フォリシアからはるか東の洋上。
「馬は大丈夫かな?」
「結構ヘタってますが…まあ何とか…それより陸の方々の船酔いを心配した方がいいのでは?いざというときに足腰が立たないとなっては一大事ですよ」
タビラスの艦隊は出航直後から絶え間なく降り続くスコールの中を進んでいた。ずっと艦隊を追って発生し続ける雨雲の下、整然とした艦列はきっちりと六芒星の形を描いていた。
「それにしても、まさか艦隊の間に魔導を施した鎖を張り巡らせて魔方陣を描くとは思いも寄りませんでした」
艦隊旗艦バリドゥスの艦尾付近の甲板で、雨具を着けたタビラスが副官二人と共に空の様子を窺っているところだった。
「この艦隊の練度あればこそだ。下手くそな奴らがやればすぐに鎖を切ってしまうからな」
敵の目を避けるため、艦隊の頭上に雨雲を喚んで移動することを考えたのはオベアと自室で話し合ったときだった。彼から戦の事情を聞いたときに自衛隊の艦船はこちらに来ていないようだ、ということも聞いた。ならば海から奇襲しようとなったときに、鉄の鳥の監視の目を逃れ、漁師の船などを追い払うため二人で考えたのがこの方法。一船上で雨雲を喚ぶ陣を描くには広さが足りないため、船間の鎖で主方陣を描き、船上で補助方陣を描くやり方だったのである。
時間がなく試験もできず出航することになったため、正直な話、機能したことを確認するまでタビラスは気が気ではなかった。
「リクマイスの防衛隊が手薄だというのは本当なのですか?提督」
「向こうの護国卿が暴走しないように、本来は首都を守るべき近衛隊がわざわざお守りをしに辺境まで出向いてるという話だよ。まあうちにとっては好ましい話だが…大変だな、向こうも」
話しながら彼らは甲板を回り雨の中働く水夫に声をかけて労った。
「しかし成功してもこの作戦では非難轟々、間違いありませんな」
「負けたら終わりさ。非難など気にしてはいられんよ。真っ向から戦うのが厳しければ手を出せないようにしなければな。王城を強襲、王族…国王か嫡子を誘拐してすぐ引き上げる」
船内に戻り、雨具を脱いだタビラスに側近から温かい飲み物が差し出された。立ったまま一、二口飲んだところでタビラスは副官に答えた。
彼は側のテーブルの端にカップをコン、と置いて脇にあった地図を指差した。
「偵察鳥で南方の雲の動きを見たところ…あと三日というところか。少し早く来過ぎたな…航行速度を落とさせよう。それでもまあ、時間切れで嵐と合流できないまま晴れ上がった道を強行することを考えれば、上々だろう」
「切羽詰まってるとはいえ、不確定な天候を計算に入れた作戦なんて…もう心配でたまりませんよ。陸さんから借りてる騎兵を全滅させでもしたら、どう申し開きしたもんだか…」
副官は地図で現在位置を確認しながら頷くタビラスの横で、顔を曇らせた。腰に手を当てて小さくため息もついた。
「まともじゃない敵と戦うんだから、博打が要るのはしょうがない。今からそんなに気を揉んでいたら胃に穴が開いてしまうぞ、フフフ」
本国においてロシアとの交渉が着々と進んでいることも知らず、顔を緩めるタビラスであった。
「馬は大丈夫かな?」
「結構ヘタってますが…まあ何とか…それより陸の方々の船酔いを心配した方がいいのでは?いざというときに足腰が立たないとなっては一大事ですよ」
タビラスの艦隊は出航直後から絶え間なく降り続くスコールの中を進んでいた。ずっと艦隊を追って発生し続ける雨雲の下、整然とした艦列はきっちりと六芒星の形を描いていた。
「それにしても、まさか艦隊の間に魔導を施した鎖を張り巡らせて魔方陣を描くとは思いも寄りませんでした」
艦隊旗艦バリドゥスの艦尾付近の甲板で、雨具を着けたタビラスが副官二人と共に空の様子を窺っているところだった。
「この艦隊の練度あればこそだ。下手くそな奴らがやればすぐに鎖を切ってしまうからな」
敵の目を避けるため、艦隊の頭上に雨雲を喚んで移動することを考えたのはオベアと自室で話し合ったときだった。彼から戦の事情を聞いたときに自衛隊の艦船はこちらに来ていないようだ、ということも聞いた。ならば海から奇襲しようとなったときに、鉄の鳥の監視の目を逃れ、漁師の船などを追い払うため二人で考えたのがこの方法。一船上で雨雲を喚ぶ陣を描くには広さが足りないため、船間の鎖で主方陣を描き、船上で補助方陣を描くやり方だったのである。
時間がなく試験もできず出航することになったため、正直な話、機能したことを確認するまでタビラスは気が気ではなかった。
「リクマイスの防衛隊が手薄だというのは本当なのですか?提督」
「向こうの護国卿が暴走しないように、本来は首都を守るべき近衛隊がわざわざお守りをしに辺境まで出向いてるという話だよ。まあうちにとっては好ましい話だが…大変だな、向こうも」
話しながら彼らは甲板を回り雨の中働く水夫に声をかけて労った。
「しかし成功してもこの作戦では非難轟々、間違いありませんな」
「負けたら終わりさ。非難など気にしてはいられんよ。真っ向から戦うのが厳しければ手を出せないようにしなければな。王城を強襲、王族…国王か嫡子を誘拐してすぐ引き上げる」
船内に戻り、雨具を脱いだタビラスに側近から温かい飲み物が差し出された。立ったまま一、二口飲んだところでタビラスは副官に答えた。
彼は側のテーブルの端にカップをコン、と置いて脇にあった地図を指差した。
「偵察鳥で南方の雲の動きを見たところ…あと三日というところか。少し早く来過ぎたな…航行速度を落とさせよう。それでもまあ、時間切れで嵐と合流できないまま晴れ上がった道を強行することを考えれば、上々だろう」
「切羽詰まってるとはいえ、不確定な天候を計算に入れた作戦なんて…もう心配でたまりませんよ。陸さんから借りてる騎兵を全滅させでもしたら、どう申し開きしたもんだか…」
副官は地図で現在位置を確認しながら頷くタビラスの横で、顔を曇らせた。腰に手を当てて小さくため息もついた。
「まともじゃない敵と戦うんだから、博打が要るのはしょうがない。今からそんなに気を揉んでいたら胃に穴が開いてしまうぞ、フフフ」
本国においてロシアとの交渉が着々と進んでいることも知らず、顔を緩めるタビラスであった。
ロシアもこの世界に侵入してきた、との竜イブートスからの報告で竜族の心配はさらに深刻度を増していた。彼らは議論を重ねた末、ついに異界人の意図と動向を確かめるため、人界との接触を持つことを決定したのだった。
異界人との対話役には人界に慣れているイブートスの他に、風の魔法を自在に操るドラゴンのバトフィルが選ばれた。彼は竜族の間ではそれなりに地位も高く、信頼も厚かった。
「ほう、これが今の人の街か。しばらく見ないうちに随分と小奇麗な建物を建てるようになったじゃないか」
ボレアリア首都リクマイスの城下を、人間に化身した竜二人が人ごみに紛れ歩いていた。
「バトフィル様が以前、人界へいらっしゃったときは四百年ほど前のことと聞きましたが…人にとっては果てしない時間ですからね。我々にとってはたった一、二世代の時間ですが、人は百年で四、五世代も進みますし…」
竜族が大陸全土からドラゴニアに退いてから八百年もの月日が過ぎていた。それ以来、今回のような大事が起こったとき以外、彼らはその土地から出ることはなかった。好奇心旺盛な若者がふらりと外の人界に行ってしまうことはあったが、ほとんどの者はドラゴニアの荒地と森だけの世界しか知ることはなかった。
バトフィルは昔次元結界が使われたときに人界の調査、交渉役を務めた、里から出たことのあるわずかな竜族の一人だった。
イブートスは街を歩きながらどう人間側とコンタクトを取ったらよいものか、思案にくれていた。が、バトフィルは意に介す様子もなく一直線に王城へと向かっていった。イブートスが止めるも、いいから、と聞かず、正門の衛兵のところまで歩いていった。
彼は衛兵に話しかけた。
「竜族の使いで来たバトフィルという者だ。王に取り次いでもらいたい」
「はぁ!?」
あまりに直接的な言い様だったので、イブートスは面食らった。衛兵に至っては頭のおかしい奴が現れた、と小声で囁き合う始末だった。
「化身を解除するぞ」
バトフィルが呟くとその身はみるみるうちに十数メートルの巨大なドラゴンの体へと戻っていった。
周りにいた衛兵や登城しようと通りかかった貴族、イブートス以外の者は皆腰を抜かしてへたり込んだ。遠巻きに眺めていた衛兵は大慌てで城内に連絡を入れに行った。
震える衛兵を見下ろし、バトフィルは重く響く声で言った。
「見た通り、嘘ではない。取り次いでもらおうか」
「しょ、少々お待ち下さい、たたたただ今、上の者に…」
返事をした衛兵は、呆けていた相方を叩き起こして城内に走らせた。
バトフィルは振り向いて笑った。
「困ったときはこれが一番簡単で説得力があるんだ」
イブートスは苦笑するだけだった。
異界人との対話役には人界に慣れているイブートスの他に、風の魔法を自在に操るドラゴンのバトフィルが選ばれた。彼は竜族の間ではそれなりに地位も高く、信頼も厚かった。
「ほう、これが今の人の街か。しばらく見ないうちに随分と小奇麗な建物を建てるようになったじゃないか」
ボレアリア首都リクマイスの城下を、人間に化身した竜二人が人ごみに紛れ歩いていた。
「バトフィル様が以前、人界へいらっしゃったときは四百年ほど前のことと聞きましたが…人にとっては果てしない時間ですからね。我々にとってはたった一、二世代の時間ですが、人は百年で四、五世代も進みますし…」
竜族が大陸全土からドラゴニアに退いてから八百年もの月日が過ぎていた。それ以来、今回のような大事が起こったとき以外、彼らはその土地から出ることはなかった。好奇心旺盛な若者がふらりと外の人界に行ってしまうことはあったが、ほとんどの者はドラゴニアの荒地と森だけの世界しか知ることはなかった。
バトフィルは昔次元結界が使われたときに人界の調査、交渉役を務めた、里から出たことのあるわずかな竜族の一人だった。
イブートスは街を歩きながらどう人間側とコンタクトを取ったらよいものか、思案にくれていた。が、バトフィルは意に介す様子もなく一直線に王城へと向かっていった。イブートスが止めるも、いいから、と聞かず、正門の衛兵のところまで歩いていった。
彼は衛兵に話しかけた。
「竜族の使いで来たバトフィルという者だ。王に取り次いでもらいたい」
「はぁ!?」
あまりに直接的な言い様だったので、イブートスは面食らった。衛兵に至っては頭のおかしい奴が現れた、と小声で囁き合う始末だった。
「化身を解除するぞ」
バトフィルが呟くとその身はみるみるうちに十数メートルの巨大なドラゴンの体へと戻っていった。
周りにいた衛兵や登城しようと通りかかった貴族、イブートス以外の者は皆腰を抜かしてへたり込んだ。遠巻きに眺めていた衛兵は大慌てで城内に連絡を入れに行った。
震える衛兵を見下ろし、バトフィルは重く響く声で言った。
「見た通り、嘘ではない。取り次いでもらおうか」
「しょ、少々お待ち下さい、たたたただ今、上の者に…」
返事をした衛兵は、呆けていた相方を叩き起こして城内に走らせた。
バトフィルは振り向いて笑った。
「困ったときはこれが一番簡単で説得力があるんだ」
イブートスは苦笑するだけだった。
「国王陛下は体調が優れぬ故、こちらには御出でにならぬ。私が代理として話を伺おう」
フワンは背丈が会堂の屋根にも届こうかというドラゴンを見上げ、毅然と言った。
あの後、結局近衛隊に連絡がつき、国王を直接会わせては何かがあったとき危険だ、ということでフワンが彼らの話を聞くことになったのである。バトフィルが再び人に変化せずそのまま入ることを要求したため、用意した数十人が入れる中型程度の会堂でも、かなりのスペースを占有していた。
バトフィルは化身したまま話をするのは無礼だろう、と取ってつけたような言い訳をしたが、威嚇して話を思うように進めようという本音は誰の目にも明らかだった。
「この時期にとんだ珍客が現れたものだ」
フワンは竜達に聞こえないようぼそりと呟き、同席した久口に目をやった。
続いて巨大な緑色のドラゴンも見慣れぬ迷彩服を来た異界の者をギロリと睨みつけた。
「愚かな身内が君らのお世話になったようだな…名を聞こうか」
「ああ、久口慶彦一等陸尉です。…いや、しかしすごい巨体ですね。驚きました」
彼は手を後ろに組んだまま、竜の顔を見上げて答えた。
国境地帯の町を無事国軍に引き渡し終えた彼らの隊は再び首都に戻され、郊外で飲用水の浄化などをし、自衛隊の存在を好意的にアピールする、という役目を与えられていた。隊長の久口には近衛隊と予想以上に親しくなったこともあり、パイプ役となってくれるよう異界側からの申し出があった。彼の最近は首都近辺と王宮、東京を行き来する毎日だった。
竜は再びフワンに視線を移して言った。
「まさか禁忌とされている異界人を召喚して戦わせるとはなあ…人間同士が戦い合うのは勝手にやれば良い。…しかし異界の者を招き入れたとなると、こちらも放っておくわけにはいかぬ」
「まったく、どいつもこいつも…」
フワンは下を向いて小さくため息をついた。
「何だ?」
竜の問いに、顔を上げたフワンは怒気を込めた口調で言った。
「評議会の奴らにも言ってやったが、我が国が危ないときに知らん顔で放っておきながら、今更放っておけんだと!?話にならん!」
竜の眉間にギリリ、と皺がよった。
「何だこの無礼な虫ケラは…消し飛ばしてくれようか」
脇で必死に抑えるイブートスを前足で振り払い、バトフィルは魔力を集中させる仕草を見せた。
「素直だな、竜族は」
憐れむような笑みを見せたフワンがすっと右手を上げると、バリン、という放電のような音と共に、竜族二人の周りを無数の光の輪が包み込んだ。
すでに会堂の周りには魔道師達による光輪呪縛の魔方陣が仕立て上げられていたのだった。抗する魔方陣を持っていない者全てを光の輪が包み、身動きできなくする魔法である。
「人間め!この程度の呪縛、我が打ち破れんとでも思っているか!」
バトフィルが魔力を集中して念の魔方陣を整形すると、彼の身の周りの光は霧が晴れるように消えた。竜に戻っていないイブートスは光の輪の中で動けず、事態を見守っているだけだった。
「思ってはいない。が…その魔法を打ち消したまま、さらに強力な攻撃魔法を使うのはさぞかし骨が折れるだろう」
「ぬぬ…小細工ばかり得意になりおって、人間め」
バトフィルは鋭い牙をギリリと鳴らし、口惜しそうにフワンを睨んだ。
「しかし、念だけでこの魔法を打ち消すことができるとは、さすがにドラゴンだけのことはある。人ではどれほど頑張っても無理だろうからな」
この世界の魔法とは本来念で魔方陣を描くものであった。念で陣を構築し、自らが持つ器の範囲内の力で世界から魔素を集め魔力とし、魔法を発現させるものだった。しかしこの世界の人間はやがて賢者の石、という魔力を貯めておける鉱物を見つけてしまった。魔力を通す塗料も見つけてしまった。そして紙や布に魔方陣を直接描いたり、賢者の石で貯めておいた魔力を一度に放出することで、飛躍的に大きな魔法を使うことができるようになった。天変地異を起こすような巨大な魔法はドラゴンでさえも使うことはできない。人間だけが大規模な準備をして、初めて使うことができる。しかし念だけでは今も人は、ごく小規模な魔法しか扱えないのだ。
「あえて言わせてもらうが…魔法の歴史を詳しく知っている者でドラゴンを恐れる者などいないよ。かつて大陸の支配者だったドラゴンが、天変地異を起こせるほど強力な魔法を使えるようになった人間を恐れてあの小さな半島に引きこもった、という事実を知ってる者はね」
フワンのとどめの一言に、バトフィルは先程よりも大きく目を見開いて怒鳴り散らした。
「おのれェ!小細工で我々を縛り上げたばかりか、先祖まで侮辱するこの無礼!我ら竜族が人を恐れるなどある訳がなかろうがァァ!決して許されぬぞ貴様らァ!」
火を吐かんばかりに叫ぶバトフィルに対して、しばらく後ろ手のまま様子を窺っていた久口が静かに言った。
「…さて、話し合いとやらがこれで終わりなら失礼させて頂きたい」
久口は会堂の外へ出ようと彼らに背を向け歩き出した。一歩、二歩歩き出したところで
「私達は異界の真意を聞きに来たのです!」
我を忘れて吼えるバトフィルに代わり、光輪に包まれたままのイブートスが叫んだ。
「異界の者がこの世界に勢力を広げる気はあるのかどうか確かめてこいと」
「それは、私の立場ではわかりません、としか答えられませんね」
振り向いた久口は即答した。
「ではフォリシアが喚んだというロシアという国については」
「ロシアのことはもっとわかりません」
イブートスはがっくりとうなだれた。久口は苦笑すると、
「都合がつくかわかりませんが、もっと上の人と話す機会を作りましょうか」
「よ、よろしくお願いします」
「ただ、一つ言っておきますが…」
少し間をおいて、久口は言った。
「他の国より日本ははるかに優しいですよ。それだけは保証しましょう」
フワンは背丈が会堂の屋根にも届こうかというドラゴンを見上げ、毅然と言った。
あの後、結局近衛隊に連絡がつき、国王を直接会わせては何かがあったとき危険だ、ということでフワンが彼らの話を聞くことになったのである。バトフィルが再び人に変化せずそのまま入ることを要求したため、用意した数十人が入れる中型程度の会堂でも、かなりのスペースを占有していた。
バトフィルは化身したまま話をするのは無礼だろう、と取ってつけたような言い訳をしたが、威嚇して話を思うように進めようという本音は誰の目にも明らかだった。
「この時期にとんだ珍客が現れたものだ」
フワンは竜達に聞こえないようぼそりと呟き、同席した久口に目をやった。
続いて巨大な緑色のドラゴンも見慣れぬ迷彩服を来た異界の者をギロリと睨みつけた。
「愚かな身内が君らのお世話になったようだな…名を聞こうか」
「ああ、久口慶彦一等陸尉です。…いや、しかしすごい巨体ですね。驚きました」
彼は手を後ろに組んだまま、竜の顔を見上げて答えた。
国境地帯の町を無事国軍に引き渡し終えた彼らの隊は再び首都に戻され、郊外で飲用水の浄化などをし、自衛隊の存在を好意的にアピールする、という役目を与えられていた。隊長の久口には近衛隊と予想以上に親しくなったこともあり、パイプ役となってくれるよう異界側からの申し出があった。彼の最近は首都近辺と王宮、東京を行き来する毎日だった。
竜は再びフワンに視線を移して言った。
「まさか禁忌とされている異界人を召喚して戦わせるとはなあ…人間同士が戦い合うのは勝手にやれば良い。…しかし異界の者を招き入れたとなると、こちらも放っておくわけにはいかぬ」
「まったく、どいつもこいつも…」
フワンは下を向いて小さくため息をついた。
「何だ?」
竜の問いに、顔を上げたフワンは怒気を込めた口調で言った。
「評議会の奴らにも言ってやったが、我が国が危ないときに知らん顔で放っておきながら、今更放っておけんだと!?話にならん!」
竜の眉間にギリリ、と皺がよった。
「何だこの無礼な虫ケラは…消し飛ばしてくれようか」
脇で必死に抑えるイブートスを前足で振り払い、バトフィルは魔力を集中させる仕草を見せた。
「素直だな、竜族は」
憐れむような笑みを見せたフワンがすっと右手を上げると、バリン、という放電のような音と共に、竜族二人の周りを無数の光の輪が包み込んだ。
すでに会堂の周りには魔道師達による光輪呪縛の魔方陣が仕立て上げられていたのだった。抗する魔方陣を持っていない者全てを光の輪が包み、身動きできなくする魔法である。
「人間め!この程度の呪縛、我が打ち破れんとでも思っているか!」
バトフィルが魔力を集中して念の魔方陣を整形すると、彼の身の周りの光は霧が晴れるように消えた。竜に戻っていないイブートスは光の輪の中で動けず、事態を見守っているだけだった。
「思ってはいない。が…その魔法を打ち消したまま、さらに強力な攻撃魔法を使うのはさぞかし骨が折れるだろう」
「ぬぬ…小細工ばかり得意になりおって、人間め」
バトフィルは鋭い牙をギリリと鳴らし、口惜しそうにフワンを睨んだ。
「しかし、念だけでこの魔法を打ち消すことができるとは、さすがにドラゴンだけのことはある。人ではどれほど頑張っても無理だろうからな」
この世界の魔法とは本来念で魔方陣を描くものであった。念で陣を構築し、自らが持つ器の範囲内の力で世界から魔素を集め魔力とし、魔法を発現させるものだった。しかしこの世界の人間はやがて賢者の石、という魔力を貯めておける鉱物を見つけてしまった。魔力を通す塗料も見つけてしまった。そして紙や布に魔方陣を直接描いたり、賢者の石で貯めておいた魔力を一度に放出することで、飛躍的に大きな魔法を使うことができるようになった。天変地異を起こすような巨大な魔法はドラゴンでさえも使うことはできない。人間だけが大規模な準備をして、初めて使うことができる。しかし念だけでは今も人は、ごく小規模な魔法しか扱えないのだ。
「あえて言わせてもらうが…魔法の歴史を詳しく知っている者でドラゴンを恐れる者などいないよ。かつて大陸の支配者だったドラゴンが、天変地異を起こせるほど強力な魔法を使えるようになった人間を恐れてあの小さな半島に引きこもった、という事実を知ってる者はね」
フワンのとどめの一言に、バトフィルは先程よりも大きく目を見開いて怒鳴り散らした。
「おのれェ!小細工で我々を縛り上げたばかりか、先祖まで侮辱するこの無礼!我ら竜族が人を恐れるなどある訳がなかろうがァァ!決して許されぬぞ貴様らァ!」
火を吐かんばかりに叫ぶバトフィルに対して、しばらく後ろ手のまま様子を窺っていた久口が静かに言った。
「…さて、話し合いとやらがこれで終わりなら失礼させて頂きたい」
久口は会堂の外へ出ようと彼らに背を向け歩き出した。一歩、二歩歩き出したところで
「私達は異界の真意を聞きに来たのです!」
我を忘れて吼えるバトフィルに代わり、光輪に包まれたままのイブートスが叫んだ。
「異界の者がこの世界に勢力を広げる気はあるのかどうか確かめてこいと」
「それは、私の立場ではわかりません、としか答えられませんね」
振り向いた久口は即答した。
「ではフォリシアが喚んだというロシアという国については」
「ロシアのことはもっとわかりません」
イブートスはがっくりとうなだれた。久口は苦笑すると、
「都合がつくかわかりませんが、もっと上の人と話す機会を作りましょうか」
「よ、よろしくお願いします」
「ただ、一つ言っておきますが…」
少し間をおいて、久口は言った。
「他の国より日本ははるかに優しいですよ。それだけは保証しましょう」
ロシアとフォリシアが繋がったゲートからは、約束の小銃を積んだトラックが次々と走り込んできていた。フォリシア側の倉庫の係員達がその黒い鉄の筒をしげしげと眺め、触った。実際は途上国から急遽かき集められたコピー物の銃がほとんどであったが、彼らにはそんな事情は知る由もない。
「急なもので旧式の物しか用意できませんでしたが、とりあえず一万挺、お持ちしました。訓練員は明日到着する予定です」
搬入の様子を見守っていた、頭が皿のようにはげ上がっているロシアの武官は薄ら笑いを浮かべながら言った。
「これが鉄砲という最強の飛び道具!兵士に持たせたらまさに百人力ですな!」
フォリシアの役人は興奮を隠せず、上ずった口調で答えた。
ロシアの武官が苦笑しながら、彼の機関銃のような質問をさばいていると、倉庫の通用口から痩せた四十過ぎの男が姿を現した。背中まで伸びた髪を無造作に後ろに束ねた目つきの鋭い男だった。役人は彼の顔を見るなり直立、敬礼した。
「どうも、こんにちは。お~お…これが噂の新兵器。早くカルダーに送ってやらねばなあ」
後ろに手を組んだまま、体をかがめて積まれた銃を眺めた彼は、腕を胸の前に組み直すと眉間に皺を寄せ、考え事を始めた。
「さて、ゲートのおかげで他から兵を引っ張ってくるのはすぐできるとして、兵をどう回して訓練するか…」
しばらくぶつぶつ呟いてから、見知らぬ顔を見たロシア武官が戸惑っているのに気付き、異界の儀式、握手を求めた。
「陸軍上級将軍ドーマ・サイキタイと申します。以後、よしなに」
「よろしく」
軽く握手を交わし、彼は武官に屈託なく言った。
「実際に使ってるところが見たいな」
「後ほど国王陛下の前で披露する事になっていますのでお待ちを」
「急なもので旧式の物しか用意できませんでしたが、とりあえず一万挺、お持ちしました。訓練員は明日到着する予定です」
搬入の様子を見守っていた、頭が皿のようにはげ上がっているロシアの武官は薄ら笑いを浮かべながら言った。
「これが鉄砲という最強の飛び道具!兵士に持たせたらまさに百人力ですな!」
フォリシアの役人は興奮を隠せず、上ずった口調で答えた。
ロシアの武官が苦笑しながら、彼の機関銃のような質問をさばいていると、倉庫の通用口から痩せた四十過ぎの男が姿を現した。背中まで伸びた髪を無造作に後ろに束ねた目つきの鋭い男だった。役人は彼の顔を見るなり直立、敬礼した。
「どうも、こんにちは。お~お…これが噂の新兵器。早くカルダーに送ってやらねばなあ」
後ろに手を組んだまま、体をかがめて積まれた銃を眺めた彼は、腕を胸の前に組み直すと眉間に皺を寄せ、考え事を始めた。
「さて、ゲートのおかげで他から兵を引っ張ってくるのはすぐできるとして、兵をどう回して訓練するか…」
しばらくぶつぶつ呟いてから、見知らぬ顔を見たロシア武官が戸惑っているのに気付き、異界の儀式、握手を求めた。
「陸軍上級将軍ドーマ・サイキタイと申します。以後、よしなに」
「よろしく」
軽く握手を交わし、彼は武官に屈託なく言った。
「実際に使ってるところが見たいな」
「後ほど国王陛下の前で披露する事になっていますのでお待ちを」
数時間後、王宮の中庭で小銃の小さなお披露目が開かれた。中庭といっても百メートル四方はあるだろう広大な空き地には、普段は珍しい草花が並んでいるのだが、今日は全て取り払われて、的用の鎧が幾つか並べてあった。
国王は中庭の一角に陣取って銃の威力を自らの眼で確かめることが待ちきれないのか、しきりに側近に声をかけていた。
やがてロシアの武官が姿を現し、国王に拝謁した。彼は脇に用意した緩やかにカーブを描くマガジンを小銃に勢いよく差し込み、レバーを引いた。
武官がストックを右肩に付け、眼を銃身に近付け狙いを定めた瞬間、雷が連続して落ちたのかと思うような乾いた大音響が中庭に響き渡った。数十メートル先の鎧は大穴が開き、ひしゃげ、部品が飛び散り、ただの鉄屑となっていた。
しばらく間をおいて、その場にいた軍人、役人の多くから驚きの声が上がった。その鎧はフォリシアで一番頑丈だとされる鎧だったからだ。矢も剣も通さない鎧として、兵士にも評判の高かったその鎧を紙くずのように撃ち抜いた異界の新兵器を見て、実際に現場で使うであろう立場の者は少年のように喜び、興味を示した。
面白くない立場の者もいる。部隊の中での位置付けが変化しそうな魔道師隊の面々は渋い顔だった。どこの国の軍でも魔道師隊はエリート部隊である。遠隔攻撃、魔法を利用した罠、連絡、偵察等様々な任務に就く魔道師隊だが、打撃力で大幅に歩兵が上回るようになってしまえば単なる補助部隊に落ちぶれてしまうかもしれない、と考える者は少なからずいた。もちろん国王の手前、口に出して言ったりはしない。
続いて出された的の鳩もすぐに弾が命中し、肉が飛び散った。
「さて、これで異界の軍に勝ち目はあるのかな?」
国王は最も肝心なことを単刀直入に聞いた。試射を終えて傍らで待機していたロシアの武官は少し考えた後、微妙な顔で答えた。
「無い、から、無い訳ではない、というところでしょうか」
「そんなものか…」
がっかりした顔を隠さない国王に、すぐに笑顔を作ったロシアの武官は続けた。
「首都は我がロシア機甲師団が鉄壁の防衛を致します故、御安心を」
「うむ…期待している…仔細はサイキタイ将軍にな」
国王は中庭の一角に陣取って銃の威力を自らの眼で確かめることが待ちきれないのか、しきりに側近に声をかけていた。
やがてロシアの武官が姿を現し、国王に拝謁した。彼は脇に用意した緩やかにカーブを描くマガジンを小銃に勢いよく差し込み、レバーを引いた。
武官がストックを右肩に付け、眼を銃身に近付け狙いを定めた瞬間、雷が連続して落ちたのかと思うような乾いた大音響が中庭に響き渡った。数十メートル先の鎧は大穴が開き、ひしゃげ、部品が飛び散り、ただの鉄屑となっていた。
しばらく間をおいて、その場にいた軍人、役人の多くから驚きの声が上がった。その鎧はフォリシアで一番頑丈だとされる鎧だったからだ。矢も剣も通さない鎧として、兵士にも評判の高かったその鎧を紙くずのように撃ち抜いた異界の新兵器を見て、実際に現場で使うであろう立場の者は少年のように喜び、興味を示した。
面白くない立場の者もいる。部隊の中での位置付けが変化しそうな魔道師隊の面々は渋い顔だった。どこの国の軍でも魔道師隊はエリート部隊である。遠隔攻撃、魔法を利用した罠、連絡、偵察等様々な任務に就く魔道師隊だが、打撃力で大幅に歩兵が上回るようになってしまえば単なる補助部隊に落ちぶれてしまうかもしれない、と考える者は少なからずいた。もちろん国王の手前、口に出して言ったりはしない。
続いて出された的の鳩もすぐに弾が命中し、肉が飛び散った。
「さて、これで異界の軍に勝ち目はあるのかな?」
国王は最も肝心なことを単刀直入に聞いた。試射を終えて傍らで待機していたロシアの武官は少し考えた後、微妙な顔で答えた。
「無い、から、無い訳ではない、というところでしょうか」
「そんなものか…」
がっかりした顔を隠さない国王に、すぐに笑顔を作ったロシアの武官は続けた。
「首都は我がロシア機甲師団が鉄壁の防衛を致します故、御安心を」
「うむ…期待している…仔細はサイキタイ将軍にな」
舞台はハワイ。某島で行われた秘密会議で、三国の秘密協定が決まった。
一、日米露の本隊同士は戦闘しないように努める
二、現地軍への武器の供給は黙認
三、核は禁止
二、現地軍への武器の供給は黙認
三、核は禁止
米露の戦略が渦を巻く中、自衛隊は米側から早くボレアリアに武器供給をさせろ、とせっつかれていた。事実上自由と決まった以上、ロシアに遅れをとることは許されない。
「とにかく一両日中には向こうの国王への連絡をつけてくれ。我々も大量の『みやげ』を用意して参上するつもりだ。自衛隊では物が無くてできまい?」
自衛隊の高官は沈黙するしかなかった。
「とにかく一両日中には向こうの国王への連絡をつけてくれ。我々も大量の『みやげ』を用意して参上するつもりだ。自衛隊では物が無くてできまい?」
自衛隊の高官は沈黙するしかなかった。