西暦2021年4月14日 10:00 日本本土 防衛省 救国防衛会議 統幕長私室
「ワァァ!」
机に突っ伏して眠っていた統幕長が、悲鳴を上げつつ飛び起きる。
すぐさまドアが開かれ、武装した警務隊員と副官が飛び込んできた。
「統幕長閣下大丈夫ですか?医者を呼びますか?」
副官が不安そうに尋ねる。
日本国とそれを取り巻く全ての面倒に対して責任と対応の義務を持つ統幕長には、大変なストレスがかかっている。
正直、彼が発狂しない現状にこちらの頭がどうにかなりそうだ。
統幕長の精神状態を維持する役目を与えられた精神科医は、カルテにそのような記載を残している。
「いや、大丈夫だ。現状は?」
一瞬瞬きをして精神を覚醒させた彼は、すぐさま現状の報告を求めた。
重要な意味の作戦の前に、どうやら彼は無意識下で仮眠を取るよう肉体に命じていたようだ。
それにしても嫌な夢を見たと、内心では未だに戦慄を続けている。
「既に目標の包囲は完了しております。
沖合いには海自の護衛艦が三隻待機中。いざと言う時には艦砲射撃も可能です」
石造りの街に127mm速射砲三門の連続射撃を行ったらどうなるのか。
思考実験としては面白いが、実際には命じたくないな。
目標の殺害を確認できるまでにどれだけ時間がかかるかわからん。
そんな事を思いつつ、彼は口を開いた。
全身でかなりの発汗をした影響で、喉が酷く渇いている。
「直ぐに核攻撃を実施するのだ」
「はい?」
突然意味の分からない事を言い出した統幕長に、副官は目を丸くして間抜けな声を出す。
言葉の意味は当然ながら理解できているが、それをこのタイミングで発する理由が分からない。
「いや、すまん、なんでもない。展開中の部隊に作戦開始を命じろ」
「了解いたしました。何かありましたらお呼びしますので、統幕長はもう少しお休みください」
「そうさせてもらう、何かあったら必ず起こしてくれよ」
「了解いたしました」
副官の答えを聞きつつ、彼は執務室の端に置かれたソファーへと歩み寄る。
もう随分と前から、そこが彼の寝台となっている。
(しかし、今の夢は一体何なんだ?)
高級だがクシャクシャになっている毛布を手繰り寄せつつ統幕長は思った。
部下たちが運び込んできた時には恐縮するような代物だったが、今では廃棄する口実を探している。
「統幕長、お酒は必要ですか?」
ドアを閉じようとしている副官が声をかけてくる。
どうやら、それほどまでに酷い見掛けをしているようだ。
「いや、勤務時間中に酒を飲む習慣だけはつけたくない。
精神安定剤の盛り合わせと、水を頼む」
崩れるようにしてソファーへ倒れこみつつ彼は答えた。
それを勤務時間中に必要とするのもどうかと思うがな。と、内心で苦笑する。
いくらするのかわからないが、とにかく高級らしいガラス張りのテーブルに書類が置かれているのが見える。
内容は、とある同盟国軍保有核兵器の目録。
条件が揃えば輸出すら可能な数を保有している彼らにとって、前線に近い極東の同盟国へ大量に配備する事は当然だったようだ。
「先制核攻撃か、大戦になる前に先手を打って撃滅というのは魅力的な選択肢ではあるよな」
常識人であると自身を信じている彼は、先ほどの悪夢をただの夢だとは感じなかった。
事実、日本を取り巻く現状は、彼の悪夢よりもよほど最悪な状況なのだ。
世界中から孤立しているという現実。
グレザール帝国という技術力はさておき世界の大半を制している国家との対立。
ゴルソン大陸の半分でも奪われれば再び訪れる亡国の危機。
元の世界に戻る方法が全くの不明という情報。
若年層の不足により労働力が不足しているという分析結果。
魔法という未知数の要素。
取り急ぎ先制核攻撃によりグレザール帝国の中枢を滅ぼし、混乱に満ちた世界を段階的に切り取るという戦略が最適に見える。
「待て待て」
副官から精神安定剤の盛り合わせを受け取りつつ彼は小声で呟く。
魔法という要素、不足しているこの世界の情報。
それらが完璧に入手できるまでは、軽挙妄動は慎まなければならない。
当然ながら、行動が求められる場合には躊躇する必要はないが。
錠剤の一個分隊を嚥下しつつ、彼は自分に命じた。
どんなに辛くとも、理知的に物事を捉えなければならない。
少なくとも、日本国民が感情で自衛隊を批判できるような世界を構築できるまでは、と。
再び目録に目が行く。
こちらにとっての核兵器に相当するものを敵が持っているという可能性は無いのだろうか。
先ほどの夢に出てきたキーワード、隕石を落とすという魔法、広範囲の空気を消し去る魔法。
いわば戦略魔法とでも呼ぶべきそれが現れた場合、自衛隊に対抗策はあるのだろうか。
夢を参考にしたと知られれば随分と恥をかくだろうが、それでも討議する必要性がある。
「おい、誰か」
ドアに向けて声をかける。
すぐさま扉を開けて入室してきた副官を見つつ、彼は思った。
自衛隊の戦争遂行能力を、もっともっと高める必要がある。
想定外に想定外が重なるような絶望的状況でも、常に国民に示すことが出来るオプションが用意できるように。
同日同時刻 ゴルソン大陸 グレザール帝国 城塞都市ダルコニア付近 佐藤戦闘大隊
「事前の計画通り、我々は突入を担当する。
市街地周辺へと逃亡を企てる輩の相手は周辺の部隊に任せ、損害を出さずに目的を達成する事を考えろ。
目標の人物は市街中心部、地図で言うとC-3エリアにいる。
特徴的な形の宮殿だ。見落とす事はないだろう。対象の確保もしくは殺害を終えるまで作戦は継続される。
以上、行動開始」
佐藤は修飾語や精神論を一切取り除いた演説をそう締めくくった。
直ぐに幹部や陸曹たちが声を張り上げ、彼らは既に乗り込んでいた車両での進撃を開始した。
先頭を進むのは軽装甲機動車。
敵が落とし穴等の車両向けトラップを用意していた場合を想定しての先行偵察部隊である。
その直ぐ後ろを五台の90式戦車が続き、さらにその後ろを89式戦闘装甲車や輸送トラックが続く。
彼らの進軍を止められるものは無い。
と言うよりも、敵軍からは妨害工作らしい動きが何も無い。
車列は直ぐに予定された通過ポイントへ差し掛かった。
「戦車前へ、正門を破壊次第突入する」
作戦はとても順調に進行している。
戦車隊がエンジンの轟音を響かせつつ前進を継続し、戦闘装甲車の車列が後ろに続く。
それら分厚い装甲の陰に隠れるようにして、輸送トラックの集団が前進を継続する。
「砲撃予定ポイントです」
二曹が報告し、佐藤はペリスコープ越しに見える城門を睨んだ。
「撃て」
彼の短い命令から三秒後、いつの間にか横隊に変わっていた戦車小隊は、五門の120mm榴弾を発射した。
頑丈に見えた城門が爆発に包まれ、そして倒壊を始める。
「戦闘装甲車は前へ、総員降車戦闘用意」
佐藤の短い命令が送信され、六両の戦闘装甲車が前進を開始する。
その砲塔には90口径35mm機関砲が装備されているが、今のところは開口部を睨むだけで発砲は行われていない。
混乱しているのか、それとも何か策があるのか、とにかく敵は反撃らしいものを一切行ってこない。
「現代の火器を用いない形での全ての対戦車戦闘に注意しろ。
石畳の斜面、車高より高い建造物、綺麗に掃除された路面、それ以外も含む全てだ」
敵に現代人が付いている。
それだけの事で、これほどまでに状況が恐ろしくなるとはな。
部下たちの報告を聞きつつ、佐藤は心の底からそう思った。
「動くものはなんでも撃てよ、遠慮はいらん」
現代の人間が味方に付いた結果として、自衛隊側としては一切の躊躇をなくした攻撃が必要となる。
はたしてこれは、相手の予測している状況なのだろうか。
顔も分からない日本人男性“タロウ”に対して佐藤は内心で問いかけた。
効果が確実とわかれば今すぐにでも核兵器を投入したいと日本が考える可能性について、どのように見積もっているのだろうか。
「先頭の車両部隊が敵軍と接触しました」
通信士が短く報告する。
さて、どれだけ損害を出さずに作戦目標を達成できるだろうか。
内心の不安を部下たちへの信頼で打ち消しつつ、佐藤は意識を戦場へと向けなおした。
西暦2021年4月14日 10:03 ゴルソン大陸 グレザール帝国 城塞都市ダルコニア
「周辺警戒を怠るなよ!」
エンジン音を轟かせて進撃する六両の戦闘装甲車。
その中で先発隊を率いる新井田一等陸曹は興奮していた。
彼はこの大陸に初めて自衛隊が上陸したときからの佐藤の部下だった。
現在の階級は一等陸曹。
六両からなる戦闘装甲車に乗り込んだ小隊を率いている。
ヘリコプターによる降下作戦は敵の抵抗が強い地点を確認してからになるため、彼らは全部隊の先陣を進んでいる。
「前方500m、小隊規模の敵騎兵を発見。
突撃を試みているものと推測されます」
車体に装備された機関砲の照準器を覗き込んだ陸士が報告する。
「交戦許可は既に出ているんだ、撃ちまくれ」
「了解」
陸士が答えるなり、機関砲は発砲を始めた。
耳よりも腹の底に答える重低音を響かせて、頭上に設置された90口径35mm機関砲が発砲される。
「よーし!敵全滅!」
全く情景が見えてこないが、敵が全滅するのは当然である。
町の中心部に対して上り坂となっている目抜き通りは、戦闘装甲車一台が何とか前進できる程度の幅しかない。
そのような場所で、バカ正直に正面から騎兵突撃をすれば全滅しないはずが無い。
「前進を継続、路地に注意しろ」
銃眼から車体側面を監視する部下たちに改めて命じる。
大陸での初戦闘から実戦に参加している部下たちは、言うまでも無く最大限の注意を払っているに違いない。
だが、二本の足で歩み、空気に身を晒して戦った今までと今回は驚くほどに違う。
「前方に更なる敵集団、撃ちます」
再び発砲音。
現代日本人が味方についていると言われて警戒したが、どうやら軍事的な知識はそれほど持ち合わせていなかったようだ。
「何人か路地に逃げましたが大体仕留めました。ん?」
砲手が怪訝そうな声を出す。
「なんだ?どうした?」
「坂の上から丸太が!多数きます!!」
砲塔の旋廻音と発砲音が連続して聞こえる。
丸太を転がすとは、面倒な事を考え付いたものだ。
新井田が内心で感心した直後、車体に衝撃が走った。
何かを踏み潰す音、高まるエンジン音、衝撃、衝撃。
最後に一際強い衝撃を受けて、唐突に車両は停止した。
「あいたっ!後続止まれ!止まれ!」
操縦手が叫び、車列は停止した。
多重事故にならなかったのは幸いだが、市街地に突入して半分も行かないうちに停車とは穏やかではない。
「前進は無理か?」
「かなり太い丸太のようです、一度下がって施設を呼ばないと厳しいですね」
「降車戦闘しかないか、佐藤一尉へ連絡しろ」
これは相当に注意していかなければならない。
敵は明らかに戦術を行使している。
それも、こちらに対して効果的なものをだ。
「なんの音だ?」
砲手が不思議そうな声を出したのを聞いて黙ると、車体上部に何かがぶつかる音が聞こえる。
「最後尾から後退!左右の建物に注意しろ!」
顔を青ざめさせた車長が叫び、後ろから装甲越しにも聞こえるエンジン音が響く。
「降車準備しろ!頭上に注意しろよ!」
傍らの9mm機関拳銃を確かめつつ車長が命じる。
どうやら、敵はそれなりに対戦車戦術を構築しているらしい。
「後続より報告、液体の入ったビンが投げつけられているとの事!」
「とりあえずミサイルを撃て!目標はどこでも構わん!機関砲も撃ちまくれ!」
車長は再度叫び、そしてミサイル発射の轟音が聞こえる。
無誘導で放たれたそれは、どうやら直ぐ近くの建物に命中したらしい。
重量を持った何かが倒壊する音が車内まで響いてくる。
「降車しろ!直ぐに離れるんだ!煙幕展開!」
「先導車はこれより降車する、発砲止め!発砲止め!」
扉が開かれる直前、車長は後続へ発砲を止めるよう指示を出してくれた。
ありがたい事だ。
ハッチを開き始めた部下を見つつ、内心で咄嗟の判断を下した車長に感謝する。
石造りの街で機関砲を連射すれば、生身の普通科は砕かれた残骸相手に不名誉な殉職となってしまう。
「全員マスク装着確認!よーし、降りろ!降りろ!直ぐに車両から離れろ!」
無限軌道の足を止める方法を思いつく敵軍が装甲車両に投げつける液体。
ガソリンほどではないだろうが、可燃物だ。
幸いミサイルの発射では引火しなかったが、敵が火炎瓶を投げつけてくればおしまいだ。
「こいつは!とにかく降りろ!」
ハッチを開くなり、煙幕弾の発生させた大量の煙が押し寄せる。
すぐさま全員が降車し、建物の横へと駆け寄る。
「第二と第三分隊も降車しろ!合流して徒歩で前進を継続する!」
車両を失ったとはいえ、彼らの戦意は未だに旺盛だった。
元より何もかもが順調に進むはずなど無く、そして想像していたよりも敵の抵抗は軽微。
車両を失ったのは想定外だが、まだまだやれる。
敵の総兵力についての考察を抜かし、新井田一曹はそう思った。
「ワァァ!」
机に突っ伏して眠っていた統幕長が、悲鳴を上げつつ飛び起きる。
すぐさまドアが開かれ、武装した警務隊員と副官が飛び込んできた。
「統幕長閣下大丈夫ですか?医者を呼びますか?」
副官が不安そうに尋ねる。
日本国とそれを取り巻く全ての面倒に対して責任と対応の義務を持つ統幕長には、大変なストレスがかかっている。
正直、彼が発狂しない現状にこちらの頭がどうにかなりそうだ。
統幕長の精神状態を維持する役目を与えられた精神科医は、カルテにそのような記載を残している。
「いや、大丈夫だ。現状は?」
一瞬瞬きをして精神を覚醒させた彼は、すぐさま現状の報告を求めた。
重要な意味の作戦の前に、どうやら彼は無意識下で仮眠を取るよう肉体に命じていたようだ。
それにしても嫌な夢を見たと、内心では未だに戦慄を続けている。
「既に目標の包囲は完了しております。
沖合いには海自の護衛艦が三隻待機中。いざと言う時には艦砲射撃も可能です」
石造りの街に127mm速射砲三門の連続射撃を行ったらどうなるのか。
思考実験としては面白いが、実際には命じたくないな。
目標の殺害を確認できるまでにどれだけ時間がかかるかわからん。
そんな事を思いつつ、彼は口を開いた。
全身でかなりの発汗をした影響で、喉が酷く渇いている。
「直ぐに核攻撃を実施するのだ」
「はい?」
突然意味の分からない事を言い出した統幕長に、副官は目を丸くして間抜けな声を出す。
言葉の意味は当然ながら理解できているが、それをこのタイミングで発する理由が分からない。
「いや、すまん、なんでもない。展開中の部隊に作戦開始を命じろ」
「了解いたしました。何かありましたらお呼びしますので、統幕長はもう少しお休みください」
「そうさせてもらう、何かあったら必ず起こしてくれよ」
「了解いたしました」
副官の答えを聞きつつ、彼は執務室の端に置かれたソファーへと歩み寄る。
もう随分と前から、そこが彼の寝台となっている。
(しかし、今の夢は一体何なんだ?)
高級だがクシャクシャになっている毛布を手繰り寄せつつ統幕長は思った。
部下たちが運び込んできた時には恐縮するような代物だったが、今では廃棄する口実を探している。
「統幕長、お酒は必要ですか?」
ドアを閉じようとしている副官が声をかけてくる。
どうやら、それほどまでに酷い見掛けをしているようだ。
「いや、勤務時間中に酒を飲む習慣だけはつけたくない。
精神安定剤の盛り合わせと、水を頼む」
崩れるようにしてソファーへ倒れこみつつ彼は答えた。
それを勤務時間中に必要とするのもどうかと思うがな。と、内心で苦笑する。
いくらするのかわからないが、とにかく高級らしいガラス張りのテーブルに書類が置かれているのが見える。
内容は、とある同盟国軍保有核兵器の目録。
条件が揃えば輸出すら可能な数を保有している彼らにとって、前線に近い極東の同盟国へ大量に配備する事は当然だったようだ。
「先制核攻撃か、大戦になる前に先手を打って撃滅というのは魅力的な選択肢ではあるよな」
常識人であると自身を信じている彼は、先ほどの悪夢をただの夢だとは感じなかった。
事実、日本を取り巻く現状は、彼の悪夢よりもよほど最悪な状況なのだ。
世界中から孤立しているという現実。
グレザール帝国という技術力はさておき世界の大半を制している国家との対立。
ゴルソン大陸の半分でも奪われれば再び訪れる亡国の危機。
元の世界に戻る方法が全くの不明という情報。
若年層の不足により労働力が不足しているという分析結果。
魔法という未知数の要素。
取り急ぎ先制核攻撃によりグレザール帝国の中枢を滅ぼし、混乱に満ちた世界を段階的に切り取るという戦略が最適に見える。
「待て待て」
副官から精神安定剤の盛り合わせを受け取りつつ彼は小声で呟く。
魔法という要素、不足しているこの世界の情報。
それらが完璧に入手できるまでは、軽挙妄動は慎まなければならない。
当然ながら、行動が求められる場合には躊躇する必要はないが。
錠剤の一個分隊を嚥下しつつ、彼は自分に命じた。
どんなに辛くとも、理知的に物事を捉えなければならない。
少なくとも、日本国民が感情で自衛隊を批判できるような世界を構築できるまでは、と。
再び目録に目が行く。
こちらにとっての核兵器に相当するものを敵が持っているという可能性は無いのだろうか。
先ほどの夢に出てきたキーワード、隕石を落とすという魔法、広範囲の空気を消し去る魔法。
いわば戦略魔法とでも呼ぶべきそれが現れた場合、自衛隊に対抗策はあるのだろうか。
夢を参考にしたと知られれば随分と恥をかくだろうが、それでも討議する必要性がある。
「おい、誰か」
ドアに向けて声をかける。
すぐさま扉を開けて入室してきた副官を見つつ、彼は思った。
自衛隊の戦争遂行能力を、もっともっと高める必要がある。
想定外に想定外が重なるような絶望的状況でも、常に国民に示すことが出来るオプションが用意できるように。
同日同時刻 ゴルソン大陸 グレザール帝国 城塞都市ダルコニア付近 佐藤戦闘大隊
「事前の計画通り、我々は突入を担当する。
市街地周辺へと逃亡を企てる輩の相手は周辺の部隊に任せ、損害を出さずに目的を達成する事を考えろ。
目標の人物は市街中心部、地図で言うとC-3エリアにいる。
特徴的な形の宮殿だ。見落とす事はないだろう。対象の確保もしくは殺害を終えるまで作戦は継続される。
以上、行動開始」
佐藤は修飾語や精神論を一切取り除いた演説をそう締めくくった。
直ぐに幹部や陸曹たちが声を張り上げ、彼らは既に乗り込んでいた車両での進撃を開始した。
先頭を進むのは軽装甲機動車。
敵が落とし穴等の車両向けトラップを用意していた場合を想定しての先行偵察部隊である。
その直ぐ後ろを五台の90式戦車が続き、さらにその後ろを89式戦闘装甲車や輸送トラックが続く。
彼らの進軍を止められるものは無い。
と言うよりも、敵軍からは妨害工作らしい動きが何も無い。
車列は直ぐに予定された通過ポイントへ差し掛かった。
「戦車前へ、正門を破壊次第突入する」
作戦はとても順調に進行している。
戦車隊がエンジンの轟音を響かせつつ前進を継続し、戦闘装甲車の車列が後ろに続く。
それら分厚い装甲の陰に隠れるようにして、輸送トラックの集団が前進を継続する。
「砲撃予定ポイントです」
二曹が報告し、佐藤はペリスコープ越しに見える城門を睨んだ。
「撃て」
彼の短い命令から三秒後、いつの間にか横隊に変わっていた戦車小隊は、五門の120mm榴弾を発射した。
頑丈に見えた城門が爆発に包まれ、そして倒壊を始める。
「戦闘装甲車は前へ、総員降車戦闘用意」
佐藤の短い命令が送信され、六両の戦闘装甲車が前進を開始する。
その砲塔には90口径35mm機関砲が装備されているが、今のところは開口部を睨むだけで発砲は行われていない。
混乱しているのか、それとも何か策があるのか、とにかく敵は反撃らしいものを一切行ってこない。
「現代の火器を用いない形での全ての対戦車戦闘に注意しろ。
石畳の斜面、車高より高い建造物、綺麗に掃除された路面、それ以外も含む全てだ」
敵に現代人が付いている。
それだけの事で、これほどまでに状況が恐ろしくなるとはな。
部下たちの報告を聞きつつ、佐藤は心の底からそう思った。
「動くものはなんでも撃てよ、遠慮はいらん」
現代の人間が味方に付いた結果として、自衛隊側としては一切の躊躇をなくした攻撃が必要となる。
はたしてこれは、相手の予測している状況なのだろうか。
顔も分からない日本人男性“タロウ”に対して佐藤は内心で問いかけた。
効果が確実とわかれば今すぐにでも核兵器を投入したいと日本が考える可能性について、どのように見積もっているのだろうか。
「先頭の車両部隊が敵軍と接触しました」
通信士が短く報告する。
さて、どれだけ損害を出さずに作戦目標を達成できるだろうか。
内心の不安を部下たちへの信頼で打ち消しつつ、佐藤は意識を戦場へと向けなおした。
西暦2021年4月14日 10:03 ゴルソン大陸 グレザール帝国 城塞都市ダルコニア
「周辺警戒を怠るなよ!」
エンジン音を轟かせて進撃する六両の戦闘装甲車。
その中で先発隊を率いる新井田一等陸曹は興奮していた。
彼はこの大陸に初めて自衛隊が上陸したときからの佐藤の部下だった。
現在の階級は一等陸曹。
六両からなる戦闘装甲車に乗り込んだ小隊を率いている。
ヘリコプターによる降下作戦は敵の抵抗が強い地点を確認してからになるため、彼らは全部隊の先陣を進んでいる。
「前方500m、小隊規模の敵騎兵を発見。
突撃を試みているものと推測されます」
車体に装備された機関砲の照準器を覗き込んだ陸士が報告する。
「交戦許可は既に出ているんだ、撃ちまくれ」
「了解」
陸士が答えるなり、機関砲は発砲を始めた。
耳よりも腹の底に答える重低音を響かせて、頭上に設置された90口径35mm機関砲が発砲される。
「よーし!敵全滅!」
全く情景が見えてこないが、敵が全滅するのは当然である。
町の中心部に対して上り坂となっている目抜き通りは、戦闘装甲車一台が何とか前進できる程度の幅しかない。
そのような場所で、バカ正直に正面から騎兵突撃をすれば全滅しないはずが無い。
「前進を継続、路地に注意しろ」
銃眼から車体側面を監視する部下たちに改めて命じる。
大陸での初戦闘から実戦に参加している部下たちは、言うまでも無く最大限の注意を払っているに違いない。
だが、二本の足で歩み、空気に身を晒して戦った今までと今回は驚くほどに違う。
「前方に更なる敵集団、撃ちます」
再び発砲音。
現代日本人が味方についていると言われて警戒したが、どうやら軍事的な知識はそれほど持ち合わせていなかったようだ。
「何人か路地に逃げましたが大体仕留めました。ん?」
砲手が怪訝そうな声を出す。
「なんだ?どうした?」
「坂の上から丸太が!多数きます!!」
砲塔の旋廻音と発砲音が連続して聞こえる。
丸太を転がすとは、面倒な事を考え付いたものだ。
新井田が内心で感心した直後、車体に衝撃が走った。
何かを踏み潰す音、高まるエンジン音、衝撃、衝撃。
最後に一際強い衝撃を受けて、唐突に車両は停止した。
「あいたっ!後続止まれ!止まれ!」
操縦手が叫び、車列は停止した。
多重事故にならなかったのは幸いだが、市街地に突入して半分も行かないうちに停車とは穏やかではない。
「前進は無理か?」
「かなり太い丸太のようです、一度下がって施設を呼ばないと厳しいですね」
「降車戦闘しかないか、佐藤一尉へ連絡しろ」
これは相当に注意していかなければならない。
敵は明らかに戦術を行使している。
それも、こちらに対して効果的なものをだ。
「なんの音だ?」
砲手が不思議そうな声を出したのを聞いて黙ると、車体上部に何かがぶつかる音が聞こえる。
「最後尾から後退!左右の建物に注意しろ!」
顔を青ざめさせた車長が叫び、後ろから装甲越しにも聞こえるエンジン音が響く。
「降車準備しろ!頭上に注意しろよ!」
傍らの9mm機関拳銃を確かめつつ車長が命じる。
どうやら、敵はそれなりに対戦車戦術を構築しているらしい。
「後続より報告、液体の入ったビンが投げつけられているとの事!」
「とりあえずミサイルを撃て!目標はどこでも構わん!機関砲も撃ちまくれ!」
車長は再度叫び、そしてミサイル発射の轟音が聞こえる。
無誘導で放たれたそれは、どうやら直ぐ近くの建物に命中したらしい。
重量を持った何かが倒壊する音が車内まで響いてくる。
「降車しろ!直ぐに離れるんだ!煙幕展開!」
「先導車はこれより降車する、発砲止め!発砲止め!」
扉が開かれる直前、車長は後続へ発砲を止めるよう指示を出してくれた。
ありがたい事だ。
ハッチを開き始めた部下を見つつ、内心で咄嗟の判断を下した車長に感謝する。
石造りの街で機関砲を連射すれば、生身の普通科は砕かれた残骸相手に不名誉な殉職となってしまう。
「全員マスク装着確認!よーし、降りろ!降りろ!直ぐに車両から離れろ!」
無限軌道の足を止める方法を思いつく敵軍が装甲車両に投げつける液体。
ガソリンほどではないだろうが、可燃物だ。
幸いミサイルの発射では引火しなかったが、敵が火炎瓶を投げつけてくればおしまいだ。
「こいつは!とにかく降りろ!」
ハッチを開くなり、煙幕弾の発生させた大量の煙が押し寄せる。
すぐさま全員が降車し、建物の横へと駆け寄る。
「第二と第三分隊も降車しろ!合流して徒歩で前進を継続する!」
車両を失ったとはいえ、彼らの戦意は未だに旺盛だった。
元より何もかもが順調に進むはずなど無く、そして想像していたよりも敵の抵抗は軽微。
車両を失ったのは想定外だが、まだまだやれる。
敵の総兵力についての考察を抜かし、新井田一曹はそう思った。