雪村多稀

雪村多稀(ゆきむらたき)〈1953年12月ー2022年8月〉は、日本国有鉄道の役員、淡路連絡鉄道代表取締役社長。

来歴

1953年12月、新潟県新潟市出身。父は、鉱山マンで佐渡金山の採掘を行っていた青島金属鉱山の従業員、鉱山労働者組合の地域役員なども務めた。新潟県立新潟東高等学校卒業後、駿河大学社会学部保健学科に学ぶ。

国鉄入社

1976年4月、日本国有鉄道へ一般職として入社。名古屋駅伊勢市駅豊橋駅で駅務員として現場を経験し、名古屋鉄道管理局への転属を機に、全日本駅務員労働組合の名古屋支部に参加。その後、現場勤務や管理局で長らく勤務を経験。1984年から組合専従となり、全日本駅務員労働組合名古屋支部書記長、名古屋支部長を経て、国鉄中央労働組合連合会の専従となる。名古屋地区本部書記長、1988年に組合への貢献を評価されて、投票の結果から名古屋地区本部長に就任。1989年、国鉄中労連の常任委員・中日本本部委員長・名古屋地区本部長に選出される。しかし、時の中央執行委員長であった犬神宗憲と険悪な関係で、さらには全国の本部委員長の中で最年少だったことなどから、しばしば対比して語られることになる。
1989年10月の全国メーデーに合わせた全国統一ストで名古屋に詰めるが、松本駅構内火災の責任から、中央に無断で、中日本地区のスト解除を宣言。この際、本社職員局労組部争議対策課長として、体制側の前線司令官だった大宮友兼との密談があったとされている。

国鉄の出世ルート

1989年12月に組合を抜けると、翌1月の定期人事で本社運輸総局運輸部貨車課・課長補佐に大抜擢。その後、船舶部、国際運輸部を渡り歩き、大友人事部長の計らいで、職員局人事部長付(課長職)、総務局総務部総務課長と出世。総務畑とみなされ、大友が管理局長に出された際に仙台鉄道管理局総務部長。後、仙台駅助役を経て、新庄駅山形駅で駅長を経験。憧れと語っていた日光駅駅長の後、総務局部長。後、一般職入社として初めてとなる京都駅駅長まで上り詰める。

天下り

2012年に早期退職して天下り。淡路連絡鉄道株式会社の常務取締役となる。2013年10月より代表取締役社長、2018年4月より代表取締役会長に就任。2020年まで務めた。

来歴

1976 4 日本国有鉄道一般職・入社
7 名古屋駅駅務員
1977 7 伊勢市駅駅務員
1979 1 豊橋駅駅務員
1979 7 豊橋駅主任補
1980 7 名古屋鉄道管理局運輸部運送課
1982 1 名古屋鉄道管理局運輸部貨物課・主任
1983 7 名古屋鉄道管理局運輸部車両安全管理室・主任
1985 1 名古屋鉄道管理局総務部お客様対応室・主任
1988 7 桑名駅副主任
1990 1 運輸総局運輸部貨車課・課長補佐
1991 1 運輸総局船舶部連絡船営業課・課長補佐
1992 7 運輸総局国際運輸部国際貨物課・課長補佐
1993 7 職員局人事部長付
1994 7 総務局総務部総務課長
1995 7 仙台鉄道管理局総務部長
1997 1 仙台駅総務助役
1999 1 新庄駅駅長・新庄運輸区
2000 7 山形駅駅長・山形運輸区
2002 7 日光駅駅長・日光運輸区
2004 7 総務局総務部長
2006 7 京都駅統括助役・京都市運輸区
2008 7 大阪鉄道管理局次長
2010 1 京都駅駅長
最終更新:2025年09月08日 17:17