黒き十字架(前編) ◆gry038wOvE



 いつきたちはあれから数分、安息の時間をとっていた。
 これからの戦いのために力を温存するため、そして、アインハルトの目の覚めるのを待つため、今は森の中で腰を休めている。

 先刻の戦闘からアインハルトの目覚めまでの僅かな休息ではあるが、彼女らはそこで普段よりもずっと早く、体と心を落ち着かせようとしていた。
 体は先ほどより少しマシになったが、まだ心が落ち着くには少し時間がかかりそうだった。
 まあ無理もない。あれだけ惨酷な現場を彼らは直視したのである。
 知り合いであったはずの人間たち、ここで知り合いとなった人は、次々と死んでしまった。
 三人とも共通して、そんな悪夢を見てきたのである。


 反面、これ以上の犠牲をなんとしてでも阻止したいという願望、目の前にある命を絶対に救うという決意も確かに二人にはあった。
 運命は彼らを仮面ライダー、そしてプリキュアにし、彼らはその力の使い道を、正しく守ることができる心を生まれつき持っていたからだ。



 そんな善人たちには、あまりにも酷い仕打ちとも言うべき不幸がある。
 いつきは知る由もないが、このエリアで、彼女と同じ力を授かった仲間が土の中に埋まっていた。
 その少女の墓は、彼女たちが休む現在地からも、そう離れてはいない。そのうえ、あの戦いは彼女たちが休む一時間ほど前の出来事である。
 ────場合によっては、いつきはその少女を救えていた。
 そして悲しくも、彼女はその可能性に気づくことはできなかった。
 また、その少女がいつきの名を呼んでいたことにも、いつきは気づかぬままだった。

 あの時、この付近には本来、お互いを知り合う四人のプリキュアが集っていたのだ。

 明堂院いつき、来海えりか、月影ゆり、ダークプリキュア

 彼女たちは、互いに背を向け、互いに気づかずに戦っていた。互いの姿や、互いの想いさえ知ることなく、それぞれの敵だけを見て──────。



 そのすれ違いの犠牲となった少女が、ここから百メートルも離れていないところで永遠に眠っている。


 いつきは、まだ「来海えりか」が生きていると信じている。いや、信じているというよりも、えりかが死んでいるということを考えてもいないのだ。
 そんな惨酷な経験が、まだ襲い掛かってくるなど、彼女は思いもしない。
 よく考えてみれば、このバトルロワイアルが開始してから、五時間余りが経つが、彼女たちは、なかなか多くの出来事を経験した。えりかの死とも関係なしに、色々なことがありすぎた。



「…………随分長い時間、ここにいたような気がする」



 不意に、いつきが呟く。
 プリキュアや、その敵たち以外にもああして変身して戦う者がいるなど、いつきは知らずに生活していたのだ。ゆえに、ここでの出来事は驚きの連続であった。
 知り合った人たちが目の前で死んでいくことも────


 多くの経験が、彼女の感覚を麻痺させる。
 ここから来て、何時間? ────そう言われても、すぐには答えられない。そんな短い単位だったのか。もう何日もここにいて、既に日常なんて手が届かないほど遠くにあるような、そんな感覚であった。
 短い時間で、色々と悪い経験をしすぎたのである。
 何日も戦ったかのような疲労感もあるし、体にはまだダメージが残留している。



「沖さん……」



 そのうえ、二人は心の中で、あの男────本郷猛がこの場にやってくるのを少しだけ期待していた。
 だから、彼が帰ってこない時間の存在が、彼らを再びネガティブの渦に引き寄せる。
 アインハルトが目覚める時まで、二人はそうして目立った喜びもなくすごしていく。



「正直に言うなら、俺もだよ。今までも命をかけるような戦いはあったけど、こんなに酷いことは無い」


 黙っていた沖も、呼びかけられたことで反応する。
 この時間軸の沖にはまだ、バダン・シンドロームの悲劇はない。今まで以上に、日常的に辛い戦闘に明け暮れるのは、もう少し先の話だったのだ。
 とはいえ、一年間のドグマ、ジンドグマとの戦いや、あの宇宙での戦いもいまだ忘れてはいまい。
 玄海老師や弁慶の死だって、いまだ心に残っているし、先ほど、ついに先輩ライダーの一文字隼人や本郷猛に背を向けて去った。忘れるわけがない。


 本郷や一文字は無事だろうか?
 …………本郷については割り切る必要があるとしても、一文字は結構な重傷を負っていたがあの時点で何事も起きていない。あの後、何か交戦をしただろうか。彼ならば、本郷のように無茶をするだろう。
 不意にその先輩のことが気にかかる。
 これから先、ソレワターセとなったスバルが、もし彼に襲い掛かれば…………。
 せめて、再び彼と見えれば、どうにかノーザやアクマロにも立ち向えると思うのだが。

 そんなことを考えている最中、いつきがアインハルトの方に目をやった。



「アインハルトも随分辛そうに眠っています……」

「ああ」



 ここで眠っている彼女の姿は、決して安らかではない。苦汁に満ちた、今までこんな不安そうに寝る人間など見たことのないというほどの、寝顔である。
 この殺し合いの中では、現実を直視せずに眠っていることが幸せなのかもしれないが、彼女の場合は辛い現実を夢の中でも見ているようだ。


 …………そう、ここに来た人間には、幸せなどない。たとえ殺戮を好む悪鬼であっても、この狭い枠の中で飼われることが本当に幸せだろうか。


 せめて、沖はここにいる二人だけは絶対に守らなければならない。たとえ生きることが苦痛であっても。
 先ほど、無力にも救えなかった命たちを思い起こせば、その辛さがよくわかる。
 高町なのは鹿目まどかなどは、かなりの年少者だったというし、本来沖よりも長く生きるべき人間だったはずだ。
 それに、沖よりもずっと長く戦ってきた本郷ですら、それを阻止できなかった……。
 それを考えると、沖も思考がやや陰性に偏る。



「……さっき、君には許してもらったけど、いまだに、俺がもう少し早く来ていればもしかしたら……と思うんだ。彼女はきっと、知り合った人たちの死を経験せずに済んだ」

「そんなこと……! それに、沖さんだって本郷さんを……」



 本郷のことを、いつきが口にし、慌てて口を閉じようとした。
 彼はまだ、死んだと確定したわけではない。どういう形であれ、生きている可能性は0パーセントではないのだ。
 沖ももしかしたら、まだ本郷の生存を信じている可能性がある。そう思えば、いつきの言葉は軽はずみすぎたといえる。
 しかし、沖はいつきが口を閉じたことさえ気づかずに、その言葉へ返答した。



「いや、あの人には死に対する覚悟があったよ。だから、俺はあの人が死んだって、悲しんではいられないんだ」


 仮面ライダー1号、本郷猛という男のことは彼も忘れまい。
 ショッカーなどという何年も前の組織の改造人間であるがゆえ、そのスペックはスーパー1を含む後のライダーたちの劣るはずなのだが、本郷という男は沖の目にも最強に見えた。
 本郷や一文字は、後輩ライダーたちには名実ともに尊敬の対象となるほどの力を持っていたのだ。
 本来ならば新たな組織の改造人間が襲い掛かれば、いつ死んでもおかしくはないとも言えるのに、彼らはそれを圧倒的な経験と学習能力でカバーした。


 もしかしたら、沖たちが去った後だって、あの体でノーザたちを打ち破っているかもしれない。
 それを本気で信じられるほど屈強な人間だ。
 しかし、……沖たちがこれほど待っても沖たちを追ってこないということは、きっともう彼はいないのだろう。



「本郷さんは、俺の先輩だったし戦友だった……けど、ショッカーに改造されてから、何度だって死ぬ可能性があった人だ。
 だから、残される俺たちにも、彼が死んだ時に、それを受け入れる覚悟くらいは持ってる。
 俺が死ぬ時も同じだ。俺が死んでも、他のライダーたちはその分だけ平和のために戦い続ける。そういうもんなんだよ、仮面ライダーって」

 仮面ライダーという戦士には、少しドライな部分があった。
 プリキュアとは違い、普段の戦いがあまりに殺伐としすぎていたし、時には親しい人の死をも経験した。
 そして、時には自らの死を望む者も現れたし、本郷などは味方のライダーを生かしてしまったことを後悔したこともあるという。死を覚悟して戦うのが常だった。
 だから、彼らは仲間の死を僅かだけ悲しみ、すぐにその気持ちを捨て、その屍を越えて次の敵を倒さねばならないのだ。
 とはいえ、そういう話はいつきのような少女には重すぎると考え、沖は自分の言葉に対するフォローを咄嗟に行う。



「……まあ、正直言えば俺はそういう気持ちが、他の先輩ライダーと比べれば弱いかもしれない。
 俺はまだ、本郷さんの事を信じている。……そういえば、ここに来る前も一文字さんに怒られたんだっけ」



 沖一也が他のライダーと決定的に違う点は、「自ら熱望してライダーとなった」ということだろう。
 たとえば、同じように望んでライダーになった風見志郎も、その根底には近親者を殺したデストロンに復讐するという悲しい理由があったし、何より生命を維持するためにライダーとなる必要があった。
 他のライダーは皆、改造人間となることを躊躇いながらも、そうするしか道のなかった者、気づけばそうなっていた者たちだ。
 一方、沖は宇宙開発のために改造人間になった。

 ゆえに、他のライダーと違い、戻る場所が幾らでもあるし、人間に戻りたいという気持ちもさほど強くない。むしろ逆に、このまま人類の未来のために従事したいというくらいだ。
 ────他のライダーに比べると、付きまとう悲劇は薄いのだ。
 裏切りの報復で、無条件に命を狙われることもないし、いつだって運命から抜け出せる可能性がある。そして、改造人間として死を恐れる気持ちも他に比べれば薄いのだ。



「それでも、やっぱり俺は本郷さんのために、彼が死んでいても悲しみはしない……そう、悲しまないつもりだ。それに、彼ならばまだ生きている可能性は少なからずある。
 しかし、君たちはもう、ここで知り合った仲間を喪った、悪鬼に変貌させられた。
 それは、君たちのような子供たちが、受けていいような苦痛じゃないんだ…………!」



 沖はジュニアライダー隊や、マシムという少年の事を思い出す。彼らは沖が未来を託す子供たちだ。
 自分たちが開いた宇宙を、彼らが感じて欲しい。彼らの世代がより役立てて欲しい。
 月の先になにがあるのか、彼らに、彼らの子に、更にその子供たちに、その目で見て欲しい。
 そういう思いが沖の中にはあったはずだ。
 だからこそ、子供たちまで巻き込み、こうして傷つけたこの殺し合いは許せなかった。


 仮面ライダーが味わうような苦しみを、子供たちが耐えられるはずはない。
 いや、味あわせてはならない。



「俺は、仮面ライダーの誇りと人類の未来にかけて、君たちを是が非でも守ると誓った……。だが、先ほどの戦いでは高町なのはや鹿目まどかという女の子も犠牲になったと聞いて、やっぱり俺はそれを果たしきれなかったんだと痛感したよ。
 その時、ここに来る前に聞いた一文字さんの言葉を思い出した。一文字さんは道草しようとした俺に、────こうしている間にも罪のない命が次々に犠牲になったらどうする? って聞いたんだ」



 あの時の一文字の言葉が、今は重く圧し掛かる。
 まさに、沖がたどり着く数分前に何人もの命が奪われたのである。

 沖がもっと早く、一文字の言葉を聞いていれば。


 あの時はもしかすれば、鎧の戦士と戦う一文字にギリギリで加勢できたことから、少し浮いた気分になってしまっていたのかもしれない。
 サイクロン号のスピードをもっと高めれば彼らの元にもっと早くたどり着けたかもしれない。
 ────そんなありもしない可能性が、ひたすらに沖を攻め続けた。


 本郷、一文字。二人もの偉大なライダーに会いながら、沖は傷ついた二人に背を向けて走ってきた。
 それも一人に対し一度ずつ、計二度だ。
 その行為が結果的に、二人の少女を救ったのは確かだが、今も彼らが生きているという保証は…………ない。



「…………俺の無力だったんだ」

「やめてください!」



 いつきが、力強く言う。その怒声にも近い言葉に、膝の上のアインハルトはいつきの動かすままに揺れた。
 流石の沖も、ピクリと反応する。



「僕だって、あの場で戦っていたんです! 僕だって、もっと強ければ、みんなを救えたかもしれないんだ!
 一也さんが自分を責めるたび、僕も自分を責めてしまうんです! だって、僕も…………プリキュアの力があるのに、友達を救えなかった……それは、同じなんです」

「…………そうか、すまない」



 沖は、いつきに言われて素直に反省する。
 冷静に返してはいるが、その言葉は沖にとっても稲妻のような衝撃を走らせたのだ。


 そうだ、彼女は違う。


 ……沖はどこか、いつきをただの少女のように思っていたが、そういえば彼女は違うのだ。
 彼女は、プリキュアという特殊な力を持つ少女────ゆえに、ただ一方的に守られる存在ではない。
 だから、あの場でも100パーセント無力というわけではなかったのだ。力を有し、その結果、本郷に任せてその場を去ってしまった。
 それは沖と同じで、沖が自分を責めることは、彼女を責めることにも繋がるのだった。
 その辺りを、沖はどこか誤解していたように思う。


 力があるのに救えなかった……と自分を責めるのは、驕りだったのだ。
 そう、「多くの人が変身能力を有する」というこの場では……。



「もう自分を責めるのはやめることにするよ。君も傷つくなんて、気づかなかったんだ」



 沖は言いながら、その表情を笑顔に戻そうとする。
 不器用な笑みだったが、この方が断然いいのだろう。いつきも少し安心したようだった。



「…………っ…………………」



 その時、いつきの膝元で小さな声があがった。
 同時に、その膝元の頭が小さく動き出す。アインハルトはどうやら、お目覚めのようだ。
 ちょうど足も痺れてきた頃で、ちょうどよかった。
 しかし、同時に、彼女が再び現実に戻らなければならないのは忌むべきことでもあった。



「…………起きたみたいだね」



 沖は初めて、アインハルト・ストラトスの紫と青の目を見ることとなった。
 だが、悪夢から覚め、現実を見つめるときの彼女の姿は、決して美しくは見えなかった。





★ ★ ★ ★ ★






 ダークプリキュアは、キュアマリンとキュアムーンライトによってつけられた僅かな傷と、その骨身に沁みた疲労感を弾かすために、木にもたれて思考していた。
 放送までは、目立った動きをする気は無い。
 とりあえず放送で、死亡者のペースを把握しておき、無駄な交戦をどの程度省けるのかを考えておきたかったのだ。
 少なくとも、現時点でダークプリキュアは死亡者がいることを知らない。
 既に、ここに来て五時間が経過しているが、誰かが来るということはなかった。



(キュアムーンライトは今も仲間を集めているだろう……)



 ダークプリキュアは、キュアムーンライト────月影ゆりのこの場での真意など知る由もなく、彼女は当然、今もキュアマリンと一緒に行動し、加頭に仇なし続けているものと思っていた。
 彼女が既にダークプリキュアを妹と認識し、ダークプリキュア自身も知らないその死に様を見つめていたことも、サバーク博士の死も、ゆりがいまダークプリキュアのことを想っていることも、彼女がダークプリキュアを含む家族のために戦っていることも彼女は知らない。


 キュアムーンライトが仲間を集めていくと厄介だ。
 無論、何人でかかろうともダークプリキュアはムーンライトに勝利するつもりではいる。
 だが、プリキュア四人が揃い踏みするようなことがあれば、やや苦戦を強いられることとなるだろう。
 望むべくは、キュアムーンライトの打倒であり、他の相手はオマケに過ぎない。先ほどのようにオマケにでしゃばられては色々と面倒だし、興も削がれる。



(なるべく早く奴を倒さなければ……)



 ダークプリキュアは、自分の体が着々と治癒されているのをその身に感じると、同時に焦りを感じ始めていた。
 このまま放っておいては、誰にも邪魔されずに望む形で戦い、そして勝利を得ることはできない。
 ゆえに、放送までの数十分の余裕を、再び移動に使い始めた。
 無論、無駄な戦闘は避けるため、極力その身を隠すつもりだ。



 ……しかし、行動を制限するように日の光が強くなり始めている。
 いくら山中とはいえ、光の中ではダークプリキュアの黒は目立つのだ。
 早朝が、放送が近付くにつれ、目立たぬ行動というのは難しいものとなる。



(まあいい……邪魔が入れば倒すだけだ)



 ダークプリキュアは、キュアムーンライトを倒したとしても、サバーク博士の下に帰らなければならない。そのためには、優勝という目的は必須となるのだ。
 ゆえに、どこかしらで姿を見られれば、その相手はダークプリキュアの圧倒的な能力をもって撃沈させる。
この行動は、省きようが無い。
 多少エネルギーを使うことにはなるだろうし、勿体無いとも言えるが……それでも、やはり仕方がない。



 彼女は、さきほど戦闘を行った方へと歩みを進め始めた。
 キュアムーンライトの居場所を探るのなら、やはり彼女が少し前に居た場所からヒントを得ることだろう。
 ダークプリキュアはそのまま、然とした表情で胸を張って歩き始めた。





★ ★ ★ ★ ★





 視界に現れた男性と、変身を解いて落ち着いたいつきに、アインハルトは戸惑いを覚えた。
 もう戦いは終わったのだろうか。だとすれば、どういう風にして終わったのか。
 自分は、あの場で気絶したはずだ。
 その先、何があったのだろう。
 死んだのではないのか。
 あの激戦の中、意識を失ったはずの人間がどういうわけか生き残ってこんなところにいる。
 敵が甘くも、あんな中で意識を失った人間を、見逃してくれたというわけではないだろう。
 なら、誰かが助けてくれたのだろう。助けてくれたのは誰だろうか。

 …………間違いない、眼前の二人だろう。

 では、流ノ介は、本郷はどこへ行ったのだ?
 聞きたいことはやまほど浮かぶ。見える景色も全て違うし、知らなければ情報が多すぎる。それを聞くために、まずは、目に留まった話しやすい相手に声をかけた。



「…………いつきさん?」

「良かった……あのまま、目覚めないんじゃないかと思ったよ」

「…………あの怪物は? それに、この人は? 本郷さんは!? 流ノ介さんは!? 状況を説明してください!」



 いつきはアインハルトに聞かれて、口を出すのを躊躇う。渋った表情、目を反らす。
 それは、全てが悪い終わりを迎えてしまったことを、暗に示していた。
 ここにいる二人以外は全員もうこの世にいないのだと、アインハルトは理解した。

 まどかは、なのはは、流ノ介は、本郷は、………………やはり死んでしまった。

 目の前で見た二つの死を思い出し、流ノ介や本郷も同じように惨酷に死んだのではないかと、悪い想像を膨らませてしまった。
 いつきは答えていないのに、彼女の答えを待たずにアインハルトは思わず呟く。



「…………そんな」



 流石にアインハルトはショックを受けた。
 そう口にするしかないくらいのショックで、それ以上何を聞けば良いのか、彼女はわからなかった。まるで再び眠りに落ちそうなくらい、頭を垂れて表情を暗がりに落とし、彼女はそれから黙りこくった。
 悲哀と後悔に満ちたアインハルトの表情は、本来の整った顔立ちを忘れさせる。頬が歪み、この一瞬で少しやつれたのではないだろうか。


 いつきは、もう少し元気に接すれば良かったんじゃないかと、一歩手前の自分の行動を後悔する。
 どちらにせよ、いつかはこの事実を知ることになったのだろう。ただ、タイミングが悪かったのだ。
 彼女が真先にこれを聞くのだろうと察してはいたが、その時に誤魔化す術を知らなかった。
 自分がもっと、人を慰めることが巧みだったのなら……もっと、嘘が得意だったのなら……。


 しかし、そんないつきの肩に、沖の手が乗る。いつきの心中を察し、沖は自分が前に出ようとしたのだ。
 沖のその目は、いつきを少し和ませた。



「俺は、沖一也。本郷猛の戦友だ。……彼に、君たちを託された」



 沖はそう言って、アインハルトに挨拶をした。必要な情報はまだ幾らでもあるのだが、彼女を安心させるための自己紹介だ。ゆえに、仮面ライダーのことについても多くは語らない。
 ただ、少しでも彼女に和んでもらおうとしたのである。根本的に何も解決していないのだが、まずは話題を陽性の方に向けるべきであると思っていた。



「アインハルト、この人が僕たちを守ってくれたんだ」

「よろしく、アインハルトちゃん」



 反面、アインハルトは、初見である沖に警戒を示した。
 この場では無理もないが、おそらくか弱いと見えるいつきやアインハルトに一切の手出しを加えていないことから、彼が強い殺意を持ってはいないと、すぐにわかった。
 いつきとアインハルトに対する態度も優しげで、風貌はいかにも好青年という感じで、顔には一変の悪意もない。
 しかし、彼女が今不信感を抱いているのは、そんなことではないのだ。
 どんな善人でも、今のアインハルトの不安は「自分が裏切られて殺されること」とは全く別次元にあった。
 ここでの経験は、彼女にこんな考え方を植え付けていたのである。



 ────この人も、もうすぐ死んでしまうのではないか



 そう、彼女はここに来て、関わった人間が続々と死んでしまう経験をしたのである。いつきも同様だが、アインハルトは彼女以上に悲惨な経験をしていたといえる。
 ここに来て最初に出会った仲間は、もう二人ともいない。
 次に出会った流ノ介も死んでしまったし、なのはも死んでしまった。


 そのうえ、元の世界での知り合いのスバルはあのような状態になってしまう。
 元の世界で慣れ親しんだ人も、ここで出会った人たちも多くが死んでしまったのである。



(優しそうな人だけど……)



 ヴィヴィオや、フェイトや、ユーノや、ティアナや、いつきだも、沖だって死んでしまうんじゃないか。そんな悪い予感が止まない。
 沖の目が優しげであればあるほど、余計に恐ろしいのである。一瞬で、彼の善意を理解できてしまうだけえに、自分などと関わらせてしまったことが不幸であるように思えた。


 彼女は、そういう意味で誰より人間不信だった。
 人間の心が信じられないのではなく、人間の命が信じられなかった。
 そして、自分自身の運が信じられなかった。



 目覚めた時、────あるいは、なのはやまどかの死を前にしたとき、彼女はそういう考えを持ってしまった。



 この人たちも、また自分の目の前から消えてしまう……。
 そんな悪い未来が、容易に想像できてしまった。
 全てが自分のせいだと思いつめ、明るい未来を信じることができない。


 ────だから、アインハルトが沖に対して最初に投げかけた言葉は、謝罪だった。



「…………ごめんなさい。私と関わらせてしまって…………」

「え?」



 そう言って困惑する沖といつきをよそに、アインハルトは覚醒した脳や体を駆使して立ち上がる。
 そのまま、アスティオンと支給品を見つけて腕に抱えた。彼女はとにかく、この場から立ち去ろうという意思を持ってしまった。
 その動作から、沖は本能的に、彼女が次にとらんとする行動を理解する。彼女の真意は知らずとも、彼女がここから立ち去ろうとしているのを警戒したのである。
 いつきは呆然としているが、沖だけは構える。



「私、何かある前に出て行きますから……助けてくれて、本当に、ありがとうございました…………」



 申し訳なさそうに頭を垂れると、すぐに彼女は、二人の前から逃げるように

 ────走り出した。

 むしろ、自分が逃げようというよりも、彼らにこそ逃げて欲しい、避けて欲しい、近寄らないで欲しい、関わらないで欲しい、と思っていた。
 そうしてくれれば、きっと誰も傷つかなくて済むような気がしたのである。
 幸いにも、沖などは今一度言葉を交わしたのみで、深く関わりあうことはなかったし、今自分が逃げていけば間に合うような感じがした。
 そうして、アインハルトは泣きそうな思いで足を前に踏み出していく。


 しかし、傷だらけの体が、思ったよりも重かった。寝起きで脳が揺さぶられるような感覚になったのも一因だろうか、その動作は普段の彼女に比べてぎこちなかった。


 ズキ。


 逃げおおせようという彼女の策略は見事に失敗する。走ろうとすればするほど、自分の体に鞭を打ち、思うようには走れない。
 全力とは程遠い、無作法な走り方で、前のめりに倒れかけながら、進んで行く。
 歩いているのと、何が違うものか。
 見ようによれば痛々しい。早歩きですら、追いつけるようなよろよろとした走りに、沖は全力で追いつこうとした。────一刻でも、早く。



「……待ってくれ! 逃げなくたっていいんだ!」



 沖がすぐに、そんなアインハルトの体を捕まえ、その顔を自分の方に向けた。
 彼女の虚ろな瞳を見て、彼女の目に生気がないことに、沖は気づき、思わず絶句する。
 彼女は逃げたのではないのだ。それがわかってしまった。
 …………これは、必死で生きようという気持ちの人間の目ではない。
 しかし、この目を見るのなら、疑われる目を向けられる方が遥かにマシであった。


「どうしたんだ? アインハルトちゃん」

「…………私と関わると、いつきさんや沖さんも…………」



 沖はその時、彼女が失ったものの大きさ、そして少女の性格にようやく気づく。
 彼女は、沖が思っている以上に立派な少女だったのだ。
 あの戦いで失われたものを悲しむ以上に、その根源に自分があるのではないかという自己嫌悪を持っている。彼女はよくも悪くも責任感が強いのだ。
 自分と関わった人間ばかりが多く、死んでしまう…………その原因が自分にあるのではないかと、彼女は思い込んでしまっている。
 アインハルトと関わったから死ぬなど、そんなことはあるはずがない。
 ただ、彼女は混乱しているだけなのだと、沖は思っていた。



「……アインハルトちゃん、少し休むんだ。これまでのことをちゃんと話す。だからここにいるんだ」

「沖さん!」



 いつきは思わず、沖に怒鳴りかけた。
 本当のことを話せば、余計に傷つくだけなのだと思ったのだろう。
 本郷はアインハルトやいつきを逃がす時間を作るためだけに体を張った。……そのことを話して、綺麗に収まるだろうか。



「アインハルトちゃん、俺たちはまだ生きてる。これから死ぬ気もない。
 それに、俺はこれからも君たちの傍にいるつもりだ。だから安心してくれ」



 アインハルトは、沖の言葉に心を動かされた様子もない。
 ただ、捕まってしまった以上、もうここから立ち去ることはできないだけだ。
 沖に促されるまま、先ほどの場所に戻ろうとする。





★ ★ ★ ★ ★





 いつきも、同じように彼らについていこうとした。
 何ただの気なしに、ただ彼らと離れてはいけないと思ったからで、大きな理由もない。当然の行為で、いちいちその行動を詳細に語る必要もないような行動だ。
 だが、その行動をする際、一瞬だけ────彼女は何か、「彼らについていくこと」を躊躇った。



『いつき』


 いつきは、後ろを振り向く。
 今、誰かが呼んだような気がしたのだ。
 耳に聞こえたのではないし、誰の声ともわからない。
 ただ、文字が頭に浮かんで、それを何となくだけ「誰かに呼ばれた」と感じた。
 不意に、背後を見る。声に方角はなかったのではっきりとはわからないが、後ろから聞こえたような気がしたのだ。



(気のせいかな……)



 しかし、それを無視してはならないような気がした。
 そう、これを無視したら、この不思議な呼びかけに二度と応じられないような……。
 そんな、不思議な気持ちがいつきの胸を刺す。


 沖とアインハルトは、いつきのこの様子に気がついていない。まあ、それどころではないのだろう。
 それを好機とばかりに、いつきはそこで立ち止まった。
 それでも、後ろに向かっていくことはしない。流石に不自然な動きになってしまう。




(さっき休んでいたところから数歩しか歩いていないのに、景色が違うみたいだ……)



 何故、アインハルトの逃げた方角に進んでいって、そういう感想を抱いたのか、わからない。
 どうしてだ。
 ここは見たこともない地だし、おそらくここに来たことを忘れたわけではない。
 ただ、この地と関係なく、この地には懐かしい何かが残留している。
 まだ消えていない何かが、いつきに感慨深い思いをさせる。
 なにがそうさせているのかはわからないが、それはとても大事なことなのである。



『いつき』



 また、そんな呼びかけがいつきの脳裏に浮かぶ。
 そして、立ちすくんだまま、彼女はそこを動けなくなった。
 この呼びかけで二回、いつきはその名が呼ばれるのを感じたことになる。
 いつきが気づいてくれるまで、彼女は何度も呼んだのかもしれない。これは二度目でなく、十度目くらいであるとも言い切れない。彼女が、どれだけ必死にいつきを呼んでいるのか、それをいつきは感じた。


 いつきは何も考えずに次の呼びかけを待った。
 名前を呼んだということは、何か用件があるということで、それを聞き届けなければならない。
 そして、それは彼女がどうしてもいつきに伝えたい、大事な用件なのだ。



 全ての空気が、いつきの外から弾かれるような感覚が襲う。
 ここで脳裏に浮かぶ言葉が、一度深呼吸をしてから言っているかのように、もったいぶった。
 いつきの頭に、ふと誰かの願い事が浮かぶ。




『────お願い、あの人を、止めて』




 意味不明で、主語さえ曖昧な願望。それを聞き入れる義務など、いつきにはない。
 だいたい、何をすればいいのかいつきには全然わからないのだ。こんなことを言われても。
 しかし────




『絶対だよ』



 ────その声だけは、『聞こえ』た。



 その声と共に、いつきは何かを思い出す。
 そうだ、こんな言い回しをする友達がいた。
 ここで感じた声や、雰囲気は、その友達と瓜二つだったのだ。
 しかし、どうしてその娘の声が、凄く遠く感じるのかがわからない。



『じゃあね』



 その直後、いつきはそのまま脳裏に、誰かの笑顔を感じた。
 誰かの笑顔を見たわけではないのに、いつきは誰かの笑顔を見たときの気分になった。
 いつきは笑顔を返せない。
 いつきは、誰かの「死」を見つめてしまったような気分で、はっきり言えば憂鬱だったのだ。笑顔を返せる気分ではない。
 言ってみれば、感情の起伏自体が、このときは乏しかったのだろう。



 その子が死んだという確信がなかったので、涙は垂れない。
 ただ薄々と、先ほど思い浮かんだ少女が正常な状態でないことを感じたのだ。
 でも、それは気のせいであってほしいといつきは思う。
 いや、まだ気のせいだと思う気持ちが大半だ。




 だって、いつきはその娘と、また笑い合える日が来ると信じているから────。




(それでも、ごめん、君に気づけなくて。そして、君に笑顔を返せなくて……。
 でも、僕はもう知ってる。君が止めたい人のこと、もう薄々わかってるんだ。
 …………なんて、思ったりして。もし君が生きてたら、馬鹿みたいだね)



 そう、馬鹿であってほしい。
 馬鹿でないのなら、「来海えりか」が「月影ゆり」を止めてと願ったように、いつきは成し遂げてみせる。


 えりかは、今もどこかで生きていて、この殺し合いを止めようと奮闘している。
 それでいいはずなのだ。これはあくまでいつきの不安が呼び起こした妄想であるというのが、正解であっていい。
 …………ここに来てからは、そんなことばかりが続いている気がする。



「あれ? いつきちゃん! どうかしたのかー!?」



 今度ははっきり、自分を呼びかける声が耳に響いた。
 先ほどできた仲間の声である。────沖一也は、アインハルトの肩に手を置きながら、立ち止まるいつきに声をかけていた。



「いえ、何でもありません!」



 いつきは、そのまま沖たちの下へと駆け寄った。
 あのすぐ近くで埋葬された魂が、たった一度だけいつきに願いを託した────そんな絵空事を、わざわざ教える意味はない。
 いつき自身だって、あれは絵空事なのかもしれないと、まだ思っているくらいだ。



 とにかく、今は彼女に返せなかった分、笑顔でいよう。




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最終更新:2013年03月14日 23:13