10大貴族の合議制とは1529年にリート・グレードバリアを始めとするグレードバリア家とアイル・ヴァースイトを始めとするヴァースイト家が組んだ事によって始まった政治制度である。現代ヒマジアの合議院の原型とされる。
◆構成貴族
▪グレードバリア家(鳩派)
ヒマスカ人の父とビネッツェ人の母を持つリート・グレードバリアによって創建された。フローヴ内戦でバージニアに追放され終焉を迎える。
▪リアーマン家(鳩派)
軍人貴族アルト・リアーマンを生んだ一族。フローヴ内戦でグレードバリア側に付いて追放される。
▪サファンジ家(中立)
バージニアから渡ってきた一族。合議制を発足させるが、グレードバリア家によって潰される。
▪ルビネット家(鳩派→鷲派→白派)
フレンチェ王家の血を汲むバージニアの富豪レデー・ルビネットの一族。フローヴ内戦では鳩派を裏切り、後にルン王国の王家となる。
▪チュルトリス家(鳩派→白派)
貧困層から選出された下剋上貴族。鳩派であったが鷲派とも親交が深かった為に、フローヴ内戦では上手く生き残った。
▪ヴァースイト家(鷲派)
帝国の英雄モンデル・ヴァースイトが創建した名門家。バンドラの政治でグレードバリア家と対立し、グレードバリア家を失権させる。
▪トリーム家(鷲派)
バジル人の血、フレンチェ人の血、ヒマスカ人の血を持つ富豪一族。ストローズの乱にてグレードバリア家によって潰される。
▪ホワイト家(鷲派→白派)
民の象徴ゴマ・ホワイトを生んだ名門家。バンドラの政治以後はヴァースイトの意思に従っていたが、チット戦争で滅ぼす。
▪ブラック家(鷲派→黒派)
アスナロ政権時にホワイト家から分かれた分家。黒白戦争時には黒派のリーダーとして戦った。
▪サバーキン家(鷲派→黒派)
グレードバリアから派生した分家。最初期はグレードバリアに絶対的に従っていたが、合議制発足後は鷲派として対立する。
◆派閥
合議制発足後1592年に起きたバンドラの政治によって、グレードバリア家を中心とする革新鳩派、ヴァースイト家を中心とする保守鷲派で分かれた(第一次派閥戦争)。両派閥の争いは1733年の合議制崩壊まで続く。
その後1784年に設置された桃議会にて、ホワイト家が中心の貴族白派、ブラック家が中心の人民黒派によって派閥戦争は続いた(第二次派閥戦争)。
▪革新鳩派
テーズ・グレードバリア、アイル・チュルトリス、デミル・リアーマンによって始まった政治の革新を望む派閥。バージニア出身の貴族が多く在籍していた為、バージニア貴族と呼ばれた。
▪保守鷲派
モリス・ヴァースイト、ホールス・ホワイト、ストローズ・トリームによって革新鳩派に対抗する形で始まった政治の永世保守を望む派閥。ヒマジア貴族と呼ばれた。
◆経過
「貴官制」
1498年1月26日、南西諸島の多くを植民地にしていたフレンチェ王国によって、バジル帝国が滅び、属国ヒマジア帝国が建国された。ヒマジア帝国の皇帝にはフレンチェ人のダブリス・クロアが即位、ヒマスカ人とバジル人を強制収容した為、民衆は激しく怒った。そこで貴官制と呼ばれる貴族による支配制度を当時の統治長官アグロウ・サファンジが発足させる。
1523年10月2日、最高位貴族8家+民衆貴族2家によって合議会が形成される。後にこの合議会の制度は10大貴族の合議制と呼ばれる。合議制では、改新の鳩派と保守の鷲派、そして中立派で派閥が分かれる。1526年3月14日、リート・グレードバリアの刺客によってアグロウ・サファンジが暗殺されサファンジ家が滅ぶ(アグローズ政乱)。サファンジ家が滅んだ理由として、権力を自家に集中して多くの恨みを買った説が有力とされている。アグローズ政乱以降、グレードバリア家は栄華を極めていく。
1545年12月25日、軍部最高長官で鷲派であったストローズ・トリームがグレードバリア領に侵攻する。それに動揺したリート・グレードバリアはストローズと討論を交わしたが、反省する気配なしと見なし、1546年2月11日、ストローズを暗殺しトリーム家が滅ぶ。その際にリートが発した「時はグレードに向く」はヒマジア内にて人気を博すが、これは後年の創作と言われている。
「バンドラの政治とブローヴ内戦」
1582年9月15日、鷲派の中心人物であったバンドラ・ヴァースイトが太政大臣に就任し、独裁政治を始める。バンドラは手始めにリートら鳩派の中心人物を国家反逆罪で処刑。幸いな事にリートの嫡子テーズが生き残った為、グレードバリア家は滅ばなかった。バンドラはその後、自分の娘を皇帝の后にし権力をヴァースイト家に集中させた。バンドラの政治はヒマジア史上最も金が輸出された為、金山政治と呼ばれ、そして英雄モンデルのように民衆から多くの名誉を得た為、モンデル2世と呼ばれ親しまれた。
1592年6月2日、天下の英雄バンドラ・ヴァースイトが死んだ太政大臣の後継役として嫡子リュガ・ヴァースイトが選ばれたが、右大臣リアソン・グレードバリアによって失権させられ、強制的に太政大臣に就任する。
1599年4月8日、リュガを中心として不満を持った貴族によってヒマジア西部を占領し自治を始める(リュガ帝国の建国)。それと同時にリアソンらヒマジア帝国軍はリュガ帝国の首都フローヴを攻める。そして1600年8月10日にフローヴ内戦が開戦、続きリュガ帝国が徹底抗戦、内戦は泥沼化する。
1615年5月5日、フローヴ内戦はリアソンの死により和平という形により終結を迎える。その後のリュガ帝国皇帝リュガ・ヴァースイトはヒマジア帝国の太政大臣に戻る約束で皇帝を辞職。太政大臣に戻ったリュガはアガサ・ホワイトの言葉により、グレードバリア家・リアーマン家を追放する(鷲派の勝利宣言)。