宮台康平

1995年7月1日生まれ 神奈川県出身
2017年にドラフト7巡目指名。

小学生から軟式野球を始める(中学生まで)。
高校時代では当初は投手と外野手だったが、2年の時に当時の主戦投手の故障離脱がきっかけで投手に専念。
またこの年の秋には神奈川県選抜に選ばれてスリランカへ遠征した。最高は県大会ベスト8(甲子園出場はなし)。
東京大学文科1類に現役で合格(後述)へ進学後は、1年秋よりリーグ戦に出場して救援で6試合に登板。
2年秋には先発1番手を任されて1勝1敗の防御率2.17の4位と投手十傑入りを果たす。
3年春の東京大学六大学野球春季リーグ開幕戦の対早稲田大で毎回13奪三振をマークして1946年秋に山崎論さんが達成した
1試合最多12奪三振の東大記録を70年振りに塗り替え、その年の日米野球の日本代表に選出(33年ぶり)された。

18年春季キャンプは国頭スタート、腰痛を発症して出遅れたが同年3月24日のイースタン公式戦(対DeNA)に2番手として登板、1安打を打たれるも2三振でデビューした(後述)。
同年4月30日のイースタン公式戦(対DeNA)で初先発、5回を内野ゴロの1失点に抑え、2軍公式戦初勝利を挙げた。その後は先発として調整等を続けて同年8月23日に昇格して同日の対ソフトバンクで初先発、勝ちはつかなかったものの先発の役割を果たすも、股関節を痛めてファームでリハビリでシーズンを終える。同年10月10日のフェニックスリーグ(vsハンファイーグルス)で復帰。その後は主に2軍暮らしが続いて20年11月25日に戦力外通告を受けた。育成で再契約かと報じられるも同年12月7日のトライアウトを受験、ヤクルトで支配下で契約となった。

エピソード

  • 178cm84kg、バランスの取れた最速150キロ左腕。
  • サンデーモーニングで金やんに褒められていた。
  • 東京大学出身選手で選出されたのは04年の松家以来で13年振りで、法学部からの指名は初である。
  • 大学の1年上の先輩でバッテリーを組んでいた喜入友浩はTBSアナウンサー。
  • 同期のこの人とは「まずは話をしてみたい」。
  • 鎌ヶ谷での施設見学にて、実際に同期のこの人に会った感想は「好青年だった」。
  • 18年3月23日の東京大学の卒業式は翌日の登板を優先させて欠席、事前に帽子とマントをレンタルして写真撮影を済ませていた。

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最終更新:2020年12月13日 22:07