
 あの問答に答えを出すために――――ナシロの信仰を知ることは、きっと有益だろうから。

「……ですので、以後よろしくお願いします」

 マキナは折り目正しく、頭を下げるのだった。

「…………こう寄ってたかって褒めそやされると、流石にこっぱずかしいな……」
「ふんっ! 言っておきますけど、ビッグなドリームを目指して頑張る未来の規格外枠はもうわたしのものですからねおチビちゃん!」
「………………のん。訂正を求めます。私は可変機構を持つため体格も変動しますし、そもそも目算にして貴女の方が4cmほど小型です。“おチビちゃん”という呼称は適切ではありません」
「ははぁーん。絶対値じゃなくて相対値を持ち出す辺り自覚はおありのご様子で?
 かわいいコバエちゃんと4cmしか変わらない有様でよくもまぁ神様なんて名乗れましたねぇ!」
「妙な対抗意識で煽るな馬鹿」
「ひぎゃんっ!」

 嬉々としてマキナを煽り始めたヤドリバエをチョップで黙らせ、マキナに詫びを入れつつ――――改めて。

「それじゃあ――――これで三陣営同盟は無事結成、ってことでいいんだな?」
「らしいな……お嬢ちゃんのおかげだよ」
「ああ。これからよろしく頼む」

 “元公安機動特務隊隊長”雪村鉄志並びに、“人造機神”デウス・エクス・マキナ。
 “復讐拳士”高乃河二並びに、“不敗将軍”エパメイノンダス。
 “善なる修道女”琴峯ナシロ並びに、“悪魔のヤドリバエ”ベルゼブブ/Tachinidae。

「さて、それではどの案件に介入するつもりなんだ?」
「有力かつ確実なのは、蛇杖堂記念病院を張り込むか新宿周辺で発生してる抗争に乗り込むかなんだが……」
「……独居老人の連続行方不明ってのも気になったな私は。あれもそうなのか?」
「わからんが、可能性は高いと見てる。いっそ二手に別れちまうのも手だな……」
「さきほど貴方が言った通り、情報を適時共有できるだけでも大いに意味はあるからな。それもいいと思う」
「なら、アサシンには気配遮断がある。様子見ぐらいはこれでも……」

 ――――以上三陣営六名による同盟は、ここに締結した。



   ◆   ◆   ◆




 ……そして、三陣営による話し合いがひと段落したタイミング。
 ふと、エパメイノンダスの革ジャンの裾を引く小さな手。

「――――ランサー……エパメイノンダス将軍。貴方にひとつ、確認を取りたいことが」

 振り向けば、やはりというかそこにいたのは小さな機神マキナ。
 どうせ話もひと段落したのだし、とエパメイノンダスは膝をつき、視線を合わせて会話に応じる構えを取る。

「ああ、構わんぜ。わざわざこのタイミングで聞くってことは、個人的な話か?」
「のん、いえす。……先ほどの会話について、少し」

 ああ、と。
 それだけで、エパメイノンダスは少女の言わんとすることを理解した。

「先ほど貴方が言った――――『エウリピデスのファンだ』という発言は、私から情報を引き出すための虚言だったのでしょうか?」

 無表情に尋ねるマキナの瞳からは、その確認の真意は読み取れない。
 けれど態度と言葉から読み解くなら、恐ろしく簡単に意図がわかる。

 ――――怒りと、不安と、期待。

 エパメイノンダスはまさかこのデウス・エクス・マキナの依り代となった少女がエウリピデスの実の娘だとは想像していないが、それでも創造主と創造物という意味では親子に等しい関係なのだと理解できる。

 そんな“父親”をブラフに使われた、怒り。
 “父親”はブラフ程度の価値しかないのだろうかという、不安。
 そして“父親”のファンだというエパメイノンダスの言葉が真実であって欲しいという、期待。

 まったく、なんと雄弁な無表情であることだろう!
 エパメイノンダスは思わず噴き出しそうになりながら、それでもやっぱり我慢できず、からからと笑った。

「――――安心しろ。俺があの爺さんのファンだってのはマジの話だよ」

 エウリピデス――――エパメイノンダスが幼い頃にはまだ存命していた、アテナイの偉大な悲劇作家。
 異国、もっと言えば敵国の詩人であったが、それでも彼の描く悲劇はテーバイにも届き、十分な人気を博していた。

「少しアテナイ贔屓が過ぎるのが難点だが……まぁそこはしょうがねぇ。
 俺は悲劇も好きだが、悲劇の結末を堂々と覆すあの大胆さが特にいい。
 描く悲しみが真に迫ってるからこそ、それが最後に覆されると胸が空く――――なんて」

 遠き過去、生前に眺めていた演劇の光景を瞼に描きつつ。

「――――まさしく当人の前で言うと、口説いてるみたいでよくねーな?
 まさか機械仕掛けの神そのものと会って話ができるとは、聖杯戦争ってのは本当に面白いもんだ!」

 そう言って、ウィンクひとつ。
 不敗の将軍は、悪戯っぽく微笑んだ。

「――――そう、ですか……」
「おうとも、フィリッポスがいたらあいつのためにサインをねだってるとこさ!
 あいつもエウリピデスの芝居が好きでな……やっぱマケドニア人はエウリピデスが好きなんだなぁ」

 エウリピデスの最期は、マケドニア宮廷に招かれ、マケドニア最高位の神域で芝居を披露し、そのまま彼の地で没したと伝わっている。
 このニュースは当時のエパメイノンダスもテーバイで耳にし、偉大な詩人の死を悲しんだものだ。

「――――おいランサー、少し確認したいことがあるんだが……」
「おっと、呼ばれちまった。悪いなマキナ、偉大なるエウリピデスが生み出した芸術について語らうのはまたの機会ってことにさせてくれ」
「…………いえす、のん。ありがとうございました」

 鉄志に呼ばれてそちらへと向かっていくエパメイノンダスを見送りながら。
 マキナは――――ひとりの少女は、どこか遠くを見ていた。

 ――――――――おとうさま。

 脳裏に描くは、偉大な悲劇詩人の背中。
 一心不乱に悲劇を描き、悲劇を否定する男の背中。

 ――――――――おとうさま、あなたは……

 彼の名は、彼の芸術は、ちゃんとアテナイの外まで届いていた。
 誰もが彼の生み出したものを賞賛し、遠くマケドニアの地ですら最も貴い扱いを受けた。
 それでも最後まで――――最期まで悲劇と向き合い続けた、あの人は。

 ――――――――あなたは、なにとたたかっていたのですか?

 ……機神の心に、またひとつ。




【世田谷区・二子玉川エリア/一日目・夕方】

【雪村鉄志】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない。良い服を買って更に減った。
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
1:ニシキヘビに繋がる情報を追う。
2:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
3:〈一回目〉の参加者とこの世界の成り立ちを調査する。
4:マキナとの連携を強化する。
[備考]
赤坂亜切から、〈はじまりの六人〉の特に『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』の情報を重点的に得ています。

【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:健康
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
1:マスターとの連携を強化する。
2:目指す神の在り方について、スカディに返すべき答えを考える。
3:信仰というものの在り方について、琴峯ナシロを観察して学習する。
4:おとうさま……
[備考]
※紺色のワンピース(長袖)と諸々の私服を買ってもらいました。わーい。


【高乃河二】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:『胎息木腕』
[道具]:なし
[所持金]:それなり(故郷からの仕送りという形でそれなりの軍資金がある)
[思考・状況]
基本方針:父の仇を探す。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯さんは善い人だ。善い報いがあって欲しいと思う。
[備考]
※ロールとして『山梨からやってきた転校生』を与えられており、少なくとも琴峯ナシロとは同級生のようです。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。

【ランサー(エパメイノンダス)】
[状態]:健康
[装備]:槍と盾
[道具]:革ジャン
[所持金]:なし(彼が好んだピタゴラス教団の教義では財産を私有せず共有する)
[思考・状況]
基本方針:マスターを導く。
1:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
2:琴峯ナシロは中々度胸があって面白い。気に入った。
3:カドモスと会ってみたいなぁ!
[備考]
※カドモスの存在をなんとなく察しているようです。


【琴峯ナシロ】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:修道服
[所持金]:あまり余裕はない
[思考・状況]
基本方針:教会と信者と自分を守る。
1:信者たちを、無辜の民を守る。そのために戦う。
2:なんか思ったより状況がうまく運んでちょっと動揺。
3:教会を応援に任せるのが心苦しい。
[備考]
※少なくとも高乃河二とは同級生のようです。
※琴峯教会は現在、白鷺教会から派遣されたシスターに代理を任せています。
※雪村鉄志から『赤坂亜切』、『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報と推論を共有されています。

【アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:聖杯を手に入れ本物の蝿王様になる!
1:ナシロさんが聖杯戦争にちょっと積極的になってくれて割とうれしい。
2:あんなチビっこ神霊には負けませんけど!蝿の王なんですけど!
3:ばんごはんたのしみだなぁ。
[備考]


【全体備考】
※雪村鉄志、高乃河二、琴峯ナシロの三陣営が同盟関係を結びました。彼らがどういった組み合わせ(三組合同を含む)で行動し、どの案件に介入していくのかは、後続の書き手にお任せします。



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最終更新:2024年10月30日 00:56