1991年7月6日生まれ ドミニカ共和国サンペドロデマコリス出身
本名はBryan De Jesus Rodriguez
196cm 81kgの右投右打大柄投手
2010年にアマチュアフリーエージェントにてサンディエゴ・パドレスに入団。
以降メジャー昇格はなかったものの、通算150試合(うち先発126試合)で39勝59敗、防御率4.43の成績を収める。
17年12月8日に契約合意。
18年2月18日の沖縄での練習試合(vs阪神)では3回を投げて無失点、同年3月4日の
オープン戦(vsロッテ)では3回を投げて7安打2四死球4失点(自責2)であった。
有原の右肩炎症もあり、同年3月30日(対西武)の開幕投手に選出(後述)されるも3回途中で6連打を浴びてKO、9安打8失点とほろ苦いデビューになった。
その後は1軍で2度ほど登板の機会もあったが登板後は2軍行きが続く。2軍で先発として修業を続けて同年8月24日で再び昇格。同年8月28日の対オリックスで先発、5回で降板も味方の援護などもあり来日後1軍初勝利となった。
19年春季キャンプではアリゾナ組に選出もビザの関係で国頭スタート。開幕してからはほぼ先発ローテーションの1角に。その後は先発だけでなく、途中からはロングリリーフなどをこなした。同年10月18日に1年契約を締結。
20年シーズンも活躍が期待されているが同年5月の自主練習中に左ひざを痛め、同年6月11日に左膝軟骨除去手術を受けて当初は試合復帰まで6週間と言われていたが、リハビリが長引いて試合復帰が10月にずれ込み、1軍昇格したのは同年10月20日で即日の対ソフトバンクにて復帰登板、去就が注目されていたが同年11月16日に契約延長で合意が発表。
21年シーズンは新型コロナの影響で来日が遅れ、同年4月4日にやってきて隔離期間を経て、同年4月22日の対ロッテにて2番手で登板、ピンチを迎えるも抑えた。主に中継ぎ勝ちパターンで使われることも多く、同年11月10日に1年の契約延長が発表された。
22年シーズンも主に中継ぎとして活躍、同年11月1日に1年間の契約延長。23年シーズンも中継ぎで登板、今後についてどうなるかとなったが24年シーズンも1年間の契約延長が発表された(後述)。
エピソード
- 大柄のラテン系選手にしては珍しく制球力があり大崩れが少なく、角度のあるボールを内外に投げ分けるシンカーでゴロを取るスタイルである。(監督評)
- 開幕投手の通達は例年の手紙ではなく、3月27日に直接監督室に呼ばれて通達された。
- 外国人投手の開幕投手は05年(03年にも経験)ミラバル以来13年ぶりのことである。
- なぜか宮西を「シショウ(師匠)」と呼んでいる。
- 契約期間についてはミラバルとオバンドーを抜いた7年と、移転後球団史上最長期間となる7年となる。
最終更新:2023年12月25日 21:22