序章 「出師」
神奈川県横須賀市 海上自衛隊横須賀基地 逸見岸壁
2013年 3月1日 13時05分
2013年 3月1日 13時05分
3月初旬の横須賀は、まだ春と言うには早すぎる。ただ、柔らかな日の光を背に受けた隊員達は、冬制服に身を包んだ身体に感じる仄かな暖かさに、微かな春の気配を覚えていた。
青空の下、幹部海曹海士の順に、黒と濃紺の制服姿の隊員達が岸壁に整列している。その向かいには胸に煌びやかな略章を付けた高級幹部、仕立てのよい背広姿の政治家、官僚達が並ぶ。
青空の下、幹部海曹海士の順に、黒と濃紺の制服姿の隊員達が岸壁に整列している。その向かいには胸に煌びやかな略章を付けた高級幹部、仕立てのよい背広姿の政治家、官僚達が並ぶ。
「司令訓示」
中央に設けられた演台に、一人の壮年男性が大股で歩みを進めた。背筋は伸び、躍動感に溢れている。黒の冬制服の袖口に巻かれた階級章は、彼が将官であることを示していた。
演台に立った彼が、正面を向いた。
中央に設けられた演台に、一人の壮年男性が大股で歩みを進めた。背筋は伸び、躍動感に溢れている。黒の冬制服の袖口に巻かれた階級章は、彼が将官であることを示していた。
演台に立った彼が、正面を向いた。
「かしーらぁ、なかッ!」
号令に合わせて、隊員達が一斉に敬礼する。勢いよく顔を中央に向けた隊員の表情は一様に硬く、緊張がありありと見て取れた。
「直れェ!」
号令で隊員達が直るのを待ち、演台の将官は静かに息を吸うと、ゆっくりと話し始めた。日に焼けた素肌が、彼が経験豊富な船乗りであることを見る者に印象付けていた。低く、やや嗄れた声が岸壁に響き渡った。
「直れェ!」
号令で隊員達が直るのを待ち、演台の将官は静かに息を吸うと、ゆっくりと話し始めた。日に焼けた素肌が、彼が経験豊富な船乗りであることを見る者に印象付けていた。低く、やや嗄れた声が岸壁に響き渡った。
「海将補九鬼正隆、ただいまからマルノーヴ派遣海上任務部隊の指揮を執る」
声を発した口は大きく横に裂け、白い歯がギラリと覗いた。それに合わせたような高い鼻と、真逆を行く小ぶりな目が配置された容貌は、弛みのない輪郭と相まって、精悍さを周囲に示していた。
「──休ませ」
「──休ませ」
「せいれーつ、休めェ!」
百を超える靴がコンクリートを踏む音が、一つになって岸壁に響いた。
「諸官に、手短に述べる。本任務は、海上自衛隊の歴史の中でも初めての任務である。ペルシャ湾、インド洋、アデン湾、過去諸先輩方が切り開き、積み重ねた実績に比べても、果たすべき任務は重いと言える」
百を超える靴がコンクリートを踏む音が、一つになって岸壁に響いた。
「諸官に、手短に述べる。本任務は、海上自衛隊の歴史の中でも初めての任務である。ペルシャ湾、インド洋、アデン湾、過去諸先輩方が切り開き、積み重ねた実績に比べても、果たすべき任務は重いと言える」
向かい合う指揮官と隊員達の横には、カメラの砲列がずらりと並んでいる。異世界への派遣という前代未聞の任務に、世間の注目は高い。整列する隊員をバックに、レポーターが早口で出港式典を報じていた。
「昨年6月の『北近畿騒乱』を皮切りに、我が国を襲い、多くの国民の命を奪った脅威は今も止んではいない。我々は常に敵の脅威に曝されている。そして、我々は主導権を敵に取られたまま、耐えるしかなかった」
『敵』という単語に、臨席する海上幕僚長の片眉がぴくりと震えた。
「だが、それも今日までである。我々は遂に敵の居所を掴んだ。現在も諸官の先輩同僚後輩達が、海上保安庁の諸官と共に危険な海域で調査に当たっている。彼らの努力により、航路は啓開された」
九鬼は、一呼吸置いた。
「我々の任務は、我が国に突然現れた未知領域の探索であり、拉致された日本国民の救出であり、そして、海上自衛隊初の──殴り込みである!」
ざわり。隊員達に驚きの表情が浮かぶ。海上幕僚長の眉間に皺が刻まれ、自衛艦隊司令官が苦笑した。居並ぶ高級官僚のこめかみに血管が浮かび、政治家の一部が色めき立った。
シャッター音が一段と激しくなった。
シャッター音が一段と激しくなった。
「我々は未知の海、未知の敵、未知の世界を相手に、進み、任務を完遂しなければならない。それはとてつもなく困難な航海になるだろう。だが──」
ゆっくりと隊員達を見回す。誰もが食い入るように九鬼を見つめていた。
「それこそが船乗りの本懐だ。我々の御先祖様は、そうやって常に新しい世界を切り開いてきた。いよいよ我々の出番だ。それに──殴られっぱなしは性に合わん」
いつの間にか、彼の口調は本来の砕けたものになっていた。
「先に手を出せない俺達に、わざわざ一発喰らわせて下さったんだ。きっちりお返しするのが礼儀というものだ。もちろん、実力の行使は必要最小限度、だがな」
にやりと笑ったその表情を見た隊員は、鮫が笑ったらこんな感じだろうか、と思った。
ゆっくりと隊員達を見回す。誰もが食い入るように九鬼を見つめていた。
「それこそが船乗りの本懐だ。我々の御先祖様は、そうやって常に新しい世界を切り開いてきた。いよいよ我々の出番だ。それに──殴られっぱなしは性に合わん」
いつの間にか、彼の口調は本来の砕けたものになっていた。
「先に手を出せない俺達に、わざわざ一発喰らわせて下さったんだ。きっちりお返しするのが礼儀というものだ。もちろん、実力の行使は必要最小限度、だがな」
にやりと笑ったその表情を見た隊員は、鮫が笑ったらこんな感じだろうか、と思った。
九鬼は、体を180度回転させ背後に並ぶ隊員家族に向き直った。一転して表情を引き締めている。
テントの下の様々な年代の人々は、一様に不安そうな表情を隠さなかった。今までの派遣で見られたような、笑顔の家族はほとんどいなかった。すでに目を赤く腫らしている者も多い。
「隊員御家族の皆様には、大変な御心配をおかけすることになります。隊員が任務遂行に邁進出来るのも、御家族の皆様の支えがあってこそです。
私はその事に感謝すると共に、皆様から大切な御家族、御友人を預かる者として、総員が元気な姿で皆様の元に帰ることが出来るよう、全身全霊で臨むことを御約束致します」
交戦が予想される任務である。人員の選出に関しては、完全な志願制を採用してはいた。しかし、家族の不安は今までの比では無かった。さらに、送り出す先は──異世界なのである。
テントの下の様々な年代の人々は、一様に不安そうな表情を隠さなかった。今までの派遣で見られたような、笑顔の家族はほとんどいなかった。すでに目を赤く腫らしている者も多い。
「隊員御家族の皆様には、大変な御心配をおかけすることになります。隊員が任務遂行に邁進出来るのも、御家族の皆様の支えがあってこそです。
私はその事に感謝すると共に、皆様から大切な御家族、御友人を預かる者として、総員が元気な姿で皆様の元に帰ることが出来るよう、全身全霊で臨むことを御約束致します」
交戦が予想される任務である。人員の選出に関しては、完全な志願制を採用してはいた。しかし、家族の不安は今までの比では無かった。さらに、送り出す先は──異世界なのである。
九鬼は再び隊員に向き直った。
「我々は、再びこの場所に、諸官全員と救出した千名を乗せて帰還する。そのために、諸官は持てる力を余すところなく発揮してもらいたい。以上」
「きをつけェ!」
冷たい風が水面に細波を立てた。岸壁に横付けした護衛艦に掲げられた自衛艦旗が、風をはらんで大きくはためいた。
北海道札幌市南区 真駒内駐屯地 同時刻
除雪された営庭に、迷彩の防寒戦闘外衣で着膨れた隊員が並んでいる。隊員の吐く息が、青空を背に白く立ち昇っていた。
「──世間には『このご時世に、国土防衛を放り出して、異世界に派遣とは何事だ』、そういう意見がある」
マルノーヴ派遣陸上任務部隊指揮官、大鳥圭吾陸将補は、飄々とした顔で言い放った。
確かに、日本周辺では日に日にきな臭さが増していた。いや、元日の『あの事件』からこちら、まるで世界のたがが外れたかのように、彼方此方で火の手が上がっていた。
極東に限っても、朝鮮半島、中朝国境、中露国境、新彊ウイグル自治区、チベット自治区及び成都軍区、南シナ海、そして東シナ海と、およそ火種を抱えていた全ての場所が不安定化していた。
確かに、日本周辺では日に日にきな臭さが増していた。いや、元日の『あの事件』からこちら、まるで世界のたがが外れたかのように、彼方此方で火の手が上がっていた。
極東に限っても、朝鮮半島、中朝国境、中露国境、新彊ウイグル自治区、チベット自治区及び成都軍区、南シナ海、そして東シナ海と、およそ火種を抱えていた全ての場所が不安定化していた。
「だが、私はその意見は違うと信じる。国を守るとは何か。諸官には、今一度そのことについてじっくりと考えてみてもらいたい。我々は、誓約を果たすために、今日この駐屯地を出撃する。各員の勇戦に期待する」
「乗車かかれ!」
号令一下、隊員達は自分の乗車に向かい一斉に走り出した。ずらりと並んだ特大型運搬車や73式トラックの群が、隊員達に張り合うかのように、アイドリング音を響かせ、盛大に排気煙を立ち昇らせる。
真駒内駐屯地を出発した第11戦車大隊は、函館で第一戦車群、第28普通科連隊及び諸隊を加え、第11戦闘団を編成、派遣陸上任務部隊第一陣として出撃する予定であった。
真駒内駐屯地を出発した第11戦車大隊は、函館で第一戦車群、第28普通科連隊及び諸隊を加え、第11戦闘団を編成、派遣陸上任務部隊第一陣として出撃する予定であった。
彼等はのちに、ややミーハーな傾向のある軍事専門誌が名付けた愛称──『士魂戦闘団』──の名で、広く知られることになる。
青森県青森市合浦 青森市民体育館 同時刻
体育館には複数の男女が整列していた。
外は雪がちらついている。路上の彼方此方には除雪された雪がうず高く積まれ、小山を作っていた。
体育館の中は意外に暖かい。東北の冬は、ストーブを置いたくらいではどうにもならないため、多くの体育館に暖房設備を備えるようにしているのだった。
外は雪がちらついている。路上の彼方此方には除雪された雪がうず高く積まれ、小山を作っていた。
体育館の中は意外に暖かい。東北の冬は、ストーブを置いたくらいではどうにもならないため、多くの体育館に暖房設備を備えるようにしているのだった。
「ここに、特別合同捜査本部を設置する。この場に集められた警視庁、京都府警、福島県警、島根県警の諸君は、いずれも選抜された優秀な捜査員である。私はそう認識している」
捜査本部長に任命された京都府警本部長、文室春彦(ふんや・はるひこ)警視監の声がスピーカーから流れた。髪をオールバックに固め、一分の隙もない雰囲気を醸し出している。彼は、文武両道にして組織内の遊泳も巧みな、警視総監レースの最右翼と噂されていた。
彼の前に並び、暖房がいらないのではないかと思うほどの熱気をもたらしているのは、多種多様な服装の警察官達である。
「一連の事件の捜査はまだ端緒についたばかりだ。覗き込むべき穴は無数にあり、残された時間はそう多くない。我々は大変困難な捜査を前にしている」
背広姿の捜査員が唾を飲み込んだ。各都府県警察から集められ、捜査に当たる人員である。被害を受けた各警察は、面子にかけて、選り抜きの捜査員を捜査本部に送り込んでいた。
「さらに、現地の治安状況は悪化の一途をたどっている。警備部の諸君は、現地における治安維持と民間人の保護に全力を尽くしてもらう」
出動服に防弾ヘルメット、改良された防弾装備に身を固めた機動隊員が奥歯をしっかりと噛み締め、頷いた。集団の端には、一際目つきの鋭い集団が没個性な背広姿で整列している。警護課員である。
彼等は派遣先に設けられる施設及び、民間作業員、さらには要人の警護等を担当する要員であった。
彼等は派遣先に設けられる施設及び、民間作業員、さらには要人の警護等を担当する要員であった。
「自衛隊は鼻息も荒く、腕まくりして臨んでいると聞く。一連の事件が国家による武力攻撃であるとの認識だからだ。だが、国民を殺傷し、拉致し、財産を奪った者が、個人や犯罪組織である場合は、当然我々の出番である。」
文室は、力強く言った。警察は、この異世界派遣を自衛隊だけに任せるつもりは、さらさら無かった。
「相手が怪物だろうが宇宙人だろうが関係無い。必ず逮捕し、司法の場で裁きを受けさせる」
自衛隊だけでなく警察もまた、奮い立っていた。
2013年3月3日、日本国政府は南瞑同盟会議加盟国との安全保障条約に基づく集団的自衛権の行使として、陸海空自衛隊を異世界に存在する大陸、アラム・マルノーヴへ派遣した。