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2412●シリア・アサド政権崩壊
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2412●シリア・アサド政権崩壊
24年12月8日、内戦が続いていたシリアで、反体制派の主力「シャーム解放機構」(HTS、旧ヌスラ戦線)が首都ダマスカスを制圧した。アサド大統領は家族と共にモスクワへ逃れ、父ハフェズ氏の時代から独裁的な体制を半世紀以上続けてきたアサド政権は崩壊した。
シリアでは、2011年「アラブの春」の民主化運動が波及してアサド政権への抗議デモが全土に拡大したが、政権側はこれを徹底的に弾圧し、反体制派との内戦に発展した。複数の反体制軍事組織が割拠し、内戦は泥沼化した。その中で60万人以上が死亡し、内戦前の人口の半数以上にあたる約1200万人が難民・避難民となって家を追われた。
ロシアやイラン、ヒズボラの支援を受けた政権が2016年ごろから軍事的優位を確立、主要な反体制派は北西部の一角に追い込まれ戦線は膠着状態にあった。だが、HTSをはじめとする反体制派が11月27日以来、大規模攻撃をしかけ、第2の都市アレッポをはじめ各地の都市を押さえ、わずか11日間で首都を制圧した。
政権軍が急速に崩壊した背景には、ロシアとイラン・ヒズボラがそれぞれウクライナとイスラエルとの戦闘で消耗し、シリア支援が手薄になっていたことがあった。
2024/12/11更新
1101■アラブの春
1308■シリア内戦と化学兵器
1406■混迷するイラク・シリア、「イスラム国」の台頭
1509■拡大する「イスラム国」
24年12月8日、内戦が続いていたシリアで、反体制派の主力「シャーム解放機構」(HTS、旧ヌスラ戦線)が首都ダマスカスを制圧した。アサド大統領は家族と共にモスクワへ逃れ、父ハフェズ氏の時代から独裁的な体制を半世紀以上続けてきたアサド政権は崩壊した。
シリアでは、2011年「アラブの春」の民主化運動が波及してアサド政権への抗議デモが全土に拡大したが、政権側はこれを徹底的に弾圧し、反体制派との内戦に発展した。複数の反体制軍事組織が割拠し、内戦は泥沼化した。その中で60万人以上が死亡し、内戦前の人口の半数以上にあたる約1200万人が難民・避難民となって家を追われた。
ロシアやイラン、ヒズボラの支援を受けた政権が2016年ごろから軍事的優位を確立、主要な反体制派は北西部の一角に追い込まれ戦線は膠着状態にあった。だが、HTSをはじめとする反体制派が11月27日以来、大規模攻撃をしかけ、第2の都市アレッポをはじめ各地の都市を押さえ、わずか11日間で首都を制圧した。
政権軍が急速に崩壊した背景には、ロシアとイラン・ヒズボラがそれぞれウクライナとイスラエルとの戦闘で消耗し、シリア支援が手薄になっていたことがあった。
2024/12/11更新
1101■アラブの春
1308■シリア内戦と化学兵器
1406■混迷するイラク・シリア、「イスラム国」の台頭
1509■拡大する「イスラム国」