万波中正

2000年4月7日生まれ 東京都出身
読み方は「まんなみ ちゅうせい」
2018年にドラフト4巡目指名。

小学生の時にリトルリーグで野球を始め、中学ではシニアで投手と外野を経験。
横浜高校では1年春からライトでスタメンを経験、県大会では4回戦で6番ライトで先発出場、タイムリーツーベースを含む2安打を記録。
夏の予選では初戦でフェンス直撃のツーベースを、3回戦でライナー性のセンターオーバーのホームランを放つ。(その後甲子園に出場も出番なし)
1年秋でライトのレギュラーの座をつかみ4番打者として2本のホームランを記録。2年春の大会より主に5番を務め、夏の甲子園では5番ライトで出場、
1安打を放ち、また投手として4番手で投げて最速146キロを計測も1回戦で敗退。2年秋は4番センターを務めるも県大会で敗退。
3年春は不振も夏の県大会で復調、県大会ではバックスクリーン直撃135m、レフト上段への143m(推定)のホームランを放ち優勝。
夏の甲子園に出場も14打数2安打と結果を出せなかったが、2回戦で観客が騒然とするバックホームを見せた。

19年3月3日のvsDeNAにて9番ライトスタメンで出場、打席では結果は残せなかったものの2回表の守備で好プレイを見せた。同年3月6日の教育リーグ(vsロッテ)にて実戦初ホームランを放つ、しかも外野は一歩も動けず。イースタン公式戦では同年4月12日の対ロッテにて途中出場ながら6回の第1打席ではレフトへホームランを放ち、9回の第2打席でもホームランを放った。夏に向けて徐々に好調となり高卒で1年目で10本塁打を放ち、同年8月13日に1軍昇格+対ロッテで即スタメン(9番レフト)出場。3-0で2三振とほろ苦いデビューとなった。
21年5月7日の対楽天にてプロ初打点をあげ、同年6月13日にプロ初ホームランを本拠地札幌ドームで放った。また同年のフレッシュオールスターに選出し、3番ライトでスタメン出場。最終打席でツーベースを放ち、また守備でも強肩を発揮し、最後の打者で新庄キャッチをした。
22年春季のオープン戦で5本のホームランを打つなど結果を残し、見事開幕登録メンバーに名を連ねた。23年も2年連続開幕メンバーに名前を連ねるとホームランを量産、5月の月間MVP受賞に貢献。その余勢を駆ってか同年のオールスターに選手間投票で選出、ホームラン競争では初戦敗退であったが1戦目のバンテリンドームでは途中出場ながらホームランを放ち敢闘賞、2戦目となるマツダスタジアムでは4番センターでスタメン、2打席目でホームランを放ち3打席でもツーベースを放ちMVPを獲得した。結果はホームラン王にはなることはできなかったが25本塁打は立派な数字である。またこの年のアジアチャンピオンシップに侍ジャパンとして選出、対韓国戦ではバックスクリーンにホームランを放ち、決勝戦では猛打賞と活躍した。またこの年ベストナイン&ゴールデングラブ賞を受賞した。
24年シーズンでは同年4月3日の対楽天において3番打者でホームランを放ち、全打席でホームランを放つ&エスコン通算100号を達成した。

エピソード

  • 190cm88kg、堂々の体格を誇る強打者の外野手。
  • 50m6秒2の俊足、高校では通算40本塁打を放った。
  • 家族はコンゴ人の父と日本人の母と姉
  • 中学時代には陸上部にも在籍、中1時に100m障害でと大会2位、中3時には砲丸投げで全国大会に出場した。
  • 暇さえあれば練習する練習の虫らしい
  • 平成生まれなのに登場曲がチェッカーズや工藤静香など昭和の曲を使用していた事もあった。
  • 吉田輝星がオリへトレード移籍が決まり、自身などを含めた5人でカラオケに行き、かりゆし58の「オワリはじまり」を歌い号泣していた

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最終更新:2024年04月03日 21:53