1995年7月7日 ドミニカ共和国サン・クリストバル州パレンケ生まれ。
本名はフランミル・フェデリコ・レイエス(Franmil Federico Reyes)。
196cm、120kg。右投右打。
11年にサンディエゴ・パドレスと契約してプロ入り。
12年ルーキー級ドミニカン・サマーリーグ・パドレスにてプロデビューを果たす。67試合に出場、打率.267の4本塁打であった。
以降は
13年:ルーキーリーグ・パドレスとユージーン・エメラルズ(A-級)
14~15年:フォートウェイン・ティンキャップス(A級)にてプレー、それぞれ120試合以上の出場。
16年:レイクエルノシア・ストーム(A+級)にて130試合出場、打率.278で本塁打は16本だった。
17年:サンアントニオ・ミッションズ(AA級)にて135試合に出場、オフではアリゾナ・フォールリーグにてピオリア・ハベリーナズでプレー。
18年:エル・パソ・チワワズ(AAA級)で当初プレーも、外野陣の故障が相次いだ事から、同年5月14日にメジャー契約を結びアクティブ・ロースター入り。同日の対コロラド・ロッキーズにてメジャデビューを果たす。翌日には初安打を、同年5月21日に初本塁打をはなった。昇格降格を繰り返したものの、この年メジャーでは87試合に出場して打率.228の16本塁31打点をあげた。オフには右ひざの肉離れの手術を受けた。
19年シーズンは開幕当初はメジャーで迎えて27本塁打を放つも、同年7月30日にトレードにてクリープランド・インディアンス(ガーディアンズ)へ移籍となるが、10本塁打をあげた。以降は30本塁打をはなった時期もあった。
22年:同年8月6日にDFAとなり、同年8月8日にウェイバー公示を経てシカゴ・カブスへ移籍も、同年11月10日にFAとなった。
23年シーズンは同年2月15日にシカゴ・カブスとマイナー契約を結び、同年3月27日に開幕ロースター入りも19試合で打率.186と振るわず、同年5月8日にDFAに、同年5月11日にFAとなった。
24年1月8日にハムとの契約合意が発表。
同年2月18日の練習試合(対楽天)にて来日初ホームランを放ち、同年3月29日の対ロッテの開幕戦にて公式戦初ホームランを放った。同年5月13日には2軍落ちもあったが同年6月15日に再び昇格、同年6月22日にはあとホームランが出たらサイクルも放たれなかったが、エラーで全打席出塁となり来日初のお立ち台に立った(後述)。
エピソード
- 監督曰く「外国人選手の中では一番スイングスピードが速い」との事。
- パドレス在籍時代に毎週火曜日は日本食の日と決めており、入団会見では「毎週火曜日はヤキニク」と語っていた。
- ファーム落ちの際に声をかけてくれたのが福田光で「コウキ」と「モーレ」と呼び合う仲好し。
- その福田光が昇格した際にロッカーにも自らのタオルを貼り付けていたそう。そんな6/22のヒロインには自らのひざ上に乗せてリリーフカーに乗車していた。
最終更新:2024年06月23日 21:34