復讐の獣イオマンテ(ふくしゅうのけものいおまんて)
■色
紫
■弱点
赤
■属性
【災禍】【神秘】
■ステータス
攻撃:17 防御:8 反応:0 無念:5
■アビリティ
《常在》
亡キ心(ナキゴコロ)
タイミング:パッシブ
効果:アクティブ ― 対面の敵以外の敵によって付与された継続効果で、対面の敵のステータスは変化せず、色は追加されない。
(アクティブを持つスキルは、自身がアクティブキャラクターである間のみ効果が適用される)
能力原理
忘却を操る能力。
イオマンテを見た者はまず、【助けを呼ぶこと】を忘れ去る。
逃げるにせよ戦うにせよ、単独で挑まなくてはならない。
キャラクター説明
忘れるなかれ。忘却とは、死そのものだ。
かつて、人間と山の獣たちは対等の立場であった。
互いに互いの居場所を尊重し、同じ一つの命であった。
しかし人間が増えるに従い、山の獣の居場所を、命を、人間は奪わなくてはいけなくなってきた。
その行為に人間は心を痛め、かつて対等であった獣たちに「忘れずに語り継ぐから」と許しを請うた。
山で命を奪われた獣たちが無事に神のもとに逝けるように祈ってきた。
その祈りの代表こそがアイヌに伝わる山送りの儀式、
イオマンテ
である。
強大なエゾヒグマを、『エゾヒグマの姿を借りて人間の世界に降りてきた神霊』と捉え、もてなした上で見送りの宴と共に神々の世界に送り返す儀式。
命を奪い、居場所を奪い、肉を、皮を、毛を、牙を奪う以上、
その相手に敬意を示し「忘れず語り継ぐから」という想いを示す儀式。
同様の想いは各地の山で見られた。
マタギは獣の命を奪う事を「山言葉にする」と表現し、獣たちは山の一部となり永遠に在るとした。
宮沢賢治は『なめとこ山の熊』でマタギと熊の対等な在り方を記した。
山送りは全国各地で行われ、数多の獣の命が捧げられた。
そう。山の獣と人間は対等であるとして、神に捧げたのだ。
命を奪うときには敬意を示し記憶に刻んだ。語り継ぐと誓った。
──しかし、人間は忘れた。
かつて対等であった山の獣たちと交わした儀式を。
あの日に口にしたはずの想いを。
山の獣たちはただの害獣に成り下がった。
山の神であったはずの熊ですら、いまや駆除の対象でしかない。
それどころか愛護団体などは
「可哀想だから殺さないであげましょうよ」
などと、山の獣たちを、明確に立場が下である“憐憫の対象”とした。
話が違う。
話が違う!
話が違うぞ人間!
我らの魂を奪ったのは、山に送ったのはなんだったのだ?
あの日の敬意は、言葉は、祈りは、嘘偽りだったのか?
それとも… “そのときは” 真実であったが綺麗に忘れ去ったというのか?
あれほど日々を忘れることが出来たというのか?
何故我らを憐憫の目で見ているのだ?
許せん
許せん
許せるはずもない
許してなるものか!!!!!
山の獣たちの無念は、遂に結実し形となった。
【山に送られ殺されたにもかかわらず、忘れ去られた獣の魂の集合体】
それこそが【イオマンテ】である。
山送りで死んだ獣の魂の集合体であるため、どの獣の姿を取ることもできるが、基本的には最強である雄のエゾヒグマの姿を取る。
その姿は通常のエゾヒグマを更に狂化したものとなっている。
体長3m、体重500kg。
その爪はたやすく人間の首を捩じり切り、その牙はたやすく人間の背骨を砕く。
血に濡れたかのような赤黒い毛並みは、天然の鎧であり刃を通さない。
霊魂が集合し物質化した存在であるため、イオマンテの牙と爪は霊的事象にも通用する。
その代わりにイオマンテには物質的攻撃も通用する。
例えば普通の銃弾であっても上手くやればダメージを与えられる。
その瞳は夜を映すかのような虚無に満ちた漆黒。
イオマンテと目を合わせた人間は、自分が許されぬ罪人であり、被食者であると瞬時に悟るであろう。
イオマンテは、悠々と街を歩み、目についた人間を嬲り殺しにして喰らう。
人間たちはそれを見ても逃げ惑うばかりで警察を呼んだり誰かに話したりしない。
彼らはイオマンテの能力、亡キ心ナキゴコロにより助けを呼ぶことを忘れてしまっているから。
忘れるがいい、忘れるがいい、人間よ。
かつて我らを忘れたように、此度もまた忘れ去るがいい。
思い出すのは、喰われるそのときでいい。
イオマンテは、今この瞬間も人間社会に在り、目についた人間を悠然と喰い殺している。
仮にこの復讐の獣が、全寮制の女子校に踏み入れたとしたら、被害がどのくらいになるか予想も出来ない。
──なお、余談ではあるが、今年の都内の行方不明者数は去年の三倍であるという。
最終更新:2025年05月09日 01:12