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戦前日本の右翼
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昭和初期の右翼運動
昭和初期の右翼運動は大きくわけて二つに分かれる。
観念右翼(日本主義派)
- 天皇中心の伝統的な精神性を重視する派
- 日本固有の「国体」の純化を目指す
- 保守・反動(ドイツでいうところのドイツ国家人民党に近い)
- 陸軍皇道派に近い位置にあった
革新右翼(国家社会主義派)
- 国家社会主義に基づき、国家による経済統制を行い、社会を根本から「改造」する派
- 極左に位置的に極めて近いし、実際に共産主義からの転向者も多かった
- 陸軍統制派や革新官僚と結びついた
猶存社系
猶存社(1919年~1923年)
- 1919年に、大川周明、北一輝、満川亀太郎らが設立
- 「国家改造」を目的とした最初の団体
- 「日本帝国の改造とアジア民族の解放」がスローガン
- 北一輝の『国家改造案原理大綱』を刊行した
- 革新右翼の源流の一つ
- 1923年、分裂
- 大川周明「教化啓蒙路線」VS北一輝「怪文書によって既成勢力を攻撃」
- メンバー
- 大川周明
- 北一輝
- 西田税
- 満川亀太郎
- 岩田富美夫
- 清水行之助
- 綾川武治
- 笠木良明
- 安岡正篤
- 鹿子木員信
大川派のその後
行地社(1925年~1932年)
- 猶存社分裂後、大川が設立
- 当初は満川亀太郎、笠木良明、安岡正篤、西田税などが参加
- 1926年、再分裂
- 西田と満川→北派へ
- 安岡正篤は、独自の右翼団体、金鶏学院 (1927年) を設立
- 笹木→満鉄大連本社へ
- 1932年に解散
神武会(1932年~1935年)
- 1932年2月に大川が設立
- 石原産業社長である石原広一郎の資金援助を受けていた
- 菊池武夫、石原広一郎、河本大作などが参加
- 国体の護持と大アジア主義を唱えた
- 1932年5月15日、五・一五事件
- 大川が幇助罪に問われ、禁錮
- 活動が低調に
- 1935年2月11日に解散
北派のその後
大化会(1923年~?)
- 1923年、岩田富美夫、清水行之助が結成
- 高畠素之が顧問を務めた
笠木派のその後
大雄峰会(1929年~?)
- 1929年、笠木良明が大連で帝大出身の満鉄社員を集めて結成
安岡派のその後
金鶏学院
- 1927年安岡正篤が伯爵酒井忠正の援助を得て設立した
- 陽明学など、国体研究について教えていた
- 多くの軍人、官僚、財界人に影響を与えた
国維会
- 1932年1月安岡正篤の後援者を中心に結成された
- 「新官僚」の総本山とみなされていた
- 発起人
- 安岡正篤
- 近衛文麿
- 吉田茂(麻生太郎の祖父ではない)
- 後藤文夫
- 酒井忠正
- 岡部長景
- 松本学
- 荒木貞夫
- 1934年12月、世論を受けて解散
日本産業労働倶楽部
- 1933年6月に、金鶏学院の指導により、結成
- 日本主義労働運動の統一戦線組織
- 最右翼の労働組合として知られる
鹿子木派のその後
皇国学団
- 1926年、鹿子木員信が結成した思想団体
上杉慎吉系(上杉派)
上杉慎吉は東京帝国大学教授として、穂積八束の意を受け継ぎ、「天皇主権説」を主張していた。
これは、美濃部達吉の「天皇機関説」に対抗するものであり、天皇は絶対的な主権者であり、国家の最高機関などではないとするものであった。
基本的に観念右翼の組織が多い。
桐花学会(1913年~?)
- 1913年に、上杉慎吉が設立した思想団体
- 山県有朋系官僚が中心
- 天野辰夫、中谷武世らが参加
興国同志会(1918年~?)
- 1918年上杉慎吉、天野辰夫、綾川武治(猶存社系)らが組織し、東大内に設立
- 国家主義的学生団体
七生社(1925年~1938年)
- 1925年に、当時東大法学部教授の上杉慎吉を指導者として創設
- 左翼の思想団体「新人会」への対抗が目的
- 1928年、七生社事件
- 「高等学校弁論大会擁護演説会」を襲撃、重軽傷者を出した
- 1932年、血盟団事件
- 四元義隆らが西園寺公望などの暗殺担当として逮捕された
- 1938年、自然消滅
- 穂積五一が中心的人物
天野辰夫系
東大在学中、上杉慎吉の影響を強く受ける。神兵隊事件の首謀者の一人として有名。
日本主義労農同志会
- 1926年、浜松日本楽器(現ヤマハ)争議の際、父のために天野が設立した右翼団体
- ストライキを妨害し、労働者を敗北させることに成功した
愛国勤労党
- 1929年、天野を中心に津久井竜雄などと結成
赤尾敏系
元々はアナーキストだったが、右翼に転向して、上杉慎吉に師事した。
建国会
- 赤尾敏を中心とする右翼団体
- 発足時
- 会長、上杉慎吉
- 顧問、頭山満・平沼騏一郎ら
- 理事長、赤尾敏
- 書記長、津久井竜雄
- 赤尾らの過激な直接行動が、上杉、津久井などに引かれて脱会される
- 赤尾の個人団体と化していき、国家社会主義、反共主義に傾倒
- 1942年7月に、大日本皇道会と改称
- 戦後に解散させられた
高畠素之系(高畠派)
高畠素之は、日本の国家社会主義の始祖とされる人物であり、マルクスの必然的帰結は国家社会主義であると主張した。
また、ソ連を擁護し、国家権力が強大になったのは、資本主義的な搾取機能が無くなっても、国家の統制機能は永遠であることの実証であるとした。
国体や皇室は、国家が統制機能を果たす上で都合が良いという実用主義的な捉え方をしており、国体に対する狂信的な信者という訳では無かった。
大衆社
- 1919年に、設立された国家社会主義団体
- ロシア革命をきっかけに売文社の堺利彦や山川均らと対立した高畠素之が設立
- 岩田富美夫、石川準十郎、津久井竜雄、北原竜雄らが参加
経倫学盟
- 1923年に上杉慎吉と高畠素之が結成
急進愛国党
- 1928年、平野力三、麻生久、宇垣一成らに接近して高畠素之、津久井竜雄らが組織
石川準十郎系
早稲田大学在学中に、高畠の大衆社に参加する。その後国家社会主義者として活動した。
大日本国家社会党
- 1934年に石川準十郎が結成
津久井竜雄系
高畠に師事した。早稲田大学は中退している。
赤松克麿と組むことが多かったので、国民協会や日本革新党については後述する。
全日本愛国者共同闘争協議会
- 1931年、狩野敏、津久井龍雄、八幡博堂、鈴木善一などが結成
- 右翼の統一戦線組織
左翼からの転向者
満州事変をきっかけに、無産政党(労働者や貧しい農民のための政党)内に国家社会主義者が台頭することになった。
- 赤松派
- 社会民衆党(社会民主主義、右派無産政党)からの脱党者
- 赤松克麿、小池四郎など
- 全国労働組合同盟国家社会主義派
- 全国労農大衆党(社会民主主義、中間派無産政党)からの脱党者
- 全国労働組合同盟は全国労農大衆党の支持母体
- 今村等、安芸盛、山名義鶴、望月源治など
- 下中派
- 日本労働組合総連合を基盤とする
- 下中弥三郎など
日本国家社会党
- 1932年5月29日に結成された、赤松派と全国労働組合同盟国家社会主義派中心とする国家社会主義政党
- 下中派とは決裂したので、除外された
- メンバー
- 赤松克麿、小池四郎、安芸盛、山名義鶴、望月源治、平野力三など
- 1932年秋をピークに衰退
- 1933年7月、赤松が日本主義に転向して離党→国民協会
- 残留派は愛国政治同盟と改称した(小池四郎がリーダーに)
国民協会
- 以下により1933年に結成
- 日本主義(観念右翼)に転向した日本国家社会党の赤松派
- 大日本生産党を除名された津久井竜雄
- 同じく観念右翼に転向
- 倉田百三
- 天皇機関説攻撃や選挙粛正運動などを展開
新日本国民同盟
- 1932年に、除外された下中派が設立
日本革新党
- 1937年7月、日中戦争勃発
- 1937年18日、国民協会や新日本国民同盟、愛国政治同盟などが合同して結成
- 大政翼賛会に吸収された
玄洋社系
観念右翼的な傾向が強い。
玄洋社
- 1881年、頭山満が中心となり結成、超国家主義団体
- 平岡浩太郎を社長とした
- 1946年、解散
黒竜会
- 1901年、内田良平を中心に結成
- 1946年、解散
大日本生産党
- 1931年、黒竜会関西支部を中心に設立
- 黒竜会の内田良平と吉田益三が中心
- 最初は「大日本主義」を掲げた
- 1931年12月で、ナチスと提携の申し出があった
- 1932年1月急進愛国党などが加盟後、国家社会主義政策を取る
- 1933年、神兵隊事件
- 党幹部が多数逮捕される
- 1942年、解党→思想団体大日本一新会
- 1946年に解散
大東塾
- 1939年、影山正治が中心
軍部系
桜会
- 1930年結成
- 陸軍将校による結社
- 国家改造をめざす
- 橋本欣五郎が中心
- 三月事件
- 1931年の陸軍によるクーデタ未遂事件
- 宇垣一成を首班とする内閣を樹立しようとした
- 満州事変
- 関東軍幕僚と連携した
- 十月事件(錦旗革命事件)
大日本青年党
- 1936年、橋本欣五郎を統領として結成
- 1940年に大日本赤誠会に改名
明倫会
- 1933年5月に設立された在郷軍人が中心の超国粋主義団体
- 田中国重が総裁
- 陸軍予備役大将
- 国体明徴運動を推進した
既存政治系
国本社
- 1924年、平沼騏一郎が中心となって設立
- 1936年、解散
国民同盟
- 安達謙蔵ら立憲民政党の脱党者を中心として1932年結成された政党
- 総裁は安達
- 幹事長は山道襄一
- 綱領
- 国際正義の再建
- 統制経済の確立
- 政界の悪弊の打破
- 内閣制の廃止、国務院の創設
- 日満経済ブロック
- 極東モンロー主義
- 日本の政党としてはじめて制服を採用した
- 和製ファッショ
- 斎藤実内閣では野党
- 岡田啓介内閣では与党
- 党内分裂
- 民政党復帰派(山道派)
- 解党派(中野派)
- 党内分裂
- 山道派が、民政党へ行き、中野派は東方会へ
- 1940年に、大政翼賛会に合流
東方会
- 国民同盟の中野正剛が国策研究団体を設立したことに由来
- 1936年、中野正剛が結成したファシズム政治団体
- 近衛の新体制運動に協力したが、東条内閣には反発した
- 1943年に中野の割腹自殺により組織が崩壊
- 中野の反東条工作が原因
- 主張
- アジア・モンロー主義
- 統制経済
- 日中戦争
- 対英ソの代理戦争と解釈
- 東亜新秩序のため、独伊との提携を主張
- 一貫して戦争拡大を主張し続けた
東亜連盟協会
- 1939年、石原莞爾の指導により創立
- 1946年、GHQにより解散
任侠系
大日本国粋会
- 1919年10月、ヤクザをかき集めて作った官製右翼団体
- 原敬首相と床次竹二郎内相がかき集めた
- 顧問は頭山満
大日本正義団
- 1922年、小林一家の侠客、酒井栄蔵によって設立
- 1930年、酒井はローマでムッソリーニと会談した
- 1937年12月にはゲシュタポ本部でヒムラーと会談している
- ザクセンハウゼン強制収容所も見学している
- ついでにローマでムッソリーニとも会談している
日蓮系
蓮華会→立正安国会→国柱会
- 田中智学が1880年に蓮華会として設立
- 1884年、立正安国会
- 1914年、国柱会
- 日蓮主義が特徴
- 石原莞爾、宮沢賢治など
知法思国会
- 本多日生が1928年に創設
- 日蓮主義
立憲養正会
- 1929年日蓮宗徒田中沢二により創立
血盟団
- 日蓮信者の井上日召により結成
- 一人一殺主義
- 1932年、血盟団事件
- 井上準之助・団琢磨を暗殺
大本系
明治末期の新興宗教大本教。
昭和神聖会
- 1934年、大本教の出口王仁三郎が設立
- ファシズムの大衆運動を展開した
- 大本教の教義が、天皇制と相容れなかったため弾圧された
蓑田派
原理日本社
- 1925年11月、蓑田胸喜が創立した超国家主義団体
帝大粛正期成同盟
- 1938年9月に結成
- 原理日本社の三井甲之・蓑田胸喜らを中心
独立系
皇国青年党
- イタリアから帰国した下位春吉により1924年頃に設立
- ダンヌンツィオの友人として有名
- 1927年に解党
紫山塾
- 本間憲一郎を中心に、1928年茨城県で結成
愛郷会・愛郷塾
- 1929年農本主義者である橘孝三郎が愛郷会を設立
- 1931年に愛郷会の一貫として愛郷塾が設立
- 大地主義、兄弟主義、勤労主義に基づく集団教育を行った
- 1932年、血盟団の井上日召と知り合い、右翼へ転身
- 塾生と共に農民決死隊として五・一五事件に参加
- 橘孝三郎は無期懲役になるが、1940年に減刑される
国粋大衆党
- 1931年、笹川良一により結党
日本ファシズム連盟
- 1932年、小説家の野島辰次によって設立
勤皇まことむすび
- 本間憲一郎を中心に1939年結成
参考文献
- コトバンク