ギャルゲ・ロワイアル2nd@ ウィキ

It's Show(前編)

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いっしょ/It's Show(前編) ◆LxH6hCs9JU



 朝霧けぶる煉瓦の街々を、トーニャ・アントーノヴナ・ニキーチナが闊歩する。
 懐かしき祖国の情景と、取り巻く現在の情景を比しながら、吸い込まれるように一軒の酒場に入っていった。
 扉を開くと、訪客を知らせるベルの音がカランカランと鳴り響き、ムーディーなミュージックが外に漏れ出す。
 子供では理解しえぬ風情を感じ、トーニャは楽しそうに微笑んだ。

「マスター、いつもの」

 無人のカウンター席に座り、古き良き祖国の味を秘めた蒸留酒をオーダーする。
 出てきたのは、氷が並々入れられたグラスと、茶透明の酒瓶。ラベルには、ウォッカと書かれていた。
 トーニャが未成年の身分を隠してちょくちょく愛飲してきた、命の水とも言える酒である。
 トーニャはグラスにウォッカを注ぎ、口をつける。そのまま傾け、一気に飲み干した。

「ぷっはぁ~! たまんねぇなぁコレ!」

 粗雑な言葉遣いで感想を吐き捨て、ほのかに上気した表情でカウンターの奥を見つめる。
 種類様々な酒瓶の並ぶ棚は、荒んだ現実に一時の快楽を齎す至福の宝物庫だ。
 酒代や犯歴を気にすることもなく、気兼ねなく豪遊に浸れるのはある意味では幸福かもしれない。
 しかし、一時の快楽に身を委ね、酔い潰れてしまっては後の破滅に繋がる。
 この地は一分一秒たりとも無駄にはできない刹那の世界であり、本来ならば酒を飲む時間とて惜しい。

「とはいえ、飲んでなきゃやってらんねーってやつですよ。中間管理職ってのも大変ですな、まったく」

 水滴のついたグラスの表面に、ほんのり赤みを帯びてきた顔を覗かせるトーニャ。
 一乃谷愁厳や神宮司奏も、影でこういった気分を味わってきたのだろうか。
 アルコールの余韻に浸りつつ、今は亡き先駆者たちに思いを馳せる。

「人と妖、虚構と現実、リアルとゲーム……今なら、あの神父の言っていたことがわかる気がします」

 トーニャはカウンターに顔を突っ伏しながら、普段は決して見せない哀しみの表情を作った。

「ゲーム……そうですね、まさにその名の通りなんです。私たちは、ゲームの――」

 カラン、とグラスの中の氷が音を奏でた。
 遮られるようにして、トーニャは続く言葉を切る。
 やや間を置いて、席から立ち上がった。

「――だとしたら、どこまでがフィクションなんでしょうかね」

 未来を按じるような呟きを残して、トーニャは店の出入り口へと足を進めた。
 酒に浸るのは、これくらいにしておこう。夢を求めて、快楽に溺れないように。

「ではマスター。また機会があれば飲みましょう」


 ◇ ◇ ◇

 教会の寄宿舎は男女共用で、それほど大きくはない。
 食堂や浴場など、最低限共同生活が送れる設備は整っているが、許容できる人数は決して多くはないだろう。

 寄宿舎一階、南の端。
 そこには修道女専用の集団浴場が設けられており、広めの浴槽にはちゃんと湯が張られていた。
 異空間とも思える湯気の熱気は、夜の寒気に晒されていた柔肌を優しく包み込む。
 ぽかぽかとした高揚感を全身で感じつつ、素足は吸い込まれるように湯船へと向かっていった。

「うっうー! おっきなお風呂ですっ」

 実家のものとは比べものにならないほどの大きさを誇る浴槽に、高槻やよいが感嘆の声を上げる。

「いろいろ便利なのね、この島は。生活するには困らなさそうだけど……」

 はしゃぐやよいの後方から、ファルシータ・フォーセットが困惑気味な笑みを浮かべる。

 清潔という言葉を生み出した人類が風呂場ですることといえば、もちろん入浴である。
 やよいとファルは一糸纏わぬ裸体を空気に晒し、湯気の熱気を柔肌に充溢させていく。
 時刻もそろそろ朝陽が差し込める頃、外はまだ寒いだろうことを考えると、なんとも贅沢な朝風呂だった。

(……まさか、殺し合いの最中に二度も入浴することになるとは思わなかったわ)

 心中で思いつつ、ファルが失笑を浮かべる。
 この浴場は約八時間前、晩餐を終えた後に一度使用している。
 あのときのファルはまだ『ネム』の仮面をつけたままで、一緒に入浴した神宮司奏も健在だった。
 あれから半日も経っていないことを考えると、なんとも目まぐるしい一夜だったと嘆息せざるをえない。

 記憶を取り戻し、神宮司奏や井ノ原真人と別れ、そしてファルシータ・フォーセットは〝変わった〟。
 記憶喪失という事象が、かつての己に改革を訴え、ファルは新生とも言える変化を受け入れたのだ。
 はたしてそれが正解だったのかどうか、そもそも自分がどの程度まで変わってしまったのか、考えても出る答えではない。

 ただ、確かな事実として――彼女らの傍にいることも悪くない、と本心から思う自分がいた。

「あ、いた……っ」
「ファルさん? 足、痛みますか?」
「ええ……痛むというよりはしみるわね。これくらいなら大丈夫よ」

 湯に満たされた浴場の床を、傷だらけの素足で踏み締める。
 奏に後頭部を強打され、記憶を取り戻してすぐ、靴に履き替える暇もなく教会を飛び出してしまった。
 そのためファルの足の裏は擦り傷だらけで、湯に浸けるには厳しい状態となっていた。

 この痛みも、変革の一端なのだと受け入れるべきだろうか。
 奏の狂気も、トーニャの殺気も、ファルの中では消えることのない傷跡だ。
 全てを受け入れた上で、自分はまだ教会にいる――そのことを噛み締めるように、ファルは傷ついた素足で浴槽に向かった。

「やっぱり、絆創膏くらい貼ったほうがいいんじゃ~……」
「大丈夫よ、このくらい。全然へい……づぅっ!?」

 ぽちゃん、と勢いよく足を湯船に沈めて、ファルは顔を顰めた。
 しみる。予想以上にしみる。虚勢を張れないほどの痛みに襲われる。
 傍らでやよいが心配そうな瞳を浮かべているが、それでもファルは強情に、湯船から足を救い出そうとはしなかった。
 奥歯を噛み、痛みに堪えながら、下半身を湯に浸けていく。
 最初はしみるものだが、慣れてしまえばわけはない。
 ファルは湯の温かさに包まれたことで安堵し、やよいを手招く。

「ほら、平気でしょ。やよいさんも入って」
「あ、はい! とっ」

 ファルに促され、やよいも冷え切った体を湯に浸す。
 二人で入るには広すぎる浴槽に、揃って肩まで浸かる。
 時折、ふぁ~、という極楽の証たる呆けた声が飛び出て、互いに笑い合う。

「……きもちいいですねー」
「……そうねー」

 自分は今、ひどく緩みきった顔をしているんじゃないか――けど別にいいか。
 と、ファルは自己の尊厳を心の充溢感で静める。

 ファルとやよいに入浴の機会を与えた彼女――トーニャ・アントーノヴナ・ニキーチナの言葉を思い出しながら。
 幸福を掴まんとするファルシータ・フォーセットにとって、未来はどれだけ見通せているものなのかと思案する。


 ◇ ◇ ◇


 ――話は少し遡る。


 トーニャのただならぬ怒気にあてられ、本能的に正座で待つことを余儀なくされたファルだったが、しばらくして限界がきた。
 元々、日本作法に不慣れな異国の少女である。正座が齎す痺れは表現しがたく、長続きがするはずもなかった。
 日本人ではあるが、やよいも日常生活ではあまり正座などしないこともあって、トーニャが帰ってきた頃には二人揃って悶絶していた。

「む。せっかく人が重大情報を抱えて帰還したというのに、二人してなにを遊んでいるんですか?」

 懺悔室の奥地から礼拝堂に戻って早々、トーニャは不条理な毒舌を吐いた。
 その手には憔悴しきった様子のドクター・ウェストが引き摺られており、懺悔室の向こうでなにが起こったのかは想像しにくい。
 トーニャ自身の纏う雰囲気もどこか重く、ファルはぞんざいな対応に文句の一つも言いたかったのだが、寸でで堪えることにした。

 中でなにがあったのか、トーニャは黙して語ろうとはしない。
 戻って早々にし出したことは、やよいとプッチャンが知るという古書店に関しての言及だった。

 今から約半日ほど前、高槻やよいとプッチャン、今は既に死亡している葛木宗一郎の三人は、教会で不思議な現象に直面した。
 説教壇の裏に隠されていた地下室への入り口、降りた先に待ち構えていた十字架の磔男。
 地下室から昇った先に通じていた図書館のように広い古書店、店主を名乗る女の轟き。
 そこで入手した本、店主の意味深長な語り、冗談としか思えないような昇降機。
 それら、聞いただけではどうにも理解しがたい情報の数々を、トーニャは咀嚼するように吸収していく。

 たった一つの答えを模索するには、藁にも縋らなければならないのか……それとも、なにか重大な足掛かりでも掴んだのか。
 記憶を取り戻したばかりのファルには、そういった情報を元にしての考察ができない。
 未だネムのときの記憶とファルのときの記憶が混濁する淡いまどろみの中、本能だけで生きている部分もあった。

「古本屋を営む黒幕さん……ですか。聞けば聞くほどおかしな話です」
「おいおいトーニャ。ウソみてーな話だけどよ、俺らが言ってんのは全部本当だぜ」
「ああ、別にあなた方の証言を疑っているわけではないですよ。この場合のおかしな話というのは、つまり――」

 トーニャは難しい表情を浮かべながら、そこで一旦言葉を切る。
 皆の視線を一身に受け止めながら、半ば放心状態にあったウェストを乱暴に蹴飛ばした。
 衝撃によってウェストが起き上がり、途端に奇声を上げる。

「ア~ウチッ!? 我輩なにやら地獄を見てきたかのような心持ち――ホワッツ、ここはどこ?」

 正気を取り戻したウェストが、辺りを目配せする。
 トーニャはそんな彼の仕草に嘆息しながら、礼拝堂奥の説教壇に立った。

「さて、ぼちぼち夜も明けて放送ですが――その前に、みなさんに大切なお話をしておこうかと思います。
 自分で言うのもなんですが、荒唐無稽すぎてついてこれないかもしれませんが……どうか私を変な人と思わないように」

 そう前置きして、トーニャはある仮説を唱え始めた――。


 ◇ ◇ ◇


(……彼女の仮説が真実だとしたら、いったい私たちはどうすればいいのかしら)

 癒しの湯に顎先まで埋めながら、ファルはトーニャの話を回顧していた。
 果てのない道、一向に辿り着けない出口、永遠の迷路……この島には、終わりすら存在しないのかもしれない。
 トーニャの推理がもし本当だとするならば、希望はまだ残されているかもしれないし、もしくは最初から用意すらされていないのかもしれない。
 そのときが訪れて、かの人物のところへ赴く機会があるとするならば、二つ目の鍵はいったいなんであるというのか。

 自らの命を代償とし、懺悔室の扉を開いた井ノ原真人を思い出す。
 彼はファルと同じく、集められた参加者の内の一人にすぎない――はずなのに、どこか己の役割というものを認識していたような気がする。
 筋肉によって覆われた内情は最後まで覗き見ることができなかったが、彼の行動に嘘はなかったはずだ。

 想いを、託す――そんな聖人のような生き様を、窮地に追いやられた〝だけ〟の人間が見せつける。
 真人も、ファルが寝ている間に心に訴えたりのという少女も、役割を果たしてこの世を去っていった。
 あるいは、それがこのゲームの理なのではないか、とさえ思ってしまう。

 役割を果たした者から、脱落していくゲーム。
 役割を選ぶ者は、当人かゲームマスターか。
 ネムに与えられた役割は、おそらくはもう果たされた。

 では、〝ファルシータ・フォーセット〟に与えられた役割は――いったいなんなのだろうか。

 考えれば考えるほど、袋小路に嵌ってしまいそうな気がした。
 考えても事なき、と放棄してしまうのが懸命なのかもしれない。
 幸いにも、身内にはトーニャやドクター・ウェストといった考察の専門家がいる。
 ならば彼らを頼り――利用して――生を謳歌するのが無難なのではないか、と結局考えてしまう。
 神経質になっていることを自覚して、ファルは鼻の先まで顔を湯に沈めていった。

(……ん?)

 そんなファルの様子を、やよいがじーっと眺めていた。
 子供らしい無垢な瞳で、あるいはタイミングを見計らうような目で、口をもごもごさせている。
 なにかを言い出したいが、一歩が踏み出せない。そんな心情が窺い知れた。
 こちらから話しかけ助け舟を出してやろうか、とファルが思い至ったところで、やよいが開口する。

「あ、あの! ファルさん!」
「……なにかしら、高槻やよいさん?」

 湯船から顔を出し、上品に微笑んでみせる。
 湯気に彩られた艶っぽい笑みは、異性ならば卒倒しただろう威力を自負している。
 目の当たりにしたやよいも、意識せずたじろいでいる風だった。
 しかし開いた口は閉ざさず、勢いに身を任せてこんなことを言う。

「私と、洗いっこしませんか!?」
「……え?」

 突飛な提案に、ファルの側がたじろいでしまった。


 ◇ ◇ ◇


 ――話は戻って。


 説教壇の前に立ったトーニャは、信仰を説く修道女のような清らかさを纏い、神託を告げようとする。
 ファルの、やよいの、プッチャンの、ダンセイニの視線が、脚光となって注がれていた。
 その流れに逆らうかのように、ドクター・ウェストが異議の声を発する。

「ええい、なにをカッコつけるか! 筋肉の妖精ならばそこでマッスル☆ポーズしてこそであろう!
 I AM PROVIDENCEなどとのたまうのは我が宿敵、大十字九郎アル・アジフだけで十分なのであ~る!」

 ウェストが茶々を入れて、トーニャの纏う空気も一変した。
 瞳は蔑みの眼差しに変わり、じとっ、とウェストの顔を睨みつける。

「相変わらず空気読めませんねぇ。あなたにはシリアスモードとか、そういう機能は備わっていないんですか?」
「ふん、なにを馬鹿な。それでは、我輩が常時おちゃらけているようではないか」
「あら、違うんですか?」
「あぁ~たりまえであろうが! 我輩はいつだって大真面目! ふざけたことなど一分一秒たりとて、ない!」
「――さて、妄言に耳を傾けるのはこの程度にしておきまして」
「華麗にスルゥ!?」

 ウェストのテンションを過度に上昇させないよう調整しつつ、トーニャは本題に戻る。

「とはいえ、あまり難しく入ってもあれですし、まずはクエスチョンタイムといきましょう。
 ファルさんにやよいさんにプッチャンさん、あなた方はこの催しを〝なんだと〟お考えですか?」

 トーニャの問いに、対象となった三人はややあって返答を口にする。

「なにって……殺し合い、でしょう?」
「うう~……あんまり口にしたくないけど、殺し合いですぅ」
「バトルロワイアルとでも言やぁちょっとは洒落てるだろうけどよ」

 三者一様、答えは食い違うはずもなく、同一だった。
 人が人を殺し、人は人に殺され、行為が重なり合って此度の催しは『殺し合い』と呼ばれる。
 ここまで生き延びてきた者ならば、誰であってもその実情を垣間見てきたはずだった。
 ある者は殺人者に遭遇し、ある者は喪失感に押し潰され、ある者は血を流しながらも生を渇望する。

 統一された答えに間違いはなく、しかし真っ向から異議を唱える者も――この場にはいる。

「やっていることは確かに殺し合いである。だが、それは我輩たちの視点から見た実情でしかない。
 実態は――となれば、己の視野をもっと広げる必要がある。
 この殺し合いを始めた者の立場になって考えてみるのが、一番手っ取り早いであろうな」

 馬鹿みたいに調子を外した声ではなく、本人にしては厳格すぎる声で、ドクター・ウェストは語る。

「ではドクター・ウェストに尋ねます。あなたは、この殺し合いの実態を〝なんだと〟お考えですか?」
「――儀式。それしかあるまい」

 ドクター・ウェストの即答に、ファルは身を硬くした。
 奏や真人から又聞きしていた、ドクター・ウェストの仮説――蟲毒に例えた生け贄の話が、脳裏をよぎる。

 殺し合いという極限の環境下で育まれる精神力、あるいは肉体、あるいは異能を目的とし、調整を施す。
 出来上がった人間は素材として、計画立案者たちの別の目的のために使われる。
 自分たちはガラス箱の蟻でしかない……という、絶望を叩きつけるような説だった。

 この説が正解だとするならば、他者を殺して回り、最後の一人となったとしても後の生はない。
 ファルはその説を鑑みたからこそ、他人を利用する『やり方』を変えてみたのだ。

「では、その儀式とやらの全容は見えましたか? あの頃に比べ、判断材料は増えてきたかと思いますが」
「心苦しいであるが、いかな天才の我輩といえど、まだゴールに辿り着けるだけの材料は用意できておらん。
 凡百共が我輩の後光に縋りたい気持ちはわかるが、寛大な我輩はもう少し待て、と諌めてやりたいのである」

 トーニャとウェストが、真面目にこの先のことについて語り合っている。
 既に双方の地の性格を知ってしまっていたファルには、その光景がどこか奇異にも見えた。

「……つまり、あなたはまだ完璧な解答を導き出せたわけではない、と」
「ウヌウ!? 我輩の解が完璧でないと申すか! 全容こそ知れぬが、儀式であることは間違いないのであるぞ!?」
「ええ。たしかにあなたの言うとおり、この殺し合いは〝だれか〟にとっては儀式でしょう」

 トーニャは落ち着いた顔つきで目を伏せ、続ける。

「ドクター・ウェスト。あなたの儀式という解答はある者にとっては正解であり、ある者にとっては大はずれです」

 思わせぶりな採点に、ファルは混乱を余儀なくされる。
 ファルと同じ解答を並べたやよいとプッチャンの二人も、釈然としない顔で疑問符を抱いていた。
 その解答は完璧ではない、と自らの考察を否定されたウェストは、怒り高ぶるように歯を食いしばっていた。

「さて……話を戻しますと、私はあなた方とはまったく別種の答えを導き出しています。
 それこそが先ほど前置きした荒唐無稽な仮説であり、しかし私の中では絶対の真理です。
 信じる、信じないは各々の自由ですが……この先を共にするというのであれば、深く刻んでいただきたく思います」

 トーニャの表情は冷静を装っているようで、底知れぬ不安を内包している雰囲気があった。
 彼女自身、確信を得るには至っていないのか。不安を、話すことで和らげようとしているのかもしれない。
 はたしてどんな突飛な解を口にするのか、ファルは訪れた間にびくびくしながら見守った。

 そして、トーニャが開口する。

「この催しは〝殺し合い〟であり、〝儀式〟であり、また〝ゲーム〟でもあり……全部ひっくるめて、私はそれを〝エンターテイメント〟だと考えます」


 ◇ ◇ ◇


 浴槽から出て、やよいとファルの裸体はタイルの上にあった。
 湯を浴びて一層艶っぽくなった体は、これより石鹸のヴェールに包まれる。
 執行者は、常日頃から妹や弟の洗髪等を担当してきた高槻家長女、やよいである。

「あ、あの、やよいさん? 体くらい、一人でも洗え……」
「背中は! ひとりじゃ! 洗いにくいです!」
「え、ええそうね……そのとおりだと思うわ……」

 語気強く、やよいはファルの後ろに座ってタオルを構える。
 眼前に聳える美少女という名の強敵に、思わず息を飲んだ。

 知り合って間もない年上の女の子。
 妹でも弟でもましてや家族でもない間柄。
 無碍には扱えない荘厳たる輝きを秘めた銀髪。
 比べるのもおこがましい魅力的なプロポーション。

 触れてはならない禁断の果実のような気配すら漂っていて、やよいは躊躇した。
 他人の体を洗う、という慣れた行為が、対象を変えただけでこうまで怖いものになるとは思わなかったのだ。

(けど……ここでやめるわけにはいきません!)

 ファルの丸まった背中を凝視して、やよいの喉がゴクリと鳴った。
 震える手をひたすら励ましつつ、この状況に至った原因とも言える囁きを思い出す。

 ――『彼女に必要なのはスキンシップです。大丈夫。あなたならきっとミッションを完了できると信じています』

 やよいにそう囁きかけたのは、二人一緒での入浴を勧めた張本人、トーニャである。
 肉体的にも精神的にも疲労の残る体を癒すというのが第一の目的だが、やよいはファルの知らぬところで、トーニャから指令を受け取っていたのだ。

 それは――『ファルともっと仲良くなる』という、普段のやよいにとっては至極簡単なものだった。

 いつも元気で人当たりがよく、物怖じしない。そんな性格もあり、やよいは誰とでもすぐ仲良くなれるタイプの人間だった。
 同社に務める他のアイドル候補生たちはもちろん、他社の仕事相手から近所の老人まで、幅広く交友関係を築くことができる。
 一種の才能と言ってしまっても過言ではなく、本人自覚していないとしても、このミッションを不可能とは微塵も考えなかった。

 洗いっこは、やよいなりに考え導き出した、ファルに必要なスキンシップの形だ。
 裸のつきあいとはよく言ったもので、入浴の解放感というものは人の心まで丸裸にしてしまう。
 風呂から出た後は二人仲良く手を繋いで……そんな映像を夢見て、やよいは意を決した。

「い、いきます!」
「は、はいどうぞ」

 やよいの気合の篭りすぎた声に、ファルは困惑しながらも逃げようとはしない。
 触れるも自由、撫でるも自由、擦るも自由、抱きつくも自由……そんな無防備すぎる背中に、そっと手を伸ばす。
 浮き出た背骨のラインが色っぽさを演出し、やよいの視線は釘付けとなった。
 雑念を混在したまま、やよいの握る泡だったタオルがファルの背中に触れ――

「あ……っ」

 小さく、切なげな吐息が漏れた。
 不意の衝撃にやられ、やよいは飛び退くように手を引っ込める。
 ファルの反応はあまりにも色っぽく、そして予想外だった。

「……どうしたの、やよいさん? 背中を洗うのはもうおしまい?」
「ち、ちがいます! まだまだこれからです」
「あら、そう? なら、お願いするわ」

 わずかに失笑して、ファルはまた、やよいに背中を委ねる。
 その表情は背後からでは窺えなかったが、おそらくはやよいの挙動が不審すぎて笑われているだろう。
 しかしめげてはいられず、やよいは再びファルの背中にタオルをあてがった。

 ごし、ごし、ごし……ごし、ごし、ごし……と、緊張しながも手馴れた所作でファルの背中を擦る。
 宝石を磨くような心構えで、傷ものにならないよう優しく丁寧に、慎重を期して任務にあたった。

「……慣れてるのね、やよいさん」
「はいっ! よく妹や弟の背中を洗ってあげましたから」
「そう……うふふ」

 今度は失笑ではない、ファルの純粋な笑い声が聞こえたような気がした。
 気恥ずかしさはまだ残るものの、関係が深まった実感を胸にして、やよいの心が跳ね上がる。
 その嬉しさは熱意に変わり、背中を洗う手にも伝達された。
 痛くしすぎないように、されどしっかりと、やよいは普段のとおりに手を動かした。

「……きもちいい」

 今度は確かな言葉として、ファルが快感の意を口にした。
 たったそれだけで、やよいの身は歓喜にうちひしがれる。
 頬は熱気ではなく嬉しさから赤み、さらに撓む。
 恥ずかしいくらいにやけてしまっていることを自覚しながら、やよいは言葉を失った。
 顔は見られていないはずなのに、この気持ちの高ぶりが見透かされているような気がして、思わず俯いてしまう。

(うぅ~、うぅぅ~、う~うぅぅぅ……たぅ~……)

 心の中で、本人よくわかっていない悶絶の呻き声を上げつつ、手を動かし続けた。
 と、タオルを通して感じていた肌の感触が、不意に消えたことに驚く。
 見失った背中を再度捉えるため、やよいがにやけた顔を上げると、

「……うふふ」
「――!?」

 前に座っていたはずのファルがいつの間にか立ち上がっており、彼女の見下ろすような視線とぶつかる。
 真正面に聳える女性としても羨ましい肢体は、見惚れるような美しさの体現であり、しかしそれ以上に表情が目を引く。
 妖艶にして艶麗、艶っぽく、美麗で、まとわりつく蛇のように刺激的な……ファルの微笑みが、

「ねぇ……やよいさん。あなたはこう言ったわね。〝洗いっこ〟をしましょう……って」

 うさぎのように縮こまったやよいの身を、心ごと包み込まんと迫る。

「えっ……まっ、ちょ、ファルさ……」
「大丈夫……次は、私の番だから……」

 ファルのしなやかな手つきが、やよいの頬をそっと撫で、首筋を伝い落ちていく。
 手はそのままに、ファルはやよいの背後へと回った。前後の位置を逆転して、そのまま体と体を密着させる。

「全てを委ねて……リラックスして……いいのよ?」
「あ……あうぅ~……っ」

 やよいの肌をなぞっていくファルの人差し指は、動作が緩やかなこともあって、身震いを誘発するには十分すぎる威力だった。
 首筋からうなじを経由して、胸元へ。小振りな乳房のラインに沿うようにして、背中へと指を這わせていく。

「やっ……あっ、ふぁ、あ、うぅ~……たぅ」
「あら、くすぐったいのは苦手? じゃあ……」

 ファルはやよいの耳元に顔を被せ、吐息がかかるほどの至近距離から、甘ったるく囁いた。
 今のやよいにとってはそれすらも刺激に変わり、全身がだらしなく弛緩するのを自覚した。

「ううぅ~、うぅ~……ファルさん、なんだか意地悪ですぅ……」
「ふふふ……最初に言ったでしょう? 私は、酷い女なのよ……ほら」

 ファル自身、やよいの体を愉しむように指を動かしていた。
 当のやよいも、悩ましげに体を捻ることはあろうとも、力で抗ったりはしなかった。

「で、でもこれって、洗ってるって言わな――あぅっ!」
「これは心の洗濯よ。やよいさんが望むなら、あなたの知らない世界を――」

 利を追求しての攻めではない、純然とした享楽を求める本能が、ファルの行為の節々から読み取れた。
 上品でありながらも危うく、十三歳の少女が踏み込むには覚悟が足りない領域へ、流されようとしている。
 このままファルに全てを委ねるのも、あるいは――とやよいは自己の感覚が麻痺していくのを実感した。

 指はやがて、下へ、下へ。
 囁きは甘く、まどろみは深く、まぼろしを誘うかのように。
 背中に伝わる柔らかさが安心感を与え、離れたくないという気持ちを誕生させる。

(私……わたし……ワタシ……っ)


 ◇ ◇ ◇


 聞いた!? 765プロのアイドル高槻やよいがピオーヴァ音楽学院のファルシータ・フォーセット様とパヤパヤしてるって!



 あふぅ。パヤパヤってなに?



 ええー!? 765プロのアイドル高槻やよいがピオーヴァ音楽学院のファルシータ・フォーセット様とパヤパヤしてるぅ!?



                   パヤパヤは パヤ♪パヤ♪ だよね→



  765プロのアイドル高槻やよいなんかがピオーヴァ音楽学院のファルシータ・フォーセット様とパヤパヤしてるのぉぉ~!?



                                       変態! ド変態! da変態! 変態大人!



 765プロのアイドル高槻やよいが――


 ◇ ◇ ◇


(ζ*'ヮ')ζ<うっう~……萌やしが⑩①①円、晴れがあって雨があってさあ虹ができれぅ~???)

 ファルと密着したこの状況と、どこからともなく押し寄せてきた幻聴が重なり、やよいは混乱の境地に至った。
 小刻みに震える肌は小動物のようで、ファルの微笑を誘う。
 しっちゃかめっちゃかになっていく頭の中は、悪女のテンプテーションに満たされ個を失っていくのだった。

 ファルの行為は徐々にエスカレートしていき、禁忌の花を咲かせようとしたそのとき、物音が鳴る。

「あら……?」
「ふぇ~っ?」

 ごとっ、という浴場の中にまで響く物音が、脱衣所のほうから聞こえてきた。
 不意の事態にファルは洗いっこを一時中断、茹蛸のように火照ったやよいと、視線の向きを合わせる。

「なにか物音がしたみたいだけれど……トーニャさんかしら?」
「う、うぅ~……わかんないですぅうう」
「どうしたの、やよいさん? もしかしてのぼせてしまったのかしら?」
「あうぅううう」

 見た目にも狼狽激しいやよいを、ファルはしれっとした微笑みで見る。
 私は酷い女――の言葉のとおり、このときばかりはファルの存在が脅威に感じられた。
 とはいえ、嫌悪感に値するものではない。意地悪されながらも、距離が縮まった充実感は確かなものだった。

「なんだったら……あとで続きをしましょうか。そうね、ベッドの上ででも」
「――!」
「うふふ……冗談よ」

 艶やかな美貌に小悪魔の微笑を纏い、ファルは優雅に立ち上がる。
 散々やよいの羞恥心をくすぐった挙句置き去りにし、物音の正体を確かめるため脱衣所に向かう。
 やよいもこのままでは本当にのぼせてしまいそうな気がして、慌しくファルの後を追う。足取りはなぜかフラフラだった。

 スライド式のガラス戸を開け、やよいとファルは湯気の充満する浴場から出る。
 繋がる部屋は脱衣所で、衣服を保管するためのバスケットが棚に並んでいた。
 集団浴場にしては大して広くもない脱衣所を見渡し、他に人影がないことに二人はいぶかしむ。

「トーニャさんではないみたいね……空耳だったのかしら」
「でも、私もごとって音聞きましたよ?」
「この寄宿舎には私たちしかいないし、不審者ってことはないでしょうけど……」
「うぅ~、とりあえず着替えましょうよぉ」

 そこが脱衣所とはいえ、寸前の記憶も新しいやよいにとっては、ファルの前で裸体を晒しているのが危ぶまれた。
 心理を悟られぬよういそいそと着替えを始めるが、横のファルは知った風な視線を送りつけてくる。
 それが痛い、というよりは気恥ずかしく、ファルに対しての苦手意識に直結する……が、やはり嫌悪には至らなかった。

 頭からインナーを被り、手早くショーツをはき、とりあえずの下着姿にはなったやよいが、ふと気づく。
 真横に立つファルが未だに裸身のまま、棒立ちしていた。
 一瞬、身の危険を感じつつ、その視線が自分ではなく衣服の放り込まれたバスケットに向いていることに気づいて、安堵する。

「ファルさん、着替えないんですか?」
「……ないの」
「ない?」

 問いかけるやよいに、返すファルの言葉は震えていた。
 先ほどとは態度を一変させたファルの挙動が、驚愕だと気づいたのはその告白を受けてからだった。

「……下着が、ないの」


 ◇ ◇ ◇

225:記憶の海 投下順 222:いっしょ/It's Show(中編)
時系列順
221:知己との初対面 ドクター・ウェスト
アントニーナ・アントーノヴナ・二キーチナ
高槻やよい
ファルシータ・フォーセット

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