加藤貴之

1992年6月3日生まれ。千葉県出身。
2015年にドラフト2巡目指名。

小学、中学と軟式野球を経験。
拓大紅陵高校時代は2年生夏に県大会準優勝を経験、控え投手ながら主力級の1角として8試合中4試合の先発を任されていた。
卒業後は新日鉄住友金属かずさマジックへ入団、当時の監督から体作りの一環で内野手として登録、2年間体作りに励んだ。
3年目に投手へ転向、救援左腕として公式戦の登板を果たす。
都市対抗野球、日本選手権では中継ぎ投手として頭角を現し14年には都市対抗野球大会へ導く活躍をする。
この年の9月に日本代表として仁川アジア大会のメンバーにも選出されてプロにも注目されたがその後肘痛などもあってチームに残留していた。

宮西石井などの左腕ピッチャーのけがによる遅れや、オープン戦で実績を残したことからルーキーイヤーの16年、開幕1軍登録となった。
同年3月26日対ロッテ戦にて6回途中から登場、1四球を与えたものの7回途中まで投げて無失点デビューを果たす。 
有原のぎっくり腰や大谷のアクシデントなどもあり、同年4月9日の対楽天で先発デビューを果たすも2回途中で降板、ほろ苦い先発デビューとなった。
2度目の先発となった同年4月16日の対ロッテで6回まで投げ切り、パリーグ新人第1号となるプロ入り初勝利をあげた。17年シーズンは先発として登板。
18年シーズンは途中中継ぎに回ったことがあったが主に先発として登板した。19年シーズンでは1巡目を主に投げるショートスターター中心に登板していた。
21年シーズンは先発として登板、長い回も投げることをあり、同年10月18日の対楽天ではプロ初の完投を完封で飾る。22年シーズンは先発で登板、腰痛や7月にコロナ陽性で抹消になったものの、制球が良く特に四球が少なく与四球は11とシーズン最少与四球数記録を72年ぶりに塗り替えた。これもありBIGBOSSより23年の新球場開幕投手に指名された。
23年シーズンは開幕から2連敗も同年4月14日の対西武にて完封でシーズン初勝利をあげた。5月においては4試合で3勝負けなしで防御率0.30を残して自身初の月間MVPに輝いた。国内FA権を取得し動向が注目されていたが、同年11月11日に権利を行使せず残留を表明した。この年には監督推薦ながらオールスターに初選出、初戦のバンテリンドームで8回より登板し無失点。

エピソード

  • 182cm80kg、長身のスリークォーター左腕。
  • 新入団会見で「どのようなニックネームで呼ばれたいか」との問いで上原がケンちゃんと呼ばれていたとの回答に続き、「じゃあ僕も加トちゃんでお願いします」と返していた。
  • 大のテレビ好きで40インチのテレビを入寮時に持参する。アメトーークの大谷特集は既に3回リピートして見ていたそうだ。
  • 18年にぶらリサーチに宮西と共にロケ。北海道の初冬なのに薄着で参戦してファン宅でコートを借りた。
  • そのぶらリサーチロケにおいてパン屋で試食をした際、クリームを床に落としたり鼻につけたりして「クリーム王子」と化した。
  • 20年3月に1歳年上の女性との入籍を発表、しかも同い年の有原と同日の発表だった。
  • 22年のファンフェスで前衛的なきつねダンスを披露しMVPに輝いた。
  • 24年1月5日に23年10月に第1児の男児が誕生したことを報告。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2024年01月05日 21:11