協同党

協同党(きょうどうとう)は、かつて存在した日本の国政政党
設立年月日 1948年11月
前進政党 協同共和党
解散年月日 1952年3月
解散理由 大衆社会党への合流
後継政党 大衆社会党
院内会派 協同党
政治思想 中道右派、中道左派、革命的社会主義、親米対中主義、親台路線

概説

協同共和党で反大路の路線を鮮明に示した左派の田中形堂(協同共和党元副総裁)が中心となって立党。しかし、その政治的な中枢にあったのは森定博昭(協同共和党元選挙部長)の存在だった。田中形堂を党首として、政策本部長に森定博昭が就いた。

組織

党首

田中形堂 49年3月 党常任幹事会長(2代目)

政策本部

協同党の複雑な政策体系を一から築き上げた事業本部。
政策本部長 森定博昭 49年3月 51年6月から党首代行(政策統括)に就任
菊池八部 51年6月
政策本部長代行 中村武之助 49年12月
岡部太重郎 51年6月

広域組織本部

党の選挙対策や関連組織との折衝や渉外を担当する。
広域組織本部長 中村美咲 49年3月 党幹事(2期)
藤沢玲奈 51年6月 党幹事(2期・3期)
広域組織本部長代行 藤沢玲奈 49年3月
中村美咲 51年6月
  • 選挙対策事務局
  • 地方議員事務局

議席

議席変動

日付 ± 備考
1948.11 33 3 協同党結党
1949.10.9 21 3 -12 第15回衆議院総選挙
1951.6.13 21 5 +2 第2回参議院通常選挙
1952.3 0 0 大衆社会党へ合併

選挙結果

選挙 開票日 総裁 議席
第15回衆議院総選挙 1949.10.9 田中形堂 21
第2回参議院通常選挙 1951.6.13 田中形堂 4(5)

党史

立党

立党当初、国会議員数の36名(衆院33名・参院3名)で社会新党をしのいでいたが、翌月には「大衆社会党」設立によって院内最少会派になる。

第15回衆議院総選挙

1949年10月9日

第2回参議院通常選挙

1951年6月10日

田中内閣の組閣と大衆社会党への急接近

その後、大衆社会党との対等連立に向けた話し合いを続け、1952年3月に合併。大衆社会党の中道左派勢力に収まるが、所属議員の末路は皆総じて悲惨なものであった。社会党常任幹事の職にあった森定も党からの支援不足や労組からの不評で中選挙区落選。参院の出直し選挙でも敗れ、社会党におけるに連続落選は公認取り下げという不文律を作った。
最終更新:2025年03月18日 22:33