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資本主義リアリズム
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概要
資本主義リアリズム | |
英名 | Capitalist Realism |
別名 |
資本主義リアリズムとは、「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方が容易」という言葉に端的に表されるように、資本主義の代替となる選択肢はないという現代社会に蔓延する諦観のことを指す。
ソ連の崩壊と資本主義の絶対化(選択肢の消滅)
冷戦時代には、資本主義には共産主義とという対抗馬が存在した。しかし、1991年のソ連の崩壊により、共産主義は終焉した(と資本主義側に見なされた)。
その結果、資本主義は自己の共産主義への勝利と、「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)を宣言し、自らを絶対化(神)とした。この絶対化の結果、人々は資本主義の代替となる選択肢について想像することを禁止された。
この禁止は、法制度のように実体のあるものとは限らない(一部の国では法によって実質的に禁止されているが)。
それよりむしろ、資本主義による想像力の領土化、すなわち資本主義的に考えなければならないという「大前提」が個人の中に導入されたことを指していると考えたほうが良い。
この想像力の領土化の影響が端的に見られるのは、政界である。例えば、かつての社会民主主義政党には、「民主主義を通した社会主義」を目指すようなラディカルなものも存在した(いわゆる民主社会主義)が、現在では、いかにして「資本主義を改良するか」というものまでスケールダウンしている(いわゆる第三の道, イギリスのブレア政権が代表)。
資本主義の強力さについて
資本主義はかつての反逆者(共産主義、無政府主義あるいはファシズム)すら自己利益のために利用することができる。例えば、ネットを少し検索すればゲバラグッズが販売されているし、まさしくHoi4などの歴史ゲームはこれらの思想を資本主義のために利用していると言える。
このように資本主義は資本主義の批判者を簡単に手玉にする力を持っており、これが資本主義リアリズムの永遠の繁栄を約束させている。
つまり、資本主義を相手にするならば、簡単に手玉にされないような仕方で叛逆しなければならないということである。これを具体化しようと試みた試みの一つがアシッド共産主義である。
精神的健康の勝ち組と負け組
資本主義においては、各アクターは常に成長することが求められる。何故ならば、資本主義では常に競争相手が存在し、相手も成長するので、自分も成長しなければ淘汰されるからである。
このような成長至上主義は、うつ病を導出するが、精神分析や神経科学を主要なベースと起源とする精神科システムは、いずれも個人的なアプローチしか行わない。つまり、個人に薬を与え、それで問題解決とする。しかし、その問題の原因であるはずの環境構造(資本主義)はそのまま何一つお咎め無しに存在し続ける。これによって、精神に関する病理は蔓延し続け、病んだものには薬を与えて無理やり社会に引き戻すという再生産の悲劇が繰り返されることになる。
資本主義はこの点に関して一切自浄作用を持たない。なぜならば、資本主義にとって競争原理は本質的な要素であり、それは勝ち組と負け組を存在させるこを前提として成り立つからである。製薬会社や精神科が資本主義下で存続するためにも、「病む人」=負け組は絶対的に必要なのである。
資本主義は未来をキャンセルする
現在、「未来」的と呼ばれるものの大抵のものは、過去の思想的発明品である(例えばAGIやら自動運転やら)。つまり、現在存在する「未来」に関するあらゆるアイデアは、全部過去に思いつかれた「未来的なもの」に過ぎない。
これはある意味では何一つ未来的ではない、もっと言えば現在には何一つ未来的なものは無いということである。この「過去の未来的なもの」が現在に蔓延している状況をマーク・フィッシャーは「失われた未来の亡霊が現在に憑依している」と表現した(憑在論)。
発明品に限定せずとも、現代は、アイデアが枯渇した時代であり、例えば「新しい」とされるインディゲームでも「どこかで見たことあるような」作品ばかりが乱造されている。Vapor wave(ヴェイパーウェイヴ)といったジャンルでは、「過去の未来的なもの」をひたすら反芻することに終始している。未来的なものを想像するジャンルであったSFは過去に思いつかれたアイデアを細かく組み替え続けることによって新しく見せかけているに過ぎない。
これの原因は複合的であると考えられるが、少なくともマーク・フィッシャーはこの原因を資本主義に帰している。
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資本主義リアリズム時代の心性を巧みに表現している。木澤佐登志氏の『闇の精神史』にも歌詞が引用されたことで話題になった。