ボレアリア王城の外れにある一つの尖塔の先に、その姿には全く不釣り合いな数本の金属の棒がそそり立っていた。街の郊外まで電波もよく通る位置にあるその尖塔には、当初からアンテナを立てられるように自衛隊から要請がなされていた。バッテリー、発電機等の管理のため、尖塔を丸ごと一つ自衛隊が借り受ける、という内容にはボレアリアの大臣高官らも多少の不満を漏らしたものの、結局は要求がそのまま通った。今まさにその工事が終了し、開通試験が行われたところである。
通信科の隊員が城の一室で報告を待っていた久口に駆け寄ってきた。
「開通しました。異常ありません」
「うん、ご苦労様。ちょっとかけてみるよ?」
「はい」
久口は懐から自分の携帯電話を取り出し、パキン、と開いた。液晶画面にはしっかりとアンテナ三本の表示があった。彼はそのまま右手の親指でアドレス帳を開き、通話ボタンを押した。耳に当てるスピーカーから数回の呼び出し音が鳴った後、相手が出た。
「…これは異世界からの携帯初通話ということで、いいのかな?」
電話先の相手は日本にいる上官だった。
「はい、そうです。お仕事中申し訳ありません」
「いや、予定通り開通して何よりだ。そっちはどうだい?…」
数分の間、近況の話などをして久口は通話を終えた。その姿をフワンその他数人の近衛隊員が興味深げに眺めていた。
フワンが待ちきれなかったように聞いてきた。
「今、異界の知り合いと話をしていたのか?」
「ああ。携帯電話は何度か東京に顔を出したときに見なかったか?」
「あの恐ろしいまでの石造りの建物に圧倒されて、人々の手元を見るどころではなかったよ…」
久口からプラスチック製の筐体を受け取ると、彼はそれをしげしげと眺めた。裏返したり何度も開閉を繰り返した後、呟いた。
「こんな物で…遠くの人と会話ができるとは…我が国には念話を使える者は十人に満たないというのに…。どういう仕掛けなんだ?」
久口は腕組みをしたまま、笑顔で答えた。
「まあ声を目に見えない光に変えて飛ばすわけだが…この場で説明するのは難しいな」
「そうか…科学とは何でもできるのだなあ」
久口に携帯電話を手渡すと、フワンはある提案を口にした。
「これを陛下や大臣達に用意することはできないか?これを贈ったならば陛下も大変喜ばれるだろう」
久口は少し困惑した顔で答えた。
「そりゃ、まあ物自体はいくらでも用意できるが、表記は日本語だし、充電をどうするか…」
「充電?」
「…いや、使い捨てなんかの充電器をたくさん用意すればいいか…うん、検討しよう」
フワンは顔を輝かせて久口の右手を握った。
「そうか!是非よろしく頼む!これは君らの文化を知らしめる衝撃になるぞ!」
数日後、会議の席にて久口から国王、重臣らへ日本の携帯電話が手渡された。使い方を一通り教わった彼らは、子供が玩具で遊ぶかのように目を輝かせて同席する他の重臣へ電話をかけて回った。久口は苦笑しながら何度も何度も、充電器を取り替えて教えねばならなかった。
「異界の文字は全くわからんが、この『テトリス』というのか?上から積み木が落ちてきて列を揃える遊び、これが面白くてたまらぬ!異界は遊戯も進んでおるのだなあ…」
携帯電話に付属するゲームに熱中していたのは内務卿レイエスだった。ビデオゲームに初めて触った子供のような反応を見て、久口は顔をほころばせた。
老人が勢揃いで携帯電話をいじり倒している光景はとても滑稽だったが、誰もその未知の技術を拒否しなかったのに久口は感心した。彼の知っている老人は、難しそうな物は使う前から受け付けない、そんな人間が多かった。
「皆さん、お気に召して頂けましたか?」
初めて来た頃のように不信感をにじませる表情の重臣は皆無だったが、使い方を理解できなかった数人の重臣は残念そうな顔を見せた。ただ、受信できるだけでも彼らには革命的な物だった。護国卿がこの場にいたなら難癖をつけて紛糾したかもしれないが、彼は今遠くの地で敵を睨んでいる。要らない気に食わない、と言う者は誰一人としていなかった。
「大変満足だ。これからもこのような優秀な文化技術を我々に分け与えてくれまいか。もちろん、貴軍への協力は惜しまぬ」
国王が携帯電話に夢中な重臣達を代表して答えた。
それからすぐに、城下にて携帯電話で会話をするのは重臣のステータスシンボルとなった。警護の兵士や低階級の魔道師、庶民らは羨望の眼差しで彼らを眺めた。
通信科の隊員が城の一室で報告を待っていた久口に駆け寄ってきた。
「開通しました。異常ありません」
「うん、ご苦労様。ちょっとかけてみるよ?」
「はい」
久口は懐から自分の携帯電話を取り出し、パキン、と開いた。液晶画面にはしっかりとアンテナ三本の表示があった。彼はそのまま右手の親指でアドレス帳を開き、通話ボタンを押した。耳に当てるスピーカーから数回の呼び出し音が鳴った後、相手が出た。
「…これは異世界からの携帯初通話ということで、いいのかな?」
電話先の相手は日本にいる上官だった。
「はい、そうです。お仕事中申し訳ありません」
「いや、予定通り開通して何よりだ。そっちはどうだい?…」
数分の間、近況の話などをして久口は通話を終えた。その姿をフワンその他数人の近衛隊員が興味深げに眺めていた。
フワンが待ちきれなかったように聞いてきた。
「今、異界の知り合いと話をしていたのか?」
「ああ。携帯電話は何度か東京に顔を出したときに見なかったか?」
「あの恐ろしいまでの石造りの建物に圧倒されて、人々の手元を見るどころではなかったよ…」
久口からプラスチック製の筐体を受け取ると、彼はそれをしげしげと眺めた。裏返したり何度も開閉を繰り返した後、呟いた。
「こんな物で…遠くの人と会話ができるとは…我が国には念話を使える者は十人に満たないというのに…。どういう仕掛けなんだ?」
久口は腕組みをしたまま、笑顔で答えた。
「まあ声を目に見えない光に変えて飛ばすわけだが…この場で説明するのは難しいな」
「そうか…科学とは何でもできるのだなあ」
久口に携帯電話を手渡すと、フワンはある提案を口にした。
「これを陛下や大臣達に用意することはできないか?これを贈ったならば陛下も大変喜ばれるだろう」
久口は少し困惑した顔で答えた。
「そりゃ、まあ物自体はいくらでも用意できるが、表記は日本語だし、充電をどうするか…」
「充電?」
「…いや、使い捨てなんかの充電器をたくさん用意すればいいか…うん、検討しよう」
フワンは顔を輝かせて久口の右手を握った。
「そうか!是非よろしく頼む!これは君らの文化を知らしめる衝撃になるぞ!」
数日後、会議の席にて久口から国王、重臣らへ日本の携帯電話が手渡された。使い方を一通り教わった彼らは、子供が玩具で遊ぶかのように目を輝かせて同席する他の重臣へ電話をかけて回った。久口は苦笑しながら何度も何度も、充電器を取り替えて教えねばならなかった。
「異界の文字は全くわからんが、この『テトリス』というのか?上から積み木が落ちてきて列を揃える遊び、これが面白くてたまらぬ!異界は遊戯も進んでおるのだなあ…」
携帯電話に付属するゲームに熱中していたのは内務卿レイエスだった。ビデオゲームに初めて触った子供のような反応を見て、久口は顔をほころばせた。
老人が勢揃いで携帯電話をいじり倒している光景はとても滑稽だったが、誰もその未知の技術を拒否しなかったのに久口は感心した。彼の知っている老人は、難しそうな物は使う前から受け付けない、そんな人間が多かった。
「皆さん、お気に召して頂けましたか?」
初めて来た頃のように不信感をにじませる表情の重臣は皆無だったが、使い方を理解できなかった数人の重臣は残念そうな顔を見せた。ただ、受信できるだけでも彼らには革命的な物だった。護国卿がこの場にいたなら難癖をつけて紛糾したかもしれないが、彼は今遠くの地で敵を睨んでいる。要らない気に食わない、と言う者は誰一人としていなかった。
「大変満足だ。これからもこのような優秀な文化技術を我々に分け与えてくれまいか。もちろん、貴軍への協力は惜しまぬ」
国王が携帯電話に夢中な重臣達を代表して答えた。
それからすぐに、城下にて携帯電話で会話をするのは重臣のステータスシンボルとなった。警護の兵士や低階級の魔道師、庶民らは羨望の眼差しで彼らを眺めた。
「六芒から五芒に隊列組み替え急げ!」
日暮れ時。本来ならば西の空が真っ赤に染まるはずの海上だが、分厚い黒雲が一面を覆っているために、一帯はすでに暗闇と化していた。
タビラスの艦隊は嵐と合流し、黒雲招来の魔方陣から艦隊を風より防護、整流する魔方陣へと艦隊配置を組み替える最中だった。早くしないと嵐の強風に煽られて正確な陣が組めなくなってしまうので、水夫たちも必死である。
風雨の中、旗艦バリドゥスは魔法の光を利用した発光信号で各艦に細かな指示を送り、陣を発動するタイミングを探っていた。波に揺られながら上空の鳥の目より艦隊配置を確かめ、彼は合図を出した。
一瞬艦隊を繋ぐ魔導の鎖が五芒星の形に光ると同時に、艦隊の周りに流れる風は外の暴風ではなく、航行に差し障ることのない穏やかな風となっていた。
「…やれやれ、成功したか」
額の汗をぬぐいながら、長テーブルの前で水晶玉の相手をしていたタビラスは椅子の背もたれに深く寄りかかった。揺れもようやく落ち着いた室内で、作戦の主役、騎馬隊の隊長が窓から外の様子を眺めていた。
「あとは我々にお任せを、提督」
数センチほどの口ひげを生やし、黒色の軍服に身を包んだ隊長エメン・イクローディは向き直って言った。今は首都ジェルークスで警備隊を率いる彼だが、つい先日までは国の北辺で諸国に睨みをきかせ、北部国境防衛統括を任されているツィッカ・ネイラル次級将軍が最も頼りにしていた歴戦の騎士である。
「敵の守りが堅いようなら無理せず戻っていいからね」
「な~にを仰いますか、提督殿!」
隊長はひげをブルンブルン震わせながらタビラスに詰め寄った。
「都の警備隊長なんて、まあ確かに栄転なんでしょうが、私にとってはつまらん仕事ですよ。やはり馬で駆け抜け、騎射し、槍で刺す、それが騎士の本分というものです!今回呼んで頂いて、私は本当に感謝しているんですよ。なのにそんな、敵が怖かったら逃げ帰ってこいと言われたも同然、承服できませんな!」
顔を真っ赤にして熱く訴える隊長に、タビラスは掌を相手に向けて笑った。
「フッフッフッ、ま…落ち着きなさいよ。言い方が悪かった。犬死するのは許さんぞ、これでいいかね?」
隊長は一つ深く息を吐き心を落ち着かせると、自信に満ちた顔で言った。
「提督はごゆるりと船内でお待ちを。酒瓶を一、二本空ける頃には戦勝報告を持参してご覧に入れます」
「うむ、楽しみにしている」
何を思ったかタビラスはすっくと立ち上がった。そして部屋の隅にある棚に向かって歩き出し、数歩の後、立ち止まるとニヤリと笑った。
「…じゃ、とりあえず景気付けに一杯いこうか」
「はっ、お付き合いします!」
タビラスは頷き、棚に置いてあった従兵を呼び出す鈴をチリン、と鳴らした。
日暮れ時。本来ならば西の空が真っ赤に染まるはずの海上だが、分厚い黒雲が一面を覆っているために、一帯はすでに暗闇と化していた。
タビラスの艦隊は嵐と合流し、黒雲招来の魔方陣から艦隊を風より防護、整流する魔方陣へと艦隊配置を組み替える最中だった。早くしないと嵐の強風に煽られて正確な陣が組めなくなってしまうので、水夫たちも必死である。
風雨の中、旗艦バリドゥスは魔法の光を利用した発光信号で各艦に細かな指示を送り、陣を発動するタイミングを探っていた。波に揺られながら上空の鳥の目より艦隊配置を確かめ、彼は合図を出した。
一瞬艦隊を繋ぐ魔導の鎖が五芒星の形に光ると同時に、艦隊の周りに流れる風は外の暴風ではなく、航行に差し障ることのない穏やかな風となっていた。
「…やれやれ、成功したか」
額の汗をぬぐいながら、長テーブルの前で水晶玉の相手をしていたタビラスは椅子の背もたれに深く寄りかかった。揺れもようやく落ち着いた室内で、作戦の主役、騎馬隊の隊長が窓から外の様子を眺めていた。
「あとは我々にお任せを、提督」
数センチほどの口ひげを生やし、黒色の軍服に身を包んだ隊長エメン・イクローディは向き直って言った。今は首都ジェルークスで警備隊を率いる彼だが、つい先日までは国の北辺で諸国に睨みをきかせ、北部国境防衛統括を任されているツィッカ・ネイラル次級将軍が最も頼りにしていた歴戦の騎士である。
「敵の守りが堅いようなら無理せず戻っていいからね」
「な~にを仰いますか、提督殿!」
隊長はひげをブルンブルン震わせながらタビラスに詰め寄った。
「都の警備隊長なんて、まあ確かに栄転なんでしょうが、私にとってはつまらん仕事ですよ。やはり馬で駆け抜け、騎射し、槍で刺す、それが騎士の本分というものです!今回呼んで頂いて、私は本当に感謝しているんですよ。なのにそんな、敵が怖かったら逃げ帰ってこいと言われたも同然、承服できませんな!」
顔を真っ赤にして熱く訴える隊長に、タビラスは掌を相手に向けて笑った。
「フッフッフッ、ま…落ち着きなさいよ。言い方が悪かった。犬死するのは許さんぞ、これでいいかね?」
隊長は一つ深く息を吐き心を落ち着かせると、自信に満ちた顔で言った。
「提督はごゆるりと船内でお待ちを。酒瓶を一、二本空ける頃には戦勝報告を持参してご覧に入れます」
「うむ、楽しみにしている」
何を思ったかタビラスはすっくと立ち上がった。そして部屋の隅にある棚に向かって歩き出し、数歩の後、立ち止まるとニヤリと笑った。
「…じゃ、とりあえず景気付けに一杯いこうか」
「はっ、お付き合いします!」
タビラスは頷き、棚に置いてあった従兵を呼び出す鈴をチリン、と鳴らした。
あくる日の夜中、と言うにはまだ少し早い時間帯。折からの強風と雨で、首都沿いを流れる大河の河口付近では人っ子一人見かけることはなかった。漁船も港に固く繋がれていた。沿岸の防衛隊も皆、屯所にこもっていた。まさかこんな日に敵が来るとは予想だにしていなかったのだろう。
タビラスはもう少し遅い時間帯に突入したかった。皆が寝静まる夜半過ぎならば最上だった。しかし天候に詳しい士官、魔道師と彼が話し合った結果、それまで待っていては風雨が止み、雲の切れ間から月が出るかもしれない、という予測が出た。起きている人間が多いリスクと、風雨が止み月の光で騎馬の突進を掻き消せなくなるリスクを頭の中で勘案し、彼は前者を選んだ。
河口付近にゆっくりと大輸送隊の黒い影が近づき、幾艘もの艀が降りた。彼らは迅速に兵馬を渡し始めた。騎兵は辺りに民家の灯りもなく、人影もないのを確認すると河口の草原に整然と列を作った。
「鎧は要らん!帷子の上に黒い戦袍を羽織れ!馬鎧も要らん!馬の足が第一だ!」
イクローディ隊長が指示し、兵は慌しく軽装で外へ出て行く。
「結局、今使える馬は千騎ほどだが、いけるかな?もう少し与えてやりたかったが…体調を崩す馬が多かったな」
いつの間にか背後から現れたタビラスが隊長に問うた。
「千あれば十二分にございます!」
「頼むぞ」
「お任せを!」
隊長も自ら黒い兜と戦袍をまとい、岸へ降り立った。艀を下り、自らも騎乗した。冷たい雨で士気が落ちてしまってはいないか、船旅で体調を崩してはいないか、隊員の顔触れを見渡し、確認する。その時。
「ヒィッ!…」
地元の漁師が一人、草むらの陰に尻もちをついていた。彼は風が心配で漁船の様子を見に、嵐の中川岸までやってきたのだった。慌てて口をふさいだが、その声はすでに聞かれてしまっていた。
彼は走って逃げ出そうとしたが、次の瞬間、数十本の矢が彼の背中に襲いかかった。彼はそのまま絶命した。
「他に人は…いないな」
河口から王城までは5、6キロ程度のわずかな距離しかなかった。馬で駆ければ十五分か二十分か、その程度の時間だろう。今気付かれてなければ、途中の住人に気付かれても連絡するより早く着けるはずだ、と隊長は心の中で確認した。
「魔道隊、雨だが爆衝魔法は大丈夫か」
騎兵に混ざる魔道師のリーダーは顔を伝う雫をぬぐい答えた。
「御心配なく…門に直接陣を張って起動する時間を稼いで頂ければ、失敗は致しませぬ」
爆衝魔法というのは、文字通り爆発を起こして衝撃を与える魔法である。遠くに爆発を起こす魔法は大掛かりになるため、今回は携帯できない。直接物に描いて発動させる必要があるのだが、雨のため、今回は防水処理を施した羊皮紙を門に張ることで代用とした。
「行くぞぅっ!」
隊長の掛け声と同時に、千騎の奇襲隊は泥を跳ね散らし駆け始めた。船を下りたタビラスは飛び散る飛沫が収まるまで彼らを見送った後、退路を確保するように残りの兵士に指示を出した。
城下まで続く海岸沿いの道を、騎馬隊はできる限りの速度で駆け抜けた。激しい風雨に蹄の音はかき消され、雨戸を閉めた家の中から外を覗く住民は誰もいなかった。彼らの目論見通りだった。
ただ一つだけ彼らの誤算があった。道から少し離れた木陰で、補修の終わっていない用水路に風雨に耐えるための応急処置を施すため、自衛隊員の数人が残って作業していたのだった。
隊員は何事かと騎馬隊を眺めていたが、ライトをそちらの方向へ向けてみたところ、トラックやヘッドライトの光に気付いた隊の一部がこちらに殺気を込めて向かってきたのに気付いた。
「おい、あいつら弓構えてるぞ!?退避!退避!」
隊員達は用具を投げ捨てて慌てて車に乗り込んだ。
「なんだありゃ!敵か!」
「あいつらどっから出てきた!?とにかく連絡しろ!」
トラックは野道を発進、急加速した。トラックの後部に無数の矢が突き刺さったが、幌は思いの他頑丈で、矢が隊員の体まで届くことはなかった。
精強な騎馬であっても、さすがに4WDのトラックと雨中の機動力は比べ物にならなかった。矢も魔法も届かない距離まで離されると騎馬は本隊へと再び合流した。
分隊を率いていた副長が隊長に報告しに近寄ってきた。
「異界の者共を逃がしました!申し訳ございません!」
「よい。奴らは城下とは反対方向に逃げたな。要は事が済むまで連絡させなければよいのだ」
彼らは無線の存在を知らなかった。
タビラスはもう少し遅い時間帯に突入したかった。皆が寝静まる夜半過ぎならば最上だった。しかし天候に詳しい士官、魔道師と彼が話し合った結果、それまで待っていては風雨が止み、雲の切れ間から月が出るかもしれない、という予測が出た。起きている人間が多いリスクと、風雨が止み月の光で騎馬の突進を掻き消せなくなるリスクを頭の中で勘案し、彼は前者を選んだ。
河口付近にゆっくりと大輸送隊の黒い影が近づき、幾艘もの艀が降りた。彼らは迅速に兵馬を渡し始めた。騎兵は辺りに民家の灯りもなく、人影もないのを確認すると河口の草原に整然と列を作った。
「鎧は要らん!帷子の上に黒い戦袍を羽織れ!馬鎧も要らん!馬の足が第一だ!」
イクローディ隊長が指示し、兵は慌しく軽装で外へ出て行く。
「結局、今使える馬は千騎ほどだが、いけるかな?もう少し与えてやりたかったが…体調を崩す馬が多かったな」
いつの間にか背後から現れたタビラスが隊長に問うた。
「千あれば十二分にございます!」
「頼むぞ」
「お任せを!」
隊長も自ら黒い兜と戦袍をまとい、岸へ降り立った。艀を下り、自らも騎乗した。冷たい雨で士気が落ちてしまってはいないか、船旅で体調を崩してはいないか、隊員の顔触れを見渡し、確認する。その時。
「ヒィッ!…」
地元の漁師が一人、草むらの陰に尻もちをついていた。彼は風が心配で漁船の様子を見に、嵐の中川岸までやってきたのだった。慌てて口をふさいだが、その声はすでに聞かれてしまっていた。
彼は走って逃げ出そうとしたが、次の瞬間、数十本の矢が彼の背中に襲いかかった。彼はそのまま絶命した。
「他に人は…いないな」
河口から王城までは5、6キロ程度のわずかな距離しかなかった。馬で駆ければ十五分か二十分か、その程度の時間だろう。今気付かれてなければ、途中の住人に気付かれても連絡するより早く着けるはずだ、と隊長は心の中で確認した。
「魔道隊、雨だが爆衝魔法は大丈夫か」
騎兵に混ざる魔道師のリーダーは顔を伝う雫をぬぐい答えた。
「御心配なく…門に直接陣を張って起動する時間を稼いで頂ければ、失敗は致しませぬ」
爆衝魔法というのは、文字通り爆発を起こして衝撃を与える魔法である。遠くに爆発を起こす魔法は大掛かりになるため、今回は携帯できない。直接物に描いて発動させる必要があるのだが、雨のため、今回は防水処理を施した羊皮紙を門に張ることで代用とした。
「行くぞぅっ!」
隊長の掛け声と同時に、千騎の奇襲隊は泥を跳ね散らし駆け始めた。船を下りたタビラスは飛び散る飛沫が収まるまで彼らを見送った後、退路を確保するように残りの兵士に指示を出した。
城下まで続く海岸沿いの道を、騎馬隊はできる限りの速度で駆け抜けた。激しい風雨に蹄の音はかき消され、雨戸を閉めた家の中から外を覗く住民は誰もいなかった。彼らの目論見通りだった。
ただ一つだけ彼らの誤算があった。道から少し離れた木陰で、補修の終わっていない用水路に風雨に耐えるための応急処置を施すため、自衛隊員の数人が残って作業していたのだった。
隊員は何事かと騎馬隊を眺めていたが、ライトをそちらの方向へ向けてみたところ、トラックやヘッドライトの光に気付いた隊の一部がこちらに殺気を込めて向かってきたのに気付いた。
「おい、あいつら弓構えてるぞ!?退避!退避!」
隊員達は用具を投げ捨てて慌てて車に乗り込んだ。
「なんだありゃ!敵か!」
「あいつらどっから出てきた!?とにかく連絡しろ!」
トラックは野道を発進、急加速した。トラックの後部に無数の矢が突き刺さったが、幌は思いの他頑丈で、矢が隊員の体まで届くことはなかった。
精強な騎馬であっても、さすがに4WDのトラックと雨中の機動力は比べ物にならなかった。矢も魔法も届かない距離まで離されると騎馬は本隊へと再び合流した。
分隊を率いていた副長が隊長に報告しに近寄ってきた。
「異界の者共を逃がしました!申し訳ございません!」
「よい。奴らは城下とは反対方向に逃げたな。要は事が済むまで連絡させなければよいのだ」
彼らは無線の存在を知らなかった。
「敵が侵入だと!?そんなバカな…いや、わかった。すぐに増援を手配する」
逃げ切った隊員からの報告は自衛隊を通じてすぐに近衛隊の元にも入った。城下の自宅で休息していたフワンも先に携帯電話を受け取っていたため、連絡は迅速だった。
フワンは慌てて国王に連絡を入れた。これほど携帯電話がありがたく感じたことはなかった。
「陛下!御無事でしたか!」
「おう、フワン。こんな時間にどうしたのだ?」
携帯電話に出た国王は就寝前の葡萄酒を飲み、ご機嫌であった。
「一刻も早くそこからお逃げ下さい!賊です!城下に侵入しました!」
尋常ではないフワンの声を聞いて国王の酔いも一瞬で醒めた。
「…真の様だな。わかった、地下の隠し通路へ向かう。そちもぬかるでないぞ!」
通話を終え急いで軍装を整えたフワンは妻に、大事が起きた、とだけ伝え、馬に乗り自宅を飛び出した。向かうは城ではなく、近衛本隊が駐屯する場所へのゲートがある街外れである。
「くそっ、油断した…今、城下の兵は百、二百かそこらか…。援軍を引っ張ってくるまで持ちこたえてくれよ…!」
路地を駆け抜ける馬はすぐに漆黒の闇へと消えた。
逃げ切った隊員からの報告は自衛隊を通じてすぐに近衛隊の元にも入った。城下の自宅で休息していたフワンも先に携帯電話を受け取っていたため、連絡は迅速だった。
フワンは慌てて国王に連絡を入れた。これほど携帯電話がありがたく感じたことはなかった。
「陛下!御無事でしたか!」
「おう、フワン。こんな時間にどうしたのだ?」
携帯電話に出た国王は就寝前の葡萄酒を飲み、ご機嫌であった。
「一刻も早くそこからお逃げ下さい!賊です!城下に侵入しました!」
尋常ではないフワンの声を聞いて国王の酔いも一瞬で醒めた。
「…真の様だな。わかった、地下の隠し通路へ向かう。そちもぬかるでないぞ!」
通話を終え急いで軍装を整えたフワンは妻に、大事が起きた、とだけ伝え、馬に乗り自宅を飛び出した。向かうは城ではなく、近衛本隊が駐屯する場所へのゲートがある街外れである。
「くそっ、油断した…今、城下の兵は百、二百かそこらか…。援軍を引っ張ってくるまで持ちこたえてくれよ…!」
路地を駆け抜ける馬はすぐに漆黒の闇へと消えた。
イクローディ率いる奇襲隊は城門の前まで数人の住民とすれ違ったものの、ほとんど抵抗に遭うこともなくたどり着いた。しかし流石に城門の前に千騎もの兵が並べば門の見張りが気付かないわけがなかった。
警報の甲高い笛が大音量で鳴らされ、城兵がぞろぞろと駆けつけ始めた直後だった。
城門に続く跳ね橋の鎖が堀を渡った魔道師の衝撃魔法と兵士の長斧で切られ、ズズン、と地面を振動させて落ちた。
「急げ!人数が揃う前に突破するぞ!」
馬を下りた魔道師が固く閉ざされた城門に賢者の石で装飾された羊皮紙を貼り付け始めた。周りの騎兵は矢などから彼らを防御するため、周りを囲んだ。
リクマイスの城兵は城壁の横と上に張り出た櫓から必死に矢や魔法を放つものの、数で圧倒的に勝る敵兵に集中的に狙い撃ちにされ、数を減らしていった。
「終わりました!引いて下さい!」
魔道師の合図に従って波が引くように騎兵が下がった。魔道師は門の脇で小さな賢者の石のかけらに陣を起動する念を込めた。
陣を描き、魔力を込めるところまでは人の能力の器から解き放たれたものの、最後の起動の念だけは直接込めるか、念を込めた賢者の石を使い起動させねばならないのだ。この世界の魔法の唯一の泣き所である。
城兵の反撃をしのぎ、念を込め終わった賢者の石を魔道師が魔方陣へと投げつけた。
次の瞬間、鉄の門は大音響とともにこじ開けられた。
「ゆけぃッ!王城までは目と鼻の先ぞ!」
爆発の振動も収まらぬうち、号令の下、騎馬隊は再び進撃を開始した。門の後ろで待ち構えていた歩兵をあっという間に蹴散らし、彼らは街中を走り抜けた。門の近くの住人は爆発音で侵攻に気付いたが、何もできず脅えて雨戸の陰から事態を見守るだけだった。
少数ながら立ち向かった勇敢な市民を一蹴し、彼らは王城へとつながる大通りへ出た。
王の居城の前にたどり着いた騎馬隊が見たのは、入り口の鉄柵の前で籠城せんとする城の警備隊の姿だった。
その陰に四、五人の自衛隊員が混ざっていた。借り受けた尖塔の警備についていた隊員だった。小銃の射程に入ったところで牽制に発射した弾はたちまち数十騎をなぎ倒したが、所詮多勢に無勢、千騎の軍団の勢いを止めることはできなかった。
騎馬隊は大通り一杯まで散り、そのままの勢いで弓矢の射程圏内に入った。敵味方ともに一斉に矢が放たれ、雨風激しい漆黒の夜空に矢の雨が舞った。柵を守っていた警備兵も大量に降ってくる矢を盾で防ぎきれず、一人また一人と倒れていった。
「門前の兵を一掃した後、柵をなぎ倒せぃ!」
隊長の号令により、さらに勢いを増した矢の雨で門を守っていた兵士達は守備を諦め、城の入り口まで後退した。弾薬が心許ない自衛隊員も、尖塔に立て篭もり上から騎馬隊を狙撃する策に変更し、門を離れた。
抵抗のなくなった門に護衛を伴った魔道師達が近寄り、衝撃魔法を放とうとした。堅く重い鉄の門は無理でも、柵程度ならば人の魔力の器でも破壊できる。
彼らが念で魔方陣を組み上げ、発動しようとした寸前、魔道師と護衛の体に無数の穴が開き、門前に崩れ落ちた。自衛隊員が尖塔の小窓から門に近づく兵を狙っていたのだ。イクローディは貴重な魔道師が倒され、歯噛みした。
彼は隊を少し下げさせると、数頭の馬から兵を降ろし、柵に向かって突進させた。馬は風雨をかき分け、柵を突き破らんと駆けた。
馬に激突された柵は倒れこそしなかったものの、地面の軌道から外れ大きくゆがんだ。
なおも柵の前で暴れ続ける馬が肉と金属のぶつかる鈍い音をたて続ける中、突然に轟音が周囲の馬もろとも柵を吹き飛ばした。暴れる馬に紛れて魔道師が門の側まで近付いていたのだった。
「よしっ!行くぞっ!王族は殺すな!」
号令の元、再び騎馬隊は城門に殺到した。
警報の甲高い笛が大音量で鳴らされ、城兵がぞろぞろと駆けつけ始めた直後だった。
城門に続く跳ね橋の鎖が堀を渡った魔道師の衝撃魔法と兵士の長斧で切られ、ズズン、と地面を振動させて落ちた。
「急げ!人数が揃う前に突破するぞ!」
馬を下りた魔道師が固く閉ざされた城門に賢者の石で装飾された羊皮紙を貼り付け始めた。周りの騎兵は矢などから彼らを防御するため、周りを囲んだ。
リクマイスの城兵は城壁の横と上に張り出た櫓から必死に矢や魔法を放つものの、数で圧倒的に勝る敵兵に集中的に狙い撃ちにされ、数を減らしていった。
「終わりました!引いて下さい!」
魔道師の合図に従って波が引くように騎兵が下がった。魔道師は門の脇で小さな賢者の石のかけらに陣を起動する念を込めた。
陣を描き、魔力を込めるところまでは人の能力の器から解き放たれたものの、最後の起動の念だけは直接込めるか、念を込めた賢者の石を使い起動させねばならないのだ。この世界の魔法の唯一の泣き所である。
城兵の反撃をしのぎ、念を込め終わった賢者の石を魔道師が魔方陣へと投げつけた。
次の瞬間、鉄の門は大音響とともにこじ開けられた。
「ゆけぃッ!王城までは目と鼻の先ぞ!」
爆発の振動も収まらぬうち、号令の下、騎馬隊は再び進撃を開始した。門の後ろで待ち構えていた歩兵をあっという間に蹴散らし、彼らは街中を走り抜けた。門の近くの住人は爆発音で侵攻に気付いたが、何もできず脅えて雨戸の陰から事態を見守るだけだった。
少数ながら立ち向かった勇敢な市民を一蹴し、彼らは王城へとつながる大通りへ出た。
王の居城の前にたどり着いた騎馬隊が見たのは、入り口の鉄柵の前で籠城せんとする城の警備隊の姿だった。
その陰に四、五人の自衛隊員が混ざっていた。借り受けた尖塔の警備についていた隊員だった。小銃の射程に入ったところで牽制に発射した弾はたちまち数十騎をなぎ倒したが、所詮多勢に無勢、千騎の軍団の勢いを止めることはできなかった。
騎馬隊は大通り一杯まで散り、そのままの勢いで弓矢の射程圏内に入った。敵味方ともに一斉に矢が放たれ、雨風激しい漆黒の夜空に矢の雨が舞った。柵を守っていた警備兵も大量に降ってくる矢を盾で防ぎきれず、一人また一人と倒れていった。
「門前の兵を一掃した後、柵をなぎ倒せぃ!」
隊長の号令により、さらに勢いを増した矢の雨で門を守っていた兵士達は守備を諦め、城の入り口まで後退した。弾薬が心許ない自衛隊員も、尖塔に立て篭もり上から騎馬隊を狙撃する策に変更し、門を離れた。
抵抗のなくなった門に護衛を伴った魔道師達が近寄り、衝撃魔法を放とうとした。堅く重い鉄の門は無理でも、柵程度ならば人の魔力の器でも破壊できる。
彼らが念で魔方陣を組み上げ、発動しようとした寸前、魔道師と護衛の体に無数の穴が開き、門前に崩れ落ちた。自衛隊員が尖塔の小窓から門に近づく兵を狙っていたのだ。イクローディは貴重な魔道師が倒され、歯噛みした。
彼は隊を少し下げさせると、数頭の馬から兵を降ろし、柵に向かって突進させた。馬は風雨をかき分け、柵を突き破らんと駆けた。
馬に激突された柵は倒れこそしなかったものの、地面の軌道から外れ大きくゆがんだ。
なおも柵の前で暴れ続ける馬が肉と金属のぶつかる鈍い音をたて続ける中、突然に轟音が周囲の馬もろとも柵を吹き飛ばした。暴れる馬に紛れて魔道師が門の側まで近付いていたのだった。
「よしっ!行くぞっ!王族は殺すな!」
号令の元、再び騎馬隊は城門に殺到した。
フワンがゲートを抜け、国境付近の国軍駐屯地となっている町に到着するのにかかった時間はほんの二十分程度の時間だった。王都を遠く離れたこの地では嵐の気配など微塵もなく、瞬く星と少し欠けた月が夜空を照らしていた。彼はそのすぐ側に隣接する近衛隊の陣に向かった。
フワンはテントの中で寝ていたラッパ手を叩き起こすや否や、直ちに緊急警報の信号を大音量で吹くように命じた。たちまち近くに借り上げていた民家や小屋、仮設テントなどから何事かと兵士が飛び出てきた。まだ就寝していなかった者が多かったので反応は早かった。
副官がフワンの元へ息を切らして駆け寄ってきた。
「隊長!これはいかがしたことですか!?」
「都が急襲された!至急装備を整えろ!すぐ出るぞ!」
近衛隊長は王宮の中では近衛筆頭補佐官という職名で呼ばれる。国軍は最終的には王が判断するとはいえ、動かすには大臣達の意見を取りまとめる必要があるが、近衛隊は王の私軍的性格を持ち、動かすのにいちいち最高会議に諮る必要がない別組織である。
しかしエリート部隊とはいえ、所詮総数一万程度の軍団の長では、大臣格しか出られない最高会議に出席することはできない。そこで国王が最高会議に近衛隊長を出席させるために用意してあるのが、近衛筆頭補佐官という肩書きなのである。もちろん目的は国軍の牽制だ。形式上、会議内で王に適切な助言を行う役目となっているが、実質は会議の一員であり、大臣と同格の発言権を持っていた。「王の懐刀」と呼ばれる所以である。
馬がいななき、騎馬隊がまずゲートへ向けて駆け出した。その後を銀色の甲冑を着けた歩兵が続々と追っていった。ガシャンガシャンと金属の擦れる音が夜空に響いた。
その慌ただしい様子はすぐに隣の町に陣を布いていた国軍のトップ、護国卿ヴァリアヌス・スピラールへと伝わった。ランプの下、副官とボードゲームに興じていた彼は報告を聞いて、驚くどころかこれ幸いとばかりほくそ笑んだ。
「それで、フワンはどれくらい兵を連れていった?」
「はっ、ここに監察隊として置いていた六千ほぼ全員連れていきました。あとは少数の見張り程度しか残っておりません」
「フーム…フッ…フッフッ、まさに天運、この機会を逃す手はないな」
少し考えた後、内から滲み出るような含み笑いを浮かべ、彼はガタン、と席を立った。
「残りの兵に一服盛るぞ。眠り薬を用意しろ」
「いっ、いいんですか?そんなことをして…近衛隊は王直轄の兵、害を為したら逆賊ですがあっ、イタタタタ」
うろたえた部下の鼻をつまみ上げ、ヴァリアヌスはすごんだ。
「害を為さないために眠り薬を使うんだろうが!ちったあ頭を使え!…そうだな、近衛には内緒の慰労の振舞い酒とでもいって、眠り薬入りの酒をた~っぷり飲ませとけ。酒が飲めない奴には茶でも水でもいい。こちらの兵にはすぐに出発する用意をさせろ。見張りどもが眠りこけたらすぐに発つ」
ヴァリアヌスは敗勢だったボードゲームの駒を手でざらっと払って言った。
「他の地域からゲート越しに兵を集めるのは流石にばれるか…副官!今すぐに動かせる兵はどの程度だ!」
副官はあまり気が進まぬようだったが、ヴァリアヌスには逆らえないのだった。何か苦言を呈しようものなら次の瞬間にクビが待っている。
「ここと近隣の兵四万ほどでしょうか」
「四万か…わかった。ではすぐに手配しろ!全軍出撃する!」
「はっ…委細承知致しました」
ヴァリアヌスは高笑いで従者に具足の準備を命じた。
フワンはテントの中で寝ていたラッパ手を叩き起こすや否や、直ちに緊急警報の信号を大音量で吹くように命じた。たちまち近くに借り上げていた民家や小屋、仮設テントなどから何事かと兵士が飛び出てきた。まだ就寝していなかった者が多かったので反応は早かった。
副官がフワンの元へ息を切らして駆け寄ってきた。
「隊長!これはいかがしたことですか!?」
「都が急襲された!至急装備を整えろ!すぐ出るぞ!」
近衛隊長は王宮の中では近衛筆頭補佐官という職名で呼ばれる。国軍は最終的には王が判断するとはいえ、動かすには大臣達の意見を取りまとめる必要があるが、近衛隊は王の私軍的性格を持ち、動かすのにいちいち最高会議に諮る必要がない別組織である。
しかしエリート部隊とはいえ、所詮総数一万程度の軍団の長では、大臣格しか出られない最高会議に出席することはできない。そこで国王が最高会議に近衛隊長を出席させるために用意してあるのが、近衛筆頭補佐官という肩書きなのである。もちろん目的は国軍の牽制だ。形式上、会議内で王に適切な助言を行う役目となっているが、実質は会議の一員であり、大臣と同格の発言権を持っていた。「王の懐刀」と呼ばれる所以である。
馬がいななき、騎馬隊がまずゲートへ向けて駆け出した。その後を銀色の甲冑を着けた歩兵が続々と追っていった。ガシャンガシャンと金属の擦れる音が夜空に響いた。
その慌ただしい様子はすぐに隣の町に陣を布いていた国軍のトップ、護国卿ヴァリアヌス・スピラールへと伝わった。ランプの下、副官とボードゲームに興じていた彼は報告を聞いて、驚くどころかこれ幸いとばかりほくそ笑んだ。
「それで、フワンはどれくらい兵を連れていった?」
「はっ、ここに監察隊として置いていた六千ほぼ全員連れていきました。あとは少数の見張り程度しか残っておりません」
「フーム…フッ…フッフッ、まさに天運、この機会を逃す手はないな」
少し考えた後、内から滲み出るような含み笑いを浮かべ、彼はガタン、と席を立った。
「残りの兵に一服盛るぞ。眠り薬を用意しろ」
「いっ、いいんですか?そんなことをして…近衛隊は王直轄の兵、害を為したら逆賊ですがあっ、イタタタタ」
うろたえた部下の鼻をつまみ上げ、ヴァリアヌスはすごんだ。
「害を為さないために眠り薬を使うんだろうが!ちったあ頭を使え!…そうだな、近衛には内緒の慰労の振舞い酒とでもいって、眠り薬入りの酒をた~っぷり飲ませとけ。酒が飲めない奴には茶でも水でもいい。こちらの兵にはすぐに出発する用意をさせろ。見張りどもが眠りこけたらすぐに発つ」
ヴァリアヌスは敗勢だったボードゲームの駒を手でざらっと払って言った。
「他の地域からゲート越しに兵を集めるのは流石にばれるか…副官!今すぐに動かせる兵はどの程度だ!」
副官はあまり気が進まぬようだったが、ヴァリアヌスには逆らえないのだった。何か苦言を呈しようものなら次の瞬間にクビが待っている。
「ここと近隣の兵四万ほどでしょうか」
「四万か…わかった。ではすぐに手配しろ!全軍出撃する!」
「はっ…委細承知致しました」
ヴァリアヌスは高笑いで従者に具足の準備を命じた。
リクマイス王宮内では凄惨な光景が繰り広げられていた。城の入り口を守っていた城兵はあっけなく騎馬隊に蹴散らされ、城内に侵入を許した。城の雑用をこなす者達が次々と槍に突かれ、馬に蹴られ命を落とした。
「王族の居室はどこだ!」
イクローディはじめ、奇襲隊の先鋒は必死に国王の姿を探し、大理石の廊下を走った。
外では散り散りにされた城兵が一人一人と倒れていく中、尖塔に立て篭もった見張りの自衛隊員が必死に応戦していた。入り口の陰、上空の小窓から塔に近付く者を次々に撃ち抜かれるため、騎馬隊も容易に接近することができないでいた。
時折遠くから魔道師が衝撃魔法を撃ち込むものの、狙撃されないように距離を取っているせいで塔を破壊したり、隊員を殺傷するような威力はなかった。彼らにしてみても、イクローディから無理して攻め込まず塔から隊員を外に出すな、と言う命令を受けていたので強引に突っ込んでくる者はいなかった。
国王は街郊外に通じる隠し通路で立ち止まり、近衛隊の応援が来るのを待っていた。数人の付き人が、粗末な石造りの真っ暗な通路の中、追っ手が迫っていないか後ろを窺った。
寝巻きのままの国王は呟いた。
「王子は無事だろうか…」
「皇太子様は別の通路からすでに城外へ抜けておられます。御安心下さい」
首都の王城に住まう王族は早くに妃を亡くした国王と皇太子家族だけだった。他の王子は地方の別邸に住み、王女達は皆貴族の嫁に出されていた。付き人の答えに頷いたものの、王はため息をついて可愛がっていた子と孫のことを考え、虚空を見上げた。
一方、奇襲隊はいつまでたっても王族が見つからないので焦り始めた。使用人などをしぼり上げ王の行く先を吐かそうとしたが、隠し通路を知る者は城の中でもごく一部しかいなかった。イクローディは隠し通路があるに違いないと踏んで、必死に捜索させたが、すでに敗北の時間はそこまで迫っていた。
いよいよ弾薬が底を付き始めた自衛隊員は遠くから近付いてきたディーゼルエンジンの音を聞いて、渾身のガッツポーズをきめた。
自衛隊の装輪装甲車と後に続く兵員輸送車が猛スピードで王宮へと続く道を走ってきた。王宮の入り口で増援を警戒していた騎馬隊が突進を食い止めようと矢を放ったが、全くの無駄だった。装甲車の放つ12.7ミリ弾は馬と人を吹き散らした。
数台の装甲車は柵を超えて城の入り口にピタリと寄せ、中から飛び出してきた隊員が素早く配置について装甲車の重機関銃とともに射撃を始めた。騎馬隊は大混乱に陥り、散り散りに逃げ始めた。しかし後からさらにやってきた装甲車、展開した隊員によって、逃げ出した騎馬隊もほとんどが討たれた。
瞬く間に城の前で警戒していた騎馬隊は倒され、自衛隊員は城内に侵入した敵兵を掃討するために、小銃を構え突入した。
「…隊長!我が隊はほぼ全滅です…!異界の軍です!」
「何だと!来るのが早過ぎる!」
命からがら銃撃を免れた騎馬隊の一人が城内の一室で尋問を行っていたイクローディに告げた。
「隊長、早く脱出を!」
「くぅ~、あと一歩のところで!」
尋問中の使用人から城の勝手口を聞き出すと、隊長他数人は全力で駆けた。散発的に銃声が聞こえ、次々と自衛隊員に倒されている兵士に彼らは心の中で謝罪しながら走った。
勝手口を抜け、貨物搬入用の小さな通用門を抜けて脱出しようとした彼らだったが、そこもすでに自衛隊員に固められていた。
「ここまでか!」
腰の剣で斬り抜けようとしたイクローディ達だったが、剣が隊員に届く前にあっけなく蜂の巣にされた。
「て…提督……申し訳…あり…ません……早く…退…却を……」
薄れ行く意識の中で最後に呟いたのはタビラスへの謝罪の言葉だった。
「王族の居室はどこだ!」
イクローディはじめ、奇襲隊の先鋒は必死に国王の姿を探し、大理石の廊下を走った。
外では散り散りにされた城兵が一人一人と倒れていく中、尖塔に立て篭もった見張りの自衛隊員が必死に応戦していた。入り口の陰、上空の小窓から塔に近付く者を次々に撃ち抜かれるため、騎馬隊も容易に接近することができないでいた。
時折遠くから魔道師が衝撃魔法を撃ち込むものの、狙撃されないように距離を取っているせいで塔を破壊したり、隊員を殺傷するような威力はなかった。彼らにしてみても、イクローディから無理して攻め込まず塔から隊員を外に出すな、と言う命令を受けていたので強引に突っ込んでくる者はいなかった。
国王は街郊外に通じる隠し通路で立ち止まり、近衛隊の応援が来るのを待っていた。数人の付き人が、粗末な石造りの真っ暗な通路の中、追っ手が迫っていないか後ろを窺った。
寝巻きのままの国王は呟いた。
「王子は無事だろうか…」
「皇太子様は別の通路からすでに城外へ抜けておられます。御安心下さい」
首都の王城に住まう王族は早くに妃を亡くした国王と皇太子家族だけだった。他の王子は地方の別邸に住み、王女達は皆貴族の嫁に出されていた。付き人の答えに頷いたものの、王はため息をついて可愛がっていた子と孫のことを考え、虚空を見上げた。
一方、奇襲隊はいつまでたっても王族が見つからないので焦り始めた。使用人などをしぼり上げ王の行く先を吐かそうとしたが、隠し通路を知る者は城の中でもごく一部しかいなかった。イクローディは隠し通路があるに違いないと踏んで、必死に捜索させたが、すでに敗北の時間はそこまで迫っていた。
いよいよ弾薬が底を付き始めた自衛隊員は遠くから近付いてきたディーゼルエンジンの音を聞いて、渾身のガッツポーズをきめた。
自衛隊の装輪装甲車と後に続く兵員輸送車が猛スピードで王宮へと続く道を走ってきた。王宮の入り口で増援を警戒していた騎馬隊が突進を食い止めようと矢を放ったが、全くの無駄だった。装甲車の放つ12.7ミリ弾は馬と人を吹き散らした。
数台の装甲車は柵を超えて城の入り口にピタリと寄せ、中から飛び出してきた隊員が素早く配置について装甲車の重機関銃とともに射撃を始めた。騎馬隊は大混乱に陥り、散り散りに逃げ始めた。しかし後からさらにやってきた装甲車、展開した隊員によって、逃げ出した騎馬隊もほとんどが討たれた。
瞬く間に城の前で警戒していた騎馬隊は倒され、自衛隊員は城内に侵入した敵兵を掃討するために、小銃を構え突入した。
「…隊長!我が隊はほぼ全滅です…!異界の軍です!」
「何だと!来るのが早過ぎる!」
命からがら銃撃を免れた騎馬隊の一人が城内の一室で尋問を行っていたイクローディに告げた。
「隊長、早く脱出を!」
「くぅ~、あと一歩のところで!」
尋問中の使用人から城の勝手口を聞き出すと、隊長他数人は全力で駆けた。散発的に銃声が聞こえ、次々と自衛隊員に倒されている兵士に彼らは心の中で謝罪しながら走った。
勝手口を抜け、貨物搬入用の小さな通用門を抜けて脱出しようとした彼らだったが、そこもすでに自衛隊員に固められていた。
「ここまでか!」
腰の剣で斬り抜けようとしたイクローディ達だったが、剣が隊員に届く前にあっけなく蜂の巣にされた。
「て…提督……申し訳…あり…ません……早く…退…却を……」
薄れ行く意識の中で最後に呟いたのはタビラスへの謝罪の言葉だった。
「イクローディ隊長戦死!」
急速に増えていく戦死報告を聞き、河口沖に浮かぶ輸送船団ではタビラス他首脳陣の面々の顔にも落胆の色が色濃く映りだしていた。
「…危なくなったら戻れとあれほど言っておいたのになぁ…」
ぼそりと呟いたタビラスの前で、戦死報告をした魔道師がイクローディの髪の毛を選り分け、遺品に入れるよう使いの者に手渡した。
呪殺の手法を応用した生死確認術が開発されると、各国の軍はこぞって導入した。魔道師の念が対象の体に届かなくなれば死、原理は至って単純である。しかし全ての兵士を管理するのは手間がかかりすぎるので、小隊長以上の者に術を施していた。それでも相当な人数を管理しなければならない。魔道師も十数人がかりの仕事になった。
重く沈んだ司令室に伝令の声が走った。
「提督!異界軍の増援がこちらに迫っております!今すぐ退却下さい!」
「バカを言うな。生き残りの兵を収容するまで退けるか。岸で応戦せい」
一蹴するタビラスだったが、騎馬隊から漏れた陸軍の将校の一人は砲弾の恐ろしさを知っていた。彼は真っ青な顔でタビラスにわめいた。
「奴らの飛び道具は目に見えないような遠くから、そこに見えているかのように当ててくる、あまりにも恐ろしい兵器です!早く、早く退却を!奴らの射程に入ったらこの船などひとたまりもありません!」
気が違ったようにまくし立てる将校を見て、タビラスもただ事ではないと感じたが、まだ陸地にいる兵士を見捨てて逃げようとは思えないのだった。
「まだ陸《おか》にいる兵はどうする。置き去りにしてはいずれ軍がバラバラになろう」
まだ撤退を渋るタビラスに副官が目を吊り上げて意見した。
「そうは言っても全滅する訳には参りません!総司令殿には必ず帰って頂かねば!」
沈黙した室内にビシビシと叩きつける雨の音が響いた。
「……誰か残って残存兵を収容する勇気のある者はいるか!?いなければ私がやる」
苦渋に満ちた声でタビラスが言った一瞬の後、
「是非私にお任せ下さい!」
「私が!」
「いや、私が残ります!」
と、タビラスには任せられないとばかりに、次から次に側近、参謀の声が上がった。
タビラスが困惑しているうちに彼らは勝手にくじ引きを始めた。当たりを引き当てた一人の参謀はまるで大金を当てたかのようにガッツポーズをした。
「では提督は即座に退却を!後始末は私めに」
勝ち誇ったような顔の参謀にタビラスは不機嫌極まりない顔で言った。
「…必ず帰ってこい」
「はっ」
参謀は一足先に旗艦司令室の入り口へ走った。そして振り向き、直立不動のまま敬礼して言った。
「提督!今までありがとうございました!」
参謀は面々の顔を見ないで立ち去り、早足で歩きながら側にいた連絡官に命じた。
「命知らずの阿呆どもは第六艦に集結だ!と各艦に信号を送れ。すぐにだ。第六艦の乗員は退艦させろ、いいな!」
第六艦が海上魔方陣から切り離され、船団が沖合いへ消えていく頃、自衛隊の戦闘車両も河口に到着した。小舟を出しても艦に帰れるとは思われないので、第六艦は暴風雨の波間に揺れながら、兵士が艦に泳ぎ着くのを待つしかなかった。
急速に増えていく戦死報告を聞き、河口沖に浮かぶ輸送船団ではタビラス他首脳陣の面々の顔にも落胆の色が色濃く映りだしていた。
「…危なくなったら戻れとあれほど言っておいたのになぁ…」
ぼそりと呟いたタビラスの前で、戦死報告をした魔道師がイクローディの髪の毛を選り分け、遺品に入れるよう使いの者に手渡した。
呪殺の手法を応用した生死確認術が開発されると、各国の軍はこぞって導入した。魔道師の念が対象の体に届かなくなれば死、原理は至って単純である。しかし全ての兵士を管理するのは手間がかかりすぎるので、小隊長以上の者に術を施していた。それでも相当な人数を管理しなければならない。魔道師も十数人がかりの仕事になった。
重く沈んだ司令室に伝令の声が走った。
「提督!異界軍の増援がこちらに迫っております!今すぐ退却下さい!」
「バカを言うな。生き残りの兵を収容するまで退けるか。岸で応戦せい」
一蹴するタビラスだったが、騎馬隊から漏れた陸軍の将校の一人は砲弾の恐ろしさを知っていた。彼は真っ青な顔でタビラスにわめいた。
「奴らの飛び道具は目に見えないような遠くから、そこに見えているかのように当ててくる、あまりにも恐ろしい兵器です!早く、早く退却を!奴らの射程に入ったらこの船などひとたまりもありません!」
気が違ったようにまくし立てる将校を見て、タビラスもただ事ではないと感じたが、まだ陸地にいる兵士を見捨てて逃げようとは思えないのだった。
「まだ陸《おか》にいる兵はどうする。置き去りにしてはいずれ軍がバラバラになろう」
まだ撤退を渋るタビラスに副官が目を吊り上げて意見した。
「そうは言っても全滅する訳には参りません!総司令殿には必ず帰って頂かねば!」
沈黙した室内にビシビシと叩きつける雨の音が響いた。
「……誰か残って残存兵を収容する勇気のある者はいるか!?いなければ私がやる」
苦渋に満ちた声でタビラスが言った一瞬の後、
「是非私にお任せ下さい!」
「私が!」
「いや、私が残ります!」
と、タビラスには任せられないとばかりに、次から次に側近、参謀の声が上がった。
タビラスが困惑しているうちに彼らは勝手にくじ引きを始めた。当たりを引き当てた一人の参謀はまるで大金を当てたかのようにガッツポーズをした。
「では提督は即座に退却を!後始末は私めに」
勝ち誇ったような顔の参謀にタビラスは不機嫌極まりない顔で言った。
「…必ず帰ってこい」
「はっ」
参謀は一足先に旗艦司令室の入り口へ走った。そして振り向き、直立不動のまま敬礼して言った。
「提督!今までありがとうございました!」
参謀は面々の顔を見ないで立ち去り、早足で歩きながら側にいた連絡官に命じた。
「命知らずの阿呆どもは第六艦に集結だ!と各艦に信号を送れ。すぐにだ。第六艦の乗員は退艦させろ、いいな!」
第六艦が海上魔方陣から切り離され、船団が沖合いへ消えていく頃、自衛隊の戦闘車両も河口に到着した。小舟を出しても艦に帰れるとは思われないので、第六艦は暴風雨の波間に揺れながら、兵士が艦に泳ぎ着くのを待つしかなかった。
「奇襲!?こりゃまたやってくれたねえ!」
深夜、ボレアリアとの時差は一時間ほどの東京、首相官邸。ベッドの側でYシャツ姿の首相はこれから寝ようかという態勢だったが、その報告は彼の眠気も吹き飛ばした。
「それで、結局沖に逃げられたと。ナメた事してくれたもんだ」
苦笑いしながら、首相は右手で携帯電話を耳に当てたまま左手でペットボトルの茶飲料を口にした。喉を潤してから彼は連絡をよこした自衛官に聞いた。
「それでお城の守備に参加した隊員は大丈夫だったの?」
「はい、軽傷が二名とのことです。いずれも命に別状はないそうです」
「それならまあ、一安心か……」
人的被害がほとんどなく収まったことで、首相はとりあえず安堵した。
「しかしこのまま逃がすのも癪だね。護衛艦出せる?DDか、DEでもいいから。どうせ相手は木造帆船でしょ」
首相その他は沿岸防衛くらいは自力でできるか、とあえて海自を計画に参加させなかった。規模を大きくすればそれだけ露見する可能性が上がるからである。しかし少し見通しが甘かったな、と首相は心の中で反省した。
「護衛艦ですか?今から話を通すとなると、ちょっと調整に時間がかかりますね…F2を出すならすぐですが」
「うーん、できれば指揮官クラスをさ、生きたまま捕まえたいんだよね。いろいろ聞ける話もあるだろうし」
「了解しました。手配します」
電話を切ると、ベッド際で立って話をしていた首相は携帯電話を布団の隅に放り投げた。そして大きなあくびをし、そのまま後ろ向きで布団に倒れ込んだ。しばらく柔らかい布団で興奮を落ち着けた彼は、むくりと上半身を起こした。
「今日は徹夜か…」
愚痴を言いながら彼は防衛相を呼び出すべく、再び携帯電話を手にした。
深夜、ボレアリアとの時差は一時間ほどの東京、首相官邸。ベッドの側でYシャツ姿の首相はこれから寝ようかという態勢だったが、その報告は彼の眠気も吹き飛ばした。
「それで、結局沖に逃げられたと。ナメた事してくれたもんだ」
苦笑いしながら、首相は右手で携帯電話を耳に当てたまま左手でペットボトルの茶飲料を口にした。喉を潤してから彼は連絡をよこした自衛官に聞いた。
「それでお城の守備に参加した隊員は大丈夫だったの?」
「はい、軽傷が二名とのことです。いずれも命に別状はないそうです」
「それならまあ、一安心か……」
人的被害がほとんどなく収まったことで、首相はとりあえず安堵した。
「しかしこのまま逃がすのも癪だね。護衛艦出せる?DDか、DEでもいいから。どうせ相手は木造帆船でしょ」
首相その他は沿岸防衛くらいは自力でできるか、とあえて海自を計画に参加させなかった。規模を大きくすればそれだけ露見する可能性が上がるからである。しかし少し見通しが甘かったな、と首相は心の中で反省した。
「護衛艦ですか?今から話を通すとなると、ちょっと調整に時間がかかりますね…F2を出すならすぐですが」
「うーん、できれば指揮官クラスをさ、生きたまま捕まえたいんだよね。いろいろ聞ける話もあるだろうし」
「了解しました。手配します」
電話を切ると、ベッド際で立って話をしていた首相は携帯電話を布団の隅に放り投げた。そして大きなあくびをし、そのまま後ろ向きで布団に倒れ込んだ。しばらく柔らかい布団で興奮を落ち着けた彼は、むくりと上半身を起こした。
「今日は徹夜か…」
愚痴を言いながら彼は防衛相を呼び出すべく、再び携帯電話を手にした。
逃げ出した艦隊は南へ走った。すでに嵐は陸の方に抜け、海は穏やかさを取り戻していた。嵐を防ぐ必要が無くなった後は魔方陣を駆使し、追い風を作りできる限り速度を出すべく工夫を凝らした。
艦隊の行く手の先、水平線の彼方に白い光が姿を現した。かすかに汽笛の音も聞こえてきた。艦隊の面々はもはやこれまで、と覚悟を決めた。
遠くの軍艦から送られてきた発光信号はフォリシアのものだった。艦隊を迎えにきたとの信号を見て、艦隊首脳部は罠ではないかと訝ったが、もはや為す術もない。艦の速度が違いすぎるのだ。
近付いてきた軍艦を見てタビラス達はもう駄目か、と覚悟した。その姿はまさしく異界の軍艦以外の何者でもなかった。鉄の巨大な船体に船首砲、レーダー、ガトリング砲…。彼らが始めて見る兵器や装備ばかりだった。
しかし甲板の船員がはっきりと見える距離になっても、一切その艦は攻撃を仕掛けてこなかった。
彼らは魔法の光でその軍艦の姿を照らし出した。すると艦の縁に確かに見覚えのある顔の人間がこちらに手を振っているのだった。黒い軍帽をかぶり、鼻の横の大きなほくろが目立つ男だった。
「コフか!」
本国で留守を任せたはずの部下の一人、中央作戦本部の一員メリド・コフが、何故か異界の軍艦に乗ってこちらに手を振っていた。タビラスの頭の片隅には、すでに本国が陥ちたか、と最悪の予想がよぎった。
ボートに乗って移乗してきたのは、コフと異界の軍服を着た白人だった。コフはタビラスが出航した後にロシアとの交渉がまとまり、協力してくれることになったことを説明した。
「退却が困難を極めるだろうと思いまして、僭越ながらお迎えにあがりました…本国を離れたことはご容赦を。肝心の提督に信用されぬのでは困りますので」
「…うむ。まさか我々も異界の力を借りることになるとは…わからんものだな…」
船用のゲートを作るのに手間取り、海自のDD護衛艦がゲートを抜けて異世界に姿を現したのは東の空が白み始めてきた頃だった。
艦隊に追いついた護衛艦が見たのは、艦隊に随伴して航行するロシア駆逐艦の姿だった。
「遅かったか!」
護衛艦の艦長小林は艦橋から自らの目でその姿を直接確認すると、渋い顔で腕を組んだ。
「艦長、予定通り帆船の拿捕に向かいますか?」
「………距離を保って待機だ。官邸に連絡を」
先に発進していた偵察機によってロシアの船が近付いていたことは知らされていたが、予定では合流される前に艦隊に追いつけるはずだった。しかし、船が通れるほどの巨大なゲートを構築するのは予想以上に難しく時間がかかった。少なくとも深夜に命じられて、一時間や二時間でできるものではなかった。明け方までに完成したのはむしろ驚くべき早さであるのだが、二者が出会うのを許してしまっては意味がない。
首相官邸にはすぐに連絡が入った。うっすらと目の下にくまができてきた首相は、防衛相と顔を見合わせた。
「やれ、と言うのは簡単だけど…現代艦船の激突となるとこっちが沈む可能性もあるよねえ」
「今からF2出して対艦ミサイル…としても、こっちが敵を拿捕している間に向こうも攻撃機出してくるだろうし…海には対ゲート結界を作る場所がないですからね」
「護衛艦も余ってる訳じゃないし…沈んだらロシアはともかく、こちらはごまかしがきかんだろうな…」
「…帰しますか」
「逃げるようでほんとに癪だが…仕方ないな」
官邸の方針が護衛艦に伝えられた。帰還せよ、との指令だった。艦長はほっとしたような残念なような顔で、帰還すると船員に告げた。
昼過ぎ、河口沖に残った第六艦は海自の熱心な説得により投降した。
艦隊の行く手の先、水平線の彼方に白い光が姿を現した。かすかに汽笛の音も聞こえてきた。艦隊の面々はもはやこれまで、と覚悟を決めた。
遠くの軍艦から送られてきた発光信号はフォリシアのものだった。艦隊を迎えにきたとの信号を見て、艦隊首脳部は罠ではないかと訝ったが、もはや為す術もない。艦の速度が違いすぎるのだ。
近付いてきた軍艦を見てタビラス達はもう駄目か、と覚悟した。その姿はまさしく異界の軍艦以外の何者でもなかった。鉄の巨大な船体に船首砲、レーダー、ガトリング砲…。彼らが始めて見る兵器や装備ばかりだった。
しかし甲板の船員がはっきりと見える距離になっても、一切その艦は攻撃を仕掛けてこなかった。
彼らは魔法の光でその軍艦の姿を照らし出した。すると艦の縁に確かに見覚えのある顔の人間がこちらに手を振っているのだった。黒い軍帽をかぶり、鼻の横の大きなほくろが目立つ男だった。
「コフか!」
本国で留守を任せたはずの部下の一人、中央作戦本部の一員メリド・コフが、何故か異界の軍艦に乗ってこちらに手を振っていた。タビラスの頭の片隅には、すでに本国が陥ちたか、と最悪の予想がよぎった。
ボートに乗って移乗してきたのは、コフと異界の軍服を着た白人だった。コフはタビラスが出航した後にロシアとの交渉がまとまり、協力してくれることになったことを説明した。
「退却が困難を極めるだろうと思いまして、僭越ながらお迎えにあがりました…本国を離れたことはご容赦を。肝心の提督に信用されぬのでは困りますので」
「…うむ。まさか我々も異界の力を借りることになるとは…わからんものだな…」
船用のゲートを作るのに手間取り、海自のDD護衛艦がゲートを抜けて異世界に姿を現したのは東の空が白み始めてきた頃だった。
艦隊に追いついた護衛艦が見たのは、艦隊に随伴して航行するロシア駆逐艦の姿だった。
「遅かったか!」
護衛艦の艦長小林は艦橋から自らの目でその姿を直接確認すると、渋い顔で腕を組んだ。
「艦長、予定通り帆船の拿捕に向かいますか?」
「………距離を保って待機だ。官邸に連絡を」
先に発進していた偵察機によってロシアの船が近付いていたことは知らされていたが、予定では合流される前に艦隊に追いつけるはずだった。しかし、船が通れるほどの巨大なゲートを構築するのは予想以上に難しく時間がかかった。少なくとも深夜に命じられて、一時間や二時間でできるものではなかった。明け方までに完成したのはむしろ驚くべき早さであるのだが、二者が出会うのを許してしまっては意味がない。
首相官邸にはすぐに連絡が入った。うっすらと目の下にくまができてきた首相は、防衛相と顔を見合わせた。
「やれ、と言うのは簡単だけど…現代艦船の激突となるとこっちが沈む可能性もあるよねえ」
「今からF2出して対艦ミサイル…としても、こっちが敵を拿捕している間に向こうも攻撃機出してくるだろうし…海には対ゲート結界を作る場所がないですからね」
「護衛艦も余ってる訳じゃないし…沈んだらロシアはともかく、こちらはごまかしがきかんだろうな…」
「…帰しますか」
「逃げるようでほんとに癪だが…仕方ないな」
官邸の方針が護衛艦に伝えられた。帰還せよ、との指令だった。艦長はほっとしたような残念なような顔で、帰還すると船員に告げた。
昼過ぎ、河口沖に残った第六艦は海自の熱心な説得により投降した。
首都リクマイスでは奇襲の後始末におおわらわであった。国王は無事に脱出できた皇太子との再会を喜んだ後、死亡した使用人達のために家族で祈った。生き残った側近は通夜や見舞金の手配に駆け回った。
一方、敵にここまで侵入を許した近衛隊の威信低下は必至だった。大きな仕事はあらかた自衛隊が終わらせてしまい、遅れて到着した近衛隊は逃げ出した騎馬隊の残党を捕縛する程度しかやることが残っていなかったのだ。フワンは大臣達の突き上げもあり、当面首都に近衛隊の主力を置くことに決めた。
国王はあの奇襲を予測するのは難しいと言って、フワンを戒告だけの処分に留めた。他の大臣達も、他に適任者がいる訳でもないので異を唱えるものはいなかった。
今後の対応について話し合いに明け暮れたその日の夕方だった。城内の近衛隊詰め所に国境のあの町で見張りをしているはずの兵士が、青い顔で顔を出した。
「何が起こった?」
疲れた顔で問うフワンに、兵士は眠り薬入りの酒で眠らされた隙に護国卿率いる軍が進軍を開始したことを白状した。
額に青筋を立てたフワンは手の骨が心配になるほどの勢いで壁を殴りつけた。
「あのクソバカが!」
一方、敵にここまで侵入を許した近衛隊の威信低下は必至だった。大きな仕事はあらかた自衛隊が終わらせてしまい、遅れて到着した近衛隊は逃げ出した騎馬隊の残党を捕縛する程度しかやることが残っていなかったのだ。フワンは大臣達の突き上げもあり、当面首都に近衛隊の主力を置くことに決めた。
国王はあの奇襲を予測するのは難しいと言って、フワンを戒告だけの処分に留めた。他の大臣達も、他に適任者がいる訳でもないので異を唱えるものはいなかった。
今後の対応について話し合いに明け暮れたその日の夕方だった。城内の近衛隊詰め所に国境のあの町で見張りをしているはずの兵士が、青い顔で顔を出した。
「何が起こった?」
疲れた顔で問うフワンに、兵士は眠り薬入りの酒で眠らされた隙に護国卿率いる軍が進軍を開始したことを白状した。
額に青筋を立てたフワンは手の骨が心配になるほどの勢いで壁を殴りつけた。
「あのクソバカが!」