第9話
イルフェス王国の首都シュフから西に100km程の場所にあるキュイズリーベル。
元々小さな村であったが、今、この場所には皇国軍が建設した捕虜収容所がある。
収容所といっても、将校用の木造棟を別として、平地を鉄条網で囲っただけの簡素なものだ。
皇国軍が得たライランス軍捕虜の数は将兵合わせて約6万。
膨大な数である。西大陸に派遣された皇国軍の数の倍以上だ。
それだけの数を収容するため、司令部のあるシュフやその近隣の地域では
物理的にも安全面からも土地が確保できず、キュイズリーベルの土地を借り受けて建設された。
皇国本国でも、これだけの捕虜の獲得は割に合うのかという議論が出ている。
捕虜返還の際に支払われる身代金と、捕虜収容所の維持費が釣り合うかという話だ。
収容所の土地代、建設代、捕虜の衣糧費はタダではない。全てイルフェス王国へ支払われている。
上級将校であれば身代金も当てに出来るが、捕虜の大半である下士官、兵の身代金に過度な期待は出来ない。
曹長でも、1人あたり100円も出れば上々ではないだろうかという程度だ。兵卒であれば1人あたり10~30円。
将兵の身代金1人あたり平均50円として、6万人とすると300万円。確かにそれなりの額にはなる。
しかし、皮算用だとしてもたった300万円とも言える。
百式小銃1万5000丁分程度だと考えれば、「たったそれだけか」とも思ってしまうだろう。
特に食糧に関して、皇国はイルフェス王国から大量の買い付けを行ったばかりで、
いかな大国イルフェスであろうと、これ以上の売却は不可だと打診している。
皇国議会では、自国民ですら飢餓の危機にあるというのに、他国の敗残兵に施しをしてやる余裕など無いという声も大きい。
何しろ、今度の戦いは食糧を得るために始めたものだ。皇国の戦略目的は食糧確保である。
なのに、それで得た食糧を捕虜のために消費してしまうとなれば、本末転倒である。
かといって、“列強国の捕虜虐待”を行えば西大陸はおろか東大陸での交渉にも差し障りが出る。
そのような事を行えば、皇国は『未開の無慈悲な蛮族』の汚名を永久に削ぐ事が出来ないだろう。
ライランスから食糧を略奪するために軍を動かせば、そのための補給が必要で、
食糧は確保できても、派遣軍のガソリンが無くなってしまう。
損得勘定からすれば差引ゼロかマイナスになってしまうだろう。
『一度取ってしまった捕虜を、今更見逃すというのは政治的に拙い。
銃後を思って、現場の判断で見逃してくれれば良かったものを……』
口には出さないが、皇国の首相や外務大臣などはそう思っていた。
だが、取ってしまったものは仕方が無い。
1日も早く捕虜を返還し、身代金を払って貰わねばならない。
「未だ正式な降伏はされていませんが、実質的に戦争に勝利したのは我が方ですから……」
「正式な降伏が来るまでは、戦争は終わりではない」
「我が国もですが、イルフェス側からも降伏の呼びかけは行っているようです。
彼等は、なんならもう一戦やってもよいという考えのようで……」
「付き合わされるこちらはもう息切れしかけているのだが、それを気取られては困るな」
派遣軍はあと“一会戦分”の燃料弾薬があったが、その一会戦が行われたら派遣軍に残るのは水と食糧だけになってしまう。
そうなると、もし、緒戦の敗退で萎縮しているが未だに降伏を打診して来ていないフェルリア王国
などが皇国に狙いを定めて攻撃してきたら、撃退できない可能性がある。
派遣軍を、もうこれ以上戦わせるわけにはいかない。
捕虜の件も含めて、何としてもここで手打ちにする必要があった。
「ライランス王都に、手を付けてみますか?」
「コレィをか……?」
「二航戦にやってもらうのです」
「そんな爆弾、二航戦には残っていないだろう?」
「ビラを撒いてもらいます」
「宣伝部隊になってもらうのか」
「はい」
「……それも一つの手かもしれないな。やってみよう」
『我々は皇国軍なり。
1週間以内にライランス王国が皇国、イルフェス王国両者に対して降伏しない場合、皇国軍は王都コレィを灰塵にする』
文書は、王都の広い範囲、王宮の庭にも落とされた。
市街では様々な人が文章が印刷された紙を読んでいる。
文字を読める(=それなりに学がある)人物を介して、無学な住民にも情報が伝えられた。
「ちくしょう、どこに逃げればいいんだ……」
「コレィが駄目となると、もっと西か、南か……」
王都コレィの酒場では、2人の男が頭を抱えながら酒を飲んでいた。
戦禍の激しい北から逃げてきた男達の話に興味を持った1人の男が、隣の席に座って話しかける。
「おいおい、そんな葬式みたいな顔するなって。王都には近衛飛竜連隊が居るんだぞ。前線の飛竜陣地とは訳が違う」
「ああ、お前らは知らないんだな」
「知らないが……常識で考えてみろ。イルフェスからコレィまで何マシルあるよ?」
「事実、皇国の飛竜は飛んで来たじゃないか」
「ありゃあ……なんだ、重い爆弾を抱えてないからだろ」
「そうだったらいいがなぁ……」
「もし爆弾抱えて来てみろ、王都は本当に瓦礫になっちまう」
「20万人が暮らす巨大な王都だぞ。一部は壊されるかもしれないが……」
「いや、奴等の爆弾は異常だ。石も煉瓦も木も関係無い。どんな建物も数棟纏めて吹き飛ばすぞ」
「しかしな、近衛飛竜連隊がいるんだぞ? 心配しすぎじゃないか?」
逃げてきた男は酒の入ったカップを空にすると、店の外を見ながら地獄のような光景を思い出すように言った。
「あんなのを見ちまうと、近衛連隊だって信用できなくなる」
「……そんなに酷いのか?」
「何しろ、飛竜が全然追いつけないんだ。
近衛飛竜連隊だって、他の部隊に比べて10マーシュ(40km/h)速いって事は無い。
なのに、奴等は確実に40マーシュか50マーシュ以上速かった。3倍以上はあったろうな」
「ああ、3倍以上あった。4倍くらいは出てたかも知れん」
「そんな速度出したら、骨折するぞ?」
「本当だ。勝負にならなかったんだ。勿論骨折する奴は居なかった」
「……飛竜の3倍と言われてもなぁ、夢でも見てたんじゃないか?」
「俺達2人とも夢見てたってか? そりゃあない。
ここには居ないが、あれを見た村の奴等の何人かは王都に逃げてる。聞いてみるといいさ」
「すると、本当に皇国が爆撃に来たら王都が無くなっちまうと、本気で思ってるのか?」
「思いたくは無いが、そういう最悪の事態を想像してしまうんだ。それ程怖かったんだよ」
「何しろ、飛竜陣地の爆音が村に響いて鳴り止まなかった。奴等の飛竜の飛ぶ音だ」
「ブォーン、ブォーン、ヒューン、ボーン……ってな」
「なんじゃそりゃ」
「とにかく初めて聞く音だった。遠くでブォーンって音がしたら避難した方がいいぞ。
あの音が爆撃の予告みたいなもんだ。今回もあの音がしたら、『王都を灰塵にする』宣言が降って来ただろ」
「おいおい、脅かすなよ……」
「降って来たのが紙切れで安心したと思ったら、1週間の時限爆弾だ」
「あと1週間だと思うと、本当に王都に居られない」
「飛竜連隊に歩兵連隊、騎兵連隊に砲兵連隊も居るんだぞ。ちぃと、神経質すぎやしないかねぇ?」
「遠方に避難して、何事も無ければ笑って帰ってくればいいさ。死ぬよりはマシだ」
「ま、俺は王都で仕事があるからな。来週も仕事だから、俺は嫌でもここに居なきゃならねえよ」
「そうか、無事を祈るよ」
「お互いにな」
割って入ってきた男は店主に銅貨を2枚渡すと、先に店を出た。
「さて、どうするか……」
「ヴィエーにでも行くか?」
「そうだな。ヴィエーならさすがに奴等も来ないだろう」
「ヴィエー行きの馬車は……」
「確か、ラフュールで乗り換えだったはずだ。ラフュール行きは2日に1便で、明朝出発」
「よく知ってるな、王都は初めてだったろ?」
「目ぼしい町に行く馬車の出発時間は調べておいた」
「用意がいいな」
「俺だって必死なんだ。お前だって、金貨を何枚も持ち出してきてるんだから本気なんだろ?」
「まぁな……」
「日雇いとはいえ、せっかく王都で職にありつけたと思ったが……」
「仕事より命が大事だ。銅貨のために命がけにはなりたくないね」
「もっともだ」
2人の男はその後も話をしながら酒をあおり、翌日、ラフュール行きの馬車に乗り込んでいった。
ライランス国王の執務室では、国王、軍務大臣、近衛飛竜連隊長の3人が密談をしていた。
「『王都を灰塵にする』……こんな謀略に臆す事はありませんぞ、陛下。
王都には我が近衛飛竜連隊があります。皇国軍など鎧袖一触!」
「軍務大臣、どうなのだ?」
「はっ、陛下。正直申しまして、分が悪いのは確かです」
「何ですと、軍務大臣まで臆されたか!」
「私は事実を申しております、公爵閣下。
この宣伝文書が撒かれた時、皇国の飛竜が王都上空を遊弋しておりましたな。
あれに対して、近衛飛竜連隊は何をしていましたか? 空を見上げていただけではありませんか」
「それは、突然の襲撃に出撃が遅れて……」
「もし、今回投下されたのが紙切れではなく爆弾だったとしても、そんな言い訳を為されますか?」
「言い訳とは無礼ですぞ。私は事実を言ったまで!」
「つまり、近衛飛竜連隊は皇国軍の襲撃に対応できないと、そういう事ですね?」
「今回の反省を踏まえて、連隊は即応体制にある。次は取り逃がしはしません。陛下」
「うむ。軍務大臣、既に、余の軍勢の半数が壊滅した事について、釈明はあるか?」
「ありません。特にエシュケール会戦での大敗北については、如何な懲罰も受ける所存」
「では、軍務大臣。貴公は命を賭けて王都を守れ」
「はっ。しかし……」
「しかしもかかしもありませんぞ、軍務大臣。大臣は自ら預かる軍隊の精強さを疑っておられるのか?」
「公爵閣下、私はライランス軍というものの精強さをよく存じております。そして、その限界も」
「限界……?」
「例えば、我が軍の飛竜は高度にして1マシル(≒1.2km)も飛べれば上々です。速度は20~25マーシュ(≒80~100km/h)。
しかし、皇国軍の飛竜は2マシル、3マシルという高度を100マーシュ(≒400km/h)で飛んで来ます。
これではとても、迎撃は不可能です」
「大臣……あなたも、前線の将兵が言う『皇国軍恐るべし』の流言を信じるのですか?」
「実際に皇国軍と戦った将兵の殆どが口々にそう言うのです。将軍もです。信じないわけにはいきますまい?」
「所詮は敗残兵の口からでまかせ。陛下、軍務大臣は自身の失態までも、前線将兵の言葉を借りて糊塗するつもりですぞ」
「公爵閣下、それは私に対する侮辱と受け取りますぞ。私は、エシュケールの敗北で既に腹を切る覚悟です。
この上失態が幾つ重なろうが、処刑される運命にある事には変わりない。
その上で、王都が滅ぶ様を見ながら処刑されるのは忍びないと考えているのです」
「先程から軍務大臣は、まるで我々が完全に敗北するという前提で話をしておられる。
陛下、このような軟弱者に軍務大臣を任せて置けましょうか? 今すぐ処刑すべきでは?」
「まあ待て、公爵。軍務大臣の処刑は王都防衛が失敗した時に行う。王都防衛に成功すれば、大臣の首は安泰だ」
「陛下がそのようにお考えなのであれば……」
「ただし、王都防衛が失敗したという事は、貴公の近衛飛竜連隊も敗北したという事になるな。
その時は、貴公も覚悟しておくが良いぞ、公爵」
「ま、まさか……そのような事」
「我々は一蓮托生の身になったわけですな、公爵閣下」
「私の連隊が敗北するなど、ありえません! 陛下、この男と居ると胸糞が悪くなってきます。お先に失礼致します!」
機嫌を損ねた公爵は、部屋の扉を自分で開けて退出して行った。
「……陛下」
「何か?」
「王都が灰になってからでは遅いのです。降伏勧告を受け入れては貰えませんか?」
「王都が灰になると、決まった訳では無かろう」
「失礼を承知で申し上げますが、公爵閣下の近衛飛竜連隊が当てになるとは思えません」
「軍務大臣はそこまで我が軍が信用ならんか?」
「信用するからこそです。私が絶対の信頼を置いていた軍を、あっさりと撃ち破った皇国の精強さは本物です。
前線の将校の報告書を幾らか、陛下にもお届け致しましたが、お読み下さりましたか?」
「ああ、目を通させてもらった……だが、あれは誇張ではないか?」
「誇張で、前線の飛竜中隊が壊滅致しますか? 数百の飛竜が皇国軍の攻撃で死傷したのは事実です。
エシュケールにしても、投入した12万5000のうち3万5000が死傷、
6万が捕虜になり、残りの3万のうち1万程は脱走致しました。
今、エシュケールを生き残って原隊に居るのは2万5000程です」
「軍務大臣は、何が原因だと考える?」
「圧倒的な火力の差でしょうか。将兵が口々に言うには、敵の火力は我が方の10倍以上であると」
「……降伏の件、考えさせてはくれないか」
「熟慮の上、良い結論を下される事を期待しております。陛下」
皇国の『王都を灰塵に』宣告ビラが撒かれた明後日、ライランス王宮では貴族達が集まる夜会が開かれていた。
国王主催の夜会だけあって、王太子や各級貴族達が集まる、平民が見たら羨望と嫉妬の情で溢れかえるような華やかなものだ。
王宮の庭では、1人の伯爵が毒を吐いていた。
「幾ら中央や南部の貴族が多いからといって、危機感が無さ過ぎる。
来週には、この王宮も無くなっているかも知れないのに」
「フィオ様、あまり熱くなられますと……」
「解っているが、解せないのは北部の貴族連中も陛下に降伏の提言をしない事だ。
自分の領地や軍が手酷くやられた貴族も多いはずだ」
「……復讐、でしょうな」
「そんな事で、この20万都市を破滅させられてたまるか」
「ん。フィオ様、あちらはエシュケール侯爵令嬢です」
「エシュケール侯爵令嬢……」
フィオは1人で酒を飲んでいたエシュケール侯爵令嬢に駆け寄った。
「お一人ですか、レディ・エシュケール?」
「ええ」
「ご一緒しても、宜しいでしょうか?」
「ええ、フーロンヌ伯爵もお一人なのですか?」
「私は友人が少ない事が特技のようなものですから。
ところで、お父上のエシュケール侯爵は何処に?」
「……父も兄も、エシュケールの戦いで戦死しました」
「それは……ご冥福をお祈りします」
「モンルー家を継ぐものは、私一人となってしまいました。
すると面白い事に、婚姻の話が幾つも舞い込んで来るんですよ」
「モンルー家は名門ですから……」
「私は、父や兄の眠るエシュケールに骨を埋めたいと思っているのに、結婚の話が出てくるのは中央の貴族ばかり」
「王都は、お嫌いですか?」
「こんなゴチャゴチャした所で、宮中貴族と一緒に暮らすなんて、考えただけでも悪寒が走ります。
正式には、私がエシュケール侯爵その人なのでしょうけれど、今ここに居るのは父の名代のようなものです。
こんな所に“エシュケール侯爵”として来たくはなかった……」
侯爵の瞳からは涙が溢れ出てくる。
「侯爵……」
「すみません。今は……侯爵ではなく、ファリス=セシアで居させて下さい」
「存分にお泣きになって下さい、ファリスさん」
そう言って、フィオはファリスを抱きしめた。
イルフェス王国の首都シュフから西に100km程の場所にあるキュイズリーベル。
元々小さな村であったが、今、この場所には皇国軍が建設した捕虜収容所がある。
収容所といっても、将校用の木造棟を別として、平地を鉄条網で囲っただけの簡素なものだ。
皇国軍が得たライランス軍捕虜の数は将兵合わせて約6万。
膨大な数である。西大陸に派遣された皇国軍の数の倍以上だ。
それだけの数を収容するため、司令部のあるシュフやその近隣の地域では
物理的にも安全面からも土地が確保できず、キュイズリーベルの土地を借り受けて建設された。
皇国本国でも、これだけの捕虜の獲得は割に合うのかという議論が出ている。
捕虜返還の際に支払われる身代金と、捕虜収容所の維持費が釣り合うかという話だ。
収容所の土地代、建設代、捕虜の衣糧費はタダではない。全てイルフェス王国へ支払われている。
上級将校であれば身代金も当てに出来るが、捕虜の大半である下士官、兵の身代金に過度な期待は出来ない。
曹長でも、1人あたり100円も出れば上々ではないだろうかという程度だ。兵卒であれば1人あたり10~30円。
将兵の身代金1人あたり平均50円として、6万人とすると300万円。確かにそれなりの額にはなる。
しかし、皮算用だとしてもたった300万円とも言える。
百式小銃1万5000丁分程度だと考えれば、「たったそれだけか」とも思ってしまうだろう。
特に食糧に関して、皇国はイルフェス王国から大量の買い付けを行ったばかりで、
いかな大国イルフェスであろうと、これ以上の売却は不可だと打診している。
皇国議会では、自国民ですら飢餓の危機にあるというのに、他国の敗残兵に施しをしてやる余裕など無いという声も大きい。
何しろ、今度の戦いは食糧を得るために始めたものだ。皇国の戦略目的は食糧確保である。
なのに、それで得た食糧を捕虜のために消費してしまうとなれば、本末転倒である。
かといって、“列強国の捕虜虐待”を行えば西大陸はおろか東大陸での交渉にも差し障りが出る。
そのような事を行えば、皇国は『未開の無慈悲な蛮族』の汚名を永久に削ぐ事が出来ないだろう。
ライランスから食糧を略奪するために軍を動かせば、そのための補給が必要で、
食糧は確保できても、派遣軍のガソリンが無くなってしまう。
損得勘定からすれば差引ゼロかマイナスになってしまうだろう。
『一度取ってしまった捕虜を、今更見逃すというのは政治的に拙い。
銃後を思って、現場の判断で見逃してくれれば良かったものを……』
口には出さないが、皇国の首相や外務大臣などはそう思っていた。
だが、取ってしまったものは仕方が無い。
1日も早く捕虜を返還し、身代金を払って貰わねばならない。
「未だ正式な降伏はされていませんが、実質的に戦争に勝利したのは我が方ですから……」
「正式な降伏が来るまでは、戦争は終わりではない」
「我が国もですが、イルフェス側からも降伏の呼びかけは行っているようです。
彼等は、なんならもう一戦やってもよいという考えのようで……」
「付き合わされるこちらはもう息切れしかけているのだが、それを気取られては困るな」
派遣軍はあと“一会戦分”の燃料弾薬があったが、その一会戦が行われたら派遣軍に残るのは水と食糧だけになってしまう。
そうなると、もし、緒戦の敗退で萎縮しているが未だに降伏を打診して来ていないフェルリア王国
などが皇国に狙いを定めて攻撃してきたら、撃退できない可能性がある。
派遣軍を、もうこれ以上戦わせるわけにはいかない。
捕虜の件も含めて、何としてもここで手打ちにする必要があった。
「ライランス王都に、手を付けてみますか?」
「コレィをか……?」
「二航戦にやってもらうのです」
「そんな爆弾、二航戦には残っていないだろう?」
「ビラを撒いてもらいます」
「宣伝部隊になってもらうのか」
「はい」
「……それも一つの手かもしれないな。やってみよう」
『我々は皇国軍なり。
1週間以内にライランス王国が皇国、イルフェス王国両者に対して降伏しない場合、皇国軍は王都コレィを灰塵にする』
文書は、王都の広い範囲、王宮の庭にも落とされた。
市街では様々な人が文章が印刷された紙を読んでいる。
文字を読める(=それなりに学がある)人物を介して、無学な住民にも情報が伝えられた。
「ちくしょう、どこに逃げればいいんだ……」
「コレィが駄目となると、もっと西か、南か……」
王都コレィの酒場では、2人の男が頭を抱えながら酒を飲んでいた。
戦禍の激しい北から逃げてきた男達の話に興味を持った1人の男が、隣の席に座って話しかける。
「おいおい、そんな葬式みたいな顔するなって。王都には近衛飛竜連隊が居るんだぞ。前線の飛竜陣地とは訳が違う」
「ああ、お前らは知らないんだな」
「知らないが……常識で考えてみろ。イルフェスからコレィまで何マシルあるよ?」
「事実、皇国の飛竜は飛んで来たじゃないか」
「ありゃあ……なんだ、重い爆弾を抱えてないからだろ」
「そうだったらいいがなぁ……」
「もし爆弾抱えて来てみろ、王都は本当に瓦礫になっちまう」
「20万人が暮らす巨大な王都だぞ。一部は壊されるかもしれないが……」
「いや、奴等の爆弾は異常だ。石も煉瓦も木も関係無い。どんな建物も数棟纏めて吹き飛ばすぞ」
「しかしな、近衛飛竜連隊がいるんだぞ? 心配しすぎじゃないか?」
逃げてきた男は酒の入ったカップを空にすると、店の外を見ながら地獄のような光景を思い出すように言った。
「あんなのを見ちまうと、近衛連隊だって信用できなくなる」
「……そんなに酷いのか?」
「何しろ、飛竜が全然追いつけないんだ。
近衛飛竜連隊だって、他の部隊に比べて10マーシュ(40km/h)速いって事は無い。
なのに、奴等は確実に40マーシュか50マーシュ以上速かった。3倍以上はあったろうな」
「ああ、3倍以上あった。4倍くらいは出てたかも知れん」
「そんな速度出したら、骨折するぞ?」
「本当だ。勝負にならなかったんだ。勿論骨折する奴は居なかった」
「……飛竜の3倍と言われてもなぁ、夢でも見てたんじゃないか?」
「俺達2人とも夢見てたってか? そりゃあない。
ここには居ないが、あれを見た村の奴等の何人かは王都に逃げてる。聞いてみるといいさ」
「すると、本当に皇国が爆撃に来たら王都が無くなっちまうと、本気で思ってるのか?」
「思いたくは無いが、そういう最悪の事態を想像してしまうんだ。それ程怖かったんだよ」
「何しろ、飛竜陣地の爆音が村に響いて鳴り止まなかった。奴等の飛竜の飛ぶ音だ」
「ブォーン、ブォーン、ヒューン、ボーン……ってな」
「なんじゃそりゃ」
「とにかく初めて聞く音だった。遠くでブォーンって音がしたら避難した方がいいぞ。
あの音が爆撃の予告みたいなもんだ。今回もあの音がしたら、『王都を灰塵にする』宣言が降って来ただろ」
「おいおい、脅かすなよ……」
「降って来たのが紙切れで安心したと思ったら、1週間の時限爆弾だ」
「あと1週間だと思うと、本当に王都に居られない」
「飛竜連隊に歩兵連隊、騎兵連隊に砲兵連隊も居るんだぞ。ちぃと、神経質すぎやしないかねぇ?」
「遠方に避難して、何事も無ければ笑って帰ってくればいいさ。死ぬよりはマシだ」
「ま、俺は王都で仕事があるからな。来週も仕事だから、俺は嫌でもここに居なきゃならねえよ」
「そうか、無事を祈るよ」
「お互いにな」
割って入ってきた男は店主に銅貨を2枚渡すと、先に店を出た。
「さて、どうするか……」
「ヴィエーにでも行くか?」
「そうだな。ヴィエーならさすがに奴等も来ないだろう」
「ヴィエー行きの馬車は……」
「確か、ラフュールで乗り換えだったはずだ。ラフュール行きは2日に1便で、明朝出発」
「よく知ってるな、王都は初めてだったろ?」
「目ぼしい町に行く馬車の出発時間は調べておいた」
「用意がいいな」
「俺だって必死なんだ。お前だって、金貨を何枚も持ち出してきてるんだから本気なんだろ?」
「まぁな……」
「日雇いとはいえ、せっかく王都で職にありつけたと思ったが……」
「仕事より命が大事だ。銅貨のために命がけにはなりたくないね」
「もっともだ」
2人の男はその後も話をしながら酒をあおり、翌日、ラフュール行きの馬車に乗り込んでいった。
ライランス国王の執務室では、国王、軍務大臣、近衛飛竜連隊長の3人が密談をしていた。
「『王都を灰塵にする』……こんな謀略に臆す事はありませんぞ、陛下。
王都には我が近衛飛竜連隊があります。皇国軍など鎧袖一触!」
「軍務大臣、どうなのだ?」
「はっ、陛下。正直申しまして、分が悪いのは確かです」
「何ですと、軍務大臣まで臆されたか!」
「私は事実を申しております、公爵閣下。
この宣伝文書が撒かれた時、皇国の飛竜が王都上空を遊弋しておりましたな。
あれに対して、近衛飛竜連隊は何をしていましたか? 空を見上げていただけではありませんか」
「それは、突然の襲撃に出撃が遅れて……」
「もし、今回投下されたのが紙切れではなく爆弾だったとしても、そんな言い訳を為されますか?」
「言い訳とは無礼ですぞ。私は事実を言ったまで!」
「つまり、近衛飛竜連隊は皇国軍の襲撃に対応できないと、そういう事ですね?」
「今回の反省を踏まえて、連隊は即応体制にある。次は取り逃がしはしません。陛下」
「うむ。軍務大臣、既に、余の軍勢の半数が壊滅した事について、釈明はあるか?」
「ありません。特にエシュケール会戦での大敗北については、如何な懲罰も受ける所存」
「では、軍務大臣。貴公は命を賭けて王都を守れ」
「はっ。しかし……」
「しかしもかかしもありませんぞ、軍務大臣。大臣は自ら預かる軍隊の精強さを疑っておられるのか?」
「公爵閣下、私はライランス軍というものの精強さをよく存じております。そして、その限界も」
「限界……?」
「例えば、我が軍の飛竜は高度にして1マシル(≒1.2km)も飛べれば上々です。速度は20~25マーシュ(≒80~100km/h)。
しかし、皇国軍の飛竜は2マシル、3マシルという高度を100マーシュ(≒400km/h)で飛んで来ます。
これではとても、迎撃は不可能です」
「大臣……あなたも、前線の将兵が言う『皇国軍恐るべし』の流言を信じるのですか?」
「実際に皇国軍と戦った将兵の殆どが口々にそう言うのです。将軍もです。信じないわけにはいきますまい?」
「所詮は敗残兵の口からでまかせ。陛下、軍務大臣は自身の失態までも、前線将兵の言葉を借りて糊塗するつもりですぞ」
「公爵閣下、それは私に対する侮辱と受け取りますぞ。私は、エシュケールの敗北で既に腹を切る覚悟です。
この上失態が幾つ重なろうが、処刑される運命にある事には変わりない。
その上で、王都が滅ぶ様を見ながら処刑されるのは忍びないと考えているのです」
「先程から軍務大臣は、まるで我々が完全に敗北するという前提で話をしておられる。
陛下、このような軟弱者に軍務大臣を任せて置けましょうか? 今すぐ処刑すべきでは?」
「まあ待て、公爵。軍務大臣の処刑は王都防衛が失敗した時に行う。王都防衛に成功すれば、大臣の首は安泰だ」
「陛下がそのようにお考えなのであれば……」
「ただし、王都防衛が失敗したという事は、貴公の近衛飛竜連隊も敗北したという事になるな。
その時は、貴公も覚悟しておくが良いぞ、公爵」
「ま、まさか……そのような事」
「我々は一蓮托生の身になったわけですな、公爵閣下」
「私の連隊が敗北するなど、ありえません! 陛下、この男と居ると胸糞が悪くなってきます。お先に失礼致します!」
機嫌を損ねた公爵は、部屋の扉を自分で開けて退出して行った。
「……陛下」
「何か?」
「王都が灰になってからでは遅いのです。降伏勧告を受け入れては貰えませんか?」
「王都が灰になると、決まった訳では無かろう」
「失礼を承知で申し上げますが、公爵閣下の近衛飛竜連隊が当てになるとは思えません」
「軍務大臣はそこまで我が軍が信用ならんか?」
「信用するからこそです。私が絶対の信頼を置いていた軍を、あっさりと撃ち破った皇国の精強さは本物です。
前線の将校の報告書を幾らか、陛下にもお届け致しましたが、お読み下さりましたか?」
「ああ、目を通させてもらった……だが、あれは誇張ではないか?」
「誇張で、前線の飛竜中隊が壊滅致しますか? 数百の飛竜が皇国軍の攻撃で死傷したのは事実です。
エシュケールにしても、投入した12万5000のうち3万5000が死傷、
6万が捕虜になり、残りの3万のうち1万程は脱走致しました。
今、エシュケールを生き残って原隊に居るのは2万5000程です」
「軍務大臣は、何が原因だと考える?」
「圧倒的な火力の差でしょうか。将兵が口々に言うには、敵の火力は我が方の10倍以上であると」
「……降伏の件、考えさせてはくれないか」
「熟慮の上、良い結論を下される事を期待しております。陛下」
皇国の『王都を灰塵に』宣告ビラが撒かれた明後日、ライランス王宮では貴族達が集まる夜会が開かれていた。
国王主催の夜会だけあって、王太子や各級貴族達が集まる、平民が見たら羨望と嫉妬の情で溢れかえるような華やかなものだ。
王宮の庭では、1人の伯爵が毒を吐いていた。
「幾ら中央や南部の貴族が多いからといって、危機感が無さ過ぎる。
来週には、この王宮も無くなっているかも知れないのに」
「フィオ様、あまり熱くなられますと……」
「解っているが、解せないのは北部の貴族連中も陛下に降伏の提言をしない事だ。
自分の領地や軍が手酷くやられた貴族も多いはずだ」
「……復讐、でしょうな」
「そんな事で、この20万都市を破滅させられてたまるか」
「ん。フィオ様、あちらはエシュケール侯爵令嬢です」
「エシュケール侯爵令嬢……」
フィオは1人で酒を飲んでいたエシュケール侯爵令嬢に駆け寄った。
「お一人ですか、レディ・エシュケール?」
「ええ」
「ご一緒しても、宜しいでしょうか?」
「ええ、フーロンヌ伯爵もお一人なのですか?」
「私は友人が少ない事が特技のようなものですから。
ところで、お父上のエシュケール侯爵は何処に?」
「……父も兄も、エシュケールの戦いで戦死しました」
「それは……ご冥福をお祈りします」
「モンルー家を継ぐものは、私一人となってしまいました。
すると面白い事に、婚姻の話が幾つも舞い込んで来るんですよ」
「モンルー家は名門ですから……」
「私は、父や兄の眠るエシュケールに骨を埋めたいと思っているのに、結婚の話が出てくるのは中央の貴族ばかり」
「王都は、お嫌いですか?」
「こんなゴチャゴチャした所で、宮中貴族と一緒に暮らすなんて、考えただけでも悪寒が走ります。
正式には、私がエシュケール侯爵その人なのでしょうけれど、今ここに居るのは父の名代のようなものです。
こんな所に“エシュケール侯爵”として来たくはなかった……」
侯爵の瞳からは涙が溢れ出てくる。
「侯爵……」
「すみません。今は……侯爵ではなく、ファリス=セシアで居させて下さい」
「存分にお泣きになって下さい、ファリスさん」
そう言って、フィオはファリスを抱きしめた。