自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた@創作発表板・分家

31 第16話

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匿名ユーザー

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7月26日  モスクワ 

 徐々に眼前に迫ってくる巨大且つ荘厳な大宮殿を前にしても、エレオノールをはじめとしたネウストリア帝国使節団の面々は傍目にそれとわかるような動揺は見せなかった。
 ここに来るまでに既に驚嘆すべき様々な異界の文物を目の当たりにしてきただけに、どこか感覚が麻痺しつつあるのかもしれない。驚き疲れた、と言い換えてもいい。

(いや、まぁ、それもありますけど……ねぇ)

 エレオノールの首席補佐を務める若者、封土監察院の文官であるシェロー・アプサラスは気を落ち着けるためにゆっくりと息を吸い込み、吐き出した。
 正直、これは驚きの一言で済ませられるものではない。
 これまでに目にした機関車・動力船・ガソリン自動車といった移動機関。移動中に、ソヴィエト側の応対役を務めた役人や軍人との会話のなかで知った異界の巨大国家の存在。
 その総人口は一億を超え、動員能力は一千万に及ぶ。その巨大さのみを取っても十分に列強と呼ぶに値する。加えてその技術力・文明程度は、これまでに自分たちが見てきた限りでは
 大陸に冠たるわが祖国、ネウストリアに匹敵……ことによると凌駕しかねない。
 まぁ人口や動員能力云々はある程度の誇張は混じっているだろうが、技術レベルに関しては自分たちが現物を直接目にしているだけに混じりっけ無しの本物だと理解できる。
 ネウストリアという大陸屈指の覇権国家にあって政府の最エリートというべき情報官をつとめる男が表情に出さぬように心中に留めている感情。それは恐怖だった。

「気分が優れない?」

「いえ…ああいや、そうですね。少しばかり酔ったかもしれません」

「だらしないわね」

 くすり、と笑みを浮かべるエレオノール。だが、その目は全く笑っていない。
 さりげなく、シェローの視界に入るように自身の書類鞄を持ち上げ、そこに縫いこまれた封土観察院の紋章を指でなぞる。
 シェローの顔色が変わった。

「ま、到着までの間に息を整えておくことね」

 そういったきり、エレオノールは窓の外に視線を移した。
 シェローは内心で上司のさりげない気遣いと叱咤に感謝すると、静かに瞑目した。

(私としたことが……相手の空気に呑まれすぎですね)

 ここに来るまでに見せられ、案内役の役人や軍人から懇切丁寧な解説つきで紹介されたソヴィエト連邦という超大国の姿。
 外交手法としては古典的かつオーソドックスなやり方だが、初見の相手には実に効果的といえる。
 まぁ、こちらもある程度分かったうえで情報収集も兼ねてソ連側の思惑にのった部分はあるが、いつのまにやら相手のペースに引き込まれていたらしい。

(交渉開始前でよかった)

 内心ほっと溜息を零す。

 それからしばらくして、車は静かに停車し、運転席の横に座っている将校が目的地への到着を告げるのだった。


 モスクワ・クレムリンの起源は11世紀後半にさかのぼると言われている。
 史料にあらわれる最初の城壁は1156年、ユーリー・ドルゴルーキーによって築かれた、ということだ。

 クレムリンの誕生はこの年と見ることができる。モスクワ・クレムリンが築かれたのはモスクワ川とネグリンナヤ川の合流点であり、二つの川に守られた要害の地だった。
 この城塞が石造りになったのが1367年、ドミトリー・ドンスコイの治世であったと言われる。

 そして、クレムリンが今日と同じ規模で今日とほぼ同じ外観をもつようになったのは、イヴァン3世の治世時代(1462~1505)である。
 現在のクレムリン建設には多くのイタリア人が関与している。まず、ミラノのピエトロ・アントニオ・ソラーリが、北イタリア・ロンバルディアの進んだ築城術を利用して、城塞の建築に取り組んだ。

 彼は、現在のスパスカヤ塔やニコリスカヤ塔の建築に取り組んだ。
 また、クレムリンの中心寺院でもあるウスペンスキー聖堂の建築にもイタリア人は関係している。ボローニャのフィオラヴァンティは息子と弟子と共にモスクワにやってきた。

 そして、ウラジーミルのウスペンスー聖堂(12世紀建立)にみられる古ルーシ建築様式を学び、モスクワ・クレムリン内のウスペンスー聖堂を今日の形に再建した(1479年)。
 この聖堂はモスクワの大公が、そして、後にはツァーリが戴冠式を行う由緒ある場所となった。ちなみに、聖堂の名称は、聖母の昇天を意味する「ウスペーニエ」に由来する。

 1682年8月7日、ウスペンスキー聖堂ではピョートル大帝の戴冠式も行なわれている。
 その由緒ある大宮殿を今現在支配するのは、赤い労働者たちの代表たるヨシフ・スターリンと、彼が率いるソヴィエト共産党政治局員たちだ。
 血で血を洗う内戦・大粛清を経て反動的な軍部、党内の反スターリン派閥を一切の慈悲なく徹底的にパージ。軍部に対する党・政府の絶対的優位を確立し、強権的な警察国家を作り上げた。

そして、彼ら赤い皇帝と貴族たちは今、これより訪れるであろう来客の到着を固唾を飲んで待ち受けていた。
建国以来最大の危機を迎えた祖国に救いの光明をもたらしてくれるやもしれないネウストリア帝国から訪れる使節団の到着を、ただひたすらに待ち受けていた。


 穏やかな初夏の陽気がモスクワ市街を照らす中、モスクワ中央駅から直行してきた黒塗りの高級乗用車……米国からの輸入車であるパッカード2台が、同じく漆黒に塗装されたエムカ2台に前後を挟まれるようにして赤の広場を抜け、クレムリンの門をくぐり抜けていく。

 まるで敷地内を見学でもするかのように、ゆっくりとした速度で敷地内をぐるりと巡り、クレムリン武器庫を通過。閣僚会館前にゆったりと駐車した。
 敷地内。閣僚会館入口前には儀仗兵並びに手すきの将校が整列し、車内の人物を待ち受ける。

 まず、助手席側のドアが開き、車内から青い制帽にNKVD国内軍礼服に身を包んだ少尉が降り立った。そのまま後部席側に歩み寄り、恰も主人の坐乗する馬車の扉を開く従僕のように、恭しい挙措でパッカードの後部ドアを開けた。

 エレオノールたちが車外に降り立つと、居並ぶ儀仗兵・将校連は完璧な角度で一斉に敬礼する。


 敬礼を送られた方の使節団の面々は、馴染みのないソ連式の敬礼に少しばかり戸惑いながらも、外交使節として戸惑いを表に出すことなく、毅然と足を踏み出した。
 エレオノールを先頭に玄関に向かって進んでいくと、入口前で品の良いスーツに身を包んだ壮年の男が使節団一同を出迎えた。

「ようこそいらっしゃいました。ネウストリア帝国の皆様。私はソヴィエト連邦外務人民委員を務めておりますヴャチェスラフ・モロトフと申します」

 差し出された右手に少しばかり戸惑いながらも、エレオノールはその手を握り返す。

「先触れもなく、急に押しかけたにもかかわらず歓待をいただき、感謝も言葉もありません。当使節団の団長を勤めておりますエレオノール・カセレスです」

 ときに…、とエレオノールは申し訳なさそうにモロトフを見る。
 ここに来るまでに、首都モスクワで国交を結ぶ旨の交渉を行うことは伝えられていたが、交渉相手がソヴィエト政府内でどの程度の位置にいる人物なのか――それによって交渉の内容・重要性が大きく変わる――は教えられていない。
 外交部の担当官ということは聞いたが……

「不勉強で申し訳ない。道すがら、貴国の政治体制等については伺ったのですが、今一つ、貴国の職務呼称には馴染みがなく……貴公の外務人民委員というのはどういった職位を指すのでしょうか?」

「ああ、失礼。そうですな、我が国では閣僚会議のことを人民委員会議と呼称しております。私はそこで副議長及び外交部の統括を任されております」

「!!……そ、それは」


 使節団の面々の表情が驚きに歪む。これまで全く表情を崩さなかったエレオノールでさえぎょっとした様子で一瞬固まってしまう。

(閣僚……それも副宰相兼外相!?そんな人物が玄関先まで出迎えって……)

 帝国の使節としてソヴィエト政府との交渉に臨むのはこれが初めてである。
 当然、エレオノールとしてはソヴィエト政府高官との直接会談・交渉に臨む腹積もりでいたが、いきなりこの展開は予想外だ。
 ネウストリア帝国において外相に限らず、閣僚の地位にある者には宮廷貴族として一代限りではあるがその位階に応じた爵位が下賜される。

 その最高位は侯爵位であり、宰相・副宰相は侯爵位、外相・軍務相・蔵相・内相が伯爵位となる。
 つまり、このモロトフという男は帝国であれば最低でも侯爵以上の大貴族に相当する地位にある、エレオノールからすれば文字通り雲の上の人物ということになる。

 帝国代表などと言っても、所詮は正式なスタッフが到着するまでの間に合わせ。エレオノール自身は実質交渉の意思を伝えるためのメッセンジャーにすぎない。

 まぁエレオノール自身はその扱いにいたく不服ではあったが……結局のところ、彼女は只の特使であり、条約締結などに裁量権を持つ全権大使・全権公使というわけではなく、身分にしたところで平民にすぎない。

 そんな者を出迎えに、閣僚が官邸の玄関先まで出張るなど、厚遇どころの騒ぎではない。
 ソ連側としては『私たちは貴方方との関係をとても重要視していますよ』という意思表示程度のつもりだったのだが……


 相手側の予想以上の動揺に、モロトフは内心で眉を顰めた。

(ふぅむ……少しばかり露骨すぎたか?しかし、この世界の外交儀礼・慣習もロクに分からん状況で、相手に無礼と受け取られては元も子もない)

 モラヴィア王国との交戦開始から既に一月以上が経過しているにもかかわらず、未だ国境沿いの防衛線構築に奔走し、実質国内にひきこもり続けているソ連には異世界についての情報が圧倒的に不足していた。
 この状況をなんとか打破したいスターリンとしては、新たに接触が持たれた未知の異界国家との交渉は何としても成功させねばならない。

 なにしろ、今度の国は問答無用で先制攻撃をしかけてきたモラヴィアとは異なり、平和的な交渉を行う意思があるというのだから。
 今回の会談と、その後あちらの本国から派遣されてくる使節との交渉で、最低でも親書の交換と友好条約の締結を約束させ、できれば大使・公使を交換できる程度の状態に持っていきたいところだ。

 相手国はどうもこの世界でも有数の国力を誇る大帝国らしいが、今ソ連に必要なのは、何よりもまずこの世界に関する情報であり、これを得るためにも現地国家と国交を結ぶことは絶対に必要だ。

 にこやかな笑みを浮かべ、モロトフは使節団一行に改めて歓迎の意を表した。
 交渉を望むソ連側の意に応えてくれた帝国と皇帝に感謝し、得体の知れぬ未知の大陸・未知の国家の首都まで遠路はるばる至った使節団一同の勇気と祖国への献身を讃えつつ、
 自ら大仰に手を広げて官邸内にエレオノールたちを迎え入れる。

 ここに来るまでに散々見せつけられたソヴィエト連邦の国力・軍事力を知るだけに、使節団の面々は自分たちがこれ程の厚遇を受けることに違和感を感じていたが、

 とりあえず、交渉に際しては相手側が友好的であるのは望ましい傾向である。
 エレオノールを含め、使節団一行はその表情に微かに安堵の色をにじませつつ、クレムリンの中枢たる館に異世界人として初めて足を踏み入れるのだった。



同時刻 ネウストリア帝国 帝都アウストラシア

 ネウストリア帝朝開闢以来、常にその繁栄の中心として存在する巨大都市。
 人口200万を数える帝都アウストラシアの中心部。

 計画都市として整備された帝都の睥睨するように聳え建つ、荘厳な宮殿。
 帝宮と呼ばれるそこは皇帝をはじめとしたネウストリア帝室直系の皇族が住まう住居であり、同時にネウストリア帝国の政軍の中枢でもある。
 白亜宮の通称で知られるそこは大陸で最も美しい宮殿として知られ、同時に、数代前の精霊神教教皇によって直接施された大結界により守られた魔術要塞でもある。

 その帝宮の奥まった一室。紫水晶の間と呼ばれる広間に、皇帝フランソワ2世、宰相ルブランをはじめとした帝国の閣僚・貴顕数人が集い、部屋の中央に置かれた円卓を囲んでいる。
 窓ひとつ無いその部屋は、本来備えられている照明の半分以上が灯りを落とされているために、周りの人間の顔をかろうじて判別できる程度の明るさしかない。

 彼らの視線は円卓の上に鎮座する巨大な水晶柱に向けられている。

 薄暗い部屋の中で、その水晶だけが不自然なまでに明るい輝きを宿し、年輪を経た巨木の丸太の如き巨体の鏡面に様々な光景を映し出す。
 巨大な鋼の軍船が帆もかけずに海上を疾駆し、煙突から黒々とした煙を吹き上げながら何両もの貨車を牽引して走る列車。
 石造りの巨大な都。その中心部に聳え立つ大宮殿と、使節団を歓待するソヴィエト連邦の貴顕たち。
 どれほどの時間だ経っただろうか。水晶の輝きは徐々に弱まって行き、映し出される映像の判別がつかなくなったところで、皇帝はもういいというように片手を振って合図した。

 合図を受け、心得たように純白のローブを纏った女性が部屋の隅から進み出て水晶柱に手を触れ、小さく何事か唱える。同時に、水晶の輝きは完全に消え、部屋の照明すべてに明かりが灯った。

「さて、まずはご苦労だった議長。一刻足らずの用件のために帝都くんだりまで呼びつけてすまなかったね」

 皇帝から笑顔と共に送られた労いの言葉に、純白のローブを着た女性……帝国魔道評議会議長にして南方エルフ部族の長を兼ねる老魔術師、モルガン・ラトゥールは面映そうに一礼する。

「しかし驚きましたな。これだけあからさまな透視を受け、全く気取られないとは……かの国が魔道文明を持たぬというのは事実のようです」

 まず口火を切ったのはルブラン宰相だ。
 先に見せられた映像は彼がこれまで抱いていた常識を覆すようなものだった。


 透視の魔術というものがある。魔力波を遠方に飛ばしたり、あらかじめこれと決めた物体に術式を仕込んでおくなど様々な方法があるが、その効果は術者の目の届かない遠隔地の光景を見るための術だ。
 術の原理そのものは難しくないのだが、距離が遠くなればなるほど難易度が上がるうえ、魔力波を遮断する簡単な結界で無効化されてしまうため、軍事・諜報には役に立たないと見倣されてきたシロモノである。
 今回、皇帝の発案によって行われたのは新しく発見された大陸と、そこに存在する未知の国家であるソヴィエト連邦に対して透視を仕掛けるというものだ。
 最初の接触以来、エレオノール達から定期的に送られてくる魔力波通信による報告から、フランソワ達はソ連が魔術という技術体系について全くといって良いほどに無知であることを看破した。

 奇貨。そう、正しくこれは奇貨だ。

 北東の海上に突如出現した未知の大陸。その大陸を支配する巨大国家。
 これまでに見たことも聞いたことも―――そう、あのような技術・文明は伝説においてすら語られたことはない―――謎の文明。

 調査団改め使節団と名を変えたエレオノールたち一行が、その謎の国家、ソヴィエト連邦の政府と交渉を持ったことで判明したのは衝撃という表現すら生温い、信じ難い事実だった。

 この巨大な大陸国家は、あろうことかネウストリア第一の仮想敵であるモラヴィア王国によって異世界から召喚され、現在は召喚主であるモラヴィアと交戦状態にあるというのだ。

 皇帝の判断は素早かった。
 すぐさま外務尚書府に命じ、尚書府にあって最も優秀な貴族外交官を団長に使節団を編成し、魔術・軍事・通商等、各分野の専門家と報土観察院の情報官も付けてエレオノールの後を追わせる。
 さらに、帝国が抱える最高クラスの魔術師を召集し、ソヴィエト連邦に対して魔術的手段による情報収集を命じたのだ。

 外交において、相手側の内情や交渉における妥協点を知っておくことが、交渉においてどれほどの武器となるか。
 それを知らぬ愚か者はフランソワの下僚にはいない。

 使節団団長エレオノール・カセレスが保持する魔術具を基点に、エルフ族きっての大魔術師によって発動した強力極まりない透視の魔力は、数千キロも離れたセヴァストポリ・キエフ・モスクワにあっても遺憾なくその効果を発揮し、使節団が目にした異界の生の映像を遠く離れたネウストリア本国に在る皇帝たちの目に焼き付ける。

 巨大な鋼鉄の船舶に車両、それらによって整備された巨大かつ先進的なインフラ。兵士たちの身に纏う武具や、はては居・食・住に至る文化水準。
 エレオノールとスターリン、モロトフらの間に持たれた会見。その後エレオノールが退室し、魔術の効果が消失するまでの僅か数分間にスターリンたちが交わしていた会話の内容等、交渉に際しての判断材料としては、かなりの情報が集まった。

 この種の諜報活動に関して、現地の使節団は何も知らない。全ては皇帝や宰相、観察院長官といった帝国首脳陣の即興によるものだ。
 実際のところ、ここまでうまく事が運ぶとはフランソワ自身も予想していなかった。

 なんの下準備もなく、これ程の超長距離で透視を発現させるのはエルフ族の大魔術師が強力な触媒を用いて行うにしても、相当な難事である。
 また、透視術には制約が多い。今回であれば術の起点となっているエレオノールの所持する魔術具の近辺でしか透視の効果は発揮されず、また、簡易なものであっても魔術的な結界が付近に張られていたりすれば、効果が望めないばかりか、たちどころに監視していることがばれてしまう。

 魔術による盗聴・透視といった技術を全く想定していないソ連だからこそ通じたのであり、更にそういう技術があるのだと知られてしまえば簡単に対策をとられてしまう。
 故に、このような方法が通用するのは今のうちだけだ。

「さて、ソヴィエト連邦の指導者たるスターリン首相は我が国との同盟を望んでいるようだ。んっ…首相というか、肩書きは書記官らしいが……向こうの制度はよくわからんね。まぁそれは今回どうでもいい。これについて諸卿の意見を聴こうか」

 口の端に微かに笑みを浮かべ、皇帝は円卓に座する閣僚一同をぐるりと眺め渡す。
 眺めつつ、閣僚陣一人ひとりの表情に注目する。
 多くの者は、突然降ってわいたこの異常事態……異世界の大国との接触という事態に混乱している様子であり、彼らが顔に浮かべている表情は【困惑】だった。

(いかんねぇこれは)

 この様子に内心で少しばかり失望を覚える皇帝だったが、幾人かの閣僚はなにやら腹案がありそうな表情を浮かべており、しばし悩んだ後、そのうち一人を指名する。

「軍務尚書」

「はっ」

 皇帝に呼ばわれ、黒を基調とした軍服の男が起立する。

「同盟についてですが、お受けになるべきかと存じます。仮にそれを成しえずとも、敵対することは絶対に避けるべきです」

「なぜ?」

 短い反問に、男は事務的な口調でハッキリと答えた。

「我が国最大の仮想敵であるモラヴィアの邪教徒どもに対し、強力な味方と成り得るからです」

 むろん…と、男は続けた。
 これまでに見た情報から、ソ連が強大極まりない軍事大国であることは容易に想像できる。
 もし仮に、ソヴィエト側が豪語していた人口一億、動員兵力一千万が事実であるとするなら…そして、映像で見た鋼鉄の軍艦などに見られる軍事技術をも加味するならば。

「たとえ我らが同盟を肯んずることがなくとも、モラヴィアは遠からずソヴィエトに呑まれましょう。その後、我らはモラヴィアを併呑し、その魔道技術を継承したかの大国と向き合うことになります」

 シン…と広間全体が異様な静寂に包まれる。
 幾人かの閣僚は顔を蒼ざめさせ、フランソワやルブランの顔からは表情というものがごっそりと抜け落ちている。

「デュバイユ元帥。君の言うそれは、あまり愉快な未来とは言えないね」

 無表情のまま言い放つ皇帝に、軍務尚書は左様です、と首肯した。

「陛下もご存知の通り、我が帝国全軍を動員したところで140万が限度……しかも我が軍の兵站能力では外征に耐えうるのはその半分の戦力が良い所でしょう」

「確か、その数字は属領軍・神殿騎士軍まで含めたものだな」

 ルブラン宰相の問いかけに、デュバイユ軍務相は頷いた。

「付け加えると、それ程の規模の軍を長期間動かすことはできない。財政的な問題もあるし、そもそも140万というのは理論上の数字だ。我が国が過去実際に行ったことのある動員規模は、北辺騎士軍40万の部分動員が精々」

「文字通り、戦力の桁が違うな」

 肩をすくめる皇帝に、デュバイユは深刻な顔で告げた。
 仮に140万全軍を総動員したとして、それを何年も維持できるほど帝国の財政は潤ってはいない。
 140万というのは、いわば根こそぎ動員であり、この大軍を編成し、運用するためには国内で運行している商用の飛空艇船舶も徴用して軍に組み込む必要がある。

 馬匹や騎竜・飛竜も同様であり、これらを運用するための人員も徴用しなくてはならない。
 極端な話、140万人の軍団を動かすには、それと同じ程度の支援要員が必要になるのだ。
 当然、そんなことをすれば帝国の経済活動に深刻な影響が出る。
 巡り巡って、それは税収の低下をもたらし、加えて軍の維持にかかる途方もない出費を考えれば、その先に待つ結末など考えるまでもない。

「また、それ以前の問題として、神聖同盟の盟邦9カ国全てを合わせても、彼我の兵力差は3対1以上。ソヴィエト軍の練度が我が国の属領軍程度のもので、その指揮官たちが軒並み水準以下の能力しか持っていなかったとしても、防衛すら難しい戦力差です」

 事実上の敗北宣言に、閣僚陣は騒然となる。
 そのざわめきを断ち切るように、デュバイユはいった。

「これはあくまで、ソヴィエト側が称している動員能力を額面通り受け取れば、の話です」

「しかし、話半分に考えても我が国より遥かに強大ではないか。それに、あの映像にもあったが、数百万規模の人口を抱えている大都市をいくつも領し、それらを有機的に結ぶ高度な大量輸送・交通網を滞りなく運用してのける大国だぞ?一千万は言いすぎにしても、根も葉もないはったりということはあるまい。」

「さらに言うなら、ソヴィエトが魔道技術に対して無知なように、我々も彼らの技術体系については何も知らない」

「ではどうするというのだ。このまま座して奴らがモラヴィアを喰らう所を見守れとでも?」

「いや、それは早計だ。召喚したモラヴィアなら何らかの対抗策があってもおかしくない」

「馬鹿な。それではなお悪いわ。あれほどの国家を飲み込んで強大化したモラヴィアに対抗できるものか!」

 軍務相の口上に危機感を煽られた閣僚陣から様々な意見が出るが、いずれも感情論の域を出ない。
 神聖同盟の盟主として大陸に覇を唱えた大帝国の首脳陣には、いつしか自分達もより強大な国家に攻め滅ぼされることがあるやもしれないという危機意識が抜け落ちていたのかもしれない。

 沈黙を守っているのは何時の間にやら閣僚陣から視線を外して俯き、じっと何か考えに耽っている皇帝と、彼を無言で見つめる宰相だけだ。
 混迷を極める会議の中、皇帝は沈思する。

(あの国は不味い。正直、モラヴィアごときに嗾ける当て馬としては凶悪すぎる。下手をすれば返す刃でこちらまで喰われる。)

 手元に置かれた水差しを見つめつつ、皇帝の頭脳はめまぐるしく回転する。

(今の状況に輪をかけて不味い事態とは何だ?決まっている。ソヴィエトの国力とモラヴィアの暗黒魔道が結びつくことだ。あの国力に加えて魔道技術でも並ばれたら、もう付け入る隙がない。であるならば…)

 カチリと、頭の中で何かが噛み合うのを感じ、皇帝は顔を上げた。

「決まりだな」

 なにか得心がいったような顔でウンウンと頷いている皇帝に、閣僚陣を代表してルブラン宰相が尋ねる。
 宰相の問いに、それまで出口のない不毛な議論を続けていた閣僚陣の視線も、自然と皇帝に集まる。

「陛下。なにかお考えが?」

「うん。まぁ結論から言うと、だ。ラフェーン伯!」

 それまでの柔和な表情を引き締め、外相の名を呼ぶ。
 突然呼ばれた外務尚書はやや慌ててい住まいを正す。

「後発した交渉団のドラングル全権大使に訓令を送れ。我々はソヴィエト連邦との同盟を望む」

 その言葉は雷鳴の如き衝撃となって、あたりに響いた。

「具体的な軍事援助などについては即答を避けろ。参戦の機はこちらで測る」

「最高のタイミングで後背から打ち掛かるわけですか」

 なるほど、といった表情でラフェーン外相は頷く。

「まぁ、戦局がソヴィエト側に傾きすぎてからでは参戦しても意味が無いし、後に禍根を残すことになる。まずはモラヴィアに関する情報提供から入り、彼らが侵攻の先陣をきったところで我々も……というところだろうね」

 そして……と、一旦言葉を切り、フランソワは悪戯を企む少年のようなわくわくとした表情で軍務尚書をみた。

「我が軍の目指すべきは王都ではない。モラヴィア東部から中部にかけて存在する魔術研究都市と、遺跡群だ」

 滔々と語る皇帝の目には、獲物に狙いを定めた猛禽類のような輝きが宿っていた。

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