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1912■英のEU離脱に道筋

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1912■英のEU離脱に道筋
 16年6月、国民投票でEUからの離脱を決めた英国は、離脱の条件で国民や議会がまとまらず、EUとの交渉に難渋した。当初は19年3月末の予定だった離脱は3度も延期された。
 国民投票後に就任した保守党のメイ首相は、当初、EU離脱に伴いEUの単一市場や関税同盟からも抜けるという強硬離脱路線をとった。これに対して、移民の流入は制限して、自由な単一市場には残るという「いいとこ取り」の柔軟離脱路線を望む声も強かった。だが、後者に対してはEU側が反発、協定案はまとまらなかった。
 結局、EU加盟国のアイルランド共和国と地続きの英領北アイルランドとの間では税関がない状態を維持するため、離脱後も関税同盟にとどまる可能性を残すことでメイ政権が折れ、離脱協定案ができた。
 協定案の発効には議会の承認が必要だが、もともとEU残留寄りの野党に加えて、与党・保守党内の強硬派も、関税同盟に残れば英国はEUの属国になる、と反対した。協定案は下院で3回も否決され、メイ首相は19年5月、辞意表明に追い込まれた。
 7月、保守党党首選でジョンソン前外相が勝利し、首相に就任した。ジョンソンはもともと国民投票でEU離脱派を率いた人物で、もしEUとの交渉がまとまらなければ「合意なき離脱」も辞さないという強硬な態度をとった。
 10月には政権とEUが新離脱協定案で合意した。新協定案では、英国全体が関税同盟に残る可能性が排除されたが、北アイルランドだけを実質的に関税同盟に残すことにした。英国はこの協定案で10月31日にEUを離脱する予定だったが、またもや議会で協定案の審議が行き詰まった。ジョンソンはEUに離脱延期を要請、新たな離脱期限を2020年1月31日とすることで合意した。党内の造反議員を除名し、離脱予定日まで2ヵ月を切った時点で5週間も議会を閉会して審議させずにおくという手に出て最高裁から違法判決を受けたりしたが、最終的にジョンソンは下院を解散する決断をした。
 12月11日行われた下院総選挙の結果は、ジョンソン保守党の大勝だった。全650議席のうち保守党は365議席(47増)を獲得し、1987年以来最大の過半数を占めることになった。これでようやく、離脱協定案の議会承認が得られる見通しがついたのであった。
2024/10/09記
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