ドゥー・ユー・リメンバー・ミー ◆nrFxk81wlQ
まるで迷路のようだと古河渚は思った。
密集して建つ建物と建物の間に出来た細い道や、高低差を結ぶ錆びた鉄階段や、
破られて境界の役割を為していない網の下を、ひたすら進む。
進むというよりは、そこしか進めそうもないので、進まざるを得ないといった状況だ。
ランタンの光が照らすのは、お世辞にも清潔とは言えない風景。
正しい言葉で表現するならば、汚い。ゴミゴミしている。
ゴミもしっかりと落ちている。ついでに錆とドブの匂い。
流石の渚も長居はしていられないと判断し、全ての事を後回しにして移動に努めていた。
それでも悲しい事に匂いには慣れてしまったのだが。悪臭耐性とはこれいかに。
同じ場所を何回も通っているような錯覚さえする。実際、そういう場合もあったのかもしれない。
渚が最初に降り立ったのはスラム街だった。地図上ではC-1にあたる。
地図にはそう記されているが、渚はまだ地図を確認していないので、それは知らない。
なので島である事も、全体でどれほどの広さがあるのかも、まだ知らなかった。
「だんご、だんご」
渚は移動しながら、だんご大家族の歌を口ずさんでいた。
別に、リュックサックを背負ってピクニック気分に浸っている訳ではない。
夜中に一人という状況から来る孤独感を紛らわせるためだった。
こんな時間に出歩くのだって、大晦日に家族で神社に行く程度しか経験はないのに。
もちろん、ここで殺し合いが行われるのだという事は理解していた。
納得も肯定もできない。否定したい。暴力は駄目です、と声を大にして言いたい。
けれども、確かにこれは現実なのだ。
が、しかし。
渚はまだ殺し合いに対して、あまり身の危険というものを感じてはいなかった。今の所は。
なにぶん、人の気配がないのである。
どの建物からも光は漏れていない上に、周囲からは物音ひとつとして聞こえない。
渚の足音と小さな歌声だけが壁にぶつかって反響していた。
その壁にランタンの光が当たると、なにやら文字が確認できる。スプレーで書いたものらしい。
夜露死苦。
「……よつゆ、しく?」
こういう場所にはありがちな落書きだ。渚にはあまり縁がないけれど。
密集して建つ建物と建物の間に出来た細い道や、高低差を結ぶ錆びた鉄階段や、
破られて境界の役割を為していない網の下を、ひたすら進む。
進むというよりは、そこしか進めそうもないので、進まざるを得ないといった状況だ。
ランタンの光が照らすのは、お世辞にも清潔とは言えない風景。
正しい言葉で表現するならば、汚い。ゴミゴミしている。
ゴミもしっかりと落ちている。ついでに錆とドブの匂い。
流石の渚も長居はしていられないと判断し、全ての事を後回しにして移動に努めていた。
それでも悲しい事に匂いには慣れてしまったのだが。悪臭耐性とはこれいかに。
同じ場所を何回も通っているような錯覚さえする。実際、そういう場合もあったのかもしれない。
渚が最初に降り立ったのはスラム街だった。地図上ではC-1にあたる。
地図にはそう記されているが、渚はまだ地図を確認していないので、それは知らない。
なので島である事も、全体でどれほどの広さがあるのかも、まだ知らなかった。
「だんご、だんご」
渚は移動しながら、だんご大家族の歌を口ずさんでいた。
別に、リュックサックを背負ってピクニック気分に浸っている訳ではない。
夜中に一人という状況から来る孤独感を紛らわせるためだった。
こんな時間に出歩くのだって、大晦日に家族で神社に行く程度しか経験はないのに。
もちろん、ここで殺し合いが行われるのだという事は理解していた。
納得も肯定もできない。否定したい。暴力は駄目です、と声を大にして言いたい。
けれども、確かにこれは現実なのだ。
が、しかし。
渚はまだ殺し合いに対して、あまり身の危険というものを感じてはいなかった。今の所は。
なにぶん、人の気配がないのである。
どの建物からも光は漏れていない上に、周囲からは物音ひとつとして聞こえない。
渚の足音と小さな歌声だけが壁にぶつかって反響していた。
その壁にランタンの光が当たると、なにやら文字が確認できる。スプレーで書いたものらしい。
夜露死苦。
「……よつゆ、しく?」
こういう場所にはありがちな落書きだ。渚にはあまり縁がないけれど。
そういう人達は、何故か漢字がお好きなのである。多分。
歩きながら渚は壁の文字を興味深げに読んでいった。
笛糸文学、蔵等人生──何か意味があるのかもしれないが、全く判らない。
解読を試みるが結局答えは出なかったので、渚は歩みを進める事にした。
「だんご、だんご……」
数秒後には漢字の事もすっかり忘れて迷路のような路地をしばらく進むと、
そのうち渚は路地の先を横切る広い道を発見した。そういえば、不快な匂いはすっかり薄まっている。
渚は小走りでそちらへと向かい、寸前で停止した。
そろり。と、伺うように路地から広い道へと顔を覗かせて、周りを見回す。
光だ。
広い道は、大通りとでも呼べばいいのだろうか。車二台分くらいの幅がある。
その道の先に、光を放つ建物が見えた。洋風の建物だ。
あそこに誰か人がいるかもしれない。と、渚が思った丁度その時、
タイミングの良い事に建物の扉が開いて中から人が出て来るのが見えたのだった。
歩きながら渚は壁の文字を興味深げに読んでいった。
笛糸文学、蔵等人生──何か意味があるのかもしれないが、全く判らない。
解読を試みるが結局答えは出なかったので、渚は歩みを進める事にした。
「だんご、だんご……」
数秒後には漢字の事もすっかり忘れて迷路のような路地をしばらく進むと、
そのうち渚は路地の先を横切る広い道を発見した。そういえば、不快な匂いはすっかり薄まっている。
渚は小走りでそちらへと向かい、寸前で停止した。
そろり。と、伺うように路地から広い道へと顔を覗かせて、周りを見回す。
光だ。
広い道は、大通りとでも呼べばいいのだろうか。車二台分くらいの幅がある。
その道の先に、光を放つ建物が見えた。洋風の建物だ。
あそこに誰か人がいるかもしれない。と、渚が思った丁度その時、
タイミングの良い事に建物の扉が開いて中から人が出て来るのが見えたのだった。
◇
そこは娼館と呼ばれている施設だが、中にいる当人はそんな事知る由もない。
通う側になるにしても、招く側になるにしても、まだ少しばかり年齢が足りていなかった。
文字通り怪しい香りがする洋館、そんな風に真は認識していた。
非常に気まずい出会いを果たした少女を落ち着かせた後、
それから真が名乗ると少女も名乗り返してくれた。小牧愛佳というらしい。
渡したハンカチで鼻を押さえる事を薦めた。真自身は、長袖で代用しておく。
「そういえば愛佳ちゃんさ、ボクとどっかで会った事ないっけ」
娼館の一階を、出入り口へと向かいながら真は愛佳に話し掛ける。
「あたしと? その、あたしは初めてだと思うけど……」
「そう? うーん、そうなのかなぁ」
別に、真は使い古された手でナンパをしている訳ではなかった。何度も言うが真は女である。
通う側になるにしても、招く側になるにしても、まだ少しばかり年齢が足りていなかった。
文字通り怪しい香りがする洋館、そんな風に真は認識していた。
非常に気まずい出会いを果たした少女を落ち着かせた後、
それから真が名乗ると少女も名乗り返してくれた。小牧愛佳というらしい。
渡したハンカチで鼻を押さえる事を薦めた。真自身は、長袖で代用しておく。
「そういえば愛佳ちゃんさ、ボクとどっかで会った事ないっけ」
娼館の一階を、出入り口へと向かいながら真は愛佳に話し掛ける。
「あたしと? その、あたしは初めてだと思うけど……」
「そう? うーん、そうなのかなぁ」
別に、真は使い古された手でナンパをしている訳ではなかった。何度も言うが真は女である。
先程は焦りのためか意識していなかったのだが、改まって見てみると、愛佳には妙な既視感を覚えたのだ。
非常に最近。でも愛佳の顔に見覚えがあるかといえば、そうでもなかった。
だとすると他の部分、例えばこの自分には到底似合いそうもない可愛らしいデザインの──
そうだ、服だ。真は思い出す。愛佳の着ている制服は、最初の広間で死んだ少女と同じ物ではないか。
首輪が爆発して、首から上が吹っ飛ばされた、あの少女。
死んだ少女を近くで見た訳ではない。しかし特徴的なセーラー服だ、記憶違いの筈がない。
他にも先に死んだ少年に泣き付いていた少女も同じ制服だった気がする。
様子から察するに死んだ二人と親しい間柄だったのだろう。
その子は髪を二つに結っていたし、返り血で血まみれだったから愛佳とは別人だ。
そうなると愛佳もあの人達と友達という事になるのだろうか。
視界の記憶を探ってみるが、愛佳の姿は思い出せない。亡くなった者達の印象が強すぎた。
話題に出していいものか。真は隣の愛佳を見ながら考える。
その話をすれば、きっと愛佳を深く悲しませる事になるだろう。そんな姿を見るのは、真も辛い。
だが、しかし。
真が黙っていても、これから別の誰かに会ったら、そこで聞かれるだろう事は必須。
ならば今、この落ち着いた状況で話して貰った方が愛佳のためかもしれない。真は意を決する。
「もしかして愛佳ちゃんさ、その、さっきの……」
死んだ人達。その言葉は不適切だ。なにより真自身、その言葉を使いたくなかった。
「……さっきの、あの人達の友達、だったりする?」
「アノヒトタチ?」
真の予想とは裏腹に、愛佳はキョトンとした顔で首をかしげた。
あれ、違ったか。婉曲的とはいえこの言い回しで質問の意味は伝わるはずだ。
だとしたら、同じ学校に通っているだけで全然関わりのない人達だったのか。
確かに真も、自身が通う女子高(そう、女子高なのだ)の全校生徒を知っている訳ではない。
それとも自分のとんだ勘違いで、実はよく似ているだけの違う学校の制服だったのか。
どちらにしても愛佳の様子からして、無関係の人達である事は間違いないのだろう。
「ゴメン、ボクの勘違い! あ、もちろん初対面だから安心して」
いや、初対面だから安心してというのもどうなんだ。この状況で。
非常に最近。でも愛佳の顔に見覚えがあるかといえば、そうでもなかった。
だとすると他の部分、例えばこの自分には到底似合いそうもない可愛らしいデザインの──
そうだ、服だ。真は思い出す。愛佳の着ている制服は、最初の広間で死んだ少女と同じ物ではないか。
首輪が爆発して、首から上が吹っ飛ばされた、あの少女。
死んだ少女を近くで見た訳ではない。しかし特徴的なセーラー服だ、記憶違いの筈がない。
他にも先に死んだ少年に泣き付いていた少女も同じ制服だった気がする。
様子から察するに死んだ二人と親しい間柄だったのだろう。
その子は髪を二つに結っていたし、返り血で血まみれだったから愛佳とは別人だ。
そうなると愛佳もあの人達と友達という事になるのだろうか。
視界の記憶を探ってみるが、愛佳の姿は思い出せない。亡くなった者達の印象が強すぎた。
話題に出していいものか。真は隣の愛佳を見ながら考える。
その話をすれば、きっと愛佳を深く悲しませる事になるだろう。そんな姿を見るのは、真も辛い。
だが、しかし。
真が黙っていても、これから別の誰かに会ったら、そこで聞かれるだろう事は必須。
ならば今、この落ち着いた状況で話して貰った方が愛佳のためかもしれない。真は意を決する。
「もしかして愛佳ちゃんさ、その、さっきの……」
死んだ人達。その言葉は不適切だ。なにより真自身、その言葉を使いたくなかった。
「……さっきの、あの人達の友達、だったりする?」
「アノヒトタチ?」
真の予想とは裏腹に、愛佳はキョトンとした顔で首をかしげた。
あれ、違ったか。婉曲的とはいえこの言い回しで質問の意味は伝わるはずだ。
だとしたら、同じ学校に通っているだけで全然関わりのない人達だったのか。
確かに真も、自身が通う女子高(そう、女子高なのだ)の全校生徒を知っている訳ではない。
それとも自分のとんだ勘違いで、実はよく似ているだけの違う学校の制服だったのか。
どちらにしても愛佳の様子からして、無関係の人達である事は間違いないのだろう。
「ゴメン、ボクの勘違い! あ、もちろん初対面だから安心して」
いや、初対面だから安心してというのもどうなんだ。この状況で。
こういう時は、どちらかといえば知り合いの方が安心できるだろう、もちろん。
いきなり一緒にいて安心できそうな愛佳と出会えた事は、実に幸運だとは思うが。
さて愛佳の知り合いはどうなのか。真は訊ねる。
「ところで、愛佳ちゃんの知ってる人はここにいる?」
「知ってる人? ここには……あたしたちだけ、だよね?」
愛佳が周囲を見回す。丁度、正面ロビーに到着した所だった。
聞き方が悪かったのか、質問の意味を勘違いさせたようだ。
ちなみに、ここは奥とは違って怪しい香りが薄い。結局この香りは何だったんだ。
真は鼻を開放して、愛佳もそれを真似てハンカチを離した。
「そうじゃなくてさ、この島に……そうそう、名簿に知り合いの名前はあったのかなって事」
「メーボ?」
愛佳はまたしても首をかしげた。もしかしてまだ見ていないのだろうか。
初っ端からアダルトムービーを鑑賞してたくらいなのだから、その可能性は高いかもしれない。
「そう名簿。カバンの中に……あれ?」
真は愛佳の頭から爪先までを見るが、荷物らしき荷物は何も持っていない。
どうして今まで気付かなかったのだろう。そういえば、逃げている時から持っていなかったような。
まぁ初対面なのだし、持っていない事に違和感がなくても不思議ではないけれど。
「愛佳ちゃん、カバンは? 最初こういうの持ってなかった?」
真は背負ったデイバッグを見せるように体身体を捻った。
「え、それ? あ、もしかしたら、ベッドの上に置いてあったかも……」
「あ! ボクのせいで置きっぱなしにしちゃったのか、ゴメン!」
慌てて駆け出した様子だったから、置き忘れたのは自分が驚かせたからであると、真は責任を感じた。
「待ってて、すぐに取ってきてあげるから! 愛佳ちゃんはこの辺へんで待ってて」
これは自分がひとっ走りして取りに行くのが礼儀だろう。それくらいは朝飯前。
実に男前な思考回路である。
「あ、そうだ。待ってる間に名簿見てていいよ。ボクの荷物ちょっと預けておくから」
「わ!」
真は手早くデイバッグを下ろし、愛佳の手を取ってそこへ肩紐を乗せた。
サッと行ってサッと帰って来るだけだから自分の荷物は要らないだろうし。
「あ、それからコレ。近くに人が来たら判るようになってるから」
いきなり一緒にいて安心できそうな愛佳と出会えた事は、実に幸運だとは思うが。
さて愛佳の知り合いはどうなのか。真は訊ねる。
「ところで、愛佳ちゃんの知ってる人はここにいる?」
「知ってる人? ここには……あたしたちだけ、だよね?」
愛佳が周囲を見回す。丁度、正面ロビーに到着した所だった。
聞き方が悪かったのか、質問の意味を勘違いさせたようだ。
ちなみに、ここは奥とは違って怪しい香りが薄い。結局この香りは何だったんだ。
真は鼻を開放して、愛佳もそれを真似てハンカチを離した。
「そうじゃなくてさ、この島に……そうそう、名簿に知り合いの名前はあったのかなって事」
「メーボ?」
愛佳はまたしても首をかしげた。もしかしてまだ見ていないのだろうか。
初っ端からアダルトムービーを鑑賞してたくらいなのだから、その可能性は高いかもしれない。
「そう名簿。カバンの中に……あれ?」
真は愛佳の頭から爪先までを見るが、荷物らしき荷物は何も持っていない。
どうして今まで気付かなかったのだろう。そういえば、逃げている時から持っていなかったような。
まぁ初対面なのだし、持っていない事に違和感がなくても不思議ではないけれど。
「愛佳ちゃん、カバンは? 最初こういうの持ってなかった?」
真は背負ったデイバッグを見せるように体身体を捻った。
「え、それ? あ、もしかしたら、ベッドの上に置いてあったかも……」
「あ! ボクのせいで置きっぱなしにしちゃったのか、ゴメン!」
慌てて駆け出した様子だったから、置き忘れたのは自分が驚かせたからであると、真は責任を感じた。
「待ってて、すぐに取ってきてあげるから! 愛佳ちゃんはこの辺へんで待ってて」
これは自分がひとっ走りして取りに行くのが礼儀だろう。それくらいは朝飯前。
実に男前な思考回路である。
「あ、そうだ。待ってる間に名簿見てていいよ。ボクの荷物ちょっと預けておくから」
「わ!」
真は手早くデイバッグを下ろし、愛佳の手を取ってそこへ肩紐を乗せた。
サッと行ってサッと帰って来るだけだから自分の荷物は要らないだろうし。
「あ、それからコレ。近くに人が来たら判るようになってるから」
次に真は首輪探知レーダーをもう片方の掌へと乗せた。
「説明書もそん中。危なそうだったら隠れたほうがいいよ。なるべく急いで戻って来るけど」
愛佳は特にウンともスンとも言っていない上に、困惑顔なのだが、
既に真の中では決定事項なのでとにかく行動が素早かった。膳は急げ。思い立ったが吉日。
「え、ま、まことく……」
「じゃ、待ってて。スーグ戻って来るからーっ!」
どうにも最後に聞き捨てならない呼称が聞こたような、聞こえなかったような。
しかし急ぐ方を優先する。真は、今は指摘ぜずに来た道を走って戻っていく事にした。
気にしない事にした訳ではない。走りながら、戻ったらすぐさま訂正する事を真は決めた。
やっぱり会ってすぐ女だと判ってくれる人はいないんだなぁなどと少し落胆しつつ。
「説明書もそん中。危なそうだったら隠れたほうがいいよ。なるべく急いで戻って来るけど」
愛佳は特にウンともスンとも言っていない上に、困惑顔なのだが、
既に真の中では決定事項なのでとにかく行動が素早かった。膳は急げ。思い立ったが吉日。
「え、ま、まことく……」
「じゃ、待ってて。スーグ戻って来るからーっ!」
どうにも最後に聞き捨てならない呼称が聞こたような、聞こえなかったような。
しかし急ぐ方を優先する。真は、今は指摘ぜずに来た道を走って戻っていく事にした。
気にしない事にした訳ではない。走りながら、戻ったらすぐさま訂正する事を真は決めた。
やっぱり会ってすぐ女だと判ってくれる人はいないんだなぁなどと少し落胆しつつ。
◇
「行っちゃった……」
愛佳は走り去っていく真の後姿を見送りながら呟いた。
キザだったりナンパみたいな事してきたりよく判らない質問をしてきたり紳士っぽかったり、
面白くて不思議な男の子だなぁ、と愛佳は思った。だけど格好良いから別に──
「ってまた、もう~」
愛佳は自分の心を叱咤し、それから落ち着くために深呼吸をした。
真に聞くつもりだったけれど、男の子と二人きりだと緊張してしまって、聞けなかった事がある。
どうして自分はここにいるのか。また、真もここで何をしているのか。
真に喋らせてばかりで、自分はほとんど何も喋ることができなかった。とても申し訳がない。
「どうしよう、かな」
愛佳は考えた挙句、真に言われた通りに名簿とやらを見る事にした。
ロビーのど真ん中に立っているのも何なので、そそくさと壁際へ移動する。
愛佳は利用した事などないのだが、ここはもしかしてラブホテルという施設なのだろうかと考える。
うひゃー、などと言いながら、勝手に赤面していた。
なんでまたこんな場所で眠っていたのだろう。よく考えなくてもイケナイ状況なのでは。
愛佳は走り去っていく真の後姿を見送りながら呟いた。
キザだったりナンパみたいな事してきたりよく判らない質問をしてきたり紳士っぽかったり、
面白くて不思議な男の子だなぁ、と愛佳は思った。だけど格好良いから別に──
「ってまた、もう~」
愛佳は自分の心を叱咤し、それから落ち着くために深呼吸をした。
真に聞くつもりだったけれど、男の子と二人きりだと緊張してしまって、聞けなかった事がある。
どうして自分はここにいるのか。また、真もここで何をしているのか。
真に喋らせてばかりで、自分はほとんど何も喋ることができなかった。とても申し訳がない。
「どうしよう、かな」
愛佳は考えた挙句、真に言われた通りに名簿とやらを見る事にした。
ロビーのど真ん中に立っているのも何なので、そそくさと壁際へ移動する。
愛佳は利用した事などないのだが、ここはもしかしてラブホテルという施設なのだろうかと考える。
うひゃー、などと言いながら、勝手に赤面していた。
なんでまたこんな場所で眠っていたのだろう。よく考えなくてもイケナイ状況なのでは。
いや、そんな事よりも。
いっそ清清しいほどに、この建物には人の気配がなさすぎる。
ロビーには受付カウンターらしき物が設置されているが、店員はいない。
窓がないので外の様子は判らないけれど、車の音なども聞こえない。
まるで自分と真以外には誰もいないかのようだ。世界に男女が一人ずつ。
一瞬、愛佳の脳裏に「アダムとイブ」という文字が浮かんだが、沸騰して消し飛んだ。
何を考えているのか。今はそう、名簿だ、名簿。
愛佳はカウンターを背にして座り込み、デイバッグの中を見た。
名簿とはどれだろう。名称からするに、紙っぽい物だろうか。
適当に取り出した紙を広げ、愛佳は目を通す。
「ICレコーダー説明書……?」
違うようだった。ICレコーダーといえば、音声を録音する機械の事だ。
ニュースで、手に持った記者が質問相手に向けている時の、手から先だけが画面に映ったりしている。
そんな映像を愛佳は思い出した。デイバッグを覗いたら本体が見えたので、手に取る。
持っていても私生活で利用などしないので、愛佳が実際に目にしたのは初めてだった。
「へぇ~」
説明書には、録音機能の他に再生機能もあると書いてあった。
特典としてあの人やこの人の名言を録音したデータが幾つか入っている。むしろこっちがメインだ!
との事らしい。──あの人やこの人って誰だろう。まことくん、これで何するんだろう。
愛佳は色々な角度から観察するが、しかし見るだけ見てそのまま鞄の中へと戻した。
これは真の私物だ。愛佳はそう思っているので、それ以上触るのはやめておいた。説明書も一緒に戻す。
そういえば、真が説明書がどうとか言っていたのは、何だったか。そうだ、これだ。
愛佳は、真に直接渡された機械を見る。片手で持てる大きさの、液晶付きの機械だ。
この説明書を先に見ておこうと愛佳は思った。名簿はその次に見る事にする。
「えーと、どれかな……これかな?」
取り出した紙には、同じく説明書と銘打たれていた。当たりだ。愛佳は目を通す。
「首輪探知レーダー説、明……しょ……?」
首輪。その単語を見て、愛佳の頭の中に何かが引っ掛かった。心臓がどくんと鳴る。
首輪。首の、輪っか。
愛佳は視線を泳がせながら、おそるおそる、自身の首に手を伸ばした。
いっそ清清しいほどに、この建物には人の気配がなさすぎる。
ロビーには受付カウンターらしき物が設置されているが、店員はいない。
窓がないので外の様子は判らないけれど、車の音なども聞こえない。
まるで自分と真以外には誰もいないかのようだ。世界に男女が一人ずつ。
一瞬、愛佳の脳裏に「アダムとイブ」という文字が浮かんだが、沸騰して消し飛んだ。
何を考えているのか。今はそう、名簿だ、名簿。
愛佳はカウンターを背にして座り込み、デイバッグの中を見た。
名簿とはどれだろう。名称からするに、紙っぽい物だろうか。
適当に取り出した紙を広げ、愛佳は目を通す。
「ICレコーダー説明書……?」
違うようだった。ICレコーダーといえば、音声を録音する機械の事だ。
ニュースで、手に持った記者が質問相手に向けている時の、手から先だけが画面に映ったりしている。
そんな映像を愛佳は思い出した。デイバッグを覗いたら本体が見えたので、手に取る。
持っていても私生活で利用などしないので、愛佳が実際に目にしたのは初めてだった。
「へぇ~」
説明書には、録音機能の他に再生機能もあると書いてあった。
特典としてあの人やこの人の名言を録音したデータが幾つか入っている。むしろこっちがメインだ!
との事らしい。──あの人やこの人って誰だろう。まことくん、これで何するんだろう。
愛佳は色々な角度から観察するが、しかし見るだけ見てそのまま鞄の中へと戻した。
これは真の私物だ。愛佳はそう思っているので、それ以上触るのはやめておいた。説明書も一緒に戻す。
そういえば、真が説明書がどうとか言っていたのは、何だったか。そうだ、これだ。
愛佳は、真に直接渡された機械を見る。片手で持てる大きさの、液晶付きの機械だ。
この説明書を先に見ておこうと愛佳は思った。名簿はその次に見る事にする。
「えーと、どれかな……これかな?」
取り出した紙には、同じく説明書と銘打たれていた。当たりだ。愛佳は目を通す。
「首輪探知レーダー説、明……しょ……?」
首輪。その単語を見て、愛佳の頭の中に何かが引っ掛かった。心臓がどくんと鳴る。
首輪。首の、輪っか。
愛佳は視線を泳がせながら、おそるおそる、自身の首に手を伸ばした。
指先に、細くて硬くて冷たい物が当たる。
「くび、わ……」
愛佳の手が震える。これは首輪なのか。愛佳はおもむろに立ち上がって、周囲を見回した。
ある。鏡。壁に嵌め込まれた大きいやつ。
愛佳は小走りで鏡の前に向かった。辿り着いて、そこに映る自身の姿に、驚愕する。
持っていた鞄やレーダーが手からすり抜けて床へと衝突した。
「やだ、これ、なに……やだ」
鏡に映った愛佳は金属製の首輪を付けていた。こんな物を付けた覚えはない。
頭はそれが何であるかを知らないのに、心がとても嫌な物であると認識していた。
どくどくと心臓の鼓動が早くなり、警鐘のように愛佳の身体の中で響いていた。
これを見ていたら、とってもいやなことをおもいだしてしまいそうだ。
耐えられない。どうしてか涙が溢れてくる。恐くて辛くて悲しくて、頭が痛くなる。訳が判らない。
「やだ、こんなの、あたし、やだっ」
愛佳は首輪へと手を伸ばす。そしてその金属を──強く掴んだ。
「とって、とって、だれか、はやく、やだ、とって!」
ぎちぎちの首輪の僅かな隙間に指を差し入れ、上下にガタガタと揺らす。
「くび、わ……」
愛佳の手が震える。これは首輪なのか。愛佳はおもむろに立ち上がって、周囲を見回した。
ある。鏡。壁に嵌め込まれた大きいやつ。
愛佳は小走りで鏡の前に向かった。辿り着いて、そこに映る自身の姿に、驚愕する。
持っていた鞄やレーダーが手からすり抜けて床へと衝突した。
「やだ、これ、なに……やだ」
鏡に映った愛佳は金属製の首輪を付けていた。こんな物を付けた覚えはない。
頭はそれが何であるかを知らないのに、心がとても嫌な物であると認識していた。
どくどくと心臓の鼓動が早くなり、警鐘のように愛佳の身体の中で響いていた。
これを見ていたら、とってもいやなことをおもいだしてしまいそうだ。
耐えられない。どうしてか涙が溢れてくる。恐くて辛くて悲しくて、頭が痛くなる。訳が判らない。
「やだ、こんなの、あたし、やだっ」
愛佳は首輪へと手を伸ばす。そしてその金属を──強く掴んだ。
「とって、とって、だれか、はやく、やだ、とって!」
ぎちぎちの首輪の僅かな隙間に指を差し入れ、上下にガタガタと揺らす。
外れない。どうやって外すの。誰か外して。この首輪は嫌だ!
どうして外れないの。何なのこれ。誰か早く!!
どうして外れないの。何なのこれ。誰か早く!!
──ピッ
不意に電子音が聞こえた。愛佳は背筋が凍るのを感じる。
台風が通り過ぎて晴れ渡った日ように、頭の中がすっきりとしていた。
あ、死ぬんだ、あたし。
愛佳は、ようやく全てを思い出した。
台風が通り過ぎて晴れ渡った日ように、頭の中がすっきりとしていた。
あ、死ぬんだ、あたし。
愛佳は、ようやく全てを思い出した。
シャンメリーの栓を抜いた時のような、可愛らしい音だった。
たかあきくん──河野貴明の首が消し飛んだ時の音は。
貴明だった赤いものに縋り付く幼馴染の少女達。彼女達を見ながら、愛佳はひたすら呆然としていた。
何が起きたか判らない。判っている。けれど判らない。判りたくない。判ってはいけない。
愛佳は時が止まったかのように、蒼い顔でその場を動けないでいた。
誰かが何かを話している。視界の隅で誰かが何かをしている。それらはただの音と色でしかない。
けれど愛佳はずっと貴明達を見ていた。だから覚えている。思い出した。しっかりと、はっきりと。
なぜかそれだけが鮮明に聞き取れた電子音、等間隔だった音が不意に速くなる。
まるで催眠術を掛けるように愛佳は祈った。
ああ、このカウントダウンが終わったら、こんな悪い夢なんて全て忘れていますように。
そして電子音が途絶えた時に何が起きたのか──愛佳は、本当にここからは覚えていなかった。
たかあきくん──河野貴明の首が消し飛んだ時の音は。
貴明だった赤いものに縋り付く幼馴染の少女達。彼女達を見ながら、愛佳はひたすら呆然としていた。
何が起きたか判らない。判っている。けれど判らない。判りたくない。判ってはいけない。
愛佳は時が止まったかのように、蒼い顔でその場を動けないでいた。
誰かが何かを話している。視界の隅で誰かが何かをしている。それらはただの音と色でしかない。
けれど愛佳はずっと貴明達を見ていた。だから覚えている。思い出した。しっかりと、はっきりと。
なぜかそれだけが鮮明に聞き取れた電子音、等間隔だった音が不意に速くなる。
まるで催眠術を掛けるように愛佳は祈った。
ああ、このカウントダウンが終わったら、こんな悪い夢なんて全て忘れていますように。
そして電子音が途絶えた時に何が起きたのか──愛佳は、本当にここからは覚えていなかった。
「……あ、愛佳、ちゃん……?」
首輪が鳴り始めた直後、愛佳のデイバッグを持った真は、愛佳の待つロビーへと戻って来た。
カウントダウンは始まったばかり。
真に呼ばれ、愛佳は涙でぼろぼろの顔を真へと向けた。
「まこ、ま、まこと、くん」
震える声で愛佳は真を呼んだ。
上手く動かせない身体を動かして、真に手を伸ばす。
「あた、あたし」
「くるくくっ…………来るなッ!!」
「きゃ!」
真は手にしたデイバッグを力一杯に振って愛佳の手を叩き落とした。そして無防備な身体を突き飛ばす。
愛佳は足元の荷物を巻き込みながら床へと倒れ込んだ。
真は逃げるように、否、逃げるために急いで出口へと向かって駆け出し──
「いやああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
愛佳は横切った真の足を夢中で掴んだ。
首輪が鳴り始めた直後、愛佳のデイバッグを持った真は、愛佳の待つロビーへと戻って来た。
カウントダウンは始まったばかり。
真に呼ばれ、愛佳は涙でぼろぼろの顔を真へと向けた。
「まこ、ま、まこと、くん」
震える声で愛佳は真を呼んだ。
上手く動かせない身体を動かして、真に手を伸ばす。
「あた、あたし」
「くるくくっ…………来るなッ!!」
「きゃ!」
真は手にしたデイバッグを力一杯に振って愛佳の手を叩き落とした。そして無防備な身体を突き飛ばす。
愛佳は足元の荷物を巻き込みながら床へと倒れ込んだ。
真は逃げるように、否、逃げるために急いで出口へと向かって駆け出し──
「いやああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
愛佳は横切った真の足を夢中で掴んだ。
行かないで、逃げないで、ここにいて。
死ぬのは判っている。仕方ないのだ。貴明の死を否定しようとした自分への、
貴明の死を悲しむ事よりも自分の心を守る事を優先した自分への罰なのだから。
だけど一人で死ぬのはいやだった。
道連れにしようだなんて、そんな事は思わない。
ただ自分が死ぬことを誰かに知ってほしかった。自分がしたように否定してほしくなかった。
けれど愛佳が混乱しているのもまた事実だった。
無我夢中で縋り付く愛佳の姿が、真の目には恐怖の対象としてしか映らなかった。
「うあああああぁぁぁぁぁ! ああぁ! あああぁぁ! ああぁっ!!!」
真は叫ぶ。転倒して片足を捕らえられたまま鋭い眼光で愛佳を睨み付け、
自由なもう片方の足で愛佳の手を、肩を、頭を、顔面を蹴りつけた。
愛佳は絶望する。ああ、判っている、初対面の人間の死を見届けろだなんて、
そんな我侭は通る訳がない。判っているのに、悲しかった。
「……まことくん……いかないで」
愛佳の手の力が緩み、真は拘束から逃れた。そして愛佳には目もくれずに走り出す。
入り口の木製の扉を開け、飛び出して行った。愛佳は涙で歪む視界で、その姿を見送った。
「まことくん」
ゆっくりと閉まる扉が外と内とを隔てる直前──爆発と呼ぶにはささやかすぎる音が、響いた。
死ぬのは判っている。仕方ないのだ。貴明の死を否定しようとした自分への、
貴明の死を悲しむ事よりも自分の心を守る事を優先した自分への罰なのだから。
だけど一人で死ぬのはいやだった。
道連れにしようだなんて、そんな事は思わない。
ただ自分が死ぬことを誰かに知ってほしかった。自分がしたように否定してほしくなかった。
けれど愛佳が混乱しているのもまた事実だった。
無我夢中で縋り付く愛佳の姿が、真の目には恐怖の対象としてしか映らなかった。
「うあああああぁぁぁぁぁ! ああぁ! あああぁぁ! ああぁっ!!!」
真は叫ぶ。転倒して片足を捕らえられたまま鋭い眼光で愛佳を睨み付け、
自由なもう片方の足で愛佳の手を、肩を、頭を、顔面を蹴りつけた。
愛佳は絶望する。ああ、判っている、初対面の人間の死を見届けろだなんて、
そんな我侭は通る訳がない。判っているのに、悲しかった。
「……まことくん……いかないで」
愛佳の手の力が緩み、真は拘束から逃れた。そして愛佳には目もくれずに走り出す。
入り口の木製の扉を開け、飛び出して行った。愛佳は涙で歪む視界で、その姿を見送った。
「まことくん」
ゆっくりと閉まる扉が外と内とを隔てる直前──爆発と呼ぶにはささやかすぎる音が、響いた。
◇
「あ」
扉の中から出てきた人は物凄い速さで走って行ってしまった。渚がいる場所とは反対の方向へ。
なのでおそらく、渚の存在にも気付いていない。
何をそんなに急いでいるのだろうか。
そんな事を考える暇もなく、閉まる寸前の扉の中から何か妙な音が聞こえてきた。
意識は全て、そちらへと向けられる。今の音は一体。
扉の中から出てきた人は物凄い速さで走って行ってしまった。渚がいる場所とは反対の方向へ。
なのでおそらく、渚の存在にも気付いていない。
何をそんなに急いでいるのだろうか。
そんな事を考える暇もなく、閉まる寸前の扉の中から何か妙な音が聞こえてきた。
意識は全て、そちらへと向けられる。今の音は一体。
渚は嫌な予感というものを感じた。この音は、まさか。緊張が走る。
おそるおそる洋館へと近付いて、扉に手を伸ばし一呼吸。少しだけ開けて隙間から中を覗いてみた。
「ひっ……」
扉の向うには赤が広がっていた。思わず扉を閉める。けれど恐れている場合ではない。
よく見ていないのだが、誰かが倒れていたような気がする。早く、早く手当てをしないと。
渚は扉を勢い良く全開にして建物の中へと踏み込んだ。
どこをどうやって手当てをすれば助かるのだろうか。
そこには首から上が存在しない身体が横たわっていた。もう間に合わない。とっくに。
あるのは赤ばかりだった。床の液体も、横たわる身体も、散らばる肉片も、壁に点々と付いた水玉模様も。
唯一、黒いデイバッグだけがそのままの黒を保っていた。
その赤い血だまりの中、渚はゆっくりと足を動かし、横たわる身体──
ああ、これはもう死体だ。渚は死体の横へと膝を付いた。膝から下、膝と靴下と靴が赤く染まる。
渚は死体の手を取り、握った。赤く、そしてぬめっている。だが、あたたかい。
これは、人の温もりだ。この死体は、確かに人だったのだ。
けれど今は人ではない。これが、死というものなのだ。
渚は涙を流した。この子を知っている訳ではない。この子も自身を知っている訳ではない。
それでも今は、この殺し合いの犠牲になってしまったこの子のために泣きたいと思った。
おそるおそる洋館へと近付いて、扉に手を伸ばし一呼吸。少しだけ開けて隙間から中を覗いてみた。
「ひっ……」
扉の向うには赤が広がっていた。思わず扉を閉める。けれど恐れている場合ではない。
よく見ていないのだが、誰かが倒れていたような気がする。早く、早く手当てをしないと。
渚は扉を勢い良く全開にして建物の中へと踏み込んだ。
どこをどうやって手当てをすれば助かるのだろうか。
そこには首から上が存在しない身体が横たわっていた。もう間に合わない。とっくに。
あるのは赤ばかりだった。床の液体も、横たわる身体も、散らばる肉片も、壁に点々と付いた水玉模様も。
唯一、黒いデイバッグだけがそのままの黒を保っていた。
その赤い血だまりの中、渚はゆっくりと足を動かし、横たわる身体──
ああ、これはもう死体だ。渚は死体の横へと膝を付いた。膝から下、膝と靴下と靴が赤く染まる。
渚は死体の手を取り、握った。赤く、そしてぬめっている。だが、あたたかい。
これは、人の温もりだ。この死体は、確かに人だったのだ。
けれど今は人ではない。これが、死というものなのだ。
渚は涙を流した。この子を知っている訳ではない。この子も自身を知っている訳ではない。
それでも今は、この殺し合いの犠牲になってしまったこの子のために泣きたいと思った。
【小牧愛佳@ToHeart2 死亡】
◇
目の前で愛佳の首が消し飛ぶ瞬間は見たくない。変わり果てた少女の姿など見たくない。
いずれ自分もそうなる時が来るかもしれない事を思いたくない。
目の前で人が死ぬ瞬間を見たくない。こんなにも近くに死が存在する事を知りたくない。
真は、それらを考えて行動した訳ではなかった。頭が勝手に判断して、身体が勝手に動いていた。
数秒後に愛佳が死ぬことは判っていた。けれど真も強くはなかった。
あまりにも唐突すぎたから。
真は愛佳から少し離れて、戻っただけだ。それなのに、愛佳は死の直前だった。
どうして首輪が作動していたのか判らない。自分がいなくなったから、それがいけなかったのか。
愛佳が死んだのは、自分のせいなのか。いや、死んでいない。愛佳は死んでいない。
いつ死んだっていうんだ。だってほら、ボクは見ていないじゃないか。
そうだ、だから愛佳ちゃんは死んでいない。死んでいない。死んでなんか、いないんだ。
現実を受け入れたくなくて、真もまた、死を否定した。
だから何も考えずに、ひたすた走った。
いずれ自分もそうなる時が来るかもしれない事を思いたくない。
目の前で人が死ぬ瞬間を見たくない。こんなにも近くに死が存在する事を知りたくない。
真は、それらを考えて行動した訳ではなかった。頭が勝手に判断して、身体が勝手に動いていた。
数秒後に愛佳が死ぬことは判っていた。けれど真も強くはなかった。
あまりにも唐突すぎたから。
真は愛佳から少し離れて、戻っただけだ。それなのに、愛佳は死の直前だった。
どうして首輪が作動していたのか判らない。自分がいなくなったから、それがいけなかったのか。
愛佳が死んだのは、自分のせいなのか。いや、死んでいない。愛佳は死んでいない。
いつ死んだっていうんだ。だってほら、ボクは見ていないじゃないか。
そうだ、だから愛佳ちゃんは死んでいない。死んでいない。死んでなんか、いないんだ。
現実を受け入れたくなくて、真もまた、死を否定した。
だから何も考えずに、ひたすた走った。
【C-2 スラム街 黎明】
【菊地真@THE IDOLM@STER】
【装備:なし】
【所持品:愛佳のデイバッグ(支給品一式、未確認アイテム1~3)】
【状態:錯乱気味、死に対する漠然とした恐怖】
【思考・行動】
1:愛佳は死んでいないから自分のせいじゃない
2:娼館から遠ざかる
3:脱出したけど、どうすればいいのかわからない……。
【装備:なし】
【所持品:愛佳のデイバッグ(支給品一式、未確認アイテム1~3)】
【状態:錯乱気味、死に対する漠然とした恐怖】
【思考・行動】
1:愛佳は死んでいないから自分のせいじゃない
2:娼館から遠ざかる
3:脱出したけど、どうすればいいのかわからない……。
◇
死体を火葬や埋葬する、だなんて事はできないけれど、せめて綺麗に寝かせてあげるべきだと渚は思った。
うつ伏せの死体をなんとか引っくり返し、胸の前で手を組ませる。今は──冷たかった。
顔があるべき部分は、どうしようもできない。肩から上を、布か何かで覆ってあげたいけれど。
ふと目に止まったデイバッグを引き寄せる。
タオルでもあれば掛けてあげよう。そんな事を思っていると、勝手に何かが出てきた。
渚のスカートの上に、ころりと。渚はジッパーには手を触れていない。元々開いていたらしい。
出てきたのは何かの機械のようだった。血だまりの中に落ちなかったのは運が良いのかもしれない。
それはICレコーダーだった。小さなディスプレイには──録音中。
愛佳が荷物を巻き込みながら倒れたその時、偶然にもボタンが押された事など、渚は知る由もないだろう。
渚は手に取ろうと思い、手が血で塗れているので躊躇したが掌を制服に擦り付けて拭いて、
それから改めて機械を手に取った。
適当に見当をつけてボタンを押していると、スピーカーから音が流れてきた。
うつ伏せの死体をなんとか引っくり返し、胸の前で手を組ませる。今は──冷たかった。
顔があるべき部分は、どうしようもできない。肩から上を、布か何かで覆ってあげたいけれど。
ふと目に止まったデイバッグを引き寄せる。
タオルでもあれば掛けてあげよう。そんな事を思っていると、勝手に何かが出てきた。
渚のスカートの上に、ころりと。渚はジッパーには手を触れていない。元々開いていたらしい。
出てきたのは何かの機械のようだった。血だまりの中に落ちなかったのは運が良いのかもしれない。
それはICレコーダーだった。小さなディスプレイには──録音中。
愛佳が荷物を巻き込みながら倒れたその時、偶然にもボタンが押された事など、渚は知る由もないだろう。
渚は手に取ろうと思い、手が血で塗れているので躊躇したが掌を制服に擦り付けて拭いて、
それから改めて機械を手に取った。
適当に見当をつけてボタンを押していると、スピーカーから音が流れてきた。
『いやああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』(ドサッ)
『うあああああぁぁぁぁぁ!』(ドカッ)『ああぁ!』(バコッ)
『あああぁぁ!』(ゴッ)『ああぁっ!!!』(メキッ)
『……まことくん……いかないで』
『まことくん』
(パンッ)(ビチュ)──
『うあああああぁぁぁぁぁ!』(ドカッ)『ああぁ!』(バコッ)
『あああぁぁ!』(ゴッ)『ああぁっ!!!』(メキッ)
『……まことくん……いかないで』
『まことくん』
(パンッ)(ビチュ)──
それから続いた音には聞き覚えがある。集音できる範囲で渚がとった行動が音になって再生されていた。
見切りをつけて、渚は再生を止める。
壮絶だ。一体ここで、何があったのだろう。渚は考える。
全体的に音は篭っていて、声質などは判らない。
ただ判るのは、ここに残らなかった者、渚に気付かずに走って行った者は知っている、という事。
この「まことくん」と呼ばれている──男の人は、死体の少女に何かをしたのだ。
叫ぶ少女、乱雑な音、走り去る男、首輪が爆発した少女。
これの意味する事は一体。
「まことくん、という人が……この子を」
思い浮かんだ答を、首を振って否定する。まさか、そんな事があってはならない。
それに、推測にすぎない。考えても正解など判らない。
けれど渚の思考の中に、それ以外の答えは浮かんできてくれなかった。
まことくんが、首輪の爆発を利用してこの子を殺したのだ──という答えしか。
見切りをつけて、渚は再生を止める。
壮絶だ。一体ここで、何があったのだろう。渚は考える。
全体的に音は篭っていて、声質などは判らない。
ただ判るのは、ここに残らなかった者、渚に気付かずに走って行った者は知っている、という事。
この「まことくん」と呼ばれている──男の人は、死体の少女に何かをしたのだ。
叫ぶ少女、乱雑な音、走り去る男、首輪が爆発した少女。
これの意味する事は一体。
「まことくん、という人が……この子を」
思い浮かんだ答を、首を振って否定する。まさか、そんな事があってはならない。
それに、推測にすぎない。考えても正解など判らない。
けれど渚の思考の中に、それ以外の答えは浮かんできてくれなかった。
まことくんが、首輪の爆発を利用してこの子を殺したのだ──という答えしか。
【C-2 娼館一階ロビー 黎明】
【古河渚@CLANNAD】
【装備:なし】
【所持品:支給品一式、未確認アイテム1~3、ICレコーダー】
【状態:困惑気味、膝下や服に血が付着】
【思考・行動】
基本:殺し合いは駄目です
1:少女(愛佳)を殺したのは「まことくん」?
2:誰かに相談したい
【装備:なし】
【所持品:支給品一式、未確認アイテム1~3、ICレコーダー】
【状態:困惑気味、膝下や服に血が付着】
【思考・行動】
基本:殺し合いは駄目です
1:少女(愛佳)を殺したのは「まことくん」?
2:誰かに相談したい
※地図と名簿も未確認
※真の姿は遠くからしか見ていない上に、あまり印象に残っていません
※真の姿は遠くからしか見ていない上に、あまり印象に残っていません
【ICレコーダー@現実】
見た目も機能もごく普通のICレコーダー。再生機能付き。
特典として予め、参加キャラの名台詞(迷台詞)を録音したデータが何点か入っている。
見た目も機能もごく普通のICレコーダー。再生機能付き。
特典として予め、参加キャラの名台詞(迷台詞)を録音したデータが何点か入っている。
※娼館一階ロビーが血まみれ。首なし愛佳の死体があります
※渚の近くに真のデイバッグ(支給品一式、首輪探知レーダー、ICレコーダー説明書)があります
※レーダー説明書はデイバッグの外にあったので、もしかしたら血まみれ
※渚の近くに真のデイバッグ(支給品一式、首輪探知レーダー、ICレコーダー説明書)があります
※レーダー説明書はデイバッグの外にあったので、もしかしたら血まみれ
027:幸せになる為に | 投下順 | 029:死の先にあるモノ |
時系列順 | 033:Fearing heart | |
005:世界で一番NGな出会い? | 菊地真 | 034:True Love Story/堕落のススメ |
小牧愛佳 | ||
古河渚 | 034:True Love Story/堕落のススメ |