【盲目公記③】

「ティン、トトティン!(大河ドラマ功○が辻のイントロ)」

かつてラ・ムールを襲った伝説の邪龍王マルドラーク。
今や、その再来とも恐れられている黒い長角のゲオルグとジョージ一族による略奪によってラ・ムールは大混乱に陥った。

王位空座に始まる混乱は、副王即位という前代未聞の荒業で解決されたものの、
ラ・ムール軍はドラゴンのジョージ軍とのスステパ・モアイの戦いで惨敗。
もはやゲオルグを撃退できる者はいないのか。

ですが、ここで登場したのがカー・ラ・ムールであるイヘラー・シン・ガフ。
彼女はゲオルグに「自分は貴様の血で生き返った」と言い放ちます。

これは一体どういうことでしょう。



漆黒の美しい毛並を持つ、黒豹の猫人、イヘラー・シン・ガフ。
その艶やかな身体の曲線は、彼女が美しい女性として成年に達していることを現している。
だが、先王であるカー・ムヘアクが死んで、1年も経っていないというのに成人の王が現れるとはどういうことか。

「はあッ!」

持っていた戦斧でゲオルグに斬りつけるシン。
しかし、空中では自由に動けるゲオルグに分があり過ぎる。

だがシンは近くのドラゴンを足場にして、再びゲオルグを目指す。
もし、この機会を逃せば、二度とドラゴンが飛びかうような高度には届かない。

ドラゴンたちは雲の上まで飛行することも、海の深い底まで達することができる。
つまり空気の薄く、肺の中の空気すら凍り付く高高度や分厚い鉄も潰れる高圧にすら耐えうる肉体を持っている。

ゲオルグにしてみれば、今すぐに高い上空へ逃れれば、こんな敵は問題にもならない。

「武王の伝承は知っている。だが、邪龍王は雲の上まで逃げようとせんだろう?
 戦場で長であるワシの首を狙おうとしたのであろうが、ワシを暗殺することは出来ぬぞ。」

そういってゲオルグは、一息に上空へ逃れようとするが。

「黙れ、ジジイ。貴様の血を飲むまでは死にかけだったもんでよ!」

シンは信じられない速度で、ゲオルグの頭上を取った。

「ば…!?」

老いたドラゴンは次の瞬間、副名の由来でもある自慢の鼻の上にある長角を切り飛ばされ、前後不覚に陥った。

いったい何が起きた?
亜人ごときがドラゴンの上昇速度を上回ったというのか!?

ゲオルグが混乱する頭の中を収拾できない間に、第2撃が背中をえぐり、第3撃が翼を撃つ。
そして次々と鋭い刃がゲオルグの身体を斬撃した。

「族長!」

近くにいたドラゴンが、急旋回して小さな黒豹人に迫る。

「邪魔なりッ!!」

この二人の戦いに割って入ろうとしたドラゴンは、シンの戦斧で一撃のもとに切り倒された。
長い首の半ばから刃は入り、胸を通り、下腹部に切断面は突き抜け、そのまま腰のあたりまで切り下げた。
傷の深さは背中まで至り、巨木の化石と見まごうばかりの背骨が砕け、真っ二つに切り裂かれて落ちた。

これを見て二人の見解は…。

ドラゴンを一撃で切り下げるだと!?
馬鹿な。ドラゴン同士が殺し合おうとも、あそこまで身体を引き千切ることもできぬ。
これが神の加護を受けたカー・ラ・ムールの力だというのか!

と、ゲオルグは事態を重く受け止めた。

普通のドラゴンなら、やはりこの戦斧に耐えられない。
それがゲオルグ相手には鼻をへし折って、かすり傷程度か。同じドラゴンの間でもこうも差があるとはな。
伝説の武王ならともかく、技術的には上回っているつもりだが、実戦経験のない私に勝てるだろうか?

と、シンはシンでゲオルグがやはり一筋縄でいかぬことを理解した。

そもそも対等というのがおかしい。
シンはあらゆる武術を習得し、恐らく素の状態では武王以上の戦闘能力に達している。
それはそうだろう。戦闘技術や武術も日々進歩している。大昔の名人が今も通用するはずはない。

だが、ゲオルグはどうだ。
間違いなく訓練はおろか、血を吐くような努力も骨を軋ませ、肉が爆ぜる痛みを伴う経験も知らぬ。
何の苦痛も対価も支払わず、生まれたままの姿で武術の練達者で、かつカー・ラ・ムールに迫る実力だというのか。

無論、それには理由がある。

そもそも空中では踏ん張りを利かせる大地がない。
これではどんな武芸者であっても完全な一撃を放つ余地はない。
少なくとも武王と邪龍王は、やはり地上戦で決着を着けたと考えなければ辻褄が合わない。

次にワイバーンや巨鳥ルフ、ロック鳥すら失神する様な高度で、あの巨体が動き回れることが、まず異常。
呼吸があまねく動作の基幹になっている以上、どんな生物もこの高さでは実力は半減する。

今はまだ、ゲオルグがそこまでの高度に逃げ出せない様にシンが上手く立ち回っているが、
逃がさない様に常に心がけねばならないため、当然ながら攻撃の手順は単純になり、攻め手も限定される。
これは戦闘経験に勝るゲオルグにとっては、如実に有利に動く。

知性を持った怪物というものが、どれだけ厄介な存在か。

シンがゲオルグの戦力を冷静に分析する間、逆に老いたドラゴンは全く戦闘に集中できなかった。
恐怖である。シンからすればゲオルグは生まれて初めての真剣勝負。
そのために過去の敗北経験が思考を邪魔しないという点では、自由に戦うことができた。

もちろん歴戦の古兵であるゲオルグも、普段であれば過去の敗北など思い出したりしない。
だが、カー・ラ・ムールと対するのは初めてである。

これまではカー・ラ・ムールが姿を見せれば、ネズミのようにコソコソと逃げ出して来た。
それこそ仲間を何十と見捨てた事さえある。だが今は状況が複雑だ。

相手は自分がカー・ラ・ムールという。確かに神の遣わせる神霊とやらの助力なしに、
貧弱な亜人ごときがここまで練り上げるということは想像できぬ。
しかし、あまりに…、時期がおかしい。



先王カー・ムヘアクが崩御すると文字通り、入れ替わるようにしてシン・ガフは誕生した。

だが、シン・ガフは両目が開いていたために調査団は彼女を改めなかった。
もっともその後の調査団の仕事ぶりからいえば、眼が開いていても調べる余裕はあったはずだが。

悲劇は彼女が生まれて数日後に発覚した。
彼女は夜間は普通の赤ん坊に戻るが、太陽が昇っている間は物凄い勢いで成長を続けるのである。
そのまま1週間で大人になったシン・ガフだが、日が沈めば生後1週間の赤ん坊に戻った。

おまけに日中の間、大人の姿になった段階で、彼女は忽然と姿を消した。
待っていたのは歴代カー・ラ・ムールが待つトンデモ空間。

「時間がない。
 今から貴様がゲオルグに勝てる実力になるまでは帰さぬ。」

「は?」

厳めしい顔をした猫人たちが、腕を組んで待っていた。
彼らは、やれ試練だ、おう非常時だ、という。とにかく反論は受け付けなかった。
それ以来、青春はおろか、幼少期すらないシン・ガフの厳しい訓練が始まった。

「なんだ、そのへっぴり腰!カー・ラ・ムール失格だぁ!」

「はぁい!」

「なんだ、そのへなちょこパンチ!カー・ラ・ムール失格だぁ!」

「はぁい!!」

勿論、体育だけでなく言葉すら知らないシンの教育は苛烈を極め…

「ふっざけんなテメー!そんなこと教えてないだろ!?」

「はぁい!」

「はい以外言えねーのか!?」

「落ち着け、カー・シン・ガフはまだ赤ん坊だぞ。」

「関係ない。」

「そうだ。外では大変な事態なのだぞ。」

「もっと訓練を急がねば…。」

ある日、他のカー・ラ・ムールにこの空間について訊ねてみた。

「これは遠い未来に完成する魔法だ。空間を飛び越え、外との時間差を切り離すことが可能だ。
 ここに集まったカー・ラ・ムールは宇宙の記録から解析された情報が作った偽者だがな。」

「…すっごく適当だな。」

シンが不信そうに文句を言う。
どうせ未来から手出しするなら、そのゲオルグも倒して欲しいし、もっと他にもして欲しい。

「私はもうこっちでは50歳ぐらいなんだよ?」

「外ではもう半年経った。お前の故郷も家族も皆、ドラゴンに食い殺されたかも知れんぞ。」

シンを支えていたのは会ったこともない、この敵への憎悪だった。
カー・ラ・ムールたちは、流石にカー・ラ・ムールだけあって、厳しいが悪い奴ではなかった。
そんな彼らは時折、生前のラ・ムールへの思いを彼女に訊かせた。

変な話だ。
自分はその故郷を知らないのだが、この師匠たちのためにも見知らぬ故郷を守らねば、という気持ちにさせられる。
それに従い、故郷を餌場のように食い荒らすまだ見ぬ敵への怒りも。

だが、何もかもが無駄だった。
訓練が終了する頃には、シンはヨボヨボになっていたからである。

「これだけ戦闘技術を叩き込めばゲオルグを倒し、その後の隣国の攻撃を防げるだろう。」

「…もう私は婆さんじゃねえかッ!意味ねえだろ!?」

「問題ない。」

「外に出れば分かる。」

「全ては計画通りだ。」



通常空間に解放されたシンは、すぐに死んだ。
だが太陽が沈んでいる間だけは生後半年の赤ん坊に戻ったために、半分死んだまま、半分生き続けていた。

また歴代カー・ラ・ムールは散々、お前の親は死んだぞと言い聞かせていたが、両親も家族も生きていた。
だが、ゲオルグの度重なる略奪で多くの農民が逃げ出し、あれほど栄えていたラ・ムール商人たちも大勢破産した。
結果、シンは兄弟たちと一緒に売られてしまった。

シンの兄弟たちは、この妹の異常な事態に混乱したが、これが何か神の試練に関わる重大な事柄と理解した。
奴隷商に買われた後もシンを隠しつづけ、ドラゴンたちが奴隷商を殺し、彼らを連れ去った後でも隠し続けた。

そして、ある日にドラゴンに仕えている他の奴隷たちから伝え聞いた。

「ラ・ムール軍を決戦に引きずり出せば、奴隷たちを解放する。
 その時にはゲオルグは自分の生き血を与える。」

というのである。
最初はドラゴンの血など欲しくはなかったが、詳しく聞くうちに、その血には万病を治す効能があるという。

このため、数名の奴隷たちはラ・ムールを裏切ることになろうと王都に潜入した。
勿論、中には血を売ろうというだけの者や飲ませたい近親者のある者、
そもそも奴隷になった経緯から国に対して恨みのある者など、動機はバラバラだったが。

そしてついに、シンがゲオルグの血を飲む時が来た。

ドラゴンブレスが太陽神の擬似的な存在あるように、ドラゴンという生物に本来、太陽神に近い性質があったのかも知れない。
つまり死に対する変若効果、老いや死を跳ね除ける性質が備わっているということか。
いずれにしても、シンは成人した姿まで若返り、念願のゲオルグと戦えるようになったのである。

「貴様がカー・ラ・ムールであるハズがない!
 先王ムヘアクが死んで、まだ1年と経っていない。貴様は偽者だ!」

「本物か偽物か。あんたが私を殺し切れば分かるこった。…ジジイ。」

ゲオルグは、何とかシンから逃れようと身をよじってはしこく飛び回る。
なんとか他のドラゴンから距離を取ろうとするが、知恵の薄い連中が次々と族長を守ろうと集まって来た。
そして、そういった連中を足場に、シンは次々とドラゴンたちを仕留めつつ、ゲオルグにも襲い掛かってくる。

「離れよ!」

ゲオルグが怒鳴るが、ドラゴンたちは全く理解していない。

「父上!!」

五つ首のジョージに至っては父を守ろうと懸命にゲオルグを追いかける。
他のドラゴンたちもゲオルグを守ろうという一心であるが、この場に及んでは逆効果であった。

「忌々しい、ワシの怒りを受けるが良い!愚か者ども!!」

こうなったら強行突破だ。
ゲオルグの鼻、口元からチロチロと炎が漏れ出した。

シンは素早くドラゴンから滑り落ちて逃れたが、ゲオルグの最大火力のドラゴンブレスが一族を焼き尽くした。
これまでは半分の力も出していないゲオルグの最大出力のドラゴンブレスである。
流石のドラゴンたちでさえ、虫けらのように大地に向かって落ちていく。

とっさに閃光から目を守り、落下することでドラゴンブレスから逃れたシンだが、既に眼下に地上が迫っている。
このままではジャムのように地面にバラバラに張り付いて跡形もなくなる。

何より、余りに多過ぎる犠牲の上に立っていたゲオルグ打倒のチャンスは、
この瞬間にも限りなく不可能に近づいている。

「そ、そんな!」

シンは歯の根が震え、自分が大きなミスを犯したことに心底、自分を憎んだ。
逃げるなら上に飛ぶべきだった。勿論、可能性は薄かった。でも自分の力を信じられなかったせいで失敗した。
この間にも敵は追い着いたとしても亜人の体力では戦うことも出来ない空の高みに逃げ込んでしまう。

「考えろ。神は諦める者には…。」

そもそも他のドラゴンのダメージを考えれば、最初の斬撃で十分にゲオルグを仕留めているはずである。
それでなけば…!

「おかしい。私の実力はカー・ハグレッキを超えていた!」

それでなければ…!

「まさか!!」

そう。
ドラゴンの血に太陽神のように死を跳ね除ける性質があるように、死の神と似た性質をも合わせ持っているである。
すなわち口にした者はいかなる病や老いも跳ね返す代わりに、もともとの血の主の眷属となって、
その血を与えてくれた相手を直接殺すことが出来なくなるという効果である。

恐らくカー・ハグレッキが同じ条件でゲオルグに挑んでも結果は変わらなかったろう。
ドラゴンの血を口にした時点で、全てのチャンスは無駄になっていたのである。
だが、それならばやはり最初からチャンスはなかったことになる。

「今の私では殺し切れない…!!」

いや、シンの戦闘経験が十分ならば、精神的な動揺を抑え、事態を好転させる策がひらめいたかも知れない。
だが彼女を1年でカー・ラ・ムールに育てた神々のいたずらも彼女以外をこの場に立たせることはできなかった。
それは論ずることも意味のない喃語であろう。

凄まじい喪失感がシンの身体を貫いた。
閉じた世界の訓練も、何万もの犠牲も、最後の積み木を間違えてしまったために届かなかった。
最後の最期で何もかも台無しになってしまったのだ。

「さらばだ。」

落下し続けるカー・ラ・ムールに対し、再び最大火力のドラゴンブレスが放たれようとしていた。
シンは覚悟を決めて神に全てを委ねた。ゲオルグは信じる自分の全能力に敵の命運を任せた。
やがてゲオルグの口腹がまばゆい光で満たされ、それが満ちて放たれた。

だがしかし、シンが落ちる速度の方が、当然ながらドラゴンブレスよりわずかに早かった。

そしてシンの視界が暗転する。
もっともそうでなくとも目を守るためにはドラゴンブレスからは目を背けなければならないが。

気が付くとシンは生臭い何かの中で目を覚ました。
それはゲオルグの先のドラゴンブレスで焼き払われたドラゴンたちから出た血の池である。
勿論、下が水であっても、あの高さであれば即死は免れないのが道理だ。

しかし、ミズハミシマ軍と盲目公の戦いの時と同じく、精霊はほぼラ・ムールに味方している。
かつ神霊たちを従えるシンにとって全身が砕けるぐらいの衝撃はなんとかなる。

意外だったのはドラゴンブレスに対し、ドラゴンたちの血は相当な耐久性を持っているということだ。
ただ考えてみれば自分たちの炎に耐える耐久性ぐらい、持っていなければ道理に合わない。

しかし而して、全身が腫れあがるような痛みに歯を食いしばり、シンは汚泥を這いだした。

ゲオルグが遁走し、ドラゴン軍団はリーダーを失って潰走した。
対するラ・ムール軍は主だった将軍たちが戦死し、もはや統率がとれずにいた。

シンは戦場から逃げ出す両軍を見て悟った。
終わった。

だが、一手先に出たぞ。

シンは血塗れの身体を引きずって微笑んだ。
何も気が狂った訳ではない。敵は自分の死を確信したはずだ。

先代の死後、1年足らずで新王が姿を見せたことも奇襲だったが、同じことが2度も起こるとは考えまい。
恐らくゲオルグの頭の中でも、また十数年は王位空座が続くと考えているに違いない。

「ふふ。…私は生きている。」

落ちる前に、全てが無駄になったと落胆していた。
だが、チャンスはまだある。

「私が生きている。それこそが好機だ。」

これからは生きている以上は望みを捨てまい。
必ず、ゲオルグを倒す。



大方の予見した通り、スステパ・モアイの戦いでラ・ムールが大敗したものの、
クルスベルグエリスタリアも派兵する動きを見せなかった。
皮肉にも他国の混乱に付け入るよりも、自国のドラゴン対策のため、兵力を温存、増強する流れに切り替わった。

これ以降、ドラゴン災害は各国の頭上に常に存在する、恐るべき事案として警戒され、
迂闊に他国との戦争を開くことは出来ないという恒久平和への道が開かれた。

すなわち核兵器による抑止力に似た、ドラゴンという圧倒的な外敵の侵入によって生まれる新たな抑止力である。

「シャルロッテ殿をお連れいたしました。」

鮮やかな赤の鱗を持つ、もはや世界で指折りとなった美しいドラゴンの末裔、チャールズ一族のひとり
銀職人のシャルロッテ、シャルロット・シルバーマンはクルスベルグの政治顧問である。

民主議会制を取るクルスベルグにおいて、市民権を持たないドラゴンの彼女を、
特例的に顧問(オブザーバー)として参加して貰っている訳である。

その肉体の頑強さ、生命力の強さだけでなく、本来ドラゴンの知性もまた亜人を遥かに凌ぐものである。
もっとも肉体の強固さに比べれば、こちらは段々と鍛えている者が少なくなり、愚鈍なドラゴンが大半だが。

「ジョージ一族は警戒しなければならない既知世界の唯一のドラゴン部族の一派ですが、
 恐るべきは未踏破地帯に散ってしまったピョートル一族やフィリップ一族です。
 彼らは死に絶えたと伝える者もおりますが、ドラゴンの生命力を侮ってはいけません。

 今でこそ、あのゲオルグ公を除けば400年と生きたドラゴンも希ですが、
 本来は数千年を生きる者も少なくなかった。

 例え、既知世界から1万年ドラゴンが姿を消しても、それがある日突然に帰還することがあるとして
 なんらおかしいことではありません。」

今日は彼女の言葉を参考にするため、クルスベルグの著名な学者や大物議員たちが集められた。
彼女の知恵と知識は政治や軍事におさまらない。殆ど神の作ったテストの解答用紙に近いといって良かった。

だが、その反面。クルスベルグの民主主義を完全に壊死させていた。
圧倒的な武力が人々の社会を機能不全に貶める様に、あまりに純粋な知性、豊かな知識は
人々から考えるという生理機能を失わせてしまっていた。

「シャルロッテ殿、我々はジョージ一族とどう向き合えばよいのでしょう?」

「聞けばラ・ムールは賠償と称し、国中の家畜を差し出せと命令されたとか。」

「我々は戦うべきなのですか?」

「お教えください!」

聡明なルビー色のドラゴン、シャルロッテは答えた。

「落ち着きなさい。これは良きことなのですよ?
 貴方たちの優れた知識と技術力で対ドラゴン兵器の数々を作り、各国に売りなさい。
 今のような攻城兵器を転用している状態では、ドラゴンの襲撃には備えられません。」

「なるほど。」

「まずはグリュンベルグとフッケベルグの工房を改装しなさい。
 そして専用の生産ラインを構築しなさい。費用はサーペンベルグ銀行から調達させ、10年以内に返済する計画を。
 その前にフッケベルグは抱えている在庫を一掃させなさい。この際、損をしても良いでしょう。」

「…ですが、ドラゴンを殺すための兵器を作って宜しいのでしょうか?」

一人の議員がシャルロッテに伺いを立てる。
クルスベルグ領内に住むドラゴン、チャールズ一族は比較的、亜人とは有効な関係にある。
それが大っぴらに武器を作り始めるのは危険ではないだろうか?

誰もがその点に関して疑問を抱いていたが、シャルロッテの返答は痛烈だった。

「心配は無用です。今の技術力では我々を一方的に殺戮する兵器など作れはしません。
 本当にドラゴンの軍勢に対応出来る兵器など、作らなくても良いのです。
 貴方たちはそれが有用であると言って、各国から儲ければよいのですよ?」

それが真実であった。
仮にそれが作れるとしても、恐らくは十分に戦略的に運用できる数を揃えることも、メンテナンスも追いつかないだろう。

いくら太古の頃よりは劣っているとはいえ、仮にも神にも等しいと豪語するドラゴンである。
亜人の知恵と技術力をどれだけ費やしても対抗できる相手ではない。

ただしそれはシャルロッテ・シルバーマンや黒い長角のゲオルグのような知性のあるドラゴンが前提で、
今、世界中にいる殆どのドラゴンは亜人の挑発に乗って武器の射程に飛び込んでくるだろう。

逆に今回のゲオルグのラ・ムール襲撃のように戦略的に、狡猾にことを進められては
亜人の力では対応しきれないことは言うまでもない。

「な…!」

しかしドワーフたちの怒りは相当なものだった。

いくら尊敬するシャルロッテとはいえ、面と向かってお前たちの技術力など自分たちには何の脅威でもない、
といわれれば彼らの着いてもない逆鱗に触れるようなことだ。

これがラ・ムールの商魂逞しい猫人たちであれば、大喜びだろうが、ドワーフたちには通用しない。
建国以来の誇りである工業力を侮辱され、無用なものとして嘲笑われたのだ。

「我々の腕では、本当に役に立つ対ドラゴン兵器など作れないというのですか!?」

「い、いくらシャルロッテ殿とはいえ、許し難い屈辱です!!」

「そもそも性能を偽った武器を売れと!?」

顔を真っ赤にして立ち上がるドワーフたち。
それでもなお、シャルロッテは冷酷につづけた。

「ドラゴン用の大型の専用武器など、普通の戦には使えないでしょう。
 そうなれば各国は役にも立たない武器を高額で購入し、当然、軍事力も落ちるのですよ?
 偽薬を売るのはプライドが許しませんか?

 しかし、全てはクルスベルグの安全保障に繋がる案件です。
 これはただの商売ではありません。既に外交戦争の一部として、他国に勝つために行うのです。」

もはやドワーフたちはシャルロッテの話など聞いていない。
口々に怒号を発し、反対意見を繰り返すのみ。

「み、皆さん!静粛に!!」

シャルロッテが連れて来たノームの使用人が小さな体を張って議員たちをなだめる。

「お嬢様、ど…どうか穏便に!」

「何です。私に指図するのですか。愚か者め、罰を与えるぞ。」

例のように対象にしか聞こえない指向性音声で使用人に答えるシャルロッテ。
議員たちには聞こえないが、この後、あまりに自分の思想を理解できないドワーフたちを一方的に罵り始めた。

結局、この意見会は中断され、数時間後に改めて再開して検討し直した結果、シャルロッテの方針が認められ、
次の国民議会において正式に対ドラゴン兵器の開発、各工房への発注などの計画が立てられた。

夜になるとノームの使用人を連れ、自分の住む洞窟へ戻るシャルロッテ。

「お嬢様、族長も仰せですが、あまりクルスベルグの国政に関わるべきではありません。」

「何故です?私の力は、この国を良くしています。」

「左様です。
 ですが、民主主義の良さは最良の答えは出せずとも、多くの人間が国政運営に関わることで、
 常に安定した政治が出来ること。

 お嬢様のような賢人はドラゴンでも亜人でも数百年に1人おるか、いないかでしょう。
 今のようにお嬢様がクルスベルグの国政を全て決め続けていたら、
 この国は自分で国を動かす能力を失います。今や官僚たちさえお嬢様の指示通りに事業案をまとめています。

 この国の誰も財政構造すら知らないでしょう。
 お嬢様がいなければ、誰も国政運営の経験がある者はいません。」

ノームがひとしきり話し終わるとシャルロッテは答えた。
その語勢は冷たく、生命の鼓動を感じさせない冷酷な響きに満ちていた。

「私が死ぬまでクルスベルグがあればの話ですね。」

最悪、その可能性すらあった。

仮にも一度は革命で腐り切った脳髄を切除する大手術を行ったドワーフたちの歴史がある。
また革命運動が起こって、今度は失敗し、無数の小国に分裂する危険性があった。

「もしやそれがお嬢様の望みですか?」

「誇り高く、自立心の強いドワーフたちでは、我々の奉仕種族としては不適格でしょうが、
 今後も莫大な出資と財政出動を繰り返せば資本力で彼らを奴隷に出来ます。」

ノームの使用人は頭の中で、自分の主が各地に分散して保管している金貨や金塊を計算する。
あそこに、あっちに、こうで、ああで…。

「…いつでもお嬢様の財産を安全に移すことができますよう、お手伝いさせて頂きます。」

「ああ。」



ラ・ムールでは、ついに戦後処理が始まった。

ゲオルグは、彼にとっては何度目かになるが、ラ・ムールの人々は過去の記録を調べて特定した。
「足枷の谷」と呼ばれるデール(大きな谷のこと)に合計40万トンの食料を用意せよ。
それがゲオルグの要求だった。

「生きたまま連れてくることだ。腐って重さが減ったらことだぞ。」

余りに残酷な通達に生き残ったラ・ムールの首脳陣は卒倒寸前だった。

理屈は分からないでもない。
生きている以上は、どんな生物も他の生き物を餌にするのだ。
それが亜人だろうが、ムシケラだろうが、ドラゴンだろうと例外ではいられない。

「とにかく可能な限り、家畜や穀物を集めるしかない。」

「馬鹿な。我々の食料だぞ!」

「国民をドラゴンの餌にする訳には…!!」

「散々、食い荒らされた後で、どこに牛や豚がいる!?」

「ありったけの借り入れを始めるしかない。各国から穀物と食肉を買い上げろ!」

「無理だ。欲の皮が突っ張った連中が値を吊り上げはじめるぞ。」

ゴブリンどもが!あの鬼畜め!!」

「借り入れをするとしても、もうラ・ムールのごとに担保になる財産がある?」

「この際、イストモスが欲しがっていた領地を割譲しても構わないのでは?」

「それは歴代カー・ラ・ムールに対する最大の侮辱だぞ!!」

文官官僚たちは日々、真っ青になりながら計算を続けた。
そして、軍部はゲオルグのいわれた場所を調べたところ、それが掘り起こされた。
数十年前、カー・ムヘアクの即位より前に使われたという人間を同時に何人か乗せて計るという器具である。

「…なんだよこれ…!」

「まるで肉屋の秤じゃないか。」

「いやだぁ!!」

兵士たちはそれを見て愕然とした。
それはある意味では処刑台より悪趣味で、怖気を催す最悪の器具だった。

ドワーフたちの手による、実に頑丈で精密な秤である。
それが使われる用途を考えなければ、本当に素晴らしい道具だ。
砂の中に隠され、手入れが全くなかったにも関わらず、今でも十分に正確に機能する、称賛にも値するだろう。

「すごいぜ。何回使っても正確に全員の重さを計れるや。」

「ほんの数グラムの狂いもない。」

「ふざけんな…。やめてくれよ。こんなの…。」

点検を兵士たちが済ませると、ゆっくりとドラゴンたちが集まって来た。

「運ばせてもらうぞ。」

「わ、分かった。」

いつみても兵士たちが驚くのは、彼らが空に舞い上がるとき、信じられない程に身が軽く思えるのだ。
頭から尻尾までで20m以上。立った時の高さは7m近い彼らの巨体が羽のように空に吸い込まれて行く。
それでいて、全く静かなのだ。

初めから天空の一部であったと言わんばかりに彼らは空に似合っていた。
それは雨のようであり、虹のようであった。

「…水を飲ませて体重を増やすって文官や神官たちは言ってるらしいぜ?」

「いいさ。吐くまでだって飲んでやる。」

「水を飲むぐらいなら毒を飲むぜ。あいつらを腹の中から毒殺してやる。」

しかし結局、賠償は年内には行われなかった。
余りにラ・ムール側のダメージが大き過ぎた。あるいはゲオルグが目こぼしをしていた。

彼にしてみればわざわざ亜人を選んで食べる必要はない。
むしろ家畜の方が敵の憎悪を買わずに済むのだ。
そこである程度は猶予を与え、家畜の頭数が揃うまでは、ラ・ムールに期限を延長することを告げた。

ただし、その間も今ある分から家畜を差し出させることになっていた。
殆どこの毎日の出費だけでラ・ムールは重税を課せられたに等しく、海外から家畜を購入する為、国内からは資本が流出。
物価は高騰、破産する者が後を絶たなかったが、それでもドラゴンたちは満足しなかった。

これだけの暴挙は当初のゲオルグの戦略を逸していた。

その理由は、この頃、ゲオルグはカー・ラ・ムールは不在だと考えていた。
未だにカウが副王として国政を管理し、スステパ・モアイで新たな王を殺したことで、それを確信していた。

だがシンは密かに再びゲオルグを暗殺する機会を伺っていた。
奴は伝承の邪龍王より遥かに劣るが、狡猾で、もう二度と正面から戦うようなことはしないだろう。
自分は安全な場所に隠れて、一族を操って攻撃するだけだ。

そこから考えて、次に大勢の前に姿を現すと思われがちな足枷の谷には、姿は見せないハズ。
カー・ラ・ムールは死んだと思っているだろうが、それでもラ・ムールが最後の奇襲をかけ、
ゲオルグの命を狙うことは考えられる。

なら他国のどこかと言うことも考えられるが、一族から離れすぎては命令が出せないだろう。
と言うことは国内にまだいるはずだ。

考えろ!
奴はどこに今、隠れているのかを。

国がリーダーを失うことで力を落とす様に、あの狡猾なドラゴン王を殺さなければ、
既知世界の各国は、明日のラ・ムールの二の舞となる。

「分からない。太陽神よ、お教えください。この私に討つべき敵の居場所を!」

シン・ガフは神に祈った。
だが、無駄だった。

そう。
ゲオルグの血を飲んでから、どんどん神霊や精霊の気配が感知できなくなり、今では全く分からない。
ごくごく単純な魔法すら自分からは発動できず、精霊たちがある程度、気を利かせてくれると使えるだけだ。

「歴代カー・ラ・ムールすら神の助けなしに試練に挑み得たろうか?
 それとも私は所詮、急性培養の即席品でしかないのか。」

だが反面、良い体の変化があった。
頭がこれまでになくスッキリしている。夜も眠らずに走り続けても疲れない。
筋力は強さとしなやかさ、そして素早さを兼ね備え、どんどん体が変化していく。

それらがドラゴンの血が及ぼす変化というならば、彼らが神を頼らないのも合点が行った。

姿が見えず、声もしない精霊や神をドラゴンたちは最初から信じられる余地がない。
それに対し、有り余る肉体の全能性が彼らを傲慢にした。

シンも感じていた。
なぜ、こんな冷酷な試練を太陽神は我々に課す?
それに比べれば、この単純すぎる暴力を信じる方が自然というものだ。

何の努力もせずに得た、この凶暴性はどうだ。
信仰も崇拝も、何もかも馬鹿らしい。

自分が異空間で過ごした歪な日々はなんだったのだ。
ドラゴンたちにしてみれば、それでようやく対等の、その一歩手前ではないか。

国も自分なしで十分に機能している。
もう、何もかも、どうでもいい…。

そう何度も自分の弱さが顔を覗かせた。
その度にシンは自分を説得する。

人々は地上の生きた大英雄カー・ラ・ムールを待っている。
あの凶暴なドラゴンを討ち払い、平和な既知世界を取り戻すことを待ち望んでいるハズなのだ。
それが出来るのは自分だけだ。それを与えてあげられるのは自分だけだ。

神が亜人の味方であることがドラゴンたちを押し留める、薄い板壁。
だが現実には神が奇跡を起こすことはなく、それを担うのは自分たちなのだ。

弱さより先に、前に一歩踏み出し続ける。
止まれば二度と帰れぬ、自分自身の弱さが生み出した淵が広がっている。
その底も見えない、無明の谷底から背を向けて歩みを進める。



シンが国中を探し回って旅すること、数ヶ月。

そんなある日、数頭のドラゴンが野営しているのを見つけた。
ここで軽々に憎しみに駆られて彼らを皆殺しにしてはいけない。
彼らは亜人奴隷を連れて移動する。もしドラゴンたちが死ねば、ここは砂漠のど真ん中だ。

いかにカー・ラ・ムールとはいえ、一息で砂漠の真っ只中に街を作ることはできない。
奴隷たちには罪はない。ここは慎重に行こう。

色々思案して、シンは堂々と彼らの野営地に踏み込んだ。
ドラゴンたちは女の若い黒豹人を見ても、とくに何もいわずに休んでいた。

ある程度は恒温性を獲得しているとはいえ、ドラゴンの巨体は太陽の熱なしには十分に動けない。
そのため夜間はドラゴンの能力は遥かに落ちる。

もっとも落ちると言っても未だに亜人との力の差が埋まるようなものでもなく、
夜間では巨大な攻城兵器を使うことも出来ないため、夜襲を仕掛けるという選択肢はない。

「邪魔するよ。」

休む必要はないが、水ぐらいはドラゴンの因子を持つカー・ラ・ムールでも欲しい。

「何用かな?」

両目が潰れたドラゴンが声をかけて来た。
まだ若いらしいのに、不憫なことだ。

ドラゴンとはいえ、若いと鱗に艶があって、なんとなく肉つきが良い。
勿論、声が穏やかで、どことなく涼しげだった。

「水はあるかな?」

「あちらに川がある。とはいえ、貴方の足では苦労するでしょう。
 既に汲んだものがある。奴隷たちに持って来させても良いし、信じられぬというなら案内しよう。」

ドラゴンの癖にしゃべり方が貴族っぽい。
発音が丁寧で、いちいち聞き取りやすい上に、上品な言葉使いだ。

「シン・ガフだ。」

シンが挨拶する。
心の中では「カー・シン・ガフと名乗ってもいいぞ。」と思っていたが。

「私はブラインド・ジョージ。暗い目のジョージとも呼ばれています。
 ご覧のように両目が潰れているように見えますが、生来、眼球が黒いものですから。」

そういって彼は長い首をぐぐっと近寄せてシンに見せた。
確かに鱗の色と同じ暗い緑色の間で、全くの夜の闇のような眼球に、血のような瞳が浮かんでいる。

「私を食わないでくれよ。」

そういいながら、シンのずた袋に包んだ戦斧を握る手が熱く高潮する。
腹の底にぐっと血がたまって、眼の色が濃くなった。

「だが貴方もドラゴンを口にしているようだ。」

ブラインド・ジョージこと、盲目公の鋭い指摘に、シンはびくっとなる。

「お気づきでなければお教えしよう。
 貴方の気配は普通の亜人とは異なっている。奴隷たちが精霊が騒いでいると教えてくれました。
 貴方はそれにお気づきでないようなので。」

なんたること。
よりによって精霊の気配に関して、ドラゴンから意見を貰うとは考えなかった。

「…実は血を飲んだ。
 でも、私は病気だったから…。仕方なかった。」

「気に病むことはありません。」

そうこうしていると奴隷の蟲人が水を運んで来た。
他にも保存の利く簡易食料などもシンに勧める。

だが、シンが水だけを受け取って、他を断ろうとすると盲目公が、例の発声方法で他に聞こえない様に耳打ちする。

「お取りなさい。これは彼らの私有財産です。
 給金として我々から受け取っているものの一部を貴方に差し上げようというのだ。
 無にしてはいけない。」

「…ありがとう。」

シンは盲目公の勧めに従って食料にも口をつけた。

その様子を盲目公はしばらく見ていたが、奴隷たちが余りに騒がしいでの首を向こうへ向けた。
シンには聞こえないが、やはりさっきの特殊な声で奴隷たちに命令しているのだろう。
ややあって、奴隷たちは静かになった。

「あいつらは逃げ出さないのか?」

「その気になれば声だけで遠く離れた相手を失神させる技もあります。
 かの武王に邪龍王が敗れて以後、ドラゴンにも武術の類が伝わっております。
 もはや亜人がどれだけ鍛えても、我々に直接の攻撃を加えることも困難でしょう。」

「あんたらが武術を?」

「亜人のするような本格的なものではありません。コツを教えられれば皆できる簡単なものです。
 口笛ひとつとっても貴方たち、亜人にとっては見えぬ槍で臓腑を刺し貫かれたような痛みにもなり得ます。」

ぞっとする。
この巨大な生き物は、肺に詰め込んだ息で喉を震わせただけで、100人中の狙った1人を殺すことも可能なのだという。

尻尾ひとつとっても音の数倍の速度で振りぬくことが叶う。
合図してから攻撃が来ても、亜人の反射神経では間に合わず、射程から逃れることも困難だろう。

「まあ、そのような技を使わずとも我々が彼らを背にのせて運ばねば、彼らは生きられません。
 彼らは亜人社会でも奴隷。しかも上手く事情を誤魔化し切れなければ逃亡奴隷です。
 仮に許されても無一文では、暮らしていくことも出来ません。」

「ふん。」

シンは惨めな奴隷たちを遠目で睨みつけた。
かつては自分もあそこに居たような連中に養われていた。だが、それは赤ん坊だったからだ。
今は違う。もはや歴代カー・ラ・ムールのどんな練達者も及ばないハズだ。

「貴方はドラゴンそのもののようだ。」

盲目公が不意にそういった。

「どういうことだ。」

「ご自分がどんな者より優れているとお考えだ。
 それはいけない。我らが族長、黒い長角のゲオルグをご覧なさい。
 この数千年でも例を見ない強さと賢さを備えながらも、ドラゴンに社会性を与え、力を合わせることを教えた。」

「戯言だ。どんな国も優れた王や人材なしにはおられん。
 結局は個の傑出した才能が、後の連中を支えているに過ぎぬ。」

シンの強情な態度に盲目公は特に関心を示さなかった。
見たところ、一人旅をしている武芸者か、亜人の中でも変わり者と見て間違いない。
そんな亜人が、多少は偏屈なところを見せても不思議はない。

「勝利の塔の天国への階段に住むトカゲという伝承をご存知でしょう?」

気分を変える様に盲目公は話を変えた。

「神様に噛みついたっていう?」

シンがそういうと、盲目公はうなづいて、話を続けた。

「天国の門が開かれた時、彼は神の指を噛んで血を奪い、至高の存在として神々の列に並ぶことを拒み、
 楽園の生活を捨てて、地上でドラゴンの始祖になったと伝え聞きます。

 亜人にとってはくだらぬ作り話でしょうが、これは暗にドラゴンの血に神咒の効能があることを
 先人たちが言い伝えとしたものなのでしょう。」

シンは自分の体に流れるものが、とんでもないものではないかと考えて震えた。
神を噛んだ罪を負ったトカゲが、その罪科として精霊の声を封じられ、化け物となったわけだ。

その罪科から逃れる唯一の方法は、血を受け取らぬこと。
つまり母親の胎内に生まれ落ちた瞬間から、ドラゴンは始祖の大罪を背負い、神罰を受けなければならぬというのか。

「そこからまた血を受けた亜人をドラクール、ドラゴンの子とも呼びます。
 すなわち…。」

「吸血鬼(ドラキュラ)。」

シンは自分が、自分も天国の階段に住むトカゲの末裔に並んだことを自覚した。

そうだったのか。あそこが天国とやらなのか。
私は死んだらあそこに行けないから、だから呼ばれたのか。二度とあの場所には、帰れないのか。

虎が子供を生めば、そのうち一頭は豹となる。
豹は親の目を盗んで兄弟を食らうという。そのために親は豹を生まれた時から厚く子育てすると聞く。

自分は生まれた時から罪人になる運命だから、あんなに大切に育てられたのだ。
狂った詩人どもが書き殴った異界の神話に出てくるギルガメッシュやヘラクレス、スサノヲが
偉大な神の血を継ぎながら、犯した罪のために、その列には戻れぬがごとく。

与えておいて奪われた。
奪っておいて与えられた。

あの大英雄たちにはもう会えぬ。

「…もっと何か詳しくは?」

「血の効能に関してですが、病は治ると私も聞いたことがありますが、ドラゴン同士では確かめようもなく。」

「そうじゃない!」

シンは怒鳴った。

「飲んだ人間が、元には…!!」

言葉の途中でシンは諦めた。
カー・ラ・ムールたちの言うとおりにして訓練を続けたぐらいで、試練と呼べるはずがない。
むしろ特例処置で特別レッスンまで受けさせられた自分が、とんでもない試練を吹っ掛けられても十分にお釣りがくる。

「ドラゴンの血を飲んだ以上、他の亜人と暮らすには何か不都合があるのでしょうね。
 ですが、一人で生きていくのは無理です。我々でさえ、こうやって助け合って生きています。」

盲目公は、それほど熱心に説く様子もないが、優しい語勢でシンに語った。
ただシンは、うなずきはしなかった。

「王都まで行きますが、同行なさいませんか?」

その盲目公の申し出に、突然シンの頭で線が繋がった。

一族を離れたまま、各地のドラゴンを統率するには、ラ・ムールの国家機能を使えばいい。
王都に居を構えれば、敵の動きを直接つかむことも叶う。

「ご厚意に甘えて…、宜しいかな?」

「あなた一人、なんの問題もありません。」



スステパ・モアイの戦いから更に半年近くが過ぎた。
居場所を変え続けていたゲオルグの手がかりは王都にあるかも知れない。

そう思い、王都まで盲目公と同行したシンだったが、その予想は外れだった。

王都にはゲオルグの息子で、次期族長と目された五つ首のジョージが駐留し、監視役を務めていた。
彼はさながらラ・ムールの占領軍司令官のように、その動きを見張っていた。

というより、そのはずだった。
だが側近たちは勿論、五つ首のジョージがラ・ムールの監視を全く行っていないことが、
亜人奴隷の報告でゲオルグの耳に入ったために、孫の盲目公を派遣したのである。

ドラゴンたちは、全くの馬鹿揃いであった。
ゲオルグが目を放せば、言葉を話す獣レベルまですぐに退行していた。

「それでは、私は族長から与えられた役目がありますので。」

「…ありがと。」

シンと別れると、すぐに盲目公は例の他には聞こえない声で五つ首のジョージと口論し始めていた。
王都に入る直前から、体を震わせて、仕切りに声を張り上げていたが、どうも言い争っているようだった。

「ドラゴンが、ここまで組織化されてるとは。」

シンは考えを改める必要を感じた。
武王のように、個人の武力では今のドラゴン王には全く歯が立たない。
一人で悩んでいたのもまた失敗だった。時間の無駄だ。

ゲオルグには優秀な副将があり、彼自身が動かずとも部下を統率できるまでになっている。
邪龍王の、忌まわしい眷属どもでは、こうも鮮やかにラ・ムールを占領統治できなかっただろう。

居場所さえ分かれば暗殺の機会を作ることも出来るという発想もすでになかった。

彼を個人としてではなく、国王として倒さなければならない。
彼自身を倒せないなら、彼の一族を倒し、彼が族長として一族を率いることができないようにするしかない。

姿を隠すのはやめよう。
今すぐに王宮に乗り込んで、新王の即位を知らしめなければ。



「ラ・ムールは我々に屈しているのだ!」

「屈しておりませぬ。」

五つ首のジョージと盲目公は激しく争った。
見守っているのは盲目公の兄や弟たちだが、どれも取るに足らぬ愚物である。

「亜人奴隷どもの言葉を信じるか!?」

「父上よりは彼らの方が利口です。」

「貴様ぁ!」

五つ首のジョージは怒り狂い、激しく威圧するが、盲目公は全く動じない。

「カー・ラ・ムールは必ずやこの国を救いに来るでしょう。
 族長は、神を畏れよと普段から教えておられます。今はその族長すら、その事を忘れているようですが、
 危機は常にこちらにあり、我々は亜人より数も力も劣ることを御自覚なさいませ。」

「ばかめ。カー・ラ・ムールは死んだわ!」

五つ首のジョージの言葉に、盲目公は耳を疑った。

「知らぬようだな。
 族長はスステパ・モアイの戦いでカー・ラ・ムールを討ち取ったぞ。
 もはや神を畏れる必要もないのだ。俺たちは、この国に住み着くのだ!!」

「莫迦なことを。」

盲目公の反論に、五つ首のジョージは眼を向いて怒ったが、彼は続ける。

「当初の戦略をお忘れなのですが、族長までも。
 亜人たちが力を合わせ、本気になればドラゴンなど一溜りもないと、族長自身が身にしみて知っていたハズ。
 国を乗っ取るなど…、彼らの危機感を目覚めさせるばかりではありませんか。

 今は家畜を差し出すだけで済むと思っているからラ・ムールも頭を下げているだけです。
 自分たちが本当に恐れられているとお思いか?
 せいぜい居直り強盗ぐらいにしか彼らは思っていませんよ。」

「そんなことはない。」

五つ首のジョージがそういうと、彼の息子たちも賛同した。

「馬鹿が、暗い目よ。」

「何も知らされておらなんだか。」

「利口ぶっていたのは貴様の方だったようだな!」

落胆するしかなかった。
あの狡猾な祖父が、たった一度の戦勝でそこまで思い上がっていたとは。
あれほど神を、亜人を侮るなと教え聞かせて来た、あの梟雄が、謀略と戦争の名人が。

たった一度の勝利に酔っているというのか。

その浮かれた熱が、こうまで一族を毒しているとは。
これではラ・ムール軍が密かに立て直しを図っていたとしても掴みようがない。

「思いもしなかった。
 自分たちが、ここまで愚かだったとは。祖父を信じた私が、浅はかだった。」

盲目公はうなだれた。
同時に、祖父が褒めてくれた自分の利口さにも疑いが生まれていた。

「うつけよ。私は自分だけは、皆とは違うと…。驕っていた。」

盲目公は、ひとりだった。

一族で思慮深い者は、今の彼は自分を疑っているものの、彼ひとりだった。
彼は自分の悩みを相談できる相手がいなかった。

思えば旅の黒豹人に、普段はしないような話を出来た。
あんなことは生まれて祖父以外には覚えがない。

幼い日に祖父はドニー・ドニーで海賊王になりたかったといっていた。
そして、結局はドラゴンであるが故に今は各地を転々としていることも。

ドラゴンの中に居ながら、常に祖父も自分も孤独を感じていたのだろうか。
だからこそ、亜人たちの輪に入りたいと、そう思ってしまっていると。

ああ、人に化ければよい。
それが叶うなら。

そのように悩みながら夜風に吹かれていると、なにやら騒がしい。

「なにごとか!」

盲目公が辺りを観察すると、いわんことではない。
緩み切った父と一族の者たちが王都に密かに集まったラ・ムール軍に攻撃を受けている。

何処から運び込んだのか、弩弓砲まで用意している。
スステパ・モアイの戦いで接収し、すべて破壊されたはずではなかったか。
恐らく父に手抜かりがあって隠し通されていたか、新たにラ・ムール軍が国外から買い入れたと見て間違いない。

いずれにしても、それが王都の近くまで運び込まれているのにも気付かないとは。

「そ…。」

一瞬、飛び立とうとした盲目公は、その場でとどまった。

今、飛び立って、あの暗愚な兄弟や父を助けて何とする?
あんな連中は太古のドラゴンであれば、とっくに食い殺されるか、始末されても良い連中だ。
そうでなくとも、父が死ねば、自分が今度こそ祖父の跡を継ぐことができる。

あの父が族長になれば、かえって一族にとって害になるのではあるまいか。
いや…。

盲目公は飛び立った。
無論、自分が父を見殺しにすれば、あの祖父は自分が計略のために父を見殺しにしたと見抜くだろう。
そういう打算からであった。

もともと愛情の薄い生物である。
親子だろうと平気で見捨てたところで他のドラゴンは咎めもしない。
だが、あのゲオルグなら、自分の野心を見抜き、恐れるだろう。

この時、盲目公は理解した。
自分が亜人たちと共存するような国、ドラゴンが認められ、獣を脱するには祖父が最大の敵だと。
恐らくは祖父自身が祖父自身にとっても。

王宮では、間抜けにも五つ首のジョージと息子たちが地べたを這いまわっていた。
夜間は体が冷えれば、すぐには飛べない。身体を温めるには太陽の光が必要になる。
それは滑稽だった。

普段は天空から亜人たちを見下ろす彼らが、芋虫のように身をよじって弩弓砲から逃げていた。

「見ろよ、あいつら飛べんのだ!!」

「ははは!」

ラ・ムール軍の兵士たちは、新品の弩弓砲でドラゴンたちを狙い撃つ。
それはまさに虐殺だった。

「おのれ!」

「身体が冷えては…、くっそ!」

「翼を折り畳め!翼を破られれば逃げられぬぞ!!」

一人がそう怒鳴ったが、一人、また一人と不十分な準備運動で固まった翼を広げ、
飛び損なっては敵の矢弾に撃たれて倒れた。

「間抜けな連中だぜ。」

本来であれば、夜間に手元を確かにするだけの灯りが戦場では手に入らない。
だが、ここは王都である。ありったけの火を用意すれば、巨大で複雑な攻城兵器を操ることも出来る。

だが形勢は早くも逆転した。
素早く飛び来た盲目公は瞬く間に弩弓砲を叩き壊し、ラ・ムール兵を雑草のように引き千切った。

「両目が潰れたドラゴンだ!」

「ぶ、ブラインド・ジョージ!!」

「ミズハミシマで何万人もぶっ殺したドラゴンだ!!」

兵士たちから沸き起こる怒りと恐怖。
その波を掻き分けて、一人の黒豹人が姿を見せる。

「カー・ラ・ムール!」

「カー・シン・ガフのおなりだ!!」

ラ・ムール兵の歓声に、盲目公は耳を疑った。
馬鹿な!カー・ラ・ムールだと!?生まれていたとしても1歳より大きいはずがない。
あの女が、カー・ラ・ムールだというのか!?

「お、お前が…、本当にカー・ラ・ムールなのか?」

「そうだ。」

シンは胸を張って答えた。

「もっとも精霊たちの、この声が届かぬお前たちには私の王たる威風が解せぬだろうが。」

この時、盲目公も気が付いた。
この女は、確か自分が連れて来た汚い変わり者の武芸者ではないか!

「…お前のおかげで目が覚めた。
 王は武勇や暗殺によって事をなすのではない。王として民と共に事をなすべきだ。
 ゲオルグに伝えよ。貴様に始祖から受け継ぐ誇りがあるならば、堂々と戦場で戦うがいい。

 逃げれば四方世界の亜人どもは、所詮、おのれらは火付盗賊の類と小馬鹿にするだけぞ!!」

シンはそういうと、手にした戦斧を突き出した。

「わ、私がお前をここで殺すことも叶うのだぞ!?」

盲目公も素早く身構えて、口の端から炎をのぞかせた。

だが、言葉と裏腹に二人はそのまま睨み合った。
他の者は手出しできない。しばらくの沈黙の後、シンが口を開いた。

「殺したくないのはお互いさまの様だな。」

シンから見て、盲目公やゲオルグは数少ない話の理解できる、損得勘定が通用するドラゴンだ。
数々の卑劣な行いで汚れきった老翁より、こちらのドラゴンのほうが戦後のジョージ一族を引き揚げさせる交渉相手に必要だ。

もしそれが叶わなければ、最後の一頭までドラゴンを殺し尽くさねばならぬ。

正直言えば、そうしてやりたくもある。
だが、そんな狂気に身を任せれば民が苦しむ。
民が望んだとしても、それを抑えるのは自分の役目、カー・ラ・ムールでなければならない。

盲目公も同じだった。
ここでラ・ムールが王を失えば、また首のない鶏のように暴走する。
そうなれば他国が攻め入り、大陸全土が大きく乱れる。

所詮は家畜を奪って食いつないでいる自分たちだ。
亜人の国が痩せ衰えて、一番困るのは自分たちではないか。

理性の伴わない無意味な殺戮だけは回避しなければならない。
そのためにもお互いの首が胴と繋がっていることを保証し合わなければ。

「どうせ、夜は休めば長くは飛べまい。
 朝まで待つ。それまでに去らねば死ぬものと思え。」

「王の慈悲に、感謝します。」

盲目公が頭を下げると、ラ・ムール兵たちが歓声を上げた。

「…できれば、あそこで這いまわっているドラゴンの助命を頼む。」

そういって盲目公が前足で指したのは、彼の父、五つ首のジョージと生き残った兄弟たちだった。



兵たちも今さっき、本当に今のいままで王都のあちこちに隠れて機会をうかがっていただけだった。

副王カウは、強(したた)かにも王都の隠し金塊を密かにクルスベルグに運ばせていた。
本来、これはクルスベルグのドラゴン部族、チャールズ一族が管理するものだが、背に腹は代えられない。

「いいか。ここから持ち出したことは秘密にしろ。」

兵士たちに指示を出す、書記官が物凄い形相で、そういった。
兵士の一人が訊ねる。

「なんでです?」

「これがチャールズ一族の金塊と分かれば、ラ・ムールの経済は破壊される。
 いいか。運び出し次第、絶対に秘密が漏れないように心配りしつつ、全て溶かしてムヘアク陛下の金貨に作り直せ。
 これは国際法にも触れる重大な犯罪だ。いいな?」

「今のままクルスベルグで使えないんですか?」

「絶対にバレてはならんのだ!」

通貨の価値を安定させるため、金塊の融解は慎重に行わなければならない。
もし量が多過ぎれば、世界経済に致命傷を与える。特に各地に隠し金塊を持つチャールズ一族は敏感だ。
これがバレればチャールズ一族がイストモスとエリスタリアに派兵を働きかけることも考えられる。

彼らも食料や日用品が倍の値段になり、給料が半分になって銀行が閉鎖されれば、
チャールズ一族の働きかけに応じざるを得ない。

「いいか!この洞窟は崩しておけ。ここから金塊を動かしたことは誰にも知られるな。」

書記官はそういって馬車に乗り込むと、金塊と共に王都を出立した。

それから数週間でバラバラになった新型の弩弓砲、言わずもがな対ドラゴン兵器が分解された状態で届いた。
来る日も来る日も、副王と生き残った兵士たちはそれを組み直し、馴れない大工仕事に勤しんだ。

「国境を守る全ての兵を引き揚げさせよ。
 もはや国軍の全てを投入して、ジョージ一族と、文字通りの国の命運を賭した決戦を…。」

砂と埃で汚れ、疲れ切った顔の副王カウが、そういった。
だが、部下たちが反論する。

「しかし、陛下!」

「将軍たちがいないというのに、どうやって戦うのです!」

「陛下は一兵も指揮したことがないではありませんか!」

「わ、分かっている。しかし…。」

すっかり真面目な副王モードに入っているカウは、完全に普通の人に戻っている。
部下たちも、こういう時の上司が策がない時と分かっているので容赦しない。

「第一、それだけの兵員移動を、どうやって秘密に?」

「仮にドラゴンたちに気付かれずに全軍を集合することができる計画を立てたとしても、
 どうやって全ての国境の砦にその計画を伝えるんです!?」

「そ、そんなこと…。」

かつて大神官クワイエが、ここアルバに用意した仮説執務室に潜り込んだ副王は、力なく椅子に倒れ込んだ。

「お、俺だって…、こんな難しい時代で頑張ってるってのに。
 どうして太陽神は分かってくれねぇんだ。」

そのまま天井を仰ぎ見ていると、黒い影が部屋に忍び込んで来た。
良く見れば、ナリこそ汚いがなかなかに美人で若い女の黒豹である。

「な、なんだ?女の子がこんな夜中に…?」

「お前がカウ・ヴォングか?」

黒豹、シンはカウに訊ねた。
すぐには答えないカウになおも訊ねる。

「答えろ。こっちは聞き取りにくくなった神霊どもの声に集中するのも難儀だ。
 お前がカルカン・グー・カウだな?」

「お、おまえは…?」

ドラゴンの因子で段々と感知能力が失われて行くシンと違い、カウには見ただけで理解できた。
年齢がどうとか、体が大きく育ち過ぎているとか、そんな程度の問題はどうでもいい。

待ち望んだ、本物のカー・ラ・ムールである。

「いぇ…つっ!」

椅子から立ち上がって、その体に触れただけで、カウは泣き崩れてしまった。
王の眼前にひざまずき、そのまま肩を震わせている。

「ああ…。つろう御座いました、我が君。
 本当につろう御座いました。ですが、古の詩人が歌うように、神は私にこうして答えてくださった。」

「感動しているところ、悪いのだが今すぐに兵を起こせるか?」

シンは崩れ落ちた中年の虎将軍を見下ろしながら、熱の覚めるようなセリフを吐いた。
でも、少し嬉しいというか、気恥ずかしそうだった。

「そ、それは叶いませぬ、我が君。
 ドラゴンたちは各地に監視役を置き、足枷の谷に戦勝金代わりの家畜を集めるまでは、
 我が国のことごとくを監視しております。加えて亜人奴隷の密偵が隠れており、彼らの眼を誤魔化すことは…。」

「お前はどの程度、精霊の声が聞こえる?」

愚にも着かぬシンの問いかけにカウは首をひねった。

「…い、意味が分かりませぬ。」

「ドラゴンの血を止む無く飲んだ。
 …信じて貰えないと思うが、病を治すには他に方法がなかった。
 それ以来、神霊はおろか、普通の精霊の声すら良く聞こえず、気配すら感じない。」

王の告白に、副王は顔面蒼白となった。

ドラゴンの血を飲んだ者が、いかなるものか、この副王は知っている。
かつて生きて呼吸する法典のごとしと畏れられた聖審王、カー・ムヘアクは法律や様々な知識に通じていた。
彼は、このお調子者の才能を見抜き、その知識を与えた。

「だ、誰の血を飲みましたか!?」

「ゲオルグだ。」

ここに来るまでに悩んだが、正直に話すことにした。
少なくとも国王代理は歴代カーが国政を担う上で、信頼しておかねばならぬ存在だからである。

「では殺せませなんだか!?」

「ああ。」

スステパ・モアイの戦いで、異常な斬られ方で死んだドラゴンが5頭発見されている。
どれも尋常ではない斬撃を受けたと見え、密かに兵たちはカー・ラ・ムールの再来を期待していた。

カウもそれを士気を高めるために利用はしたが、同時にここまでのカー・ラ・ムールを神が遣わしになったというのに、
ゲオルグを仕留め損なっていることに愕然とした。

「だから暗殺は諦めた。ゲオルグとの直接対決で、この戦争は解決できない。
 奴を追い出すには全軍を招集し…。」

「それは…。」

カウは頭を抱えた。
既に偽りの王、カルカン・グー・カウが即位した後で本物の王が即位しても各地の民衆が納得するだろうか?

第一、この本物の王は育ち過ぎている。
カー・ムヘアクの次代の王でありながら、この王は少女ではないか。

兵たちはドラゴンをカー・ラ・ムールが倒したと喜んでいるが、実際にこんな王が現れても認められるだろうか。
加えてドラゴンの血を飲んだなどと知れれば、国中は嫌悪感を抱くかもしれない。
しかし、それでなければ神霊の声が聞こえぬというのを、どう納得させる。

「聞かぬか!」

カウはシンの大声で我に返った。

「神霊をお前に貸してやる。
 使えない王が連れているよりは、お前のような者に任せておいた方が良いだろう。」

「なんと。」

カウは目を丸くする。

「こいつを使って国中に知らせよ。
 カー・ラ・ムールが戦をするのだ。全ての砦の兵は王都へ集まり、邪悪な敵との戦に備えよ、と。」



『付録』

「銀職人のシャルロッテ」
銀職人のシャルロッテ、シャルロット・シルバーマン。
クルスベルグの各地に分散して住んでいるチャールズ一族のひとり。

クルスベルグの政治顧問で、市民権がないため議員にはなれないが、国政に意見を出すことが認められている。
賢人として尊敬されており、ただし思想の違いから衝突は激しいが、非常に頼られている。
というより、依存に近く、もはやほぼ彼女の意見通りに議会は政治方針を決定している。

近世のドラゴンの中では屈指の知識人であり、また投資家、資産家としても高名。
世界各地に莫大な債権を持ち、国家予算にも等しい蓄財を繰り返している。
いわく”世界銀行の頭取”と呼ばれる。



「チャールズ一族」
だいたい400年前までクルスベルグの各地に住んでいた、かなり亜人と友好的なドラゴンの一族。
副名が銀職人とか金細工師といった具合で職種タイプのユダヤ系苗字で統一され、多くが資産家である。
”市民権を持たない成金貴族”と呼ばれ、この時代のクルスベルグを始め、各国を財政的に支配した。

チャールズ一族の族長が立てば、全ての工房は窯に火を入れ、
チャールズ一族の族長が怒れば、全ての工房の槌は止み、
チャールズ一族の族長が病めば、国民は飢えるとまでいわれた。

その後、民主化の影響からあまりに大きな資産を持ち過ぎているとして、国外追放を言い渡されたため、
現在はクルスベルグにはチャールズ一族はいない。

なおスラヴィア建国に対し、莫大な資金を注入したのが彼らであり、戦争のゲームメーカーとも呼ばれた。
また特に断わりを入れない場合は「ブラックウォーター(危険な水)」という隠語で呼ばれ、
どんなに喉が渇いても黒い水には手を出すな=金に困ってもチャールズ一族に関わるな、というように使われる。

特徴としてはルビー色の鮮やかな赤い鱗を持ち、もっとも美しいドラゴンの一族として知られる。

  • 理にかなった戦いの描写と心情が命と国をかけたという緊張感につながってる。カーの掘り下げや広げ方も面白い。ドラゴンの系譜も読んでいてわくわくした -- (名無しさん) 2015-07-18 02:26:55
名前:
コメント:

すべてのコメントを見る

タグ:

j
+ タグ編集
  • タグ:
  • j
最終更新:2015年07月18日 02:25