若林晃弘

1993年8月26日生まれ。東京都出身。
2017年にドラフト6巡目で社会人を経て巨人に指名される。

小学よりリトルリーグ、中学ではシニアリーグに所属していた。
高校時代は1年夏より投手としてベンチ入り(桐蔭学園)、その後は外野手、ショートとしてレギュラーとして活躍した(後述)。
大学は法政大学へ進学、2年時より二塁手のレギュラーとなる。4年秋時には打率.276の成績でベストナインに選出された。
その後JX-ENEOSへ入社し、1年目よりレギュラーとしてとして二塁手で社会人大会にも出場した。
2年目には補強選手として出場した大会で満塁ホームランを放ったり、この年、第28回BFAアジア選手権の日本代表として出場した。

巨人入団後、ルーキーイヤーの18年5月12日(対中日)に初出場するとこの試合を含め17試合に出場して1安打を放った。
19年シーズンは死球で登録抹消もあったが、内野手の故障や不調もあり交流戦直前に再昇格、17試合に出場し一時は打率が.441を記録するまでになった。シーズン全体では内野外野全てを守っていた(58試合で二塁/17試合で三塁/6試合で外野/2試合で一塁/1試合でショート)。
20年シーズンは開幕直後は1軍だったものの7月に抹消、8月に再度昇格後は1軍に帯同、前年度と比較すると外野での出場が増えたが日本シリーズでは4戦目で1番ライトで先発出場した。
21年シーズンはオープン戦で好調だった為、開幕戦では2番セカンドとして出場を果たした。新型コロナに罹患やけがもあったが、この年は96試合に出場した。
22年シーズンは開幕1軍も5月に登録抹消、その後右手血行障害の手術を受けた事が判明、8月17日に3軍の試合で実戦復帰、その後1軍メンバーに故障者が出た為に昇格、その後はシーズン終了まで1軍帯同した。
23年シーズンは若手の台頭もあり、主に2軍を主戦場としていた。

24年3月11日に郡拓也との交換トレードでハム入りが発表、翌日の12日に入団会見+その日のうちにオープン戦(対広島)では4番セカンドでスタメン出場となった。

エピソード

  • お父様は元大洋ホエールズ(当時)の憲一さん(内外野の経験あり)。また幼少期には既にお父様とキャッチボールや野球の練習をしていた。
  • 高校時代に地方大会にて元ハムの井口と対戦経験がある。

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最終更新:2024年03月13日 21:17