1965年5月8日生まれ 岡山県出身
読み方は「やぎ ひろし」
三菱自動車水島を経て
1986年ドラフト3位で阪神タイガースに入団。
1987年に初出場も翌年の1988年に1A・フレズノ・サンズに野球留学を経験
1989年6月にはそれまでサードを中心に外野手などもこなしたがショートを守る事も多かった。
1990年にはハイキャリアとなる28本塁打を放った(後述)。その後は
新庄などの台頭もあり出番も減少。
1996年には一度は戦力外になりかけたが吉田監督の助言もあり残留となる。その後は代打の成功率が5割となる時もあり、
「代打の神様」と呼ばれたこともあった。主力選手の怪我などで数試合は4番スタメンでの出番はあったが主に代打として出場。
リーグ優勝をしたら引退と公言していたが04年に現役を引退、引退試合はご子息が始球式を務め、8回に代打として出場しヒットを放つ。
9回には守備に登場して全て内野ゴロとして球を取った。
引退後は解説やパーソナリティなどを務めた後、09年より古巣の阪神にてコーチを務めて15年まで在籍。
16年より再び解説やパーソナリティとして活躍。22年10月24日に1軍打撃コーチに就任が発表された。
エピソード
- 90年のキャリアハイムランを放った時当時の中村監督に「ビックリ箱」とニックネームをつけられる。
最終更新:2022年10月28日 23:02