自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた@創作発表板・分家

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京都府舞鶴市余部下 海上自衛隊舞鶴地方総監部 作戦室
2012年 6月5日 20時05分


 舞鶴市の幹線道路である国道27号線は、小高い丘に設置された総監部の敷地を右手に見ながら、市街地に向かい右に折れている。
 折れた先の左手には艦艇の建造、整備を受け持つユニバーサル造船の工場が立ち並び、大型クレーンが夜の闇に聳え立っていた。その先の舞鶴航空基地に続く支道を過ぎると、艦艇部隊が係留されている北吸岸壁に続く。
 岸壁には、護衛艦みょうこうと補給艦ましゅうが横付けしていた。二隻共隔壁灯は消され、自衛艦旗がマストに翻っていた。艦は合戦準備──戦闘態勢にある。
 未だ続く敵の侵攻に対し、海上自衛隊は北吸岸壁手前、片側二車線の路上に予備陣地を構築。五老ヶ岳応急陣地から撤退してきた部隊を収容し、第二次防衛線としていた。
 万が一ここを突破されれば、市の対策本部がある市役所や、市民が避難している前島埠頭が敵の攻撃に曝される。海自は何としてもここで敵を食い止める覚悟でいた。


 戦闘は、太陽が完全に沈んだ後もその勢いを減じる様子は無い。海上自衛隊舞鶴地方総監部は、満天の星空の下で自らも無数の閃光を放っていた。
 雲一つ無い夜空に、硝煙と騎士団の放った火矢による火事の煙が漂っていた。その煙の中、強烈な投光器の光が寄せ手に向けてまっすぐに放たれ、陣地からは発砲炎が、激しく明滅している。
 投光器の光によって強制的に夜の闇から引きずり出された騎士の着た鎧が、鈍く煌めいた。それを見た周囲の手勢が慌てて逃げ出す。主人の運命が尽きたからであった。
 彼等はこの一日で学んでいた。
 呆然とした表情を浮かべたその騎士は、遮蔽物を得る前に陣地からの集中砲火を浴びた。たちまち地面に撃ち倒される。
 一方、立木や建物の陰からは弓兵が火矢を放っている。火矢は可燃物がほとんどない自衛隊陣地にはあまり効果が無い。しかし、庁舎まで届いた一部が、小火を引き起こしていた。

 エレウテリオ騎士団側は、自衛隊の旺盛な火力に攻撃を阻まれていた。密集陣形による突撃を諦めた後も、じりじりと損害は増え続けている。
 しかし、優位に戦いを進めているかに見える自衛隊も、守るべき面積に対して明らかに兵力が不足している。どこか一カ所の綻びが致命的な結果を招きかねなかった。


「総監、報告します」
 防衛部第三幕僚室長が疲れの滲んだ声色で報告した。彼の率いる第三幕僚室は主に作戦を担当する。当然、昨日から寝ていない。
 作戦室の中は、書類の束が積み上がり、情報端末を操作する海曹士が目を血走らせ、幕僚が電話口で怒鳴っていた。室内は控えめに表現しても、一糸乱れぬとは言えない有様であった。

 壁には舞鶴全域の地図と、総監部敷地の地図が貼られていた。西舞鶴全域、中舞鶴、そして東舞鶴駅から南側には、敵を示す赤色のピンが無数に打たれている。
 一方、味方を示す青色のピンは、総監部をはじめとする自衛隊施設、東舞鶴駅、市役所周辺に有るのみで、辛うじて重要な地点を維持しているに過ぎなかった。
 地図が示す現実を裏付けるかのように、建物の外からは断続的に銃声が聞こえてくる。総監は、銃声が先程までより大きく聞こえていることに気づいた。

 総監部は敵の攻撃を受け続けていた。

「外柵を放棄しました。以後は内柵に隊員を配置し、敵を迎撃します」
「敷地内に侵入を許してしまったな」
 総監は、渋い顔で応えた。
「やむを得ませんでした。外柵全周を守るには兵力が足りません」
 総監部の敷地は総監部庁舎や第4術科学校校舎のある丘を中心に、二重の柵で守られている。内柵の中には、庁舎群の他に海軍記念館や隊員の居住区、衛生隊等がある。
 そこから一段下がった内柵と外柵の間には、体育館、プール、武道場、売店等が設置されているが、それらはすでに放棄され、エレウテリオ騎士団が占拠していた。
「持久は可能か?」
 総監は探るように訊ねた。三室長はわずかに背筋を伸ばした。その目には光がある。
「防御正面を整理できましたし、『みょうこう』から一個分隊を借りました。朝まで保たせられます」
 総監部に残されていたのは、施設管理要員や、4術校で学ぶ経理・補給関係の学生である。士気は高いものの、お世辞にも戦力として頼りになるとは言い難い。
 彼等は、外柵を守りきれないと判断した幕僚の指示により内柵の中まで後退、建物と積み上げた土嚢を頼りに、押し寄せる敵と戦っていた。
 本来であれば施設警備を担当するはずの陸警隊が出払っているため、『みょうこう』陸戦隊第三分隊を引き抜き、予備兵力としている。
 庁舎や校庭のあちこちには土嚢陣地が組まれ、古めかしい建物の外見と相まって、まるで先の大戦の都市攻防戦のような光景であった。

「──万が一ここが落ちても、大丈夫な手は打ってあるが……」
 総監が銃声の方向を見つめながら言った。情報を担当する第二幕僚室長が答える。
「市庁舎に防衛部長、舞鶴航空基地には幕僚長がいらっしゃいますから、指揮継承及び分掌指揮は問題ありません」
「うむ──ところで、良い話は無いのか?」
「は、良い話ばかりではありませんが、ご報告があります」
 二室長の答えに、総監は片眉を上げた。無言で続きを促す。

「まず、民間人救出に向かったヘリが帰投しました。児童5名を含む民間人7名は、全員無事保護されました」
「そうか、無事か。そうか──それは、本当に良かった」
 総監は思わず両手で顔を覆った。一つ溜め息をつく。安堵している様がありありと見えた。周囲で目立たぬように耳を傾けていた隊員達の表情も明るくなった。殺伐とした作戦室の雰囲気も、少しだけ和らいだようだった。
 綾部市の惨劇が伝えられて以来、隊員たちは、その本分を尽くせていない、という後ろめたさを、多かれ少なかれ心に抱えていた。そんな中、民間人救出成功の知らせは、彼等の気分を明るくさせるのに充分な知らせであった。


 しかし、続く二室長の声は一転して固く、深い憂慮を表していた。
「しかし、救出に当たったヘリが、敵のロケット攻撃を受け損傷しました。再出撃には修理が必要です」


 室内がざわめいた。


「ロケット?敵の武装は刀剣と弓矢のみでは無いのか?」
 総監が問いただす。今までの報告では、銃火器の類いは持っていないとの情報ばかりだった。横から三室長が、疑問を述べた。
「ロケットというのは、RPG-7か?やはり、背後には北が……」
 二室長は、かぶりを振った。慎重に答える。
「いや、それにしては威力が弱い。少なくとも二発は命中したが、ガラスを割った程度で済んでいる。恐らくは、過激派が用いるような手製のロケットだろう」
「なるほど。しかし、それでもヘリの飛行に十分な障害だな」
 三室長の言うとおりであった。敵は、ヘリに損傷を与える事のできる火器を保有している。航空機の運用に与える影響は大きい。

「脅威が不明なため敵地上空の飛行を一時禁止しました。『みょうこう』立入検査隊は、ヘリによる脱出を断念。徒歩で東舞鶴駅へ向かっています」
 二室長は、総監に対し現状を報告した。立入検査隊は味方が辛うじて確保している東舞鶴駅へ、徒歩での移動を強いられていた。

 当然、敵の追撃が予想された。しかし、自衛隊側には、予備兵力も、それを投入する手段も無い。
「彼等の健闘に期待するしか無い、か。何とも情けない話だな」
 総監はつぶやいた。島根県から青森県にかけて、日本海側に広大な担当警備区を持つ舞鶴地方総監部の、最高指揮官たる自分の手元にはわずか数キロ先で苦戦する部下を救うための兵力が無い。
 彼は、壁に貼られた地図を睨みつけた。部屋の外からは怒号と銃声が絶えない。

 一体貴様等は何者なのだ。言葉は通じず、身元を示す物は何もない。それどころか、現代人である事を示す証拠がない。明らかに『軍』でありながら、この地球上の何処の国の所属でもない。
 地獄から蘇った中世の亡霊だとでも言うのか。そんな奴らに、多くの市民や部下が殺されてしまったというのか──


 総監が怒りで体を震わせている間も、作戦室の無線機や電話は鳴り止まず、幕僚や隊員達は各々の持ち場で、休む間もなかった。

 戦況は未だ予断を許さない。各所を守る海上自衛隊員達は、必死の防戦を継続していた。



京都府舞鶴市倉梯町
2012年 6月5日 20時08分

 護衛艦みょうこう立入検査隊第2班員、進士宏保三等海曹は、舞鶴市倉梯町の路地裏で仲間と共に汗にまみれていた。
 住民が避難した周囲の家屋からは灯りが消え、路上は闇夜同然であった。人気の絶えた街角は静かであった。遠くから聞こえる遠雷のような音は、発砲音だろうか。進士にはよく分からなかった。
 今、彼の耳を満たしている音は、ブーツがアスファルトを蹴る音、装具の立てるかすかな擦過音、そして隊員達の荒い息遣いであった。無駄口を叩く者はいない。
 しかし、普段は温厚な進士の内心は、思いきりわめき散らしたい気分で一杯だった。
 まだ、着かない。銃が重い。畜生、何も見えない。これじゃ横からいきなり敵が飛び出してもわからない。糞、プレートが重い。ベストの襟が擦れて痛い。ああ、休みたい。可児の野郎ペースが早すぎる。水雷長なんか倒れそうだ。
 何でこんな目に合わないといけないんだ。あのイカレたブリキの兵隊共のせいか。くそったれ、死んじまえ。

 進士が現状の辛さを忘れるために、ありとあらゆるものを罵っている路地裏では、彼の他に11名の隊員が、黙々と東舞鶴駅を目指していた。
 隊員達は狭い路地の両端を二列縦隊になり、老人のジョギング程度の速度で進んでいた。最後尾の隊員が定期的に後方を確認する。その他の隊員も、それぞれ別々の方向を油断無く警戒していた。
 濃紺のつなぎは汗で濡れ、隊員の身体に重くまとわりついていた。個人装備が肩や腰に食い込む。未だ兵士としての動きは失っていないものの、各々の足取りは重い。
 疲労と緊張は彼等の人相を極端に悪くしている。短期間の間に頬は痩け、瞳だけが白くぎらついた光を放っていた。


 先頭を進む沢井三曹が足を止め、左手を顔の横で握った。後続も無言で止まり、片膝立ちの姿勢をとる。
 沢井は酷く緊張した面持ちで目の前の十字路を見つめていたが、不意に何かに気付いた。足音と話し声だ。沢井が猛烈な勢いで左手を振り始める。

──隠れろ!

 それを見た進士達は慌てて左右の民家の敷地に駆け込み、塀や植木の陰に身を潜めた。遅れて沢井も身を翻した。

「────!」

 沢井が門柱の裏に滑り込むと同時に、右手の路地から敵兵が姿を現した。槍で武装した人間が三名、弩弓を持った人間が二人。何れも革鎧で身を固め、腰には70センチ程度の長さの剣を下げていた。槍を持った兵士は片手に松明を掲げている。
 彼等は、唯一人金属鎧を纏った男の指示を受け、進士達を探しているようであった。
 何を話しているのか、さっぱり聞き取れない。だが、その声色からは敵意と緊張と恐怖が容易に窺えた。

 進士は必死に息を殺した。手にした散弾銃を身体に引き寄せる。ブーツが踏みしめた庭土が、やたらと大きな音を立てたように思えた。
 薄いブロック塀一枚隔てて、先程まで殺し合いをしていた敵が、自分達を探している。もちろん、殺すためだ。
 背後で誰かが尻餅をついた。砂利が音を立てた。進士は戦慄した。身体が凍りついたようになり、冷や汗が噴き出した。見つかってしまう。彼は覚悟した。

 だが、幸いにも敵は進士達に気付かなかった様だった。異国の言葉で何事かを話しながら、左手の路地に消えていった。

 進士はゆっくり振り返った。殺意すら籠もった目で、尻餅をついた隊員──水雷長を睨みつけた。周囲の者もみな冷ややかな目を向けていた。
 明智一尉は、そんな視線に気付かないほど消耗し、荒い息を吐いていた。装具の重みに耐えられず、へたり込んでいる。
 進士は、これが指揮官かと改めて暗い気分になった。

 味方が確保する東舞鶴駅まであと300メートル。今の彼にはまるで無限の距離に思えた。


 民間人を救出したSH-60Jが、敵のロケット攻撃を受けたことは、彼等の脱出に多大な影響を与えた。被害を受けた機はもとより、無傷の機についても一時退避を余儀なくされたからである。
 そして、みょうこう立入検査隊に、ヘリの再出撃を待つ余裕など無かった。民間人脱出の為に、手持ちの弾薬を惜しげもなくバラまいた結果、残弾が一人平均2弾倉にまで低下してしまったのだった。これ以上の交戦は、弾薬切れを招きかねない。
「速やかに脱出し、東舞鶴駅の陸警隊機動班と合流する」
 事態を重く見た可児一曹の強烈な助言を受け、指揮官の明智一尉は部隊に命令を発することとなった。
 大通り側、大雲寺方面は敵で埋まっている。いくら火力で優越していても、開けた場所で騎馬隊(一体あれだけの馬をどこから持ち込んだのかは分からない)と戦うのはあまりにも分が悪い。
 脱出経路として選ばれたのは裏手側、校舎を抜けた住宅地の狭い路地であった。検査隊員は不要な装備(ダンプポーチに収めていた空弾倉等)を放棄すると、音を立てない様、慎重に移動を開始した。


 現在、進士達は舞鶴線高架下にある菓子店の店舗を目指している。敵に発見されることなく辿り着けるかは、まだ分からなかった。



 彼等が苦労して占拠した敵の建物からは、如何なる宝物も高位の捕虜も得ることはできなかった。多数ある小部屋には、小振りな机と椅子が並ぶだけで、どこも無人であった。
 予想に反して兵舎でも無さそうである。
「ええい、まだ奴らは見つからぬか!何をぐずぐずしておるかッ!」
 兵を指揮するロンゴリアは苛立ちを隠そうともしなかった。多数の兵に加えて、貴重な騎士団付魔術師を三名も失い、捕虜も取れず、敵まで逃がしたとあっては、騎士の面目が立たない。彼の顔は怒りで赤く染まっていた。
 しかし、下知に対する兵達の足取りは重い。疲れているのだった。
 ロンゴリアは配下の兵を少人数の組に分け、街に放った。どれかの組が敵を見つけたならば、速やかに直率の騎兵と槍兵、弩弓兵を差し向け、押し包んで殲滅する構えであった。
 しかし、彼の意気込みに反して敵は一向に見つからない。街並みは予想以上に広く入り組んでおり、捜索に当たる兵達は敵に怯えていた。ゴブリンに至っては、大損害を受け既に逃散してしまっていた。
「兵を差し向け、必死に探っておりますが、何分敵地にて思うようには……」
 配下の騎士が弁明した。彼の顔にも、怯えが見えた。
 無理もない。この日彼等が戦ったいくさは、如何なる練達の騎士であろうとも経験したことのない、異様ないくさであった。敵の魔術は騎士も兵も分け隔てなく打ち倒した。鎧も楯も役に立たなかった。
 名誉と勇気を貴ぶ西方諸侯領の騎士たちですら、疲労と怖れが、身の内に澱のように溜まるのを無視できなかった。
「言い訳はいらぬ!今のままでは見つけられぬと申すか」
 ロンゴリア自身も、この街が自国のどんな王侯貴族が財貨をつぎ込んだとしても、造り得ない物であることをようやく理解していた。そして、恐怖した。彼は、執拗に敵を追い続けることで、どうにかして恐怖を抑え込もうと努力していたのであった。

 ロンゴリアは、ひとしきり怒鳴ると、顎に手を添え急に静かになった。何か思案しているようである。配下の騎士は、不思議に思い、問うた。
「ロンゴリア殿、いかがなされました?」
 ロンゴリアはじろりと配下の騎士を睨み、低い声で答えた。

「騎士も兵も頼りにならぬとなれば、亜人共をけしかけるしかあるまい」
「しかし、ゴブリンはすでに……」

 騎士の言葉を遮り、ロンゴリアは言った。

「亜人共はゴブリンだけではない」



京都府舞鶴市倉梯町
2012年 6月5日 20時27分


 きっかけはほんの些細なことだった。

 中腰で進む立入検査隊員の雑嚢に納められていた、ビクトリノックスのマルチツールが、たまたま、アスファルトではなくマンホールの蓋の上に落ちた。
 その時、近くには偶然猟師上がりの兵を含むロンゴリアの手勢がいた。その兵は音のした方角を速やかに聞き取り、組長に伝えた。
 元来真面目な性分だったその組長は、松明を掲げた兵を差し向けた。兵達は得体の知れない街と敵に怯えながらも、実直な組長の指示に従い、路上を進んだ。


 マルチツールがマンホールの上で金属音を立てた僅か15秒後、追う者と追われる者は、10メートルという距離で鉢合わせていた。



 轟音と共に、網膜を焼く赤い光が視界を覆った。ストックを当てた右肩が激しく叩かれ、上半身が僅かに仰け反る。進士三曹は、膝のバネを使い、反動を吸収した。
 彼の放った散弾は、狙いが甘かった。大部分が何もない空間を通過した。疲労の影響で銃口が上擦ったのだった。しかし、幸いにも(撃たれた相手にとっては不幸にも)、胴体を狙って放たれた散弾の一部は兵士の顔面に命中した。
 ガマがえるが潰れたような悲鳴を上げて、兵士がひっくり返った。松明が地面に転がる。倒れた兵士の表情が全く分からないのは、暗さだけが理由ではない。体が小刻みに痙攣するたびに、黒々とした液体がアスファルトに広がった。


「班長!後ろからも追ってきてやがる!」
「来た来た、左からも来た!」

 検査隊の位置は完全に暴露していた。
 ロンゴリアは、突然響き渡った銃声に対し、手持ちの兵をまとめて投入した。指揮官としての判断というよりは、一人の人間としての恐怖心の影響が大きかった。
 生半可な数では、やられる。
 そんなロンゴリアの判断から下された用兵は、自衛隊側に陽動の意図があれば容易く包囲を抜けられてしまいかねないものであった。しかし、この夜、みょうこう立入検査隊は一団となって脱出を試みていた。

 その結果として、彼等は捕捉され、暗い路地裏での遭遇戦を強いられる事となった。



「第2班は後ろから来る奴らを叩けッ!第3班は先の十字路を抑えろ。水雷長!3班と行ってください!」
「か、可児一曹は、どうするんだ?」
「左から来る奴らを何とかします。斎藤!早く連れて行かんかァ!」
「了解!」
 会敵から僅か数秒の間に、発砲の轟音と兵達の怒声で満ちた路地の真ん中で、可児一曹が吼えていた。彼の認識では少なくとも後方と左から敵が迫っていた。ぐずぐずしていれば、早晩包囲されるだろう。
 第2班員が松明を目安に弾をばらまく。その多くは外れたが、敵兵は慌てて松明を捨てた。民家の庭先に飛び込む者もいる。敵の圧力が弱まった。
 一方、第3班は斎藤二曹の指揮の下20メートル程先の次の十字路に向けて走った。明智一尉も、よろめきながらそれに続いた。
 可児はその様子を確認すると、左側から迫る盾を構えた男たちに向き直った。巌のような顔面に、獰猛な肉食獣の笑みを浮かべる。彼は64式小銃を腰だめに構えると、無造作に発砲した。
 可児は7.62㎜弾の連射による強烈な反動を、いとも容易く抑え込んだ。敵兵が腰の辺りを吹き飛ばされ、崩れ落ちる。
 金属製の空薬莢がアスファルトに落ちて甲高い音を立てた。可児は、薬莢拾いを考えなくても良いのなら、幾らでも撃ち続けたいものだと思った。
 第3班から、『十字路確保!』と無線で報告が入る。
 不期遭遇戦で味方は混乱したが、敵はそれ以上に混乱している。この間に立て直せばまだやれるな。可児は一層大きな声で、必死に戦う部下に指示を飛ばした。

「妻木、道の右側に寄って下がれ!第3班の先を確保しろ!蛙跳びで行くぞ」

 最後尾で銃を乱射していた第2班員が道の右側を後退し始めた。射界を確保した可児と第1班は第2班の後退を援護する。

 三個班が相互支援しつつ、敵の追撃を振り切ろうという動きであった。
 この辺りの区画は、道路がほぼ碁盤の目のようになっている。一個班が後退支援射撃で敵を抑えている間に、辻々を確保しつつ下がっていけば、刀剣と弓矢程度の武装しかない敵は、つけ込む隙が無い。
 人家に灯りが無く、街灯も割られているせいで敵がよく見えなかったが、可児はそれは敵も同じ事だと考えていた。

 後は弾が切れる前に、駅に駆け込めるかどうかだな。
 派手に撃っている隊員の中には、そろそろ残弾が怪しい者が出てくる頃であった。


 進士三曹の心臓は、猛烈な勢いで収縮し、全身に血液に載せた酸素を送り出していた。うっかりすれば息を吸うことすら出来なくなる程、呼吸は乱れ、視界が狭くなっている。酸欠寸前なのかも知れない。
 こんなに走ったのは、教育隊以来だよ。進士は眼前に星が散る状況下で、そんな事を考えていた。彼の所属する第2班は、第3班を追い越し、次の十字路を確保するため全力で走っていた。
 足がつりそうになる。手にした散弾銃を放り捨てたい気持ちが湧き起こる。しかし、理性──若しくは生存本能、がそれを捨てる事を踏みとどまらせた。
 駅に着けば休める。頭の中をそんな考えで埋め尽くし、進士は十字路に辿り着くと受け持ちである左方向に銃を構えた。

「左クリ──アじゃな……い?」
 呆然とした進士の眼前に、大きな影が立ち塞がっていた。それは2メートル程の身長を持つ大きな影であった。
 敵兵かッ!?
 進士は咄嗟に散弾銃を構え、狙いを定めようとした。そして、敵の異様な姿に気付いた。
 力士の様な体格であった。腕や足はゴツゴツとした筋肉に覆われ、丸太のように太い。胴には粗末な鎧を着けているようだ。たっぷりとした胴回りが、鎧の下に窺えた。
 手には恐ろしげな棍棒を下げている。殴られればただでは済まないだろう。

 一瞬のうちにそこまで観察した進士は、強烈な違和感を覚えた。無意識のうちにその原因を探す。
 彼は原因に気付いた。
 その敵兵は、異様に頭部が大きかった。そのため、バランスの悪さを感じたのだった。そして──
「な……!?」
 見上げるような大男の両肩の間には、豚の顔が乗っていた。脂肪に覆われた顔面では、凶暴な光を放つ瞳が進士を睨んでいる。大きく裂けた口元からは、涎と唸り声が漏れていた。生臭い臭いが辺りに漂った。
「ば、化け物ォ!」
 金縛りが解けた進士は、叫び声を上げながら散弾銃の引き金を引いた。よく見ると、その化け物は一匹では無かった。轟音。素早くレシーバーを引き次弾を装填。間髪入れず次弾を叩き込む。至近距離で放たれたバックショットは、狙い違わず化け物の腹に命中した。
 仲間が倒れた事で、敵も我に返ったらしい。甲高い咆哮をあげると、猛烈な勢いで進士に襲いかかった。
 発砲。装填。発砲。

 そこで、弾が切れた。慌てて腰の9㎜拳銃を抜こうとしたものの、到底間に合いそうになかった。
 立ち尽くす進士の頭部めがけて、敵兵は巨大な棍棒を振り上げた。進士は、何故か、豚の体脂肪率はそんなに高くない。という雑学を思い出した。
 視界一杯に棍棒が迫っていた。



 妖魔若しくは亜人の一種とされる『オーク』は、主に帝國領内の北辺山間部に多く存在している。
 体格は人間種より優勢で力も強く、その性格は貪欲かつ好戦的である。そのため、しばしば地方の村落が襲撃され、家畜や領民が大きな被害を受けてきた。ただし、多くの個体が知能に劣るため、人間側が態勢を整えれば、撃退は難しくない。
 問題は、その旺盛な繁殖力にあった。オークはほぼ全ての人様種族との交配が可能な上、母胎がどの様な種族であれ、オークの形質を色濃く受け継いだ赤子が産まれる。 
 討伐を重ねても、一向に勢力が衰えず、投入した資金兵力に成果が追いつかない状況に、地方領主が悲鳴をあげる事態となったのだった。

 このため、帝國は懐柔策をとった。有力な亜人(妖魔)を首魁に仕立て上げ、山岳地帯の一部を自治領とした。そこに、オークやゴブリンその他の種族を住まわせ、彼ら自身に統制を取らせたのだった。
 帝國は山間部で賄えない物資や奴隷(主に交戦国の領民を送り込んだ)を提供する代わりに、兵力を供出させていた。
 悪名高き妖魔兵団の始まりである。

 これにより、山岳地帯の一部領邦は国替えを余儀なくされたが、帝國内に存在する妖魔のかなりの部族・集団が自治領へ移動し、結果として他地方の治安に向上が見られた。

 オークやゴブリンの部隊は、西方諸侯領では伝統的に妖魔が徹底的に差別されるため、異民族討伐時の尖兵として位しか、用いられない。
 また、オークを指揮する役を担う軍人や亜人、下手をするとオーク部隊が配属された騎士団までもが『豚繰り』と蔑まれた。

 だが、ロンゴリアは敢えてそれを受け入れた。エレウテリオ騎士団に約20程配置されていたオーク達を、追撃に投入したのだった。

 敵の魔法戦士部隊を捕捉したとの報告に対し、ロンゴリアはオークを迂回させ敵の前方に回り込ませるよう下知を下した。
 その成果は上がっている様であった。どれだけ消耗しても、幾らでも産まれいでる汚らわしいオーク共と、敵が噛み合い消耗したところで、騎兵を突入させる。
「我ながらよい思案だ」
 何より、貴重な郎党を失わなくてよい。これ以上の損害は領地の経営に大きな痛手なのだ。

「敵勢は足を止めました。御味方は隊列を整えつつあります!」
「よろしい!俺も出るぞ。今度こそ、だ」

 ロンゴリアは口の端を釣り上げ、笑った。遂に敵を押し包み、討ち果たすのだ。



京都府舞鶴市倉梯町
2012年 6月5日 20時48分


 進士は思わず目を閉じた。棍棒の唸りが聞こえた。多分、次の瞬間自分の頭は柘榴の様に割れるのだ。
 しかし、棍棒が彼の頭にめり込む代わりに、金属同士がぶつかる異音と、軽く鋭い銃声が響いた。装薬の燃焼する匂いがした。それ程近くで、射撃が行われたのだった。

「だ、大丈夫かい?進士三曹。はぁ、機関けん銃って重いんだねぇ」
 進士が恐る恐る目を開くと、目の前にいた豚の様な化け物は、胴体に満遍なく9㎜弾を食らい、大の字に倒れていた。
「これは、一体……」
 振り返ると、指揮官の明智一尉が如何にも重たそうに機関けん銃を両手に下げ、汗塗れで立っていた。息は絶え絶えで今にも崩れ落ちそうな程疲労していたが、その顔には進士への気遣いの色があった。
 手にした9㎜機関けん銃の銃口からは、薄く硝煙が立ち昇っている。

「危、機一髪だったね。間に合って──ぜぇ、よかったよ」

 明智一尉は、進士の横を通り過ぎると、自分が撃ち倒した敵を、恐々覗き込んだ。感心したようにつぶやく。
「と、とんでもない相手だとは──思っていたけど、これほどまでとはね──」

 明智はもう一度、進士に向き直った。頼り無げな笑みを浮かべる。
 進士はようやく、自分がこの誰からも頼りにされていなかった幹部自衛官に助けられたことを理解した。
 礼を言わなければと思った。


「鉄砲様々だね。とてもじゃないけど素手で勝てる相──」


 明智が進士の前から消え失せた。

 鈍い打撃音が聞こえた時には、明智の大きな身体は、横薙ぎに跳ね飛ばされ、民家のブロック塀に叩きつけられ止まっていた。腕がおかしな方向に折れ曲がり、痙攣している。気を失っているか、既に死んでいるか。

 進士の眼前に、明智を腕の一振りで吹き飛ばした化け物が、ゆっくりと立ち上がった。信じられない。9㎜パラベラム弾をあれだけ撃ち込まれて、これか。化け物め。

 進士はもう一度諦めた。9㎜拳銃も通じなさそうな相手に、何も思いつかなかった。

「コラァ進士!諦めるな莫迦もん!」



 可児は、第2班長妻木二曹からの報告を受け、全力で路地を疾走した。横合いから現れた正体不明の化け物。とてつもなく嫌な予感がしていた。
 巨漢に似合わぬ速度で第2班に追いついた可児が見たのは、豚顔の化け物の腕の一振りで、指揮官明智一尉がブロック塀に叩きつけられる姿であった。進士三曹が呆然と立ち尽くしていた。腰に提げた拳銃を抜く気力も無いようだ。

「コラァ進士!諦めるな莫迦もん!」

 可児は叫ぶなり、化け物と進士の間に躍り出た。化け物の肉体は、189センチある可児よりも10センチ以上は大きく、また分厚かった。
 こいつは、難物だなぁオイ。
 可児は素早く敵の戦力を見積もった。肥満した様に見える躯は筋肉の塊であり、純粋な力比べなら勝ち目は無いだろう。

 ひゅう、と一つ息を吐く。手にした弾切れの64式小銃を地面に捨てた。そのまま左足を半歩踏み出し、重心を落とす。両手は緩く開くと、やや半身の身体の前に自然に構えた。
 端で見ていた進士の目には、可児の巨体がまるで猫科の獣の様に見えた。柔らかく、それでいて爆発的なバネを溜め込んだ肉食獣。

「こいよ、化け物」

 顎を引いた可児が、不敵に言い放つ。

 化け物は豚に似た顔面を醜く歪めると、右腕を大きく振り上げた。手には拾い直した棍棒が握られている。そのまま可児の頭部を叩き潰そうと、唸りをあげて斜めに振り下ろす。
 可児が左足を右斜め前に踏み込んだ。そのまま膝を曲げ、身体を沈める。その頭上を武骨な棍棒が掠めた。88式鉄帽から、焦げた臭いが立ち昇った。
 可児の身体は、踏み込みにより独楽のように半回転した。踏み込みで生じた移動エネルギーが、貯め込まれる。敵に背を向けた可児は、回転の勢いを乗せた後ろ蹴りを放った。
 鉄芯の入った重たいコンバットブーツに包まれた可児の右足が、槍のように突き込まれる。地を這うような軌道を描き、靴底が、化け物の右膝を真っ直ぐに打ち抜いた。
 化け物がくぐもった悲鳴をあげた。哀れな人間に必殺の一撃を加えようと踏み込んだ、その右膝の皿が、粉々に砕けたのだった。自分の体重に耐えられず、化け物は堪らず右に崩れる。
 既に可児は蹴り足を敵のすぐ側に下ろしていた。身体は正面に向き直っている。左拳を固める。
 崩れる化け物を、左フックが斜め下から突き上げた。甲殻類を砕くような破砕音が響く。拳は化け物の頬を正確に迎え撃っていた。
 牙が折れ、血潮が飛び散る。地響きをあげて、化け物は地に倒れた。可児のブーツが間髪入れず頸椎を踏み抜く。乾いた音が鳴った。さらに、素早く9㎜拳銃を抜くと、立て続けに三発、脳天に叩き込んだ。

「セイッ!」

 可児が残心の構えをとる。化け物は完全に絶命していた。

 進士は、呆れ果てた。可児のおっさん、2メートルもあるような化け物を殴り殺しちゃったよ。
 可児が振り返り、左手を振りながら言った。
「おい、進士。俺もまだまだ修行が足りんわ」
「はあ?どこがですか!?」
 進士は思わず聞き返した。人間離れした強さを見せられたばかりであったからだ。

「うむ。左拳を痛めちまった。部位鍛錬が足りん」

 進士は、言葉もない。可児は小銃を拾い上げると、大声で命じた。
「水雷長を助けろ!まだ生きてるぞ。集まれ小僧共、あと百メートルはダッシュだ!!」
 あれだけ恐ろしかった豚顔の化け物も、小銃弾には耐えられないようであった。まだ、十体はいた連中は、身を隠すことも知らないかの如く、簡単に射殺されていった。



京都府舞鶴市 舞鶴東港前島埠頭
2012年 6月5日 20時54分

 埠頭は昼間のような明るさであった。避難誘導に駆り出された舞鶴教育隊所属の一等海士は、照明灯を見上げ目を細めた。警察や消防車両が辺りを照らし、洋上では海上保安庁の巡視船が、探照灯を左右に振っていた。
 まるで幽霊を怖がっているみたいだ。一士は思った。人気の絶えた市街地は暗闇に包まれており、前島埠頭の煌々と照る灯りを際立たせている。
 彼が受けた印象はあながち的外れではない。自衛隊、警察、海保らの担当者は、奇襲を恐れていた。埠頭には市内から避難した市民が溢れている。万が一この場に突入されれば、阿鼻叫喚の地獄絵図になることは間違い無い。
 このため、埠頭の出入り口は警官と自衛官が固め、海側は保安庁がパトロールを行っている。岸壁には新日本海フェリー所有の大型フェリー『はまなす(16810トン)』が、その白い船体を横付けしていた。
 桟橋が降ろされ、住民課の職員により身元が確認された順に、市民の群れが乗船しつつあった。

「あれなら、確かに守りやすいよな」
 若い一士にも、その意味は見て取れた。高い舷側、限られた出入口、優れた居住性、そしていざという時の脱出能力。
 彼は優美な船体を見上げ、この船がエクソダスの為に使われることが無ければ良いと思った。

 不意に海曹達の動きが慌ただしくなった。車両を移動し、何かのスペースを空け始める。
 先輩の海士長が、赤と緑の誘導灯を手に駆け寄ってきた。
「先輩、どうしたんですか?そんなに慌てて」
 その海士長は、何故か明るい表情で東の空を指差した。
「え?空ですか?」

 彼は空を見上げた。地上の照明が明るすぎて、星もよく見えない。いや──あれは、何だろう?彼は気付いた。

 東の空に瞬く赤い航空灯。それは時間が経つにつれはっきりと見えるようになった。微かにローター音が聞こえる。

「もしかして!!」
「味方だよ。増援が来たんや!」

 思わず両手を振り上げた一士達の目には、UH-1J多用途ヘリの姿がはっきりと見え始めた。



京都府舞鶴市田中町 国道27号線
2012年 6月5日 21時07分

「おうおう、見事に真っ暗だなぁ、おい」
 陸上自衛隊第三戦車大隊所属、海北義男一等陸尉は、73式小型トラックの助手席で、いささか緊張感に欠ける声をあげた。
「はぁ、何でですかねぇ」
 運転席の中島三曹がのんびりした声で応える。

 海北は大きな身振りを交え、彼の部下に言った。
「バカ、ナカジそりゃみんな避難したからに決まってるだろう!俺達は野蛮なよく分からんコスプレ殺人集団から、無辜の民間人を助けに行くんだよ!」
「なるほどぉ」
 海北は喋るほどに饒舌となる性分であった。

「ついでにもう無理ですって悲鳴をあげてる海自の皆さんも助けて差し上げるんだ!俺達が一番乗りだぞ!まぁ、当初の予定より六時間程遅れたけどな!」
「そりゃ、デートなら振られるレベルですねぇ」
「だから急ぐんだよ!海軍カレーが待ってるぞ!」
 上空をヘリの爆音が通り過ぎた。海北は喚いた。
「ああ!第三飛行隊の連中に先越されちまう!ナカジ急げ急げ!」
「駄目ですよぅ」
 後部座席でやりとりを聞いていた雨森曹長は、うんざりしていた。相変わらずやかましい中隊長だ。
 雨森は百メートルほど先にある、赤色回転灯の灯りに気付いた。まだ演説を続ける海北に告げる。
「中隊長、前方」
「あん?お、居たか」
 海北はピタリと演説を止めた。

 73式小型トラックは国道を封鎖する福井県警の検問前で停車した。後方にはディーゼルエンジンの重低音を響かせ、96式装輪装甲車が待機している。
 その後方には、第三戦車大隊第一中隊各車が列を作っていた。海北にとって残念な事に、主力装備である74式戦車は投入許可が降りず、小浜市で待機していたが。
「曹長、大隊本部に報告。『第一中隊、舞鶴市に到着。これより市内へ進入する。2115』」
「了解」
「よし、96式を前に出すぞ。各自装填を許可する」
 八輪のコンバットタイヤが重々しく回転し、96式装輪装甲車の角張った車体が前進する。銃手席の隊員が、M2重機関銃に初弾を装填した。後続車の隊員もそれぞれの武器に初弾を装填し、安全装置をかけた。

 準備よしの報告を受け、海北は命令を発した。
「よぅし、行くぞ!全周警戒を怠るな!中隊前進!」



京都府舞鶴市余部下 国道27号線
2012年 6月5日 20時42分

 頑強に抵抗する敵陣に対し、騎士団主力は執拗な攻撃を続けていた。騎士団長、ブエナベンドゥラ・ディ・エレウテリオ・イ・ロッサ帝國子爵は、視界の隅に本領軍魔導師バルトロが配下の魔術師と難しい顔で話し込む姿を認めた。
 あの、バルトロがあの様な深刻な顔を見せるとは?

 戦況は芳しくない。右手に見える敵の城館に対する攻撃と共に、街道を塞ぐように築かれた敵陣に対しても、仕寄りは続いていた。
 敵は相変わらず呆れるほどの焔の礫を放ってくる。密集陣形による突撃は、とっくに断念していた。
 幸いなことに、敵も夜目が利くわけではないと分かった。そのため、エレウテリオは、配下に対し「壁や溝を用いて敵に近付け」と命じていた。
 彼は、切り込むことが出来れば勝機はあると信じていた。

「──付の魔術師と、繋ぎがとれ──」
「ふむ、本──は、どう────」
「同様に御座います」
 途切れ途切れに聞こえる内容に興味を覚え、エレウテリオはバルトロに話しかけた。
「バルトロ殿、如何なされた?何か御困りか?」
 バルトロは不意に呼びかけられた事に、思いのほか動揺した。配下の魔術師はネズミが逃げ出すかの如く、居なくなった。
「……これは、団長殿。いやいや大した事では御座いませぬぞ」
「されど、バルトロ師の斯様に深刻な様など拝見した事がない故、気になりましてな」
 そう言ったエレウテリオの瞳は『隠し事は許さぬ』と、剣呑な光を放っていた。最早、勝手な動きが許される戦況では無かったからだ。
 バルトロは僅かな間の後、静かに伝えた。
「我が弟子が伝えるには、本隊付の魔術師と上手く繋ぎが取れぬとの事にて」
「それは──本隊に何か有ったということでしょうか?」
 エレウテリオの問いに、バルトロは首を振る。
「いやいや、それは無かろう。異界の地故、未熟な我が弟子がしくじっているだけかと思案いたしまするぞ」

 エレウテリオが更に問おうとしたその時、甲冑の音を響かせながら、戦神に仕える神官戦士団長のグイドが現れた。
 グイドは顔の下半分を埋める見事な髭を震わせながら、しゃがれた声で言った。
「エレウテリオ殿、戦神はこの地におわさぬやもしれぬぞ!戦歌が効かぬ。こんな事は初めてじゃ!」
 詳しく聞くと、神の力を借りる事が極端に難しくなっているとの事である。配下の士気を高め、恐怖心を打ち消す為の切り札が失われたことは、エレウテリオに少なからず衝撃を与えた。

 神聖魔法が使えぬとは、何故だ?神々の力及ばぬ地とでも言うのか?
 時が経つにつれ、我が騎士団に良からぬ事ばかり増える。このままでは、敵を破ること能うまい。


 やはり、この敵陣を突破し、アランサバルの手勢と合流せねばな。


 エレウテリオは決心した。


京都府舞鶴市余部下 総監部前予備陣地
2012年 6月5日 21時11分


 陣地正面の路上に投擲されたレッドフレアが燃え尽きつつあった。赤い光が消えるにつれて、夜が力を取り戻す。かろうじて確保されていた視界は、総監部方向から流れてくる煙にまぎれ、急速に失われ始めた。
 陣地守備隊を指揮する護衛艦『みょうこう』陸戦隊指揮官、稲富祐也一等海尉は舌打ちで不満を表した。煙の元は、火矢によって発生した小火であった。
 早く消火しろよ、と思う。この煙のせいで、二十メートルも離れれば、人影も曖昧になってしまう。
 二十メートル。
 わずか二十メートル、しか見通せない。これがどんな結果を招くのか、今日一日で陸戦について日本で有数の実戦経験者となった稲富は、容易に想像する事ができた。
 右前方、驚くほど近くで喊声が上がった。それに呼応する様に、64式小銃の射撃音が鳴り響く。マズルフラッシュが煌めく。喊声はすぐに悲鳴に変わり、消えた。
 稲富の後ろで悲鳴が上がった。
「伏せろ畜生!」
「矢を食らった!」
 隊員が叫んでいる。予備陣地は掩体を構築する余裕が無かったため、敵の矢に対する防御力が不足していた。
 稲富は奥歯を噛み締めた。煤で真っ黒になった顔面が歪む。昼間に比べてここまで統制をとるのが難しいとは、思ってもみなかった。
「敵は、遮蔽物を活用しています。物陰からにじり寄ってくるため、どうしても発見が遅れてしまいますな」
 先任海曹として稲富を補佐する沢田曹長が、苦々しい口調で言った。彼の作業服の右腕には血に汚れた包帯が巻かれていた。
「敵も、学んでいる。そうそう都合良くはいかん」
「海側と正面の圧力が強まっています。気を抜くと突入されかねません」

 稲富が指揮する陸戦隊は、第一第二分隊と、母艦で再編成の後増援されたMINIMI軽機関銃装備の機関銃班を加え、志馬警部が指揮する警官隊と共に、陣地を頼りに敵と交戦していた。
 本来指揮下に入る筈であった第三分隊は総監部に引き抜かれている。総監部の敷地には敵が溢れ、施設は重囲下に置かれていた。
 国道正面だけであれば、さほどの問題は生じなかっただろう。しかし、陣地左側面の総監部敷地が敵に制圧された結果、半包囲を受けるような形で攻撃され、自衛隊側は苦戦を強いられていた。

 素人集団の限界だな。稲富は思った。五老ヶ岳を放棄した結果、自衛隊側は主導権を失った。隊員達はひたすら陣地を頼りに眼前の敵を撃つことしか出来ない。
 これが陸自普通科部隊であれば、各所の陸曹が敵の意図を看破し、指揮官が命じる前に進言があるか、対処してしまっただろう。
 しかし、陸戦など教育隊や学校以来だという海曹士達には、とにかく目に入る敵を叩くという単純な事しか出来なかった。

「撃ち続けるしかないぞ」
「はい。弾薬の補充に注意させます」

 腕が無い分は、弾をばらまくしかない。幸い、弾薬の補給は順調に行われていた。しかし消費弾薬に比べ、倒した敵はそう多くない。
 稲富の目に敵は見えない。しかし、ひたひたと迫る敵の気配と、時間と共に疲労していく自陣の様子が、何故か理解出来た。

 この一時間が山だな。戦場の喧騒の中で、稲富は静かに覚悟した。



京都府舞鶴市余部下 国道27号線上
2012年 6月5日 21時20分

 エレウテリオは確かな手応えを感じていた。敵の狙撃を避けるため愛馬を降りた彼は、地面に突き立てた長剣の柄頭に両手を置いた姿勢で、静かに伝令の報告を聞いていた。
「騎士アルマハーノ様が手勢、右翼にて敵陣に迫りつつあり!」
「敵陣正面に対しては、長弓兵隊が射撃を継続中!」
「神官戦士団長グイド殿、麾下二十士と共に総寄せに加わるとの事」

 密集陣形を捨てたエレウテリオ騎士団は、夜陰に紛れ敵陣に迫った。
 エレウテリオの手元には、今までの損害と逃散したゴブリン兵を除いても、騎士二十騎と兵三百が残されている。温存していた軽騎兵も百騎が健在である。長弓兵は疲労の為、戦闘可能な者は約五十。
 エレウテリオは、まず左翼海側と陣地正面に長弓兵の全てと下馬軽騎兵の半数を投入した。さらに選抜した軽装歩兵を躍進させ、陣地突入を窺う。
 当然、敵魔法戦士の反撃は苛烈を極めた。たちまち敵陣に肉迫した兵が撃ち倒される。生き残りは、路上で釘付けとなった。

「エレウテリオ卿、頃合にて」
 騎士の声に、エレウテリオは重々しく頷き、長剣を地面から引き抜いた。
 攻撃の主力は右翼──敵の城館敷地を通り敵陣の側面に至る──である。植え込みや建物を利用し、騎士団は静かに敵前二十歩の位置までにじり寄っていた。
 エレウテリオは眼前に片膝をつく伝令達に命じた。
「諸隊、総寄せにかかれ」

「はッ!」

 伝令が駆け出すのを確認したエレウテリオは、自らも前線へと歩き出した。背を真っ直ぐに伸ばし大股で進む姿は、騎士団長の威厳に溢れていた。傍らに控える魔導師バルトロに告げる。
「さあバルトロ殿。参りましょうぞ」
「ふぇっふぇっふぇっ。人使いの荒い御方じゃな」
 バルトロが応える。その声は夜に溶け込み、直ぐにかき消えた。

「右翼は騎士団長が直率されるぞ」
「団長が出られる」

 細波の様に声が伝わり、一瞬遅れて静かな熱気が、兵の間に広がった。



京都府舞鶴市余部下 総監部前予備陣地
2012年 6月5日 21時30分


 陣地は絶え間ない弓射を受け、じりじりと負傷者が増え続けていた。特に海側への攻撃が激しい。
 稲富は予備隊の機関銃班を右翼に投入し、支えさせていた。効果はあったようだ。敵の突撃を二度撃退している。

「いい加減奴ら諦めないかな」
 稲富が硝煙で真っ黒になった顔に、うんざりした表情を浮かべ、ボヤいた。半日戦い続け、さすがに疲労が誤魔化せなくなってきていた。
 装備も疲労していた。彼と彼の部下達が頼みとする豊和工業製64式7.62㎜小銃は、その多くが分解整備を必要としていた。排挾不良を起こす確率が増加している。


「総監部守備隊より『敵の攻勢が弱まった』との通報ありました!」
 通信員の報告に、稲富は一瞬安堵しかけた。やれやれ、ようやく諦めたか。部隊に一休みさせられるか?
 沢田曹長が言った。
「砲術長、総監部が楽になるのはいいですが、こっちはどうでしょうな」
 その言葉に稲富は頭を殴られたような衝撃を受けた。そうだ!こっちはまだ攻撃を受けているんだぞ。都合の良いように考えてどうする。
「通信!総監部に敵の動きを報告させろ。あと、早く火を消せと伝えろ!」
「了解!」
 総監部への攻撃を止めた敵は、退くのか。それとも──

 総監部からの答えを待つまでもなく、答えは示された。

「左翼に敵多数!突っ込んできます!」
 陣地左翼側面を守備する隊員からの、悲鳴のような報告が稲富の耳朶を打った。


 陣地左翼。
 総監部守備隊が内柵に下がった結果、防衛線に間隙が生まれていた。第二分隊が側面の守備につき、間隙を埋めている。
 分隊を指揮する有吉二曹は、膝が震えるのを止められなかった。
 分隊員は警衛所付近に展開している。その眼前、放置車両や植え込み、売店の建物等の彼方此方に、蠢く影が見える。それは明らかに数を増やしていた。
「有吉二曹、これやばくないですか?」
「そうだな──狙えるか?」
 小銃を構えた隊員は、照門を覗き込んだ後、顔を上げ被りを振った。
「煙でよく見えないです。それに、奴ら上手く隠れやがる」
 寒気が背筋を伝う。取り返しがつかない事が起きる予感。このままでは、拙い。有吉二曹は指揮官に報告しようと無線機を手に取った。その瞬間──


 鋭い叫び声が聞こえた。続いて無数の矢が警衛所に打ち込まれる。さらに、低く重厚な喊声が上がった。
 敵が突撃を開始した。いち早く気付いた有吉二曹は七名の部下に射撃開始を命令しようとした。

 しかし、次の瞬間、唸りをあげて飛来した投擲斧が、彼の魂を肉体から消し飛ばした。



「エレウテリオ騎士団、突撃せよ!」
 明らかに敵は立ち遅れた。行ける。いくらかは撃ち倒されるだろうが、生き残りは敵陣に辿り着く。

「戦神よ!御照覧あれ!」
 敵陣に向けて駆ける彼の隣を、戦斧を振りかざした神官戦士団長グイドが猛烈な勢いで敵陣に迫る。
 彼等が突入出来れば、如何に魔法戦士といえども対抗できまい。熟練の神官戦士は並の兵五名を容易く屠る。
 物陰を出た槍兵が穂先を並べ、駆け出した。雄叫びが夜空に響く。残念な事に、彼等はすぐに撃ち倒された。だが、槍兵が倒れる間に、その脇を騎士アルマハーノとその手勢が先へと進んだ。
 神官戦士団も、甲冑の上に着込んだ法衣を翻し、躍進する。たとえ戦歌の効果が無かろうと、彼らの戦意に一点の曇りもない。
 戦神の導きの下、名誉ある戦に身を投げ出し、神の武器たる戦斧を振るい、戦塵に倒れることを至上とする漢達であるからだ。

 焔の礫に打たれ、騎士アルマハーノがもんどりうって倒れる。しかし、エレウテリオは確信した。

 敵は俺達を阻止出来ない。


 第二分隊から「敵、突撃を開始。有吉二曹死亡」の報告を聞いた稲富一尉の動きは早かった。
「松井二曹、正面を任せる!」
 そう命令すると、自分の64式を掴み、左翼へと駆けだしたのだった。沢田曹長と予備隊の二名が後に続く。
 稲富の内心は悔恨に満ちていた。早くに気付くべきだった。総監部への攻勢が突然衰えた。ならばその兵はどこに向くのか。

 畜生。自分に都合が良い方に考えちまった。あらゆる教本に、やるなと書いてある事を。
 彼は朴訥な顔に怒りを張り付け、陣地左翼を守る土嚢に辿り着いた。敵の槍兵が陣地まであと五メートルに迫っていた。
「負けるな!撃て撃てェ!」
 叫ぶと同時に、腰溜めで発砲する。至近距離で弾丸を食らい敵兵が吹き飛んだ。

 稲富は辛うじて間に合った。戦意を砕かれかけていた第二分隊は、稲富の指揮を受け反撃を開始。負傷者二名を出したものの、第一波を撃退した。

「砲術長!次が来ます。斧を振り回した厳つい奴等です!」
「そうか!歓迎してやれ!予備班は警衛所を守れ!」

 新手は長衣を翻した大柄な兵だった。手には長柄の斧をかざしている。比叡山の僧兵を連想させる姿だった。
 部下が発砲する。しかし、驚くべきことに最初の一人を撃ち倒された敵は、素早く地を転がると射撃を避けた。後方から矢が降り注ぐ。
 慌てて土嚢に伏せた。すぐに反撃するものの、ゆっくり狙う暇がない。

「砲術長、拙いですな」
「狙いは適当でいいから、とにかく敵の頭を抑えよう……だが」

 膠着状態に持ち込むことには、成功した。しかし、稲富の手に反撃するための兵力は残されていなかった。
 危うい均衡は、何かが加われば容易く崩れることは明らかであった。



 第一陣の騎士と兵達が倒れるのが、エレウテリオからもよく見えた。彼自身も敵陣まであと僅かの位置に進んでいた。
「敵ながら粘るな……」
 先行する神官戦士団も、射竦められていた。こちらの弓射により敵の狙いも甘くなっているものの、無視できる密度では無い。
 あと一手、あと一手が欲しい。エレウテリオは心から願った。手勢の半数は倒れ傷付き、もう半分もこれ以上の戦闘に耐えられそうもない。
 やはり、自ら鼓舞するより他に手は無し。
 彼は、敵前に身を曝す覚悟を決めようとした。

「エレウテリオ殿、お待ちくだされ」
 戦場の喧噪の中、何故かバルトロの嗄れた声が、よく耳に届いた。振り向くと、ローブに小柄な身を包んだ老魔導師が影のように佇んでいた。
「……手短にお願いする。私は配下を鼓舞せねばならぬ」
 エレウテリオは苛立ちを隠さなかった。しかし、バルトロは彼の刺すような視線を気にする素振りもなく、エレウテリオに言葉を投げた。
「死にまするぞ」
「!!」
「敵の礫を侮ってはなりませぬ。エレウテリオ殿が死ねば、兵は崩れましょう」

 エレウテリオは周囲を見た。地に伏せる兵達の視線を感じる。

「だが、このままでは敵陣を抜けぬ。あと一撃を加えねば!」

 バルトロはその皺だらけの口元を薄く開くと、笑った。右手で首飾りを弄んでいる。石と石が擦れる様な音が鳴った。

「その一撃、儂が加えて差し上げる」

 何を馬鹿な。エレウテリオは思った。そして、すぐに思い直した。バルトロは魔導師である。
 星を降らせたとて、驚くに値せぬ。

 エレウテリオの無言を同意と受け取ったバルトロは、目を閉じると詠唱を始めた。右手で弄んでいた首飾りを引きちぎる。首飾りには尖った石がいくつもぶら下がっていた。



京都府舞鶴市余部下 総監部前予備陣地左翼
2012年 6月5日 21時45分

 彼我の交戦距離は限りなくゼロに近づいていた。射撃をかい潜り敵兵が陣地に迫る。
「うわぁッ!」
 陸戦隊員の海士が戦斧を下から突き上げられる。鉄帽が弾け飛んだ。彼はそのまま後ろに倒れ込む。左の頬がざっくりと切り裂かれていた。
 敵兵は土嚢に足をかけると、倒れた海士に戦斧を振り上げた。
「させるか!」
 沢田曹長が素早く動いた。大きく空いた敵兵の脇腹に着剣した64式小銃を突き込む。銃剣が鎖帷子を突き破り、臓腑を抉った。
 苦悶の表情を浮かべた敵兵は、それでもなお道連れとばかりに戦斧を振り下ろそうとした。沢田曹長は銃剣が刺さったまま、引金を引いた。
 轟音と共に敵兵は土嚢から転がり落ちた。沢田曹長は、すぐさま倒れた海士の首根っこを掴むと、引きずり起こした。

「おい、無事か!?」
「痛テテテ……目は見えます。口も動く」
 沢田曹長は、海士の背を平手でどやしつけた。
「よろしい。戦え!次が来るぞ!」

 いやはや、頼もしい限りだ。自らも敵に銃撃を浴びせつつ、稲富は部下の活躍に舌を巻いた。戦況は苦しいが希望はある。数分前、通信員が報告した内容を思い出す。
『前島埠頭に陸自普通科小隊到着。市場検問所を第三戦車大隊通過。市内へ急行中』
 朗報であった。あと少し耐えれば、増援が到着するのだ。


 その時、生暖かい風が稲富の頬を撫でた。煙に霞む戦場に奇妙な気配を感じる。
 何だ?
 稲富だけでは無かった。隊員達は程度の差は有れど、落ち着かない様子であった。

 突然、敵軍内に青白い光が生まれた。生暖かい風は、光の中心から吹いている。付近の煙を巻き込み、渦が生じている。

 カタカタと、音がした。

 光が消えた戦場に、先程まで存在しなかった人影が浮かび上がった。

 乾いた足音が、陣地に迫る。数は十を超えていた。
 人影は、片手に曲刀、片手に円形盾を持っている。ゆっくりと迫ってくる。

「ヒィッ!?」
 稲富の傍らで、海曹が情けない悲鳴を上げた。
「情けない声を出すな!海曹だろう!」
 思わず稲富は叱責の声をかけていた。些細な事で士気が崩壊する事が怖かったからであった。しかし、彼の予想に反し、その海曹はさらに悲鳴を上げた。
「あ、あれを見てください!何だってんだ!勘弁してくれ!」

 その言葉に導かれるように稲富が目を向けた先には、敵兵が立っていた。
 それは異形、の一言では片付けることが出来ない姿であった。一目でこの世のものではないと分かった。驚くべきことに全身のどこにも肉はなく、ぽっかりと空いた眼窩の奥に、青白い炎が見えるのみであった。

「……骸骨が動いている?」
 流石の稲富も、動揺を押さえられなかった。
 カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ

 呆然とする隊員達をあざ笑うかのような、骨が鳴るけたたましい音と共に、骸骨達は一斉に走り出した。

「う、撃てェ!」

 陸戦隊員達が一斉に射撃を開始した。統制も何もない、全弾をフルオートで叩き込まんとする射撃であった。
 数秒の後、静寂が訪れた。1弾倉を撃ち尽くし、隊員達は骸骨がバラバラになったことを期待した。

──しかし。

 骸骨兵は倒れていなかった。手や足や、頭を失ったままの姿で、前進を続けていた。

「もう駄目だ!」

 稲富が恐れていた一言が、自陣から発せられた。骸骨が銃撃をものともせず目前に迫る様子に、稲富自身も一瞬同意しそうになった。

 その一言で、ついに守備隊は崩れた。隊員が次々と逃げ出す。稲富も、沢田もそれを止めることは出来なかった。

「くそっ、沢田曹長。第一分隊に後退命令を出せ!もう持たない」
「残念です」

 側面が崩れては正面が持ちこたえても無意味であった。この局面を打開できる唯一の手段──予備隊も存在しない。
 稲富に出来ることは、部下と共に後退するのみであった。



 エレウテリオは、呆気なく崩れる敵軍をやや意外に感じた。あれほど頑強に戦った魔法戦士が、竜牙兵を見ただけで総崩れになるとは。
 そこで周囲の様子に気付く。神官戦士団こそ平然としているが、その他の騎士や槍兵達は一様に足を止めていた。竜牙兵に近付く者はいなかった。皆、畏れている。
 我が手勢とて同じか。話には聞けど、竜牙兵を見たことのある者など、我を含め一人もおらぬからな。

「さてさて、エレウテリオ殿。如何なされましょうや」
 魔導師バルトロが言った。彼の傍らには一体の竜牙兵が侍っている。竜の牙を寄代に、魔導によって生み出された外道の兵は、何の感情も持たず、ただ使役者の命ずるままに殺戮を行う。
 禍々しい姿よ。だが、その力は認めねばなるまい。
「流石は本領軍直属の魔導師殿。御助勢感謝する」
 エレウテリオはいくらかの本音を込め、バルトロに答えた。さらに、配下の兵に告げる。

「敵は崩れた!勇敢なる我が騎士団の兵達よ!追撃だ!敵を海に追い落とせ!」

 エレウテリオが発した力強い激に、兵達は己を取り戻した。土嚢を越え、敵を追撃にかかる。

 勝った。
 エレウテリオは、確信した。このまま敵を追い散らす。そして、市内で戦うアランサバル指揮下の別働隊と合流し、この都市を我が物とするのだ。



京都府舞鶴市余部下 海上自衛隊北吸岸壁 護衛艦みょうこう艦橋
2012年 6月5日 21時47分

 艦橋内は照明が消され、照度を抑えた赤灯だけが僅かに手元を照らしていた。その僅かな光が、艦橋立直員の姿を暗闇に影絵の様に浮かび上がらせている。
 暗闇に声が響く。
「総監部に小火災。未だ鎮火に至らない模様」
「陸戦隊、敵部隊と交戦中」
「立入検査隊指揮官負傷。現在、東駅に移動中」
 左ウィングで二十倍双眼鏡を覗き込む二番見張員、艦橋中央に立つ航海長、無線からの交話を中継する通信士が、口々に報告した。
 護衛艦『みょうこう』艦長、細川孝英一等海佐は、艦橋の右側に据えられた艦長席の赤い背もたれに体を預け、静かに左手を上げた。
「了解」
 彼は静かに返答すると、そのまま左手をあごにあて考え込み始めた。

 『みょうこう』は戦闘配置を維持している。艦橋ウィングには土嚢と防弾盾が配置され、見張員は鉄帽と防弾チョッキに身を固めていた。
 細川は物々しい様子を見せる艦橋で、指揮を執っていた。通常、護衛艦において戦闘ともなれば、艦長はCICに降りるのが普通である。
 しかし、この異常な夜に限って言えば、『みょうこう』の戦闘力の源であるイージス武器システムの大部分が眠ったままであり、戦闘指揮に必要な条件は艦橋に揃っていた。
 細川は自分の目で状況を把握する必要を感じ、CICを船務長と砲雷長に任せると、艦橋に上がったのだった。

 艦の左前方数百メートルの路上では、彼の部下が慣れない陸戦を戦っていた。常に穏やかな雰囲気を絶やさない細川も、さすがに気が気ではない。
 明滅する発砲の光。総監部から流れる煙。怒号と銃声が艦橋の開け放たれた防水ドアから聞こえてくる。
 細川は首から提げた双眼鏡を持ち上げ、顔にあてがった。視界が限られる代わりに、数倍に増幅された映像が彼の目に映し出された。

 細川の口元が歪んだ。唸りが漏れる。彼には珍しいことだった。背後に控えていた通信士が、思わず表情を変えた。

「拙いな。崩れるぞ……」

「艦橋、二番。味方が陣地を離れます。──撤退しています!」
「艦長!」

 細川の呟きをかき消すかのように、見張員と航海長の叫びが、艦橋に響いた。


 細川は、装受話器を手に取った。
「CIC、艦橋艦長だ。射管員長はいるな?」
『はい!射管員長です!』
 まだ三十代前半の若い声が、返ってきた。元気がよいと評判の一曹だ。
「砲術長が危ない。主砲、やれるか?」
 細川は言葉を惜しんだ。静かだが苛烈な問いに、艦内通信系がしばし沈黙する。

『……出来ます!』
『無茶だ!』
 射管員長と砲雷長が同時に叫んだ。艦内通信系の向こうで、雑音に混じり何かのやり取りが聞こえる。

 数秒の後、細川は再度尋ねた。
「無理か?」
『やります!可能です!』
 間髪入れず、挑むような声が返ってきた。
『……他に手はないのでしょう。稲富組を信じて、やります』
 砲雷長も同意した。
 すでに総監部前予備陣地には、敵兵が突入しつつあった。陸戦隊員は一部の者が反撃を加える中、辛うじて敵の手から逃れようとしていた。

「対地戦闘用意」
「対地戦闘用意!」
 命令が復唱される。アラームがけたたましい音をかき鳴らし、全乗員が戦闘配置につく。
「各部、配置よし。対地戦闘用意よし!」
 すでにほとんどの乗員が持ち場についていたため、素早く報告があがった。

 細川は、はっきりとした発音で、命令を下した。
「左対地戦闘」
『左対地せんとーう。260度、距離300。目標、敵武装集団』

 独特の抑揚をつけた号令がスピーカーを震わせた。前甲板に鎮座する54口径127㎜単装速射砲塔が生き物のように動き、砲口をわずかに左へ向けた。


 目標指定を受け、CICでは射管員長が脂汗で顔中を濡らしていた。砲雷長も同じである。
 距離300。対地射撃。すぐ傍に味方。前代未聞の射撃であった。自分のミス一つで砲術長以下数十名が吹き飛ぶ。
 だが、迷っている時間はなかった。試射も出来ない。算出した調定値を入力する。

 主砲がほんの少し俯角をかけた。即応弾マガジン・ドラムから主砲弾が砲塔内に揚弾された。無人の砲塔内に重い金属音が響く。

「調定よし!」
 射管員長が全身全霊を込めて報告する。
『装填よし』
 報告を受けた砲雷長は、大きく唾を飲み込んだ。フットペダルを踏む。おい、本当に撃っちまうぞ。


『調定よし。主砲目標よし、射撃用意よし』
 スピーカーから砲雷長の報告があがった。
 『みょうこう』は、わずか数分で敵に向け牙を剥く用意を終えたのだ。
 細川は軽くうなずくと、背後に控える通信士に言った。

「砲術長と話す」



京都府舞鶴市余部下 北吸岸壁前 国道27号線上 
2012年 6月5日 21時52分

 稲富は、最初その呼びかけを意図的に無視した。自分にはもっと優先すべきことがあると考えたからだった。
 最後の弾倉を装填すると、スライドを前進させると同時に、敵に向けて引き金を引いた。
 発砲。その隙に、周囲を転がるように部下たちが逃げる。その半数がすでに小銃を失っていた。
 拙い、ヤバい、洒落にならん。稲富の半分茹だった頭の片隅で、警報が鳴っている。どう考えても、逃げ切れないと頭の中の冷静な部分が告げていた。
 スライドが金属音を立てた。前進した状態で止まっている。弾切れだ。顔を上げると、骸骨が一体土嚢の上でゆらゆらと揺れていた。
 一瞬の躊躇のあと、彼は小銃を捨てた。弾帯から9㎜拳銃を抜く。冷たい金属の塊は、彼の手にずしりと重みを伝えたが今の状況ではいかにも頼りなかった。

「──長。砲術長!」
 そこでようやく通信員の叫びに気づいた。携帯無線機を片手に、目に涙を浮かべながらも、必死に稲富を呼んでいた。
「どうした、早く逃げろよ」
 稲富の言葉に、通信員が何を言っているんだ、という顔をした。
「砲術長に、通信です!逃げたいので早く出て下さい!」
 ああ、そうか。こいつ俺が無線に出ないと逃げられないのか。稲富はすまん、と詫びると通信員が差し出した携帯無線機を握った。
「こちら、砲術長」
『艦長だ。生きているな』
 稲富は思いがけない相手が出たことに驚いた。
「はい、今のところは、ですが。しかし、ずいぶんと楽しくなってきました」
 話す間にも敵は迫る。稲富と通信員は拳銃で敵を牽制しつつじりじりと後退した。突撃をかけられたら、抑えきれない。
『砲術長が敵に一番近いな?もう、陣地に味方はおらんな?』
「はい。私と通信員が最後尾です。再びお目にかかるのは難しいかも知れません」

 一拍の間があり、艦長が言った。

『君の仕事を代わってやる。今すぐ総員側溝に飛び込め。いいな?』
「は?それはいったい……?」
『いいからすぐに飛び込んで、目を閉じろ。口は開けておけよ!』
 まさか、まさかな。稲富は、『みょうこう』を見た。前甲板の主砲がこちらを向いていた。なんてこった、艦長は本気だ。

「砲術長了解!──総員側溝に飛び込め!急げ、死んじまうぞ!」
 稲富は周囲で味方の撤退を援護していた数名に、有らん限りの声で叫んだ。傍で状況を掴めずおろおろするばかりの通信員を、側溝に蹴り込む。
 周囲の全員が飛び込むのを確認し、稲富は身を翻した。左肩に矢が刺さるのを感じつつ、彼は側溝に倒れ込んだ。


「路上に味方なし!」
「航海長、確認した。艦長、クリアです」

 細川は、艦長席で背筋を伸ばすと、よく通る声で命令した。


「主砲打ち方始め」


『打ちー方始め!』
『射ェッ!』
 スピーカーの号令に、間髪入れず砲雷長が裂帛の気合いを込めて叫ぶ。
 閃光。轟音。計測員が測る間もなく、300ヤード先の路上に、着弾の閃光と土煙が上がる。薬莢が甲板に転がり、耳障りな音を立てたが、誰も気にする者はいなかった。

『遠五十』
「よぉし、まずまず!」
 航海長が叫んだ。初弾は風圧で桜並木を吹き飛ばしたあと、敵の真っ只中を抜け、路上に着弾した。
『修正、下げヒト。───調定よし!』
『射ェッ!』
 弾着から速やかに修正が行われる。再計算値が入力された。第二弾発砲。

『命中!』
 次弾は突撃を挫かれた敵の直中に着弾
した。アスファルトと土砂と、生き物だった何かと、この世の者ではない何かの混合物が巻き上げられる。

『射ェッ!』
 第三弾発砲。冷却水を滴らせた砲口から閃光が煌めく。艦橋は鼻を突く硝煙の臭いに包まれた。
 第三弾は、国道に架けられた歩道橋の基部にダメージを与えたらしかった。始めはゆっくりと。そして、ある瞬間からは一気に、年期の入った外見の歩道橋は、埃を猛烈に巻き上げながら倒壊した。


「総監部守備隊より本艦宛て。『敵は潰乱セリ。射撃効果大』」
 通信士が報告した。細川は、はっきりとうなずくと、静かに命令した。

「打ち方やめ」

『打ちー方やめ!』
『主砲打ち終わり。砲中弾なし』

 CICから異状なしの報告を受けても、艦橋では誰もしゃべらなかった。射撃は絶大な威力を発揮し、敵の突撃を破砕したというのに、歓声をあげる者もいない。
 誰もが一時的に放心していた。その中で唯一艦長細川一佐だけが、平常心を保っていた。

「うん、なかなかよろしい。──航海長、陸戦隊の収容を行え」

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