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『東漢末年軍閥割拠形勢』という地図です。
『東漢』は『後漢』のこと。
日本では一般的に漢時代を『前漢・後漢』としていますが、中国史料上では『西漢・東漢』と分けています。
これは、最初の前漢の都が『長安』で、後漢の都が『洛陽』でした。西の長安・東の洛陽ということで、東西に分けたという訳です。
199年11月は、曹操と袁紹がぶつかる(官渡の戦い)直前です。
・北京
この色は現代のもの。地形も河(川・中国では水と表す)もかなり変わっていることがお分かりかと。
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三国鼎立の状況。
国力は、魏>呉>蜀。
圧倒的に魏が凄かった。
現在の動画はここを中心にしています。
ここは要衝の地と云われ、魏・呉・蜀が獲得する為に時には連携したり裏切ったりしながら激しくぶつかったところです。
- 麦城…関羽が最期に立て篭もった城。ここから脱出しましたが、呉兵に見つかり処刑されました。
- 赤壁…曹操軍vs孫権軍の舞台となった『赤壁の戦い』の場所。
- 夷陵…関羽が呉に討たれちゃったもんだから、怒り心頭の劉備が大軍を出して呉に復讐戦を挑んだ場所。でも、新進気鋭(っていっても既に30は超えてるが)陸遜によって大敗。その後、意気消沈しちゃった劉備は息を引き取る。
ここはごちゃごちゃしていて説明しにくい。
それほど密集していて、人材と経済力が豊富。
いわゆる、東京都の23区。
- 洛陽…国の中心地になるほどの大都市。しかし、それ故に時代の末期になると何かと災いが降りかかる。
- 許昌…曹操が腰を落ち着かせた場所。その北に官渡があるが、命運を掛けた戦いが曹操の喉下近くで行われたのだ。ここで、曹操が敗れていたら確実にこの辺りは袁紹の支配下にあっただろう。
- 穎川(えいせん)…文官エリート輩出の都市。荀彧や郭嘉などの出身地。
蜀の中心地。現在の四川。
- 剣閣…蜀末期。魏が攻め込んで来たのを姜維(きょうい)が必死になってここで防戦していたが、迂回した別軍により成都は陥落(劉禅が降伏)。
- 綿竹…蜀末期。諸葛亮の息子とその長男が(諸葛亮の孫)魏との戦いで命を落とした場所。
呉の中心地。現在の南京と上海周辺。
この辺りから南には呉の豪族がいて、これらを束ねることが呉の原動力となった。
- 盧江…周瑜の出身地。
- 寿春…偽皇帝様が最後に華やいだ場所。
西方の大都市長安。現在の西安。
周時代に中心都市となってから以降、時代の中心地の一つとして洛陽と並べられた。
- 五丈原…諸葛亮が北伐最中に病気のために没した場所。
- 街亭…諸葛亮の弟子と言われていた馬謖が魏軍に大敗した場所。この責により、馬謖は処刑された。その際に諸葛亮が涙した為『泣いて馬謖を斬る』という故事が生まれた。
おまけ。
諸葛亮の出身地。琅邪(ろうや)。
ゲームにおいて、ある一定の条件を満たし、この場所を検索すると……。
最終更新:2010年02月02日 11:25