第2部 第3話-1
商都『ブンガ・マス・リマ』から北へ約200キロ。この地で、アラム・マルノーヴ大陸中央部〈狂える神々の座〉を源流とする複数の河川が合流する。
その合流点に生まれた巨大な中州は、地元民から〈戦神の床几〉と呼ばれていた。その理由は周囲を睥睨するかのようにそびえ立つ切り立った岩山の姿にある。ギアナ高地を思わせる高さ数百メートルの崖が突如として中州に起立しているのだ。
この異様な風景を造り上げるために、いかなる神が御業を振るったのかは定かでない。
その合流点に生まれた巨大な中州は、地元民から〈戦神の床几〉と呼ばれていた。その理由は周囲を睥睨するかのようにそびえ立つ切り立った岩山の姿にある。ギアナ高地を思わせる高さ数百メートルの崖が突如として中州に起立しているのだ。
この異様な風景を造り上げるために、いかなる神が御業を振るったのかは定かでない。
ただ、それはそこに『在った』
いつの頃か、誰かがその地の価値に気付いた。人族が増え、交易範囲が拡大するに従って河川交通の重要性が誰の目にも明らかになった時代。土豪の一つがそこに館を構えた。先見の明があったと言えるだろう。
東西南北の河川交易路が集約する地に拠点を置いたことは、彼らに富をもたらす結果を生んだ。
河川利用料を徴収するために館は城館となり、中州を挟むマワーレド川両岸にも砦が築かれた。土豪は領主と成り、中州の周囲には人が集まっていった。領主に入る富は益々大きく膨れ上がっていった。
おそらくそのままであれば、どこかのタイミングでより強力な勢力の手によって、その地を奪われることになっただろう。だが、その地に根付いた一族は先んじて手を打った。
戦神の神殿を自らの城館の上層、切り立った盾状地の袂に招いたのである。私財を惜しみなく投じて築かれた神殿は、戦神の教えに相応しい剛健さを備え瞬く間にこの地方の信徒を束ねる聖地となった。
この決断に踏み切った三代目の時代。大盤振る舞いが過ぎたことにより、領主は一時破産寸前に追い込まれることになるが、戦神の加護と教団の加勢を得て、周囲の諸勢力の侵攻をことごとく跳ね返すことに成功する。
かくて、城館は厚みを増し、人々は集い、河川は大いに栄えることになった。
東西南北の河川交易路が集約する地に拠点を置いたことは、彼らに富をもたらす結果を生んだ。
河川利用料を徴収するために館は城館となり、中州を挟むマワーレド川両岸にも砦が築かれた。土豪は領主と成り、中州の周囲には人が集まっていった。領主に入る富は益々大きく膨れ上がっていった。
おそらくそのままであれば、どこかのタイミングでより強力な勢力の手によって、その地を奪われることになっただろう。だが、その地に根付いた一族は先んじて手を打った。
戦神の神殿を自らの城館の上層、切り立った盾状地の袂に招いたのである。私財を惜しみなく投じて築かれた神殿は、戦神の教えに相応しい剛健さを備え瞬く間にこの地方の信徒を束ねる聖地となった。
この決断に踏み切った三代目の時代。大盤振る舞いが過ぎたことにより、領主は一時破産寸前に追い込まれることになるが、戦神の加護と教団の加勢を得て、周囲の諸勢力の侵攻をことごとく跳ね返すことに成功する。
かくて、城館は厚みを増し、人々は集い、河川は大いに栄えることになった。
人はこの地を『関門都市ルルェド』と呼ぶ。
ブンガ・マス・リマ北方200キロ 『関門都市ルルェド』
2013年 2月10日 13時02分
2013年 2月10日 13時02分
先ほどまで激しいスコールを降らせていた雲が、強い風に押し流されていく。ちぎれ雲の隙間から地表に伸びる光の帯が、〈戦神の床几〉に張り付くように建つ城塞をスポットライトのように照らし始めていた。
陽光に照らされ鈍い光を反射する巨石を律儀に積み上げた城壁は、高さはそれほどではないものの、それを補って余る堅固さを見る者に示している。尖塔が在ったであろう数カ所が瓦礫の山と化し、城内からは幾筋かの黒煙が上がっているが、城兵の士気に翳りは見えない。
中州からマワーレド川を挟んだ南、東、そして今朝未明に敵に明け渡すこととなった西面と、城塞の三方には総勢一万余の軍勢が溢れていた。城兵を威嚇するかの如く様々な色彩の軍旗が風にはためき、おどろおどろしい鬨の声が重低音を響かせる。
ルルェドは南方征討領軍主力によって重囲下に置かれ、マワーレド川を挟んで対峙する帝國軍の海に浮かぶ小島のような有り様を示していた。
陽光に照らされ鈍い光を反射する巨石を律儀に積み上げた城壁は、高さはそれほどではないものの、それを補って余る堅固さを見る者に示している。尖塔が在ったであろう数カ所が瓦礫の山と化し、城内からは幾筋かの黒煙が上がっているが、城兵の士気に翳りは見えない。
中州からマワーレド川を挟んだ南、東、そして今朝未明に敵に明け渡すこととなった西面と、城塞の三方には総勢一万余の軍勢が溢れていた。城兵を威嚇するかの如く様々な色彩の軍旗が風にはためき、おどろおどろしい鬨の声が重低音を響かせる。
ルルェドは南方征討領軍主力によって重囲下に置かれ、マワーレド川を挟んで対峙する帝國軍の海に浮かぶ小島のような有り様を示していた。
ルルェド領主ティカ・ピターカ・ルルェドは、戦闘の興奮が冷め切らぬ城塞内を足早に本営に向かって歩こうとしていた。
地面に転がる廃材に足を取られそうになる。華奢な身体がふらりと揺らぎ、ウェーブ掛かった銀灰色の細い髪が視界を遮った。
「おいおい、主殿大丈夫か?」逞しい腕に身体を支えられ、ティカは転ばすに済んだ。「あ、有り難う──」そう言い掛けたティカの目の前の地面に、唸りをあげて野太い矢が突き刺さった。
地面に転がる廃材に足を取られそうになる。華奢な身体がふらりと揺らぎ、ウェーブ掛かった銀灰色の細い髪が視界を遮った。
「おいおい、主殿大丈夫か?」逞しい腕に身体を支えられ、ティカは転ばすに済んだ。「あ、有り難う──」そう言い掛けたティカの目の前の地面に、唸りをあげて野太い矢が突き刺さった。
「ひゃっ」思わず悲鳴をあげてしまう。これではいけないと慌てて取り繕うが、左隣で低い笑い声がした。
「よろけねば逆に危ないところだったな。主殿はつくづく運がよい。ただ、しっかり前を見て歩けと小言を言えなくなったぞ」
声の主は、そう言いつつ盾を構えた配下に周囲を固めさせた。兵たちが素早くティカを覆い隠す。
「面目有りません」威厳を保たねばと頭では考えるものの、つい肩を落としてしまう。
ティカはこのルルェドの領主である。齢14、まだ少年でしかない。美しい銀灰色の髪を後頭部でちょこんと束ね、たれ目がちの銀の瞳と、小ぶりな鼻が配されたその容貌はいかにも気弱な様子で、およそ戦場には相応しくなかった。
そもそも、彼が領主となったのは10日ほど前である。先代領主である父ストーラは、数ヶ月に渡る帝國軍との戦闘中に討ち死にした。戦況は本拠地である城塞を頼りに防衛戦を行うところまで押し込まれていた。
「よろけねば逆に危ないところだったな。主殿はつくづく運がよい。ただ、しっかり前を見て歩けと小言を言えなくなったぞ」
声の主は、そう言いつつ盾を構えた配下に周囲を固めさせた。兵たちが素早くティカを覆い隠す。
「面目有りません」威厳を保たねばと頭では考えるものの、つい肩を落としてしまう。
ティカはこのルルェドの領主である。齢14、まだ少年でしかない。美しい銀灰色の髪を後頭部でちょこんと束ね、たれ目がちの銀の瞳と、小ぶりな鼻が配されたその容貌はいかにも気弱な様子で、およそ戦場には相応しくなかった。
そもそも、彼が領主となったのは10日ほど前である。先代領主である父ストーラは、数ヶ月に渡る帝國軍との戦闘中に討ち死にした。戦況は本拠地である城塞を頼りに防衛戦を行うところまで押し込まれていた。
「そう気を落とすな。主殿がか弱いのはもう皆が知っておる。今更気にする者もおるまいて」
からかうように言ったのは、大兵肥満の傭兵隊長だった。名をハンズィールという。
「それは慰めになっておりません!」
さすがにムッときたティカは、肩を怒らせた。しかし、絶望的に迫力が無い。案の定ハンズィールは取り合わなかった。
からかうように言ったのは、大兵肥満の傭兵隊長だった。名をハンズィールという。
「それは慰めになっておりません!」
さすがにムッときたティカは、肩を怒らせた。しかし、絶望的に迫力が無い。案の定ハンズィールは取り合わなかった。
ハンズィールは元々先代に雇われた傭兵隊長である。
先代のストーラもまた領主であるには優しすぎる男であった。普通ならば家に不穏な翳りを招きかねない。だが、ピターカ家の家風なのだろう。ストーラは己が強さを誇るより、配下が如何に強く頼もしいかを喜ぶ質の男だった。
ストーラは、流浪の冒険者や戦士、武芸者、賢者などを手厚くもてなし、その四方山話を聞いては愉しげに笑う毎日を好んだ。そんなストーラを慕い、いつしかルルェドには四方から様々な人材が集うようになっていった。
ハンズィールもその一人である。とある依頼をしくじり、部下と共に縛り首寸前だったハンズィールは、ストーラに助けられた上に高給をもって雇われたのだった。
彼はその恩を忘れていない。
その時に傷を負った左足は思うように動かず、杖を突き引きずるように歩く傭兵隊長は、その姿に反して無類の戦上手であった。押し引きの判断巧みで一軍を預けて崩れることは無い。
その戦ぶりは、でっぷりと肥えた見た目に似合わぬ機敏さであった。
そう、彼は肥えている。昔は彼を慕って女達が列を為したと本人は主張するが、たとえ真実だったとしても今その面影はない。適当に伸ばした金髪の下の顔は、顎がすっかり胴に埋まるほどだった。
傭兵にしては珍しいハーフプレートメイルももはやはちきれんばかりである。よく見ると胸の辺りに何かを削り取った跡が見えた。
先代のストーラもまた領主であるには優しすぎる男であった。普通ならば家に不穏な翳りを招きかねない。だが、ピターカ家の家風なのだろう。ストーラは己が強さを誇るより、配下が如何に強く頼もしいかを喜ぶ質の男だった。
ストーラは、流浪の冒険者や戦士、武芸者、賢者などを手厚くもてなし、その四方山話を聞いては愉しげに笑う毎日を好んだ。そんなストーラを慕い、いつしかルルェドには四方から様々な人材が集うようになっていった。
ハンズィールもその一人である。とある依頼をしくじり、部下と共に縛り首寸前だったハンズィールは、ストーラに助けられた上に高給をもって雇われたのだった。
彼はその恩を忘れていない。
その時に傷を負った左足は思うように動かず、杖を突き引きずるように歩く傭兵隊長は、その姿に反して無類の戦上手であった。押し引きの判断巧みで一軍を預けて崩れることは無い。
その戦ぶりは、でっぷりと肥えた見た目に似合わぬ機敏さであった。
そう、彼は肥えている。昔は彼を慕って女達が列を為したと本人は主張するが、たとえ真実だったとしても今その面影はない。適当に伸ばした金髪の下の顔は、顎がすっかり胴に埋まるほどだった。
傭兵にしては珍しいハーフプレートメイルももはやはちきれんばかりである。よく見ると胸の辺りに何かを削り取った跡が見えた。
ともあれ、この男がルルェド城塞の守備兵を指揮しているせいで、帝國軍は未だにマワーレド川の支配を確立できていないことだけは間違いなかった。
「慰めではないぞ。主殿は既に真価を我らに示しておるのだからな」
「そうだぜ、領主様」
ハンズィールだけでなく、周囲の傭兵たちの態度はティカに好意的だ。ティカは頭をひねった。彼らが自分に好意的な理由が思い当たらないからだ。自分が剣も扱えず、兵を率いる才も無いただの子供であることを、ティカは理解していた。
普通なら、帝國軍に寝返ってもおかしくないのに。どうして彼らは私に従うのだろうか? 父上への恩だろうか?
「そうだぜ、領主様」
ハンズィールだけでなく、周囲の傭兵たちの態度はティカに好意的だ。ティカは頭をひねった。彼らが自分に好意的な理由が思い当たらないからだ。自分が剣も扱えず、兵を率いる才も無いただの子供であることを、ティカは理解していた。
普通なら、帝國軍に寝返ってもおかしくないのに。どうして彼らは私に従うのだろうか? 父上への恩だろうか?
関門都市ルルェド
2013年 2月9日 18時30分
2013年 2月9日 18時30分
「若様よ、西岸の支城はもはや持ちこたえられん」
「それは真ですか? 援兵を送り込んでも支えられませんか?」
2月9日の夕刻、周囲が夕闇に飲まれつつある頃、ハンズィールは厳然たる事実を新米領主に告げた。ティカはすがるように問うた。支城を喪う。それはルルェド側が河川の制水権を完全に喪うということである。
対岸が完全に敵の手に渡れば、ルルェドは完全に帝國軍の包囲下に入る。それまで辛うじて維持していた南方への連絡線も断たれることになるだろう。それは死刑宣告に等しかった。
「援軍を送ることはできる。だが、その援軍もすぐに苦境に陥る。それを救うためにさらに兵を送り続けることが、我らに可能かどうか。それが判らぬ若様ではあるまい?」
「……そう、ですね」
(そんな見捨てられた子犬のような顔をするなよ)
討ち死にした先代の跡を継ぎ、必死に領主として城塞を守ろうとするティカのことをハンズィールは好ましく思っている。だが、傭兵隊長としての彼は頭の中で(そろそろ潮時か)とも考えていた。
もし、ティカがそれでも援軍を送ると言い出したならば、配下を率いて城を脱出するつもりでいる。
「それは真ですか? 援兵を送り込んでも支えられませんか?」
2月9日の夕刻、周囲が夕闇に飲まれつつある頃、ハンズィールは厳然たる事実を新米領主に告げた。ティカはすがるように問うた。支城を喪う。それはルルェド側が河川の制水権を完全に喪うということである。
対岸が完全に敵の手に渡れば、ルルェドは完全に帝國軍の包囲下に入る。それまで辛うじて維持していた南方への連絡線も断たれることになるだろう。それは死刑宣告に等しかった。
「援軍を送ることはできる。だが、その援軍もすぐに苦境に陥る。それを救うためにさらに兵を送り続けることが、我らに可能かどうか。それが判らぬ若様ではあるまい?」
「……そう、ですね」
(そんな見捨てられた子犬のような顔をするなよ)
討ち死にした先代の跡を継ぎ、必死に領主として城塞を守ろうとするティカのことをハンズィールは好ましく思っている。だが、傭兵隊長としての彼は頭の中で(そろそろ潮時か)とも考えていた。
もし、ティカがそれでも援軍を送ると言い出したならば、配下を率いて城を脱出するつもりでいる。
「……わかりました。ルルェド領主ティカ・ピターカの命により、西岸の支城は放棄します」苦渋に満ちた表情だった。
「了解した。残念だがやむを得ん。よく決断したな」
ほう、甘いだけの子供ではないか。惜しいな。今少し分の良い戦が初陣であれば……。
ハンズィールに、ティカが言った。
「ハンズィール殿に頼みがあります。今宵、夜陰を突いて支城の兵を救出してください」
「む、不可能では無いが……無傷でとはいかんぞ」
「我らは、兵を見捨てるわけにはいきません。今後も戦い続けるためにも」
「承った。作戦を検討しよう」ハンズィールは頷いた。何人も見捨てないという態度を示すことは確かに必要だ。そう思った。ティカはさらに続けた。
「了解した。残念だがやむを得ん。よく決断したな」
ほう、甘いだけの子供ではないか。惜しいな。今少し分の良い戦が初陣であれば……。
ハンズィールに、ティカが言った。
「ハンズィール殿に頼みがあります。今宵、夜陰を突いて支城の兵を救出してください」
「む、不可能では無いが……無傷でとはいかんぞ」
「我らは、兵を見捨てるわけにはいきません。今後も戦い続けるためにも」
「承った。作戦を検討しよう」ハンズィールは頷いた。何人も見捨てないという態度を示すことは確かに必要だ。そう思った。ティカはさらに続けた。
「救出には私も同道いたします」
「ふむ……はぁ!?」
ハンズィールは思わず大声で聞き返した。ティカはさも当然という表情で、彼を見上げていた。
「若様よ、正気か? 夜陰に紛れるとはいえ、間違いなく敵の追撃を受けるのだぞ!」
「父上は、常々私に『決断すること』と『その決断に責任を持つこと』その二つのみを説いていました。支城の放棄は私が決めたこと。そこを守る勇士を救う戦には私も参加いたします」
「駄目だ。危険すぎる」
「危険は承知です」
睨みつけたハンズィールの巨体に、ティカは小さな身体で一歩も引こうとしなかった。
「剣も使えぬ小僧について来られても迷惑だッ! 若様を護衛する兵などつける余裕は無い」
「それでも、私は行かなければならぬのです」
「どうしてもか?」
「どうしてもです」
「……勝手になさるが良い。だが、どうなろうと知らんぞ」
ついにハンズィールは折れた。驚くほど頑なだったティカは小さな声で「ありがとう」と言った。
「ふむ……はぁ!?」
ハンズィールは思わず大声で聞き返した。ティカはさも当然という表情で、彼を見上げていた。
「若様よ、正気か? 夜陰に紛れるとはいえ、間違いなく敵の追撃を受けるのだぞ!」
「父上は、常々私に『決断すること』と『その決断に責任を持つこと』その二つのみを説いていました。支城の放棄は私が決めたこと。そこを守る勇士を救う戦には私も参加いたします」
「駄目だ。危険すぎる」
「危険は承知です」
睨みつけたハンズィールの巨体に、ティカは小さな身体で一歩も引こうとしなかった。
「剣も使えぬ小僧について来られても迷惑だッ! 若様を護衛する兵などつける余裕は無い」
「それでも、私は行かなければならぬのです」
「どうしてもか?」
「どうしてもです」
「……勝手になさるが良い。だが、どうなろうと知らんぞ」
ついにハンズィールは折れた。驚くほど頑なだったティカは小さな声で「ありがとう」と言った。
その夜の救出作戦にはティカとハンズィールを含めた約50名の兵が参加した。支城に残された重傷者を含む47名を救出する過程で、帝國軍の追撃により救出隊12名が討ち死にし、17名が傷を負う損害を受けることとなった。
ティカは作戦の最中、恐怖に震えながらも小舟の上で背筋を延ばし続けた。
ティカは作戦の最中、恐怖に震えながらも小舟の上で背筋を延ばし続けた。
彼の存在は作戦遂行にとっては邪魔なだけであった。しかも、領主が討ち死すれば城塞の陥落すら危惧される程の混乱を招いたことだろう。
だが、この夜を境にティカは領主たる資格を得る。自ら戦い続ける覚悟と、誰も見捨てないという意志を配下に示し、兵の士気を高めることに成功したのだった。それは籠城戦に欠くことのできないものだった。
だが、この夜を境にティカは領主たる資格を得る。自ら戦い続ける覚悟と、誰も見捨てないという意志を配下に示し、兵の士気を高めることに成功したのだった。それは籠城戦に欠くことのできないものだった。
関門都市ルルェド
2013年 2月10日 13時16分
2013年 2月10日 13時16分
「ティカさま! このような拓けた場所で何をぼさっとしているのです!」
突然、気の強そうなはっきりした発音でティカは咎められた。溌剌とした少女の声だった。声の主は、本営から駆けてきたらしい。全身バネでできているかと思うほど機敏な動作で、彼女はティカの前に出た。
癖のある赤毛を短く肩の辺りで刈揃え、いかにも動きやすそうな革鎧に身を固めた少女は、腰に両手を当てると早口でまくし立てた。
「ここは敵の矢が届くのですよ! 何かあったらどうするの!」
「カーナねえさま、すみません」ティカが頭を下げると、良く日焼けした肌が紅潮し、形の良い眉がつり上がった。腰に提げた二振りのショートソードがしゃらりと音を立てる。
「あのねぇ、あたしは配下であなたは領主様なんだから、その呼び方はもうやめなさい! 威厳がなくなるでしょ!」
「ごめんなさ──」
「あやまらない!」
二人は周囲のニヤニヤ笑いに気付いた素振りもない。彼女の名は、ルルェド領主に仕える譜代の家臣筆頭、ハヌマ家の息女カーナ・ハヌマ。16歳の彼女は幼い頃からティカの遊び相手でもあった。
棍とショートソードを用いる武術を修めるハヌマ家は、ルルェドの武術師範を務めるとともに、家臣団のまとめ役も担っていた。
「おう、嬢ちゃん。相変わらずやかましいな。小猿が迷い込んだかと思ったぞ」
「あらハンズィール隊長、相変わらずふくよかね。オークが侵入したかと剣を抜くところだったわ」
ハンズィールがからかうがカーナも一歩も引かない。周囲の傭兵たちとハヌマ家の郎党たちはゲラゲラと笑った。ハンズィールは少しだけ顔を引き締め言った。
「で、親父さんの様子はどうだ?」途端にカーナの顔が曇る。
「良くないみたい」そう言うと彼女はティカに向き直った。
「ティカさま、父がお話ししたいことがあると申しております」
「そんなに悪いの?」
ティカの問いにカーナはしっかりと頷いた。カーナの父は一昨日の戦闘で手傷を負い、死の淵にいるのだった。
「主殿、すぐに行ってやれ。家臣団筆頭ハヌマ卿の遺言だ。当主として聞かねばならん」
「はい」
突然、気の強そうなはっきりした発音でティカは咎められた。溌剌とした少女の声だった。声の主は、本営から駆けてきたらしい。全身バネでできているかと思うほど機敏な動作で、彼女はティカの前に出た。
癖のある赤毛を短く肩の辺りで刈揃え、いかにも動きやすそうな革鎧に身を固めた少女は、腰に両手を当てると早口でまくし立てた。
「ここは敵の矢が届くのですよ! 何かあったらどうするの!」
「カーナねえさま、すみません」ティカが頭を下げると、良く日焼けした肌が紅潮し、形の良い眉がつり上がった。腰に提げた二振りのショートソードがしゃらりと音を立てる。
「あのねぇ、あたしは配下であなたは領主様なんだから、その呼び方はもうやめなさい! 威厳がなくなるでしょ!」
「ごめんなさ──」
「あやまらない!」
二人は周囲のニヤニヤ笑いに気付いた素振りもない。彼女の名は、ルルェド領主に仕える譜代の家臣筆頭、ハヌマ家の息女カーナ・ハヌマ。16歳の彼女は幼い頃からティカの遊び相手でもあった。
棍とショートソードを用いる武術を修めるハヌマ家は、ルルェドの武術師範を務めるとともに、家臣団のまとめ役も担っていた。
「おう、嬢ちゃん。相変わらずやかましいな。小猿が迷い込んだかと思ったぞ」
「あらハンズィール隊長、相変わらずふくよかね。オークが侵入したかと剣を抜くところだったわ」
ハンズィールがからかうがカーナも一歩も引かない。周囲の傭兵たちとハヌマ家の郎党たちはゲラゲラと笑った。ハンズィールは少しだけ顔を引き締め言った。
「で、親父さんの様子はどうだ?」途端にカーナの顔が曇る。
「良くないみたい」そう言うと彼女はティカに向き直った。
「ティカさま、父がお話ししたいことがあると申しております」
「そんなに悪いの?」
ティカの問いにカーナはしっかりと頷いた。カーナの父は一昨日の戦闘で手傷を負い、死の淵にいるのだった。
「主殿、すぐに行ってやれ。家臣団筆頭ハヌマ卿の遺言だ。当主として聞かねばならん」
「はい」
本営に向かって走り去った二人を見送ると、ハンズィールは一つため息をついた。さすがの彼も激しい疲労を感じている。胃の腑に得体の知れぬ重みを覚えた。そこに僧体の男が歩み寄ってきた。
「やぁ、ハンズィール殿。ご機嫌よう」
「よぉ、ホーポー殿。戦神のご機嫌は如何だろうか?」
ハンズィールに話しかけてきた男は、戦神に仕える神官戦士のルルェド地区神官長、ホーポーである。一人一人が屈強な戦士たる神官を束ねる彼は、ひょろりと背が高く痩せていた。剃り上げた頭がよく目立つ。
「昨夜の戦さは見事であったよ。戦神の御元には誇り高き戦士たちの魂が召されたのだ。喜んでおられよう」
「そうか、だが俺たちは素直に喜んでもおられん。このままだとジリ貧だ」
城塞に籠もる味方は、家臣団、傭兵、神官戦士合わせて500に満たない。対する帝國軍はおそらく万を数えるだろう。
「幸い、水も兵粮も矢弾も蓄えは充分だ。それらが尽きる前に我らが尽きる」
「それは重畳──まぁ、ハンズィール殿が敵前に姿を見せれば、それを見た敵将もまさか兵粮が足りぬなどとは思いもせんでしょうな」ホーポーがハンズィールの腹を見ながら言った。ハンズィールはニヤリと笑った。
「それよりもホーポー殿が敵前に出られたらどうだろう? 飢餓寸前と見誤った敵が無理攻めをして勝手に兵を損なってくれるかもしれん」
「それほど愚かな敵なら良いが」
「そうもいかんだろうな。このままだとこの城塞は落ちる。あの主殿も嬢ちゃんも酷い目にあうだろう」
「帝國軍は捕虜をとるつもりは無いでしょうな。拙僧はそのような非道を看過したくない。年端もいかぬ者たちだけでも逃がすことは能わぬでしょうか? 敵の陣立てを見ると北西に隙が見えるのだが」
ホーポーが言った。確かに包囲する帝國軍の配置には一部に間隙がある。
「罠だよ。敵は我らがそこから逃げ出すのを誘っているのだ。城攻めの常道だ。うかつに乗れば敵の騎兵に追い立てられて全滅だ。逃げるなら南に逃げなければ……ところで導波通信は相変わらず『間もなく援軍を送る。あと一週間耐えろ』そう言っているか?」
「ええ。ブンガ・マス・リマにはザハーラ諸王国からバールクーク王国遠征軍が来援したと聞き及んでおります。彼らがこちらへ向かっているのでは?」
「望み薄だな」ハンズィールは首を振った。「南方には手の者を潜ませているが、あと一週間で来援するというならすでに姿を見せていなければおかしい。だが、影も形も見えん。
マワーレド川もそれに沿った街道も全て帝國軍に押さえられているのだ。川には忌々しいことにリザードマンまでいやがる」
「何とも手回しの良いことだ」
「助けが来るという知らせは、兵どもの士気を支えている。だが、あと一週間で一体どこから援軍が来るというのだ? 陸路も水路も押さえられているというのに」
「やぁ、ハンズィール殿。ご機嫌よう」
「よぉ、ホーポー殿。戦神のご機嫌は如何だろうか?」
ハンズィールに話しかけてきた男は、戦神に仕える神官戦士のルルェド地区神官長、ホーポーである。一人一人が屈強な戦士たる神官を束ねる彼は、ひょろりと背が高く痩せていた。剃り上げた頭がよく目立つ。
「昨夜の戦さは見事であったよ。戦神の御元には誇り高き戦士たちの魂が召されたのだ。喜んでおられよう」
「そうか、だが俺たちは素直に喜んでもおられん。このままだとジリ貧だ」
城塞に籠もる味方は、家臣団、傭兵、神官戦士合わせて500に満たない。対する帝國軍はおそらく万を数えるだろう。
「幸い、水も兵粮も矢弾も蓄えは充分だ。それらが尽きる前に我らが尽きる」
「それは重畳──まぁ、ハンズィール殿が敵前に姿を見せれば、それを見た敵将もまさか兵粮が足りぬなどとは思いもせんでしょうな」ホーポーがハンズィールの腹を見ながら言った。ハンズィールはニヤリと笑った。
「それよりもホーポー殿が敵前に出られたらどうだろう? 飢餓寸前と見誤った敵が無理攻めをして勝手に兵を損なってくれるかもしれん」
「それほど愚かな敵なら良いが」
「そうもいかんだろうな。このままだとこの城塞は落ちる。あの主殿も嬢ちゃんも酷い目にあうだろう」
「帝國軍は捕虜をとるつもりは無いでしょうな。拙僧はそのような非道を看過したくない。年端もいかぬ者たちだけでも逃がすことは能わぬでしょうか? 敵の陣立てを見ると北西に隙が見えるのだが」
ホーポーが言った。確かに包囲する帝國軍の配置には一部に間隙がある。
「罠だよ。敵は我らがそこから逃げ出すのを誘っているのだ。城攻めの常道だ。うかつに乗れば敵の騎兵に追い立てられて全滅だ。逃げるなら南に逃げなければ……ところで導波通信は相変わらず『間もなく援軍を送る。あと一週間耐えろ』そう言っているか?」
「ええ。ブンガ・マス・リマにはザハーラ諸王国からバールクーク王国遠征軍が来援したと聞き及んでおります。彼らがこちらへ向かっているのでは?」
「望み薄だな」ハンズィールは首を振った。「南方には手の者を潜ませているが、あと一週間で来援するというならすでに姿を見せていなければおかしい。だが、影も形も見えん。
マワーレド川もそれに沿った街道も全て帝國軍に押さえられているのだ。川には忌々しいことにリザードマンまでいやがる」
「何とも手回しの良いことだ」
「助けが来るという知らせは、兵どもの士気を支えている。だが、あと一週間で一体どこから援軍が来るというのだ? 陸路も水路も押さえられているというのに」
ハンズィールはそう吐き捨てると空を仰いだ。城塞の背後に高々とそびえる〈戦神の床几〉の向こうには、晴れ渡った空があるだけだった。
あとがき
第3話はこのあとに帝國軍と自衛隊の動きが少しだけ入ります。間が空きそうだったのでできている分だけ投下しました。
ルルェドはオペレーション『ブラック・サンダー』の作戦『サンダー』における救援目標です。時間は作戦開始四日前。どんな味方が籠もっているかでかなりの分量になってしまった気がします。
簡潔な文章にしたいのですけれど。
ルルェドはオペレーション『ブラック・サンダー』の作戦『サンダー』における救援目標です。時間は作戦開始四日前。どんな味方が籠もっているかでかなりの分量になってしまった気がします。
簡潔な文章にしたいのですけれど。
御意見御質問御感想お待ちしております。
オペレーション ブラック・サンダー
作戦名はあれです。
こう、アイアン・フィストとかフォール・イーグルとかのノリで。
美味しいですよね。
こう、アイアン・フィストとかフォール・イーグルとかのノリで。
美味しいですよね。