平井壮

平井壮(ひらいそう)〈1916ー1999〉は、日本の軍人。陸軍の双璧と呼ばれた名参謀である。

来歴

1916年4月、香川県高松市出身。陸軍士官学校広島予科、術科士官学校通信科にて学ぶ。

戦時配属

1937年4月、陸軍少尉(通信科)に任官。水戸の第13師団第42歩兵連隊に通信兵として配属。1939年1月、第2次世界大戦の開戦に伴い戦時配置に移動。隠岐要塞通信隊司令補に任官。1939年8月1日付で、日南要塞通信隊司令補に配置。1940年4月、富士の第10師団師団本部通信隊副官付将校として実働部隊に配属。第3軍隷下部隊となったため、シベリア保護領への侵攻作戦に参加する。現地で第32歩兵連隊連隊長付に配置。前任者が戦死したための後任人事となった。ソヴィエト国軍満州国侵攻によって大陸戦線が崩壊。

国防大学校と終戦

最中、国防大学校進学のため、術科士官学校通信科生徒監に配属。1943年4月、国防大学校へ進学。戦時短期課程のため、1945年3月に卒業。卒業とともに「陸軍通信中尉」に昇進する。大学在学中は、シンガポールフランスへの出張扱いとして留学することになる。防大32期卒業の同期には、「荒井壮一伊田游」がいる。防大卒業後、在エジプト日本大使館駐在武官付に配属。1945年8月、佐世保要塞通信隊副司令に配属。15日に終戦を迎えると、佐世保港に入港する復員船受け入れ業務を担当する。特に、復員船と受け入れ港の通信連絡網を構築し各地からのいち早い復員に尽力した。そのため、フィリピン方面からの復員港となっていたため、フィリピンからの現地引き上げが抜きんでて早かった。

戦後

1946年10月1日、参謀本部兵站補給部資源構造課長補佐に配属、当時の日本における軍事用資源物資の数量計算の任務を担当した。翌1947年1月1日、大本営が設置されると航空部隊への勤務に転属。松島基地第4哨戒部飛行隊長付通信技官に配属される。翌々年に、北日本管区航空総司令部通信参謀付(通信技術部技術調整課課員)として通信技術の調整を担当。1950年1月1日付で「大尉」に昇進、大本営近代化本部技術開発部能力開発課長補佐。そののち、西日本管区航空総司令部に配属を受けると、司令部通信指令室、岩国基地第2哨戒部通信支援室、岩国基地通信参謀部無線電信課長、通信参謀部技術通信課長を歴任。

幕僚監部

1957年1月1日付で「少佐」に昇進。岩国航空基地通信参謀補、大本営国際本部国際通信部技能課長、国際本部国際通信部連絡課長、国際本部駐在部エジプト駐在連絡課長。1964年1月1日付で「中佐」に昇進。昇進後しばらく現職のままであったが、10年以上ぶりに大本営近代化本部に技術開発部技術課長に配属。北日本管区航空総司令部通信参謀付として、北日本を管轄する多くの通信センター設立に尽力。特に、通信および情報集約組織の独立を懸命に推し進めた。このころには、「軍事リベラル派」の重鎮として軍隊政治に力を注ぐことになる。1970年に「大佐」昇進後、第6術科学校主任教官として通信面の教育畑に進出。1975年「准将」昇進とともに、第6術科学校長、習志野基地司令、館山通信指令センター司令、大本営通信総監部通信技能部長。1981年「少将」へ昇進、通信副総監を最後に退官。

年表

1916 4 香川県高松市出身
1934 3 陸軍士官学校広島予科卒
1937 3 術科士官学校通信科卒
4 「陸軍通信少尉」へ任官
第13師団第42歩兵連隊
1939 1 隠岐要塞通信隊付士官
8.1 日南要塞通信隊付士官
1940 4 第10師団師団本部通信隊副官付士官
1941 6 第10師団第32歩兵連隊連隊長付
1942 4 術科士官学校通信科生徒監
1943 4 国防大学校進学
1945 3 国防大学校卒(32期)
4 「陸軍通信中尉」へ昇進
在エジプト日本大使館駐在武官付
1945 8.1 佐世保基地通信隊副隊長
1946 10.1 参謀本部兵站補給部資源構造課課員
1947 1.1 松島基地第4哨戒部第1飛行隊長付通信技官
1949 4 北日本管区航空総司令部通信参謀付(通信技術部技術調整課課員)
1950 1.1 「大尉」へ昇進
大本営近代化本部技術開発部能力開発課長補佐
1951 4 西日本管区航空総司令部司令部通信指令室
1953 4 岩国基地第2哨戒部通信支援室
1955 7 岩国基地通信参謀部主任技官
1956 7 岩国基地通信参謀部副官
1957 1.1 「少佐」へ昇進
岩国基地通信参謀補
1960 4 大本営国際本部国際通信部技能課長
1961 7 国際本部国際通信部連絡課長
1963 10 国際本部駐在部エジプト駐在連絡課長
1964 1.1 「中佐」へ昇進
1966 1 大本営近代化本部技術開発部技術課長
1968 4 北日本管区航空総司令部通信参謀付
1970 10.1 「大佐」へ昇進
第6術科学校教官
1972 4 第6術科学校主任教官
1975 7.1 「准将」へ昇進
第6術科学校長
1977 1 習志野基地司令
1978 10 館山通信指令センター司令(兼務)
1919 10 大本営通信総監部通信技能部長
1981 1.1 「少将」へ昇進
通信副総監
1982 12 退官
最終更新:2025年07月24日 22:50