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OVER MASTER (超越) 5

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OVER MASTER (超越) 5 ◆Live4Uyua6



 ・◆・◆・◆・


 夜風と共に、今日という一日が過ぎ去っていく。闘技場では一切の死人を出すこともなく、平和な時間が流れた。
 これは、本日限りのものではない。明日以降も続く、しかし来るべき決戦の折には、崩壊するかもしれない平穏。
 ゆえに、束の間。計画通りに事が進めば、それは三日後か……那岐は頭上に聳える凶の星を眺め、未来を憂いだ。

「もうすぐ、もうすぐだ。君との数百年に及ぶ腐れ縁も、もうすぐ終わりを迎える……」

 ホテルの屋上から天に向かって語りかけるその対象は、数日後に落下が予測されている災厄の象徴たる隕石、媛星。
 弥生時代に生を受け、以来数百年、千年にも渡る悠久の時を生きてきた存在――那岐が、因縁の宿敵と捉えるもの。
 それは人知れず何度も、この惑星とそこに住まう人々を滅ぼそうとし、その度に乙女たちの想いが天に捧げられた。

 邪なる神の介入は、因縁決着の合図を促すには丁度良いタイミングなのかもしれない。
 媛星の回避という使命を与えられ、人間としての死を奪われた那岐は、いつか来る明日について考えるのだった。

「明日……明日か。カレンダーが捲れていくことには、もうなんの感慨も抱かなくなった僕だけど……」
「――那岐さん?」

 ふと那岐が振り返ると、そこにはパジャマ姿の柚明が立っていた。
 風に靡く髪を掻きながら、こんばんは、と挨拶を投げかけてくる。

「どうしたの? こんな時間、こんな場所に一人で来るなんて。
 あ、もしかして。人気のなさを見計らってこっそり愛の告白とか?」

 常のとおりおどけた様子で言う那岐に、柚明は柔和な笑みを浮かべた。

「星が……見たかったから。それと……元気のない男の子を見かけたから、かな」

 愉しそうに笑う柚明の表情は、どこか妖艶だ。
 どこか、那岐の心情を察しているような気配すら漂っている。
 那岐はその様子から、柚明が〝ユメイ〟として背負っていた使命のことを思い出す。

「ねぇ柚明ちゃん。君はもう、名簿にある〝ユメイ〟ではなく……〝羽藤柚明〟としての道を歩んでるんだよね?」
「ええ。桂ちゃんに、〝柚明お姉ちゃん〟と呼ばれてしまいましたから」

 それは、〝オハラシサマ〟と呼ばれる伝説――。
 肉体を捨て、魂だけの存在となって、封印を守り続けるという使命――。
 最愛の従妹への想いを天秤にかけ、なおも無碍にはできなかったあるお姉ちゃんの悲しい物語――。

 この羽藤柚明もまた、那岐と同じくオハラシサマという使命に縛られていた身だ。
 それがナイアの気まぐれで儀式に呼ばれてしまい、受肉した体と称して捨てたはずの肉体まで取り戻し、今はこうして人として在る。
 屈託のない微笑に、後悔の念など感じられないが……オハラシサマではなく、羽藤桂の姉として生きる今の彼女の心境は、どのようなものなのだろうか。

「……いい機会だ。柚明ちゃん。僕のちょっとした昔話につきあってもらえないかな?」

 月夜は人をお喋りにする。
 昔語りをするのに、これ以上の機会はなかった。

「……はい」

 那岐の申し出に、柚明は快く頷いた。

 誰かに自分の境遇を重ね、心中を吐露することは、これまでにも多々あった。
 それはたとえば、姫巫女の実弟であったり、自分とは別の使命を背負う少女であったり。
 理解されるかどうか、共感されるかどうかは、さして問題ではない。
 今はただ、語りたい気分なのだ。

 悠久の時が築き上げてきた想いは今、那岐の口から訥々と語られていく……。


 ・◆・◆・◆・


 ――――那岐。

 その名を授かったのは、もう何百年も昔……歴史の教科書に載るくらい、昔のことだ。


『那岐、良いですか。稲作に限りませんが、農業には天候の理を知る必要があります。
 鬼道を体得し、それらを自在に操ることができれば、農業を発展させることも容易となるでしょう』


 幼い少年、那岐には一人の姉がいた。

 皆から慕われ、皆に導きを与え、皆をよく想っていた、尊敬できる姉だった。


『そうすることで、国は富みます。国が富めば、民人も富みます。民人や国を導く我らは、強くなくてはなりません。
 強く導き、そして鬼道の力をもって国を富ませるのです。戦になった折には、鬼道はその手段としても役に立ちます』


 しかし那岐は尊敬の念を抱く以上に、彼女が――陽巫女が、姉として大好きだった。

 はたして姉は、この想いに気づいてくれているのだろうか。

 那岐が欲するのは、厳しき教えなんかではない。

 多くの姉が弟に接するような、優しい言葉が欲しかった。


『この身も、そなたの身も、等しく国のために、民人のためにあるのです』


 統治者の立場にある姉は、いつもそんなことばかりを話す。

 家族としての、姉弟としての会話など、欠片ほどしかない。

 あの頃の那岐はまだ幼く、幼いからこそ、反発を繰り返した。


『姉上……那岐の身は、姉上のためだけにあります。国とか、民人のことはよくわかりません』

『それはまだそなたが幼いから……でもいけませんよ。那岐、そなたも自覚を持たねばなりません』


 厳しい姉だった。

 時折、優しくもあった。

 だけど大抵は、いつも厳しかった。


『そなたはこの陽巫女の弟なのです。妾の弟であるということがどういう意味を持つのか、学んでいかねばなりません』


 ……そればかりだ。

 いつも、そればかりだ。

 きっと、那岐の想いは姉になど届いていないのだ。

 想いは天に捧げるもの……そして想いは天より地へと振る。

 そう学んできたのに、那岐が捧げた想いは天に掠め取られてしまったのだ。


『ふふっ……そんな寂しそうな顔をして、仕方のない子。もうすぐ十になるというのに』

『那岐はまだ子供です。それに姉上は最近、那岐と一緒に寝てくださらない』

『まあ、十といえば立派な大人の男ですよ? なにを甘えたことを言うのですか……もう』

『で、でも……』


 でも、たぶん、きっと……それは、違う。

 姉はおそらく、那岐の想いを知っているのだ。

 知っていながらに、こんな意地悪を働くのだ。

 だからほんのちょっとだけ拗ねて見せると、姉は途端に優しくなる。


『仕方のない子。今宵は姉が一緒に寝てあげましょう。でも、十になるまでですよ』

『は、はい! 姉上! 必ず!』

『まったく、調子のいい子だこと……』


 そうやって、厳しさの合間にときどき見せてくれる優しい顔が、大好きだった。

 姉は那岐に、大人になるのですよ、とたびたび諭した。

 それでも那岐は、姉に子供として、弟として見てもらいたかった。


 ほほえみをかけられて、

 頭を優しく撫でられて、

 添い寝をしてもらって、

 那岐と呼んでもらって、


 そんな風に、ずっと姉と接していたかった――――。


 しかし、子供はいつしか大人になる。

 那岐もいつしか、陽巫女の弟たる立場を自覚し、国や民を想うようになった。

 だからといって、姉への想いが消えたわけではない。

 大人は大人なりに、想いの色を少しずつ変えながらも。


 今は、可愛がられたい、ではなく。

 今は、姉の役に立ちたい、と。


 那岐は強く、強く、強く想い……その日を迎えたのだ。

 惑星に迫りし凶の象徴……媛星を還す儀式の日を。

 己の肉体との……最愛の姉との、別れの日を。


『さあ、那岐……ここへ』

『姉上……』

『良いですね、那岐?』


 頭上の赤き星は既に、月よりも大きく天を塞いでいる。

 もはや一刻の猶予もない。

 このままではこの星が呑まれてしまう。

 あせりはなかった、恐れもなかった。

 ただ、寂しくはあった。


『はい。那岐は……この命、姉上に捧げることができるのなら。姉上のお役に立てるのなら、本望です』

『そうではありません。那岐、そなたの命は妾ではなく、国に、民に、捧げられるのです』

『那岐は姉上さえよければ、それで……国や民のことは……』

『那岐……いつまでも困った子……』


 姉はやはり、最後の時まで陽巫女であろうとした。

 那岐にもやはり、陽巫女の弟であれと諭した。

 お互いのことよりも、国や民を想い。

 姉と弟の絆すらも、霞むほどに。


『さあ、始めましょう。〝媛星〟はもう、すぐそこまで来ています』


 姉はどこまでも実直で、どこまでも厳しく、どこまでも優しく。

 そんな姉だからこそ、那岐は今まで好きでいられたのだと思う。

 相互の想いがどうあれ、自らの運命を呪ったりなどしなかった。


『那岐は、国のために、民のために、そして……姉上のために儀式に臨みます。……これで、よろしいのですよね?』

『ええ、そうです。その心構えです』


 媛星を還すことが、姉の役に立つことに……姉の弟であることに繋がる。

 だから、これでいいのだ。

 想いが強いからこそ、想いは代償となる。


『そなたも今では、この国で妾に次ぐ鬼道の使い手。二人の力を合わせられれば……』


 ――――カグツチ。

 姉の力と那岐の力を合わされば、強大なる竜の化身が蘇る。

 カグツチの力を持ってすれば、媛星の脅威とて払えるはずなのだ。

 カグツチを呼び出し、その力に縋る……残された手は、それしかない。


『さあ、いよいよです。口寄せしたカグツチの使役のために、この草薙の片割れを使います』


 草薙の剣を握る陽巫女には、これより大役が待っている。

 その晴れ姿を、那岐は見ることができない。

 見守れないことが、残念でならなかった。

 けれど、皆の先導者たる陽巫女なら。

 強くて優しい姉上なら、なんの心配もない……


『那岐……うっ……ううぅ……那岐……っ』


 ……そう、思っていたはずなのに。

 姉は泣いていた。

 体面も気にせず、声もあらわに泣きじゃくっていた。


『どうして……どうして、そなた以外にいないのでしょう……っ』


 泣かないで、姉上。

 姉上が悲しむ必要なんて、なにもない。

 これは那岐の務めだから。

 姉上の務めは、別にあるのだから。

 務めという名の、運命なのだから。

 だから――


『う、うぅ……ううう……っ。妾は、妾はそなたを失いとうありません。やっぱり……だめ……だめ……っ』


 ――いや、それは違う。

 務めも、運命も、国も、民も、なにもかもが偽りだ。

 姉は、ただ実の弟を失うことだけが悲しかったのだ。

 ……なんだ。

 やっぱり、姉上への想いは届いていたんじゃないか。


『姉上……姉上は、この那岐にいつも仰っていたではないですか。
 国と民のために、導く者は時として己を捨てなければならない、と』


 ああ。


 お願いだから、それ以上は泣かないで。


 姉上に泣かれてしまっては、これまで我慢していた那岐も……。


『今こそ姉上……そのときなのではないでしょうか? この那岐にとっても、姉上にとっても』


 だめだ。


 想いはまだ、口には出せない。


 国のために、民のために、姉上にはそう在ってほしい。


『っ……そう、ですね。那岐に、そのように言われるとは思いませんでした。立派になられましたね……』

『ふふ、もちろんです。それに、那岐は嬉しいのですよ?』



 姉上が那岐へ捧げた想いは、もう十分に届いているから。


 だから……だからこそ……



『口寄せに必要な贄は、〝想い人〟――。最も大切な人、ですよね』



 だからこそ、那岐はこの身を生贄として捧げるのだ。


『姉上の最も大切な人であることが、なによりも嬉しいのです。さあ姉上。時間がありません、口寄せの儀式を』

『……後ほど妾も、様々な準備が整い次第、そなたと同じ身の上になるつもりです。共に、行く末を見守りましょう……』

『はい、お待ちしております。ただ、現世に残るあの子たちだけが……気がかりです。立派に育ててあげてください』

『結局一度も抱かせてやれませんでしたね。許しておくれ。あの子は、台与は……次代を担わねばならぬ神なる身』


 もっと語らいがしたかった。

 もっと触れ合いたかった。

 もっと、もっと、もっと……ずっと。

 ずっと、共に在りたかった。


『う、うっく、うぅ……那岐、私の可愛い弟。そなたに、神の力の宿らんことを――――』


 草薙の片割れが那岐の身を突き刺し、


『……あ、姉、うえの、ために…………姉上、だけの…………う、うぅぅぅ……こふっ――――…………』


 別れの言葉は血の嗚咽に消し飛ばされ、


『神の降り立つを……言祝ぎて、迎えん……』


 燃えるように熱い死の予感は、


 神なる炎の熱気によって滅却され、


 大好きだった姉の笑顔すら溶けて消え、


 そのまま、悠久に沈む――――。


『 ―― 那岐……媛星だけは還すのですよ。それが、国と民にとってもっとも重要なことなのです ―― 』

『 ―― 心得ておりますよ、姉上。すべては国のため、民のため、そして、姉上のため…… ―― 』


 以後数百年に渡り、繰り返されたのはそんな偽りだらけの語らい。


 想いを寄せ合う姉と弟が、真に言葉を交わせる日は、もう…………。


 ・◆・◆・◆・


「……僕の人生は、姉上のお役に立ちたいという想いでいっぱいだった」

 語られることのなかった、真なる歴史。
 神々の伝承は今、幾度の転生を経た那岐の口から、深々と吐き出された。

「……わかる、気がします」

 聞き手の柚明は、那岐の告白に対しそう呟いた。

「ねえ、柚明ちゃん。君はこの星詠みの舞が終わったら……どうやって生きていくつもりだい?」

 那岐は、静かに問いかける。
 失われた肉体を取り戻し、人生を改めた少女の行く道は、まだ先が定まっていない。
 その回答はすぐに得られるものではないだろうし、これから模索していくべき道なのだろうと那岐自身も思う。

「……羽藤柚明として生きます。桂ちゃんの隣に立って、桂ちゃんと一緒に歩いていきます」

 問いかけに答える柚明の顔に、迷いはない。答えなど、とうに決まっていたのだ。
 迷いを捨て、心を決めた彼女は、立派な桂の姉としてここに在る。
 なんて、厳しくも優しい――見惚れるような姿が、眩しく映る。

「……舞衣ちゃんといい、柚明ちゃんといい」

 姉の姿というのは、なんとも力強く、輝かしく、そして懐かしい。
 那岐は赤の混在する星空を見上げながら、誰にでもなく問う。

「僕は……僕と姉上は、どうすればいいのかな……」

 一番地らを打倒し、媛星の存在しない世界に帰ったとして、那岐と陽巫女はどうなるのだろうか。

 三百年の周期で繰り返される、星詠みの舞。
 その進行を司るという使命は、媛星がなくなってしまえばお役御免だ。
 魂を永久のものとした那岐、器を変え幾度もの転生を果たし生きる陽巫女。
 媛星に翻弄され続けてきた姉と弟は、未来をどう歩めばいいのだろう。

「那岐さん……」

 天壌を見上げる那岐の横顔は、柚明の瞳にどう映ったのだろうか。
 儚く、物悲しげに、考えても事なきことを考え続けている。
 誰が諭せもしない、那岐にしか理解できない悩みが、


「お話は聞かせてもらいましたっ!」


 いつの間にかその場に訪れていた、元気な少女の声によって掻き消される。

 高槻やよいだった。那岐と柚明のちょうど中間に立ち、右腕を高々と上げている。
 髪は誰にやってもらったのだろう。いつものツインテールが、今は輪の形に結い上げられている。
 服装はそれに見合うパジャマ姿で、寝る前だというのに右手にはプッチャンを嵌めていた。

「那岐さん、水臭いです! どうしてもっと早く、私たちにそのこと話してくれなかったんですか?」
「そうだぜ。まさか那岐がお姉ちゃん大好きっ子だったとはなぁ……こんなからかい甲斐のあるネタを黙ってたなんてよ」

 いつから話を聞いていたのだろうか。
 やよいとプッチャンは感激の態度もあらわに、那岐へと肉薄した。
 唐突な闖入者に困り顔を浮かべる那岐とは対照的に、柚明は笑みを浮かべ言う。

「それなら、やよいちゃんが那岐さんのお姉ちゃんになってあげたらどうかな?」
「あ、それ名案かも! 私、弟と妹がいますから。きっと那岐さんのお姉ちゃんにもなれると思いますっ!」
「おっと、そうは問屋がおろさないぜ。やよいをお姉ちゃんと呼ぶなら、まずはこのプッチャン様を倒していってもらおうか」
「い、意味がわからないよ……っ」

 昔を思い出した反動か、センチメンタルに浸っていた那岐は戸惑い気味だった。
 いつもなら、誰かをからかったりするのは那岐の領分であるはずだ。
 星詠みの舞の姫巫女たちに逆にからかわれるなんて、数百年の歴史を紐解いてもなかったことである。

「ま、なにはともあれ那岐にも子供らしいところはあったってことだ。
 子供は子供らしく、もっと姉ちゃんを恋しく思っていいと思うぜ」
「……子供、ね」

 プッチャンの言葉に那岐は肩を落とし、切なげにため息を漏らした。
 しばらくの間を置いてから、また訥々と語り出す。

「姉上は僕を、子供としては見てくれなかった。もちろん、弟として愛情を注いではくれてはいたけれど……。
 二言目には国のため、民のため、と。黒曜の君に無理やり式神にされて、自由に話せなくなってからは特にだ」

 三百年に一度、星詠みの舞が行われるときのみ、那岐は姉との語らいの機会を得る。
 しかしその機会も、儀式を一番地に掌握されてからは無為に消えていくばかりだった。
 炎凪としての行動は黒曜の君に逐一監視されており、その想いを誰にぶつけることもできないでいた。
 姉もあの性格だ。黒曜の君に睨まれている中で、那岐に姉として接することなどすっかりなくなってしまった。

「それが寂しくもあり、悲しくもあり、切なくもあり……ま、それが僕らの運命ってや――」
「バッカヤロー!」

 達観した素振りを見せようとする那岐の頬に、プッチャンの抉りこむような右ストレートがお見舞いされた。

「この期に及んで、なに強がってやがんだ! 姉ちゃんが好きなんだろう。だったら誰に構うこともねぇじゃなねぇか。
 家族ってのはなぁ、いつの世も一緒にいるのが一番なんだよ。運命なんて言葉で割り切れるほど、人は強くねぇのさ」

 言うプッチャンの瞳は、まっすぐに那岐の相貌を射抜いていた。
 那岐はじんじんと傷むを頬を摩りながら、プッチャンの心情を読み取る。

 彼とて、この星詠みの舞で最愛の妹を亡くしているのだ。
 人間としては一度死にながら、人形に魂を移してまで妹を守ろうとした兄であるのに……その務めは果たせなかった。
 それでもプッチャンは、現状を悲観してなどいない。今はやよいの右手に納まりながら、身内の無念を晴らそうと頑張っている。

「要するによ、おまえは姉ちゃんと一緒にいてぇんだろう? なら、なにを悩む必要があるってんだよ」
「……悩むさ。だって僕と姉上は、媛星を還すためだけに生き永らえているんだから。
 もしこの戦いで媛星が消滅したとして、もう星詠みの舞をやる必要がなくなるとしたら……」

 使命を失った僕らはこの先、なんのために生きればいいのさ――と。
 那岐は、プッチャンの言葉を噛み締めながらに考えていた。

 ――いつか、黒曜の君の呪縛を逃れて、姉上と真の言葉で語り合いたい。

 そういった願望を持っていたことは事実だ。
 しかし、存在意義までを失ってしまっては。

 那岐と陽巫女に、悠久を生きる意味はなく……心は虚無に沈んでしまう。


「……そうやっておまえたちは、先ばかりを見据えているんだな」


 しばしの間、誰もが言葉を失い――その場に、新たな声は訪れた。
 皆の視線が注がれる先には、黒のタンクトップに身を包んだ吾妻玲二が立っている。

「君まで星を見に? 天体観測の趣味があるとは思っていなかったな」
「おちょくるな。……おまえに少し、訊いておきたいことがあってな」

 玲二は現れるなり物憂げに、那岐へと言葉を寄越す。

アル・アジフにトーニャ、ドクター・ウェストに、それに深優も……どうにも、〝敵〟の存在を軽視しているように思えてな」

 玲二が並べた四人は、グループの中でも特に大局を見据える力のある知恵者たちだ。
 その一方で四者が皆、他のなによりも優先、あるいは懸念としているものを抱えてもいた。

「那岐。俺たちが戦うべき相手は、いったいなんだ? 神崎か、一番地か、シアーズか、ナイアか、それとも媛星か?」

 アルはすべての黒幕、ナイアという自称〝幸福の女神〟に底知れぬ警戒心を抱いている。
 トーニャは犬猿の中でもあったすずという〝妖狐〟に対して、対応策を練り続けている。
 ドクター・ウェストはエルザなる〝伴侶〟を取り戻さんと見るからに躍起になっている。
 深優は神崎を殺す目的の裏で、アリッサ・シアーズの〝偽者〟の処遇を考え続けている。

 皆、それぞれ口には出さないでいるが、相対すべき存在がいるのだ。
 言ってしまえば、視点がそちらのほうに凝り固まってしまっている。
 キャルのために神崎を殺すと豪語する玲二には、それが懸念でもあった。

 いわばこれは玲二からの――勝算を持ってこちら側についた裏切り者――に対しての、忠告のようなものなのだろう。
 この調子では〝先〟など訪れはしない、と。

「……玲二くんの言いたいことはわかるさ。僕たちのやろうとしていることは、一筋縄じゃいかない。
 どんなに明るい未来を想像することができたって、全部が全部叶うはずもないんだ……それが、運命ってものだからね」

 那岐の回答は、悲観に暮れていた。
 一番地という組織は、決して軽視できるような相手ではない。
 昔ほどではないとはいえ、鬼道によって那岐に炎の言霊を宿したのもまた、一番地なのだから。
 それに加えて、シアーズ財団やナイアの息のかかった者たちもいる。本来なら分の悪い賭け、と回避するのが利口だ。

 ましてや、すべてが上手くいった先を夢見て悩むなど、楽観以外のなにものでもない。

「だからって、退くことはできないさ。夢を見る。大いに結構じゃないか。
 星詠みの舞っていうのはね……想いが力になるんだよ。
 みんな、想いを胸にそれぞれの務めを果たせばいい。要は役割分担だよ、ね?」

 皆、それぞれ相対すべき存在がいる。
 想いを天に捧げ、生きて帰れた先を見据える者もいる。
 誰にとって、誰が〝敵〟であるかなど、一概には言えないのだ。

 ただ、この那岐にとっては。

(みんなを巻き込んでしまったすべての張本人は、僕。だとすれば、僕の相対すべき存在は……)

 空を見上げ、闇夜に赤を点す凶の厄星へと視線をやる。
 媛星――長きに渡る腐れ縁を断ち切る機会は、やはり今しかないのかもしれない。
 もし、媛星をこの世界に遺棄することが成功し、那岐と陽巫女の務めが終わりを迎えるとするのなら。

(ここですべてを終わらせることこそが、正解なのかもしれない)

 運命を、使命を、宿命を――この呪われた魂と共に、この地へ埋没することとて。
 いつからだろうか。自らの人生に終止符を打つ覚悟が、那岐にはあった。

 だからなのかもしれない。
 決戦を間近に控えたこの夜、久方ぶりに姉への想いを天に捧げてみようと思ったのは。

「俺は、神崎黎人をこの手で殺し、キャルを取り戻すことさえできれば、それでいい」

 那岐の回答を受け取り、玲二の憂いは依然として晴れない。

「もともと俺は死んだ身……存在を抹消された〝ファントム〟だ。」

 しかしそれでも、彼は那岐と心境を同じく、背負おうと――。

「俺とおまえが、二人がちゃんと〝敵〟を見据えているのなら……それで十分だ」

 傍に立つ柚明ややよいには、那岐と玲二の秘めたる決意などわかりもしないだろう。
 彼女たちはそれでいい。そうであるからこそ、彼女たちは彼女たちの務めを果たせる。

 那岐としては、本当は玲二にもあちら側にいてほしいのだ。
 だが自らを亡霊と認める彼は、今さら己の立ち位置を改めたりはしない。
 申し訳なく思うと同時に、心強くもあった。


「――ならば皆の進む道、この正義の味方が切り開いてみせようではないか!」


 夜も更け込み一層冷え込んできた屋上に、一陣の風が吹き荒んだ。
 豪風に髪が乱れ、しかしものともせず屹立する影が一つ、新たに増えている。
 柚明ややよいと同じパジャマを着て、手には一振りの矛斧を携える、その女傑。
 自らを正義の味方と自称する、杉浦碧の登場だった。

「碧ちゃん……一応訊いておくけれど、そのエレメントはなんのため?」
「雰囲気よ、雰囲気。正義の味方の口上に、武器はつきものでしょうが」

 碧は現れるなり、格好つけのためのハルバート、青天霹靂を豪快に振り回す。
 本人は悪びれた素振りもないが、危ないからやめろ、と周囲から目で訴えられ、渋い顔を浮かべつつもすぐにこれを消した。

「あたしにはさ、今がどうとか、先がどうとか、はっきり言ってまだよくわかんないんだよね」

 常のようにおどけた調子で、碧は那岐の周りにできていた輪に加わる。
 柚明、やよい、プッチャン、玲二、そして碧――最初は一人だった天体観測も、いつの間にか随分と賑やかになっていた。

「いざ決戦ってときになったら、身の回りがどんな風になるかなんて想像もつかないしさ。
 すべてが上手くいって、無事に元の世界に帰れた後どうするか、ってのもまだ見えない。
 そんな碧ちゃんからアドバイスできることって言ったら、やっぱプッチャンと被っちゃうんだよね」

 プッチャンの頬を手で鷲掴みにし、材質を確かめるように揉みくちゃにする碧。
 すぐさまプッチャンに手の甲を打たれ、やよいからは一歩後ずさられた。

「たははっ……ま、要は家族は大事にしなさい、ってこと。たった一人のお姉さんなんでしょ?
 今はとにかくみんなと頑張って、それから先のことは、二人で思いっきり話し合えばいいじゃない。
 弟の悩みも聞いてくれないような、つめたいお姉さんじゃないんでしょ?」

 悩み事も少なそうに、碧は軽く言ってのけた。

 不思議だった。
 重みなどまるでないはずの、何気ない助言が不思議と心に響く。
 誰にも理解などされない。懊悩は一人で繰り返すものなのだと、勝手に解釈していたのに。

「……そうだね。うん。碧ちゃんの言うとおりだ」

 碧のふとした言葉で、那岐は解を得た。
 悩み事の答えなど、いつだってシンプルなものだ。
 数百年も昔から抱いていたほのかな願いこそが、那岐の未来の形だ。

 ――いつか、黒曜の君の呪縛を逃れて、姉上と真の言葉で語り合いたい。

 媛星の遺棄による存在意義の消失など、嘆くことではなかった。
 後の生き方など、すべてが終わってから最愛の姉と話し合って決めればいい。
 それが那岐の望んだ未来、ずっと待ち望んでいた瞬間なのだから。

「にしても、揃いも揃って夜更かしばかりしちゃってさぁ。碧ちゃん、先生として感心しないぞ~」
「かたいこと言うなよ、先生。今は合同合宿みたいなもんなんだから、夜更かしはつきものだろ?」
「うっうー! なんだかこういうのって、みんなで旅行してるみたいで楽しいですっ!」
「ふふふ。それに、なんだかんだ言って碧ちゃんもまだ起きているじゃないですか」
「うぐぅ!? それはほら、碧ちゃんとしてましては、傷心気味の若者が気になると言いますか……」
「なんでぇ。結局は、碧も那岐のことが心配でこんなとこまで来たんじゃねぇか」
「……まったく、な」

 自分でも気づかぬうちに、周囲の人間に心配をかけていたのかもしれない。
 こんな夜更けにわざわざ屋上まで足を運んだ四人と一体は、相当な変わり者だ。
 そんな仲間としての心配りが、今はただ嬉しい。

(ありがとう……なんて言うのは、僕の柄じゃないけど)

 こみ上げてきた感謝の言葉を、寸前で飲み込む。
 柚明が見据えているような先の展望は、未だ見えない。
 やよいとプッチャンの言う家族の素晴らしさを、自分たちに照らし合わせることはできない。
 玲二の考える懸念はもっともであり、誰よりも計画の遂行を優先しなければならない立場にある自分は、自覚を怠らない。
 全部をひっくるめた悩みは、碧の助言でちっぽけなものへと変わった。

 先がどう在るか、
 今がどう在るべきか、
 決めるのは一人でなくてもいい。

 陽巫女は、姉は、元の世界で那岐の帰還を心待ちにしている。
 手土産に媛星はいらない……今考えるべきは、それくらいだ。

「そうだやよいちゃん。せっかく人数揃ってるんだし、あれやってみたらいいんじゃない?」
「あれ? えっと……あっ、あれですね! うっうー! それ、すっごくいい考えだと思います!」

 碧に促され、やよいが弾むような声を上げる。
 なんだろう、と思う那岐の眼前にやよいが立ち、左手の平を前に差し出してきた。

「それじゃあ那岐さん、こう、手の平を前に突き出してもらえますか?」
「こうかな?」

 やよいの左手をお手本に、那岐が右手を前に出す。
 顔の位置ほどに上げた、挙手のポーズ。
 これからなにが始まるんだろう、と那岐が首を傾げる中で説明が入る。

「えっへへー。みんなで、那岐さんの右手にタッチしていくんですっ!」
「名づけて、六人ハイタッチだ!」

 やよいとプッチャンが意気揚々と宣言した。
 これやると調子出るかも――と、彼女が落ち込むたびに他者とそうしてきた、平手の打ち合い。
 自分以外の存在を支えとして、己を鼓舞できるというのは、一種の才能である。
 子供のやること、と決して馬鹿にすることはできない。
 実際、この行為に救われ生き延びた者もいるのだから。

(ホント、こっちまで気持ちが明るくなってくるよ)

 俯いてた顔がまた前を向くためには、これ以上ないほど効果的なはずだ。

「ふふ……やよいちゃんらしいなぁ。それじゃ、私も」
「ほらほら、玲二くんも。嫌とは言わせないよ~?」
「……言わないから、肩に回した腕を離してくれ」

 ここに集ったみんなが、やよいの流儀にあやかろうと手の平を構える。
 やよいを皮切りに、それぞれの手が那岐の手に合わさっていく。

 パパパパンッ、

 と小気味良い音が鳴った後に、

 ぽふっ、

 と軽い感触が伝わる。これはプッチャンのものだった。

「よーし! んじゃ、景気づけも済ませたところでぼちぼち解散っ!」
「明日も早いですし、さすがにそろそろ……ふぁ……休ませてもらおうかな」
「えへへっ。元気は出たけど、私も眠くなってきちゃったかも」
「だなー。ま、この元気は明日に継続ってことにして……」

 じん、と痺れの残る右手を見ながら、那岐はまた思った。

 ――不思議だ。本当に元気になった。

 ただ、みんなと手の平を打ち合わせただけだというのに。
 音は心に響き、温もりは心を溶かし、憂いを取り払ってしまう。

 願わくば、姉上ともまた。
 言葉だけではなく、こうやって触れ合ってみたいと――那岐は想い、笑った。

「……いや、待て」

 一同が寝床に戻ろうとしたところで、ふと玲二が静止の言葉をかける。

「んー? どったのさ玲二くん」
「そろそろだ」
「そろそろって……ああ」

 玲二が手元の時計を窺い、他の皆もそれに気づく。
 もうあと数秒で、日付が変わる。
 待ち受けるのは――第十二回目の放送だ。

「せっかくだ。寝る前に元マスターの仕事ぶりを拝聴していくとしようか」

 全員、屋上で立ち止まり天を仰いだ。
 通例となった神崎黎人の声は、どこからともなく。
 停戦状態に近い今ではさして影響も少ない、極めて業務的なそれが。

『――十二回目の放送の時間だ』

 しかし、今回の放送は今までとはなにかが違った――。


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