第15話「戦略を越えた戦術《ワンマンアーミー》」

11月2日 深夜 学園都市某所
凍てつく夜の路地裏、尼乃昂焚は周囲に誰もいないことを確認すると、古ぼけたドアを開け、少し埃を被った巨大なコントラバスケースを持ち出した。
イギリスの一件から彼が愛用しているものだ。人間一人は入るであろう大きさで全体的に黒いカラーリング。至る所に傷があり、大きなガスバーナーか何かで焼き切った様な傷跡が目を引く。

「さて…中身は大丈夫だろうか。」

昂焚はケースを横に置き、フタを開けた。中には様々なものが雑多に積み込まれていたが、彼は何がどこにあるのか把握しており、目的のものをすぐに取り出した。
片耳用のインカムだ。学園都市製なのだろうか、流線型の未来的なデザインだ。

「あーあー。テステスー。計画の参加者諸君、この街の治安維持組織から逃げられたかな?」

昂焚は少しふざけた声と共に昂焚がインカム越しに計画の参加者たちに話しかける。

「天地開闢計画の準備、ご苦労だった。俺はこれから最終工程に専念する。君たちは好きにすればいい。家に帰るのも良し、この学園都市で暴れるも良しだ。ただし、計画の邪魔をするようなら…」



―――殺す――――



その声は、眼光は、いつも飄々としている彼とは違った。彼は本気だった。“殺す”という言葉に重みが感じられ、彼の殺意がインカム越しに幹部たちに伝わる。

「各々、快適な学園都市ライフを―――-」
「尼乃。」

幹部たち全員が聞き手に徹する中、ディアスが彼に言葉を返す。

「あの計画を実行し、“神の知”とやらを手に入れたとして、“お前は何がしたいんだ?”」

昂焚は苦虫を噛むような顔をし、少し歯軋りをする。
そして、何も答えず、一方的に通信を切った。



* * *




11月3日 朝07:00
テキスト及びイルミナティ対策チームの朝は早い。既にほとんどのメンバーがホテルを出て活動を開始し、指揮官として持蒲は拠点であるホテルのスイートルームに鎮座していた。
彼はタブレットで共有された情報に目を通す。

(まず、昨日の成果だ。)

喫茶店“恵みの大地”での戦闘、第十三学区での戦闘、オービタルホール、この全てにおいて我々の決定的な敗北だった。
まず、恵みの大地での戦いでは昂焚に表の治安維持組織(風紀委員・警備員)とは別の組織が追跡していることを感付かせてしまった。彼の霊装がアルコールに弱いことも分かったが、これは事前に藍崎から報告されており、追跡者の存在を明かしてまで確認する必要性は無かった。藍崎も「霊装の純度が下がるので弱点を克服できない。」と言っていたのでわざわざ確認する必要も無い。
次に第十三学区での戦闘。マチが昏倒し、セスも戦意を喪失している。その上、相手にこちらの手の内を明かしたどころか、謎の魔術師まで現れ、こちらも情報収集が追いつかない状態だ。
そして、オービタルホール。この一件ではイルミナティの目的「天地開闢計画」の全容が明かされた。尼乃昂焚はわざわざ持蒲を呼び出して発表したのだ。これはフェイクなのか、それとも本当のことでもう計画は阻止でき無いレベルにまで進行しているのかは分からない。仮に本当のことだとすれば、この功績は大きい。だが、それ以上に死人部隊全滅という結果は痛手だった。

(駒の充てはあるんだが…正直、あれを利用するのは気が進まないな。それに彼らの協力もある。)

持蒲は徹夜で集めた4人のデータに目を通す。
昨晩、ハーティと藍崎が拘束した謎の勢力だ。クライヴの監視の元、ハーティが尋問し、彼らの素性を吐きださせた。彼女曰く「脅すまでもなくペラペラと勝手に喋ったわ。まったく、拷問のし甲斐が無いですね。」とのことだ。
あの5人は元々2つのグループに分かれていた。
魔女の夜会《ヴァルプルギス》に所属するストングラス・フォイルドイルと彼の付き人であるジェフリー。キャンサーと結託したフリーランスのアリサ=アルガナン、そして、神道系皇室派の玄嶋笑莉と彼女と結託したフリーランスの大和尊だ。
魔女の夜会はペイガニズムなどの自然崇拝、多神教の者が集まってできた魔術組織だ。主に十字教による「魔女狩り」を逃れた魔女の末裔達によって構成されている。英語圏を中心に広く展開しているが、組織的にコレといって定まった理念がなく、メンバー個々の思想もそれぞれ違ってくるため、個人プレーが多く、あまり組織としての協調性は無い。今回の一件でもキャンサー(ストングラス)は個人的な理由による行動だとハーティの尋問で答えている。
ストングラス・フォイルドイル自身についてだが、彼はかつて魔術とは関係の無い資産家であった。しかし、妻をイルミナティに殺害されてからは私財を擲って復讐に身を転じ、魔女の夜会に身を落ちつけた。彼の付き人であるジェフリーと名乗る男については、「資産家時代の部下」と言っており、その裏は既に取れている。
アリサ=アルガナンはフリーランスの魔術師であり、主に反イルミナティの魔術組織と結託して度々イルミナティと交戦していた。オービタルホールでの一件の主犯者であり、母親の仇であるディアス=マクスターを付け狙っている。

次に神道系皇室派だ。
かつて、皇室が政治を担っていた時代から存在していたという日本で3番目に古い魔術結社だ。太古の昔から政治と深い関係を持っていたが、民主制となった現在では昔ほど規模は大きくない。そのため、現在は皇室の復権を目指して活動しており、皇室派の息のかかった国会議員が数人ほどいるがまだ少数である。科学に対しては排他的ではなく、むしろ攻撃力に乏しい神道系魔術の強化のために受け入れている。
そこに今回拘束された玄嶋笑莉は所属しており、彼女の直属の上司である神薙秘呼の命令でこの学園都市に入った。ちゃんと正式なIDパスを持っており、そこまで学園都市側に用意させる神薙の外交と交渉術は恐ろしいものだ。
今回、皇室派の目的は「箕田美繰の拘束」であり、「皇室派の汚点は皇室派で拭う」という理念に基づいて行動している。こうも簡単に笑莉が口を開いたのは自分たちだけで美繰を止めるのは不可能だと確信して学園都市に協力を仰ぐためだ。これも神薙の命令の内に入っているらしい。
そして、笑莉と結託したフリーの日系魔術師である大和尊。彼の経緯もアリサと似通っており、イルミナティを恨み、この学園都市でそれを晴らすつもりらしい。そして、アリサが復讐で手を汚すのを防ぐためでもあると本人は尋問で語った。
11月2日の早朝にリーリヤ・ネストロヴナ・ブィストリャンツェヴァを襲撃した魔術師もこの2人だ。彼女を拘束して、美繰の居場所を吐かせようという魂胆だった。
ちなみに尋問の際、第十三学区でミランダと交戦した謎の魔術師についてだが5人ともその存在については知らなかった。
現在、5人は別の部屋で軟禁しており、テキストに協力するよう働きかけている。

(学園都市、イルミナティ、フォイルドイル、神道系、謎の魔術師…そして、謎の無人偵察機。)

昨晩、テキストとフォイルドイル組を乗せた車を追跡する所属不明の無人偵察機をカール・ブルクハルトが撃墜した。自爆されて手掛かりは失ったが、わずかな破片から偵察機の装甲が学園都市で生産されている複合装甲であることが判明した。また、形状もカールの証言で判明した。

(問題はその偵察機を運用している組織だ。)

学園都市の偵察衛星で無人偵察機の射出場所を割り出し、運用している組織を割り出そうとしたが、偵察機は衛星から上手く隠れている場所から射出されていたため、割り出しは失敗した。

(学園都市製の兵器だ。イルミナティのヴィルジールセキリュティー社のものとは考え辛い。それ以外で尚且つ学園都市内部の組織だとしたら…六枚羽の運用実績のあるスキルアウトのブラックウィザードか、軍隊一個大隊並の兵器群を保有するスキルアウトの軍隊蟻。このどちらかに絞れるな。ブラックウィザードは東雲真慈の逮捕以降は潰れたも同然、消去法で考えて軍隊蟻だろうな。)

持蒲は深くため息をつき、ソファーに腰をかける。

(謎の魔術師に軍隊蟻。三つ巴どころか、倍の六つ巴の戦いか。もうどうにでもなりやがれ。)

そう投げやりになって、ソファーに寝転んだ。
途端に彼のスマホに着信が入る。無機質な着信音、初期設定のままの音だ。その相手は彼らに仕事を持ち込む連絡係《メッセンジャー》だった。

「はい。持蒲です。」
『私だ。例の報告に関して、上層部の判断が下った。』

連絡係と会話する時はいつも不機嫌な持蒲だが、この時だけは少しだけ笑顔が戻る。

「それは良かったです。で、判断は?」
『“天地開闢計画については様子見に徹し、イルミナティ幹部の殲滅と双鴉道化の拘束を最優先事項とせよ”だ。』
(まぁ、予想通りの返答だな。)
「了解しました。」

持蒲はスマホを切り、スマホを操作して全員が持つタブレットに上層部からの報告の旨を伝えた。



* * *




11月3日 早朝
神谷稜は目が覚めた。人間一人を入れて一杯になる狭い個室、一人しか座れないソファーに座り、毛布をかけていた。目の前にはパソコンがある。
第六学区付近の裏通りにある場末のネットカフェ。稜は学生寮に帰らず、ここで一晩を過ごした。

(最悪の寝心地だ。でも、良いところを選んでいると足が付く可能性がある。)

稜はボサボサの頭をどうにかしようと頭を掻くが、逆に寝ぐせを酷くする。

(とりあえず、あのホールの一件がどうなったか情報を集めねぇと…)

パソコンを起動させて、インターネットでニュースサイトを検索する。

『悪夢の音響設備!とばっちりアイドル声優の悲劇!』
昨日、オービタルホールで開催された新作アニメ「ガールズ on STAGE」の第一話先行試写会が音響設備の不具合によって中断され、急遽、会場を変更することになった。
「ガールズ on STAGE」の先行試写会は11月2日の夜8時から開催され、第1部の終焉声優たちによるトークショーとアニメの試写会、第2部の主題歌を歌う姫野七色のライブによって構成されていたが、第2部が始まる直前にステージ上に少女が乱入し、音響設備から発せられた音によって観客たちが多大な苦痛を与えられるという事件が発生。事態の収束に警備員対テロ特殊部隊ATTが出動する事態となった。
音響設備が早々に破壊されたことで幸いケガ人は出なかったが、犯人の少女とATTの激しい戦闘により、ホールのメインステージが復旧不可能な状態に陥った。
ATTはこの事件について「今回の事件は能力と音響兵器を駆使したテロ行為であり、ステージ上に乱入した犯人の能力者の少女を拘束した。また、今回の1件は組織的な犯行である可能性が高く、また近日中にテロ活動が行われる可能性もある」と発表。学生たちには夜間の外出を控えるよう注意を促した。
余談ではあるが、急遽変更されたステージで第2部の姫野七色のライブは無事開催され、突然のアクシデントの中でもめげずにライブを続けた彼女の姿勢は新たに多くのファンを獲得したと思われる。

稜はこの記事を読んで、“犯人の少女を拘束”というワードが引っかかった。彼はあのオービタルホールの一件は尼乃昂焚が起こした騒動だと思い込んでいたからだ。しかし、記事を読む限り、彼の関連性は読み取れない。

(尼乃の野郎は共犯者だったのか?)

とりあえず、この記事から分かったことは昂焚がまだ警備員に拘束されていないということだけだ。風紀委員としてはこれを残念がるのが当然だが、稜は心のどこかで喜ばしく思っていた。まだ警備員に捕まっていないなら、まだ雪辱を晴らすチャンスはある。稜にとって剣を交えた戦いでの敗北は屈辱だった。それ以上に昂焚が稜たちの信じる正義を否定し、それに対して明らかな嫌悪感を示した。あの言葉が、暴力が彼に与えた衝撃は大きかった。

(あの野郎を倒す…。じゃないと…俺はもう一七六支部のエースを名乗れない。)

稜にとって、それは風紀委員として、剣神として、一七六支部のエースとしての戦いだった。しかし、彼はまだ気付いていない。彼の心を占めるものが個人的なプライドの為であり、その思考は正義を理由に動く復讐者そのものだということに…。

(とりあえず、外に出よう。昔のドラマでもよく言ってただろ。“捜査は足だ”)

稜はパソコンをシャットダウンし、店員に料金を払うと深々とフードを被りながらネットカフェを後にした。
寒い中で朝日が稜の顔を照りつける。

(とりあえず、尼乃が捕まっていないのなら、警備員の包囲網に穴があったということだ。昨日の警備員の包囲網の情報を知れば、あいつの逃走ルートを逆算できるかもしれない。)

その情報の当てはあった。警備員と風紀委員の間にはデータリンクが成されており、警備員の捜査情報、風紀委員の捜査情報は共有できるようになっている。そのため、警備員のパソコンと風紀委員のパソコンは繋がっているのだ。どのデータを共有するのかは上位機関である警備員の裁量次第だが、繋がりがあるのであれば風紀委員のパソコンから逆にハッキングして昨日の包囲網の情報を得ることが可能かもしれない。
しかし、これには問題があった。まず、風紀委員の支部に入らなければならない。風紀委員の支部はカードキーによる厳重なセキリュティを組まれている。稜が持っているカードキーは一七六支部でしか使えないものだ。次に稜がお尋ね者の身であることだ。病院から脱走して、警備員からの命令も無視して昂焚を追っている。おそらく、一七六支部のメンバーは稜を血眼に捜しているだろう。一七六支部に入ればカードキーでバレるし、一七六支部のメンバー総出でかかればさすがの稜も逃げられない。
他の風紀委員のメンバーを襲ってカードキーを奪うなんて方法もあるが、完全に犯罪だ。
そして、最大の問題が一つ。稜はハッキングが出来ない。

(ハッキングとか他の支部の奴を襲ってカードキー奪うとか…完全に犯罪じゃねえか。そんなんじゃ“風紀委員の悪鬼”と同じだ。)

国鳥ヶ原学園高等部一年、風紀委員一七八支部の固地債鬼《コジ サイキ》のことが頭に浮かぶ。
彼は風紀委員として優秀であり、個人とは思えないほどの驚異的な検挙率を誇る。彼の名前を出せば、僅かでも後ろめたい何かがある者ならば誰もが震え上がる。しかしその優秀さにも裏があった。彼自身は傲岸不遜な性格であり、己の正義を断行するためなら犯罪スレスレの行為も行い、必要とあらば同じ風紀委員ですら罠にかける。彼には色々と思うことがあって、そのようなことをするのだろうが、稜から見れば「正義を免罪符にすれば許されると思っている輩」にしか見えない。
稜はハッキングやカードキー強奪といった案を必死に頭から拭う。そんなことをすれば、彼の戦いの理由を否定することになり、彼が思う“風紀委員”としての在り方に矛盾が生じてしまうからだ。
正義の遂行者には2つのパターンがある。
「正義のためなら手段を選ばない者」と「手段にも正義を求める者」だ。
「風紀委員の悪鬼」と悪評高い固地や 「詐欺師ヒーロー」を自称する界刺のように最初から戦いに正しさを求めないタイプは前者だろう。非常に効率が良く、あの手この手で策略を巡らし、瞬く間に結果を出す。現実的な視点から言えば理想的な正義の遂行者だ。
しかし、稜は後者を、戦いに正しさを求めるタイプだ。非効率的だが不器用にも自分の信じた正義を貫こうとする。実益もそうだが、それ以上に精神的なヒーロー性を求める。現実が見えていない未熟者と言えばそこまでだが、大衆が想う理想のヒーローは戦いにも正しさを求めるタイプだ。しかし、いずれ理想と現実の壁にぶつかり、正義の為に悪を為す選択を迫られて挫折してしまう危うさがある。
稜の場合、越権行為や命令違反などの常習犯ではあるが、彼にとってはそれも“正しさ”の範疇なのだろう。

(でもこのままじゃあいつには辿りつけない。一七六支部のみんなを巻き込むわけにも…一体どうすれば…)

さっそく信念と現実の壁に激突し、俯く。
目標はある。だけど、自分がどうすべきなのか分からない。
地面の石ころを見つめる稜の視界に黒くて大きな羽根、カラスの羽根が舞い降りた。

(カラス?)

稜がふと顔を上げた。

「何で…こいつが…」

あまりにも以外過ぎる人物の姿に稜は驚きがそのまま声に出ていた。
人なのか、それともカラスなのか、その二つが混じり合って混沌を極めた姿、黒い羽毛のマントは左右に広がり、まるで巨大な翼のように展開していた。

「レ…双鴉道化!」

突然の登場に稜は驚きが隠せなかった。こんな白昼に堂々と敵の頭領が自分の目の前に姿を現したのだ。
稜は針をポケットから取り出し、閃光真剣を出して身構える。警戒態勢を通り越した戦闘態勢だ。

「Good morning.神谷稜。場末のネットカフェで過ごした一晩はどうだったかな?」
「俺に…何の用だ?」
「寝不足かな?随分と機嫌が悪いようだ。言ってくれれば、この都市でも最上級のホテルルームを君に提供したのに…。」

稜は唖然とし、「はぁ?」と開いた口がそのままだった。

「昨晩のホールでもそうだ。君があのままホールに突入していれば、私は君を支援しただろう。あそこの監視システムに捕捉されないように細工して、君と昂焚が戦う場を設けたさ。無論、その後の包囲網から脱出するルートもね。」

孤独な自分への嫌みなのか、それとも本心で言っているのか。稜と双鴉道化の立場を考えれば、前者だと考えるのが普通だろう。しかし、彼はせっかく拘束した稜をわざと逃し、逆に昂焚と戦うように促したのだ。どっちが本当なのか判断がつかない。

「仮にあんたの言っていることが本当だとして、どうしてそうまでして俺を助けるんだ?」

双鴉道化は数メートル浮いたところから稜を見下ろしながら、クスッと笑う。位置関係のせいか、見下して嘲笑うようにも見える。

「昨晩も言っただろう?昂焚が君と邂逅すれば、また新しい彼の一面が見られる。私はそれが楽しみなのだ。」
(強者の余裕って奴かよ…。)
「君にとって、彼と戦うのを躊躇わざるを得ない要因が存在するのであれば、言ってくれたまえ。この私が排除しよう。」

そう言うと双鴉道化は地上に降り、ゆっくりと稜に歩み寄る。稜が更に警戒して閃光真剣の切先を向けるが、全く気にも留めない。異様なまでのどす黒いプレッシャーの塊のような存在が稜へ一歩一歩近付く。
双鴉道化が近付くほど稜の呼吸が荒くなり、冬なのに汗が滴る。まだ一度も剣を交えていないのに、彼の強さと恐ろしさが伝わってくる。まるで巨大な怪物を目の前にしているようだ。
双鴉道化が閃光真剣の間合いに入った。だが、稜は何もしない。いや、出来ないのだ。

「身体が動かないだろう?安心したまえ。恐怖で動かないのではない。私が動かないようにちょっとした暗示をかけただけだ。」

彼はそう言っているが、稜にとっては違う。おそらく、その暗示が無かったとしても恐怖で身体が動かなかったはずだ。今までの敵とはスケールが違い過ぎる。
双鴉道化が稜の腹部と手に自分の手を当てる。

(こいつ!俺のケガしているところを!)

またダメージを与えられるのか、稜は再び痛みを覚悟した。
しかし、痛みは来なかった。むしろ、逆に温かく穏やかな感触と共に今まで続いていた痛みは無くなった。

「寝違えたかね?首も悪そうだ。」

稜の不安を他所に双鴉道化は彼の首に手を当てる。再び同じ感覚が稜の身体に伝わり、寝違えによる首と肩の痛みも無くなった。

(治療…したのか?)

双鴉道化が離れると、稜の身体は動きだした。不安や恐怖から解放され、自分の首や腹に手を当てて確かめる。昂焚の都牟刈大刀に貫かれた手も嘘のように無傷だ。

(傷が無くなってる。痛みも…)
「今日のところはゆっくり休みたまえ。“明日”彼の居場所を教えよう。」
「“明日”?」
「ああ。明日だ。今日は大事な用事があってね。彼としてはこの街に来た理由のメインディッシュだ。邪魔をされると“本気”で殺しにかかるよ。」
(“本気で”…今まで本気じゃなかったのか…。)

尼乃昂焚も双鴉道化の学園都市の外の存在だ。見下していたわけではないが、今まで30年も技術が遅れている“外”のことを侮っていたことを稜は自覚する。
この学園都市にも自分より強い奴はたくさんいる。だが、それでも自分はかなり強い方だと思っていた。自惚れではなく、自分の力を正当に評価した結果だ。だが、外からやって来た2人は更に強かった。尼乃昂焚はともかく、双鴉道化は次元が違う。目の前にいるだけで自分が恐怖で身震いした。こんな感覚は初めてだ。自分が完全に井の中の蛙であることを改めて思い知らされる。

「俺は本気のあいつに勝てないって言いたいのか?」
「それ以前の問題だ。我々魔術師の戦いは情報収集、下準備の時点で始まっている。敵はどんな魔術を使うのか、どう攻めてくるのか、そして自分はどう防御し、どう攻めれば効率的なのか。そして、自分にとって有利な戦場を構築する。我々の戦闘は個人でありながら戦略レベルで行われる。」
「今、あいつに立ち向かえば、大量のトラップがお出迎えしてくれるってわけか。」
「その辺りの理解は速いようだね。だから、今日のところは休むことを薦めるよ。」

そう告げながら、双鴉道化は大量の黒い羽根となって徐々に消えて行く。

「俺はあんたの言いなりになるつもりはない。あの野郎が戦略レベルで戦うなら…こっちは―――――




“戦略を越える戦術”で戦ってやる!」





それを聞いた途端、双鴉道化は甲高く笑い始める。身体の半分が黒い羽根となって消えているのだが、それでも分かるぐらい大きなリアクションだ。

「面白い!実に面白いぞ!“戦略を越える戦術”だと!?それはそれで興があるものだ!」
「馬鹿にしてんのか!」
「ああ。馬鹿にしている。少なくとも今のところはな。」

双鴉道化が深呼吸する。彼の様子が少し変化する。先ほどまで稜のことを嘲笑う態度が一変して姿勢をただし、まっすぐと彼を見つめる。



「だが後の世に偉業と呼ばれるものは大抵“馬鹿”にされてきたのだよ。」




そう告げると双鴉道化は懐から1枚の紙飛行機を取り出し、稜の元に飛ばす。彼は少し警戒しながらも紙飛行機をそっと受け取った。

「今夜の8時までそれを持っていたまえ。馬鹿を見るか、偉業を為すか、それとも確実な手段で目的を果たすか。選択するのは君次第だ。」

双鴉道化は大量のカラスの羽根となって散っていった。



* * *




同時刻 第七学区 とある学校
どこにでもあるごく普通の高校。生徒のほとんどが無能力者《レベル0》から異能力者《レベル2》であり、これといった特徴も無い普通ザ普通を貫く様な高校だ。しかし、ここには幻想殺しこと上条当麻が在籍し、他にも吸血殺しの姫神秋沙、更に科学と魔術の二重スパイである土御門元春《ツチミカド モトハル》と、科学と魔術の裏の世界では決して無視できない濃いメンツが揃っている。
その学校の屋上、まだ生徒たちのいない時間に2人の人間が向かい合っていた。
一人はリーリヤだ。ロシアで生まれ育った彼女にとって日本の冬はまだ温かい方なのか、少し薄着で風に吹き晒されていた。
彼女と向かい合う男は筋骨隆々を絵に描いたような男だ。いや、それを筋肉と呼ぶには表現不足だ。重く、太く、鋼鉄のように硬い肉体、それを無理やりスーツに押し込めていた。そして、女性らしいくねくねとした動きが見る者を気味悪がらせる。
彼の名はアーロン=アボット。この学校の教師であり、同時にイルミナティのスパイだ。

「あら、久しぶりじゃな~い。リーリヤ。再会を喜びたいところだけど、もうすぐ職員会議があるから、早めに済ませて頂戴。」

くねくねと艶めかしい動きをしながらセックスアピールするアーロンに対し、リーリヤは冷たい目でただ見つめていた。

「そう…じゃあ、手短に、話す。姫神秋沙、欲しい。」

リーリヤがそう言った途端、アーロンが一瞬硬直した。しかし、すぐくねくねとした動きに元通りになる。

「あらぁ~。もしかして、リーリヤってそっちの趣味だったの?嫌だわぁ~。」
「ふざけるな。お前にだけは、言われたく、ない。吸血殺しの力が、欲しい。」

それを聞いて、アーロンは再びくねくねとした動きをやめ、先ほどとは打って変わって真面目な面持ちになる。オカマっぽい印象は受けず、その肉体に相応しい豪傑な印象だ。

「それで、吸血殺しを手に入れてどうするのかしら?」
「彼女の能力を、強制的に、解放、させて、吸血鬼を、誘き寄せる。」
「なるほどねぇ。吸血鬼を捕獲して、不老不死のメカニズムを解明するわけね。」
「そう…それで、私は…“永遠の命”を手に入れる。」
「そのために協力しろってことね。」

アーロンは少し不満そうな顔をしながら、腕時計で頻繁に時間を確かめる。そんなことを気にせず、リーリヤはニタリと笑みを見せる。

「光栄でしょう?イルミナティで、歩く悪夢と呼ばれ、迫害された貴方が、こうして、組織に役立てる、のだから。」
「そうね…。」
「あまり、乗り気じゃ、ないようね。科学の、電波に当てられ、過ぎたのかしら?」

科学技術にかぶれた魔術師を罵る際に“科学の電波に当てられた”というフレーズはよく使われる。電磁波が脳に与える影響から来ているネタだ。
リーリヤが親指サイズの木製の小さな人形をアーロンに投げる。

「それで、随時連絡する。手はず、通りに…。」

リーリヤの周囲に大量の冷気が集まり、瞬時に霊装ブローズグホーヴィが形成され、リーリヤは形成されると同時に霊装に跨る。
そして、その重量からは予測できない飛躍的な跳躍で屋上から去っていった。

「どっちかが男の子だったら、やる気が湧いて来るんだけどねぇ。」







11月3日は訪れた。

計画への協力という縛りを失った強欲なる者達は行動を開始する。

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最終更新:2013年09月17日 01:58