来歴
国鉄入社
1976年4月、
日本国有鉄道へ一般職として入社。
名古屋駅、
伊勢市駅、
豊橋駅で駅務員として現場を経験し、
名古屋鉄道管理局への転属を機に、
全日本駅務員労働組合の名古屋支部に参加。その後、現場勤務や管理局で長らく勤務を経験。1984年から組合専従となり、
全日本駅務員労働組合名古屋支部書記長、名古屋支部長を経て、
国鉄中央労働組合連合会の専従となる。名古屋地区本部書記長、1988年に組合への貢献を評価されて、投票の結果から名古屋地区本部長に就任。1989年、国鉄中労連の常任委員・中日本本部委員長・名古屋地区本部長に選出される。しかし、時の中央執行委員長であった
犬神宗憲と険悪な関係で、さらには全国の本部委員長の中で最年少だったことなどから、しばしば対比して語られることになる。
1989年10月の
全国メーデーに合わせた全国統一ストで名古屋に詰めるが、
松本駅構内火災の責任から、中央に無断で、中日本地区のスト解除を宣言。この際、本社職員局労組部争議対策課長として、体制側の前線司令官だった
大宮友兼との密談があったとされている。
国鉄の出世ルート
1989年12月に組合を抜けると、翌1月の定期人事で
本社運輸総局運輸部貨車課・課長補佐に大抜擢。その後、船舶部、国際運輸部を渡り歩き、大友人事部長の計らいで、
職員局人事部長付(課長職)、
総務局総務部総務課長と出世。総務畑とみなされ、大友が管理局長に出された際に
仙台鉄道管理局総務部長。後、
仙台駅助役を経て、
新庄駅、
山形駅で駅長を経験。憧れと語っていた
日光駅駅長の後、
総務局部長。後、一般職入社として初めてとなる
京都駅駅長まで上り詰める。
天下り
2012年に早期退職して天下り。
淡路連絡鉄道株式会社の常務取締役となる。2013年10月より代表取締役社長、2018年4月より代表取締役会長に就任。2020年まで務めた。
来歴
1976 |
4 |
日本国有鉄道一般職・入社 |
|
7 |
名古屋駅駅務員 |
1977 |
7 |
伊勢市駅駅務員 |
1979 |
1 |
豊橋駅駅務員 |
1979 |
7 |
豊橋駅主任補 |
1980 |
7 |
名古屋鉄道管理局運輸部運送課 |
1982 |
1 |
名古屋鉄道管理局運輸部貨物課・主任 |
1983 |
7 |
名古屋鉄道管理局運輸部車両安全管理室・主任 |
1985 |
1 |
名古屋鉄道管理局総務部お客様対応室・主任 |
1988 |
7 |
桑名駅副主任 |
1990 |
1 |
運輸総局運輸部貨車課・課長補佐 |
1991 |
1 |
運輸総局船舶部連絡船営業課・課長補佐 |
1992 |
7 |
運輸総局国際運輸部国際貨物課・課長補佐 |
1993 |
7 |
職員局人事部長付 |
1994 |
7 |
総務局総務部総務課長 |
1995 |
7 |
仙台鉄道管理局総務部長 |
1997 |
1 |
仙台駅総務助役 |
1999 |
1 |
新庄駅駅長・新庄運輸区長 |
2000 |
7 |
山形駅駅長・山形運輸区長 |
2002 |
7 |
日光駅駅長・日光運輸区長 |
2004 |
7 |
総務局総務部長 |
2006 |
7 |
京都駅統括助役・京都市運輸区長 |
2008 |
7 |
大阪鉄道管理局次長 |
2010 |
1 |
京都駅駅長 |
最終更新:2025年09月08日 17:17