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1308■シリア内戦と化学兵器

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1308■シリア内戦と化学兵器
 シリアでは、アサド政権が反体制側を「テロ勢力」として攻撃や弾圧を続けていた。国連とアラブ連盟が2012年4月に調停に乗り出しいったんは停戦にこぎつけたが、戦闘はすぐ再燃し、非武装だった国連の停戦監視は活動を停止した。
 反体制派は,12年11月に自由シリア軍を核とする「シリア国民連合」を発足させた。米英仏や湾岸諸国、トルコなどはこれを統一組織として支援し育てようとしたが、「連合」の団結は強固にならず、市民の広範な支持を受けることができなかった。その間、スンニ派の過激派組織ヌスラ戦線が発足し、またアルカイダ系の武装勢力もイラクから侵入し、アサド政権・自由シリア軍双方を攻撃するようになった。また、トルコ・イラクにまたがって存在するクルド人勢力が自治を獲得しようとして他の反体制派と対立を強めた。
 一方、アサド政権に対しては、旧ソ連時代からシリアに海軍基地を持つロシアや、シーア派国家としてシーア派の分派アラウィ派中心のアサド政権に親近感を持つイランが、支援を強化した。レバノンのシーア派武装組織ヒズボラも政権軍を支援するため介入した。
 13年8月、首都ダマスカス近郊で多数の市民が化学兵器で死傷する事件が発生した。反体制派や米国などはアサド政権軍が化学兵器を使用したと非難し、米英は一時政権軍を「懲罰攻撃」する構えを見せたが、議会の説得に失敗して断念。かわりにロシアが主導した、化学兵器禁止機関(OPCR)によるアサド政権軍の査察を実施、廃棄する案をアサド軍が受け入れた。
 その後も国連などによる停戦仲介は難航し、内戦終結のめどはたたないまま、シリア人口の3割近くにあたる600万人以上が国内外で難民生活を送る状況に改善は見られなかった。
★2013年
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