「まだ降伏せんか……」
「はい。降伏の印は掲げられていません」
砲兵隊は朝から半日続く砲撃で、もう百発以上もの砲弾を城に撃ち込んでいる。
防戦一方のジュップ城の正面側の城壁の大部分は崩れ、天守楼にも数発の被弾があった。
政治の状況と手持ちの物資の状況から、ジュップ城攻略にかけられる時間は3日しかない。
しかも砲兵隊の砲弾と弾薬が、もう殆ど無い。
指揮官である旅団長は、まさか蛮族風情が、ここまで粘り強い抵抗をするとは思って居なかった。
大砲を撃って城壁の一部でも崩してやれば、皆命乞いをしてくるだろうと。
しかし現実は違った。
賊軍は旧式ではあるが十分実用に耐えるカノン砲に、バリスタまで用意し、
攻略する正規軍の約半分の規模ではある物の、反撃を止めない。
ジュップ城は正面の城壁こそ派手に破壊されているものの、その内側にある
兵舎や天守楼に殆ど損害は無いから、賊軍の人的損害は殆ど無い筈だ。
「レフィル中尉!」
「はっ!」
連隊長に呼ばれたレフィル中尉は、軍人というより荒くれ者といった感じだ。
事実、つい1ヶ月前までレフィルは一介の下士官でしかなかったのである。
兵や下士官として戦った事はあるが、将校としては初めての実戦参加。
「中尉の分隊は“サンパチ銃”の訓練を受けたのだったな?」
「はい。即席ですが……」
“サンパチ銃”とは、言うまでもなく皇国軍の三八式歩兵銃の事だ。
伯爵の軍には、皇国軍から購入した三八式歩兵銃が12丁あった。
実際は、6丁は研究用なので今手元にあるのは6丁のみ。
「中尉は部下5名と共に、サンパチ銃にて敵を狙撃して欲しい」
「我々だけでですか?」
「デロック銃だと敵と互角になるが、サンパチ銃ならどうだ?」
「一方的に攻撃可能です」
デロック銃かそれと同等のマスケットと、三八式歩兵銃の有効射程は数倍違う。
10倍違うといっても言い過ぎではないだろう。
今、部隊が展開しているのは砲が届くギリギリの距離で、当然ながらマスケットは届かない。
通常のマスケットを装備する戦列歩兵は、ただ立って突撃の時を待っているだけ。
しかし、三八式歩兵銃ならばこの距離からでも有効弾を撃てる可能性がある。
実際は、もっと接近する必要があるだろうが、それにしても敵のマスケットの射程外だ。
「敵が怯んだ所で、砲兵隊の一斉射撃後、歩兵隊が突入する」
「それでは敵の反撃があります」
「貴官等が、賊の頭を撃ち抜いてくれれば良い。あるいは身を伏せさせれば、それで歩兵が突撃できる」
「了解です。選抜ライフル隊、俺に続け!」
上官も上官なら部下も部下で、彼等は“ライフル徽章”という、ライフル銃を扱う
狙撃兵のために新たに作られたバッジを付けているのだが、それが気に食わない
一般の戦列歩兵達は、彼等をやくざ者として毛嫌いしている。
だが、隊長のレフィル中尉は皇国軍人に直接指導を受けた精鋭だ。
期間は1ヶ月と“即席”である事は否めないが、短い分、内容も濃かった。
そして、そのレフィル中尉が直接訓練したのが、今いる5人の部下という事だ。
レフィル中尉と部下5人は、ジュップ城から約1シウス(≒200m)強の距離まで駆足で行進する。
城の方では、たった数人の兵士が何をしようとしているのか、賊が銃を構えながら警戒している。
レフィル中尉は身を伏せながら敵情を観察する。
「不味くなったら逃げるぞ。特にこの銃は、敵に渡してはならないからな」
「解りました!」
「私とバゼル、デューゴの班は城門の右側。アカム曹長、チェンタ、エイラの班は城門の左側を狙え」
「了解です、隊長!」
「よし、射撃開始」
破裂音と共に、煙が殆ど出ない射撃が繰り出された。
賊が何事かと怯む間もなく、2発目が装填されて発射される。
“サンパチ銃”は、身を伏せたまま次弾の装填が可能なのだ。
この2斉射で、既に10人の賊が死んだか、再起不能になった。
城壁の影に身を隠す者も居たが、反撃しようとマスケットを向けてくる者も居る。
だが、この距離ではまず命中は見込めないだろう。
統制の取れた軍であれば、この距離での発砲は認めない筈だ。
事実、数十発のマスケットから放たれた弾丸は、1発も命中していない。
「射撃止め! 向こうの煙が晴れるまで一時射撃中止」
風が殆ど無いので、賊が撃ったマスケットの煙がなかなか晴れない。
「今のうちに空薬莢を回収しておけ」
煙が晴れてくると、砲兵隊がカノン砲を一斉射撃。
進軍を合図する太鼓が打ち鳴らされ、歩兵隊が行進を始めた。
「姿を見せる敵は、全て討ち取れ!」
こちらを覗いて様子を窺おうとする賊は、レフィル隊によって次々と撃ち殺されていく。
既にお互いマスケットの射程距離だが、賊は狙撃が怖くて反撃が出来ない。
「擲弾兵、前へ! 城内を攻撃せよ!」
連隊長の命令に、擲弾兵が城の中へ向けて擲弾を投げ込み、突入路を確保する。
レフィル隊も、相互に支援をしながらジリジリ距離を詰めて城に近づく。
「全員、着剣しておけ」
単体では短剣としても使える皇国製の銃剣をはめ込む。
万が一に備えての事だが、ある意味大砲よりも貴重な三八式歩兵銃を
槍として使ったり、殴り合いに使うのは愚策である。
あくまでこれは、敵を威嚇するための着剣だ。
「皇国軍なら、どうやって攻略するでしょうね?」
「攻略も何も無いだろうな。砲爆撃で城を木っ端微塵にしてから、歩兵と戦車が悠々と進軍だろう」
だが、伯爵軍には爆撃機も無ければ榴弾砲も、戦車も無い。歩兵の武装も段違いだ。
だから、損害覚悟の力押しに頼らざるを得ない。
砲兵と擲弾兵が切り開いた突入路に戦列歩兵が殺到し、
また別の場所では梯子をよじ登って無傷の城壁を制圧する。
数の暴力とは凄まじいもので、賊軍の崩壊は明らかになりつつあった。
戦列歩兵隊を追うようにレフィル隊も城内に突入し“サンパチ銃”を撃ちまくる。
天守楼の窓から外を窺ったのは、黒い髪の女性だった。
レフィルが見たのは一瞬だったので、女装した男性の可能性もあるが。
城壁、物見櫓、兵舎、武器庫、食糧庫、ほぼ制圧が終わった。
残るは天守楼だが、入り口の扉を爆破して突入した歩兵は、
大斧を振り回す巨漢の男に階段を昇る事を許されない。
狭い空間では小銃は無駄に長いだけで、かえって使い辛い。
剣で対抗しようとするが、大男の斧は剣ごと兵士を叩き斬ってしまう。
歩兵隊が天守楼から退却する。大男は勿論、追う事はしない。
追って行って広い場所に出れば、狙い撃ちされてお終いだ。
だが、狭い場所に居続けるのも危険だった。
「ん……これは!」
気づいた時にはもう遅い。
入り口から投げ込まれた擲弾は、大男を肉塊にする事など容易い。
絶妙なタイミングで投入されたため、投げ返す事も出来なかった
大男は、内臓を噴出させて血塗れになって即死した。
レフィル隊が先鋒となって天守楼を駆け上がる。
十数人の賊を撃ち倒しながら最上階に突入すると、
そこでは黒髪の女性が1人でグラスにワインを注いでいた。
周りには、吐血した女性の死体が数体転がっている。
「ごきげんよう、リンド女王陛下の忠僕の皆さん」
「貴女は……まさか!」
「私はキリエ=エシュカレベッタ。暗殺された父の名はイラ伯爵、ロナン=エシュカレベッタ」
エシュカレベッタ家の者は、全員流刑にあった筈だ。
しかし、娘のキリエはここに居て、父のロナンは暗殺されたと言う。
「貴女は流刑の身にあって、今はマンツェレー島の筈では?」
「あんなザル警備で、私の自由を奪ったと思って?」
つまりは、逃げ出してきたという事だ。
「皇国に対して徹底抗戦すべきだと意見を具申した父は、爵位を剥奪された上で暗殺された。
つまり、平民として女王に殺された。これ程の屈辱が他にお有り?」
レフィルが聞いた話と違う。
イラ伯爵であったロナンは、宮殿内で女王に斬りかかった。
咄嗟に衛兵が捕えて事無きを得たが、王に対する殺人未遂は重罪。
だから、流刑になったのだ。
もし、これが女王を殺していれば、一家揃って斬首刑だっただろう。
「俺は平民だから、貴族の事はよく解らない」
「はっ? あなた平民なのに将校やってるの?」
キリエはレフィルを嘲り笑う。
「悪いか?」
「いいえ、別に……? でも、貴方が持っているその銃、皇国の物じゃないの?」
キリエはレフィルの持つ小銃を指差した。
無骨すぎて、美しさの欠片も無い銃だ。
「そのとおりだ。これは皇国製の小銃」
「暴虐の限りを尽くした皇国の銃を嬉々として使うなんて、リンド軍人の誇りは無いの?」
「誇りというものは、外面だけで決まるものじゃない。それに、この銃は
女王陛下からの下賜品だ。銃に対する侮辱は、陛下への侮辱と見做す」
怒り心頭に達しつつあるキリエに、レフィルは強い口調で言った。
女王への侮辱。貴族であったとしても何らかの刑罰は免れない。
「国王が率先して皇国に尻尾を振るなんて……所詮、妾腹。偽りの女王。
皇国貴族との婚姻なんて言語道断。リンド王国の誇りは、一体何処へ消えたの?」
「町や村を襲って食糧や金銀を巻き上げるのが、貴女の誇りか?」
女王に対する暴言は、既に謝れば取り消される程度のものを超えている。
それに、賊軍が行っていたのは強盗殺人だ。
強盗に誇り云々を言われる筋合いは無いだろう。
「それは、誇りを取り戻すための犠牲よ!」
「何故、貴女方は皇国軍ではなく、無辜の民を襲う?」
「力を貯えるためよ。皇国軍と戦う力をね。
現状を受け入れる者は皆、リンド王国、リンド王家の敵よ。
皇国を追い出そうとしない者から奪って何が悪いの!?」
言葉を詰まらせたキリエだったが、捲くし立てるように反論した。
皇国に迎合する輩は、何をされても文句の一つも言えないらしい。
「王国軍を全滅させるような敵と、本気で戦うつもりだったのか?」
キリエは現実が全く見えていないと、レフィルは確信した。
レフィルは、一介の戦列歩兵下士官として皇国軍と一戦交えて、命辛々生き残った猛者だ。
と言っても、レフィル自身は、砲撃の爆風で吹き飛ばされて気絶した為に、
戦闘後に捕えられて皇国軍の捕虜として終戦まで見た事も無いような
巨大な船で生活をしていただけで、直接戦ってはいないのだが。
しかし、もし正面から戦っていたら、恐らく命は無かっただろう。
後で、自分が戦うはずだった戦闘の戦死傷者数を聞いて、愕然とした。
上官や部下も含めて、戦友も大勢死んだ。
それを考えれば、自分は単に運が良かっただけだとつくづく思う。
殆ど外傷も無ければ脳や内臓の損傷も無く、今を五体満足で過ごせているのだ。
散っていった者達のためにも、無駄な争い事は早急に収めなければならない。
「キリエ嬢、貴女は重大な罪を犯した。いや、今も犯している。
外の賊は全員死んだか捕えられた。残るは貴女だけだ。
おとなしく降伏すれば、貴族の娘として扱っても良い」
「扱っても良い……ですって? 私は貴族よ!」
「しかし、貴女の父上は爵位を剥奪され、平民として亡くなった。
だから本来は、あなたもただの平民だ。平民として扱うのが筋だ」
キリエはグラスを口に付け、一気に飲み干した。
「平民のくせに……将校だからって! 調子に乗るな!」
グラスをテーブルに置くと、懐から短剣を取り出し、レフィルに襲い掛かる。
銃声が数発響くと、キリエは倒れた。
換気が良いとは言えない室内に、白煙と硝煙の臭いが留まる。
「隊長! お怪我は?」
「俺は何とも無い」
レフィルの前で、キリエはよろよろと立ち上がり、吐血した。
そしてグラスにワインを注ぎ、ちびちびと飲み始めた。
「将校さん、ご一緒して下さらない?」
「あ、ああ……ここに、座って良いのかな?」
レフィルはキリエに向かい合うように椅子に座る。
「隊長! 毒が入っているかも知れません。
あんな女の言う通りにする必要が何処にありますか!」
「大丈夫だ。宜しいですか、キリエ嬢?」
「い、いいわよ……」
キリエは震える手でグラスを掴み、必死にワインを飲んでいる。
「このワインね……私が産まれた年のものなの」
「そうか。なかなか良い香りの酒だ」
「私が成人したら飲んでも良いって、お父様が誕生祝にくれたのよ」
「それは、良かったな……」
体中を撃ち抜かれて、真っ青な顔でグラスを持つキリエの鬼気迫る表情は
見ていられない程だが、レフィルは何とか目を逸らさずにグラスを傾ける。
「成人して、毎日少しずつ、そして全部飲んだら、幸せになれるんですって」
「……誕生日は、いつなんだ?」
「今日よ……今日、私は……成人したの」
「なら、大人だな。好きなだけ飲める」
「でも……の、飲みきれない……まだ、こんなにある……」
レフィルは、グラスに口を付けるふりをして、上手い具合に傾けては戻している。
必死なキリエは、そんなレフィルの小細工に気付かない。
「また、明日飲めばいいだろう。毎日少しずつ」
「そ、そうか……そうすれば、私も……きっと……」
キリエは、口から血とワインの混ざったものを垂れ流しながら、事切れた。
「隊長……」
「貴族の娘として埋めておけ。墓を立てるとまずいから、目立たない所にな」
「はい……」
「これも一緒にな。間違っても、盗み飲みはするなよ。毒が入っているかも知れんからな」
そう言って、レフィルは飲みかけのワインボトルを部下に手渡した。
「はい。降伏の印は掲げられていません」
砲兵隊は朝から半日続く砲撃で、もう百発以上もの砲弾を城に撃ち込んでいる。
防戦一方のジュップ城の正面側の城壁の大部分は崩れ、天守楼にも数発の被弾があった。
政治の状況と手持ちの物資の状況から、ジュップ城攻略にかけられる時間は3日しかない。
しかも砲兵隊の砲弾と弾薬が、もう殆ど無い。
指揮官である旅団長は、まさか蛮族風情が、ここまで粘り強い抵抗をするとは思って居なかった。
大砲を撃って城壁の一部でも崩してやれば、皆命乞いをしてくるだろうと。
しかし現実は違った。
賊軍は旧式ではあるが十分実用に耐えるカノン砲に、バリスタまで用意し、
攻略する正規軍の約半分の規模ではある物の、反撃を止めない。
ジュップ城は正面の城壁こそ派手に破壊されているものの、その内側にある
兵舎や天守楼に殆ど損害は無いから、賊軍の人的損害は殆ど無い筈だ。
「レフィル中尉!」
「はっ!」
連隊長に呼ばれたレフィル中尉は、軍人というより荒くれ者といった感じだ。
事実、つい1ヶ月前までレフィルは一介の下士官でしかなかったのである。
兵や下士官として戦った事はあるが、将校としては初めての実戦参加。
「中尉の分隊は“サンパチ銃”の訓練を受けたのだったな?」
「はい。即席ですが……」
“サンパチ銃”とは、言うまでもなく皇国軍の三八式歩兵銃の事だ。
伯爵の軍には、皇国軍から購入した三八式歩兵銃が12丁あった。
実際は、6丁は研究用なので今手元にあるのは6丁のみ。
「中尉は部下5名と共に、サンパチ銃にて敵を狙撃して欲しい」
「我々だけでですか?」
「デロック銃だと敵と互角になるが、サンパチ銃ならどうだ?」
「一方的に攻撃可能です」
デロック銃かそれと同等のマスケットと、三八式歩兵銃の有効射程は数倍違う。
10倍違うといっても言い過ぎではないだろう。
今、部隊が展開しているのは砲が届くギリギリの距離で、当然ながらマスケットは届かない。
通常のマスケットを装備する戦列歩兵は、ただ立って突撃の時を待っているだけ。
しかし、三八式歩兵銃ならばこの距離からでも有効弾を撃てる可能性がある。
実際は、もっと接近する必要があるだろうが、それにしても敵のマスケットの射程外だ。
「敵が怯んだ所で、砲兵隊の一斉射撃後、歩兵隊が突入する」
「それでは敵の反撃があります」
「貴官等が、賊の頭を撃ち抜いてくれれば良い。あるいは身を伏せさせれば、それで歩兵が突撃できる」
「了解です。選抜ライフル隊、俺に続け!」
上官も上官なら部下も部下で、彼等は“ライフル徽章”という、ライフル銃を扱う
狙撃兵のために新たに作られたバッジを付けているのだが、それが気に食わない
一般の戦列歩兵達は、彼等をやくざ者として毛嫌いしている。
だが、隊長のレフィル中尉は皇国軍人に直接指導を受けた精鋭だ。
期間は1ヶ月と“即席”である事は否めないが、短い分、内容も濃かった。
そして、そのレフィル中尉が直接訓練したのが、今いる5人の部下という事だ。
レフィル中尉と部下5人は、ジュップ城から約1シウス(≒200m)強の距離まで駆足で行進する。
城の方では、たった数人の兵士が何をしようとしているのか、賊が銃を構えながら警戒している。
レフィル中尉は身を伏せながら敵情を観察する。
「不味くなったら逃げるぞ。特にこの銃は、敵に渡してはならないからな」
「解りました!」
「私とバゼル、デューゴの班は城門の右側。アカム曹長、チェンタ、エイラの班は城門の左側を狙え」
「了解です、隊長!」
「よし、射撃開始」
破裂音と共に、煙が殆ど出ない射撃が繰り出された。
賊が何事かと怯む間もなく、2発目が装填されて発射される。
“サンパチ銃”は、身を伏せたまま次弾の装填が可能なのだ。
この2斉射で、既に10人の賊が死んだか、再起不能になった。
城壁の影に身を隠す者も居たが、反撃しようとマスケットを向けてくる者も居る。
だが、この距離ではまず命中は見込めないだろう。
統制の取れた軍であれば、この距離での発砲は認めない筈だ。
事実、数十発のマスケットから放たれた弾丸は、1発も命中していない。
「射撃止め! 向こうの煙が晴れるまで一時射撃中止」
風が殆ど無いので、賊が撃ったマスケットの煙がなかなか晴れない。
「今のうちに空薬莢を回収しておけ」
煙が晴れてくると、砲兵隊がカノン砲を一斉射撃。
進軍を合図する太鼓が打ち鳴らされ、歩兵隊が行進を始めた。
「姿を見せる敵は、全て討ち取れ!」
こちらを覗いて様子を窺おうとする賊は、レフィル隊によって次々と撃ち殺されていく。
既にお互いマスケットの射程距離だが、賊は狙撃が怖くて反撃が出来ない。
「擲弾兵、前へ! 城内を攻撃せよ!」
連隊長の命令に、擲弾兵が城の中へ向けて擲弾を投げ込み、突入路を確保する。
レフィル隊も、相互に支援をしながらジリジリ距離を詰めて城に近づく。
「全員、着剣しておけ」
単体では短剣としても使える皇国製の銃剣をはめ込む。
万が一に備えての事だが、ある意味大砲よりも貴重な三八式歩兵銃を
槍として使ったり、殴り合いに使うのは愚策である。
あくまでこれは、敵を威嚇するための着剣だ。
「皇国軍なら、どうやって攻略するでしょうね?」
「攻略も何も無いだろうな。砲爆撃で城を木っ端微塵にしてから、歩兵と戦車が悠々と進軍だろう」
だが、伯爵軍には爆撃機も無ければ榴弾砲も、戦車も無い。歩兵の武装も段違いだ。
だから、損害覚悟の力押しに頼らざるを得ない。
砲兵と擲弾兵が切り開いた突入路に戦列歩兵が殺到し、
また別の場所では梯子をよじ登って無傷の城壁を制圧する。
数の暴力とは凄まじいもので、賊軍の崩壊は明らかになりつつあった。
戦列歩兵隊を追うようにレフィル隊も城内に突入し“サンパチ銃”を撃ちまくる。
天守楼の窓から外を窺ったのは、黒い髪の女性だった。
レフィルが見たのは一瞬だったので、女装した男性の可能性もあるが。
城壁、物見櫓、兵舎、武器庫、食糧庫、ほぼ制圧が終わった。
残るは天守楼だが、入り口の扉を爆破して突入した歩兵は、
大斧を振り回す巨漢の男に階段を昇る事を許されない。
狭い空間では小銃は無駄に長いだけで、かえって使い辛い。
剣で対抗しようとするが、大男の斧は剣ごと兵士を叩き斬ってしまう。
歩兵隊が天守楼から退却する。大男は勿論、追う事はしない。
追って行って広い場所に出れば、狙い撃ちされてお終いだ。
だが、狭い場所に居続けるのも危険だった。
「ん……これは!」
気づいた時にはもう遅い。
入り口から投げ込まれた擲弾は、大男を肉塊にする事など容易い。
絶妙なタイミングで投入されたため、投げ返す事も出来なかった
大男は、内臓を噴出させて血塗れになって即死した。
レフィル隊が先鋒となって天守楼を駆け上がる。
十数人の賊を撃ち倒しながら最上階に突入すると、
そこでは黒髪の女性が1人でグラスにワインを注いでいた。
周りには、吐血した女性の死体が数体転がっている。
「ごきげんよう、リンド女王陛下の忠僕の皆さん」
「貴女は……まさか!」
「私はキリエ=エシュカレベッタ。暗殺された父の名はイラ伯爵、ロナン=エシュカレベッタ」
エシュカレベッタ家の者は、全員流刑にあった筈だ。
しかし、娘のキリエはここに居て、父のロナンは暗殺されたと言う。
「貴女は流刑の身にあって、今はマンツェレー島の筈では?」
「あんなザル警備で、私の自由を奪ったと思って?」
つまりは、逃げ出してきたという事だ。
「皇国に対して徹底抗戦すべきだと意見を具申した父は、爵位を剥奪された上で暗殺された。
つまり、平民として女王に殺された。これ程の屈辱が他にお有り?」
レフィルが聞いた話と違う。
イラ伯爵であったロナンは、宮殿内で女王に斬りかかった。
咄嗟に衛兵が捕えて事無きを得たが、王に対する殺人未遂は重罪。
だから、流刑になったのだ。
もし、これが女王を殺していれば、一家揃って斬首刑だっただろう。
「俺は平民だから、貴族の事はよく解らない」
「はっ? あなた平民なのに将校やってるの?」
キリエはレフィルを嘲り笑う。
「悪いか?」
「いいえ、別に……? でも、貴方が持っているその銃、皇国の物じゃないの?」
キリエはレフィルの持つ小銃を指差した。
無骨すぎて、美しさの欠片も無い銃だ。
「そのとおりだ。これは皇国製の小銃」
「暴虐の限りを尽くした皇国の銃を嬉々として使うなんて、リンド軍人の誇りは無いの?」
「誇りというものは、外面だけで決まるものじゃない。それに、この銃は
女王陛下からの下賜品だ。銃に対する侮辱は、陛下への侮辱と見做す」
怒り心頭に達しつつあるキリエに、レフィルは強い口調で言った。
女王への侮辱。貴族であったとしても何らかの刑罰は免れない。
「国王が率先して皇国に尻尾を振るなんて……所詮、妾腹。偽りの女王。
皇国貴族との婚姻なんて言語道断。リンド王国の誇りは、一体何処へ消えたの?」
「町や村を襲って食糧や金銀を巻き上げるのが、貴女の誇りか?」
女王に対する暴言は、既に謝れば取り消される程度のものを超えている。
それに、賊軍が行っていたのは強盗殺人だ。
強盗に誇り云々を言われる筋合いは無いだろう。
「それは、誇りを取り戻すための犠牲よ!」
「何故、貴女方は皇国軍ではなく、無辜の民を襲う?」
「力を貯えるためよ。皇国軍と戦う力をね。
現状を受け入れる者は皆、リンド王国、リンド王家の敵よ。
皇国を追い出そうとしない者から奪って何が悪いの!?」
言葉を詰まらせたキリエだったが、捲くし立てるように反論した。
皇国に迎合する輩は、何をされても文句の一つも言えないらしい。
「王国軍を全滅させるような敵と、本気で戦うつもりだったのか?」
キリエは現実が全く見えていないと、レフィルは確信した。
レフィルは、一介の戦列歩兵下士官として皇国軍と一戦交えて、命辛々生き残った猛者だ。
と言っても、レフィル自身は、砲撃の爆風で吹き飛ばされて気絶した為に、
戦闘後に捕えられて皇国軍の捕虜として終戦まで見た事も無いような
巨大な船で生活をしていただけで、直接戦ってはいないのだが。
しかし、もし正面から戦っていたら、恐らく命は無かっただろう。
後で、自分が戦うはずだった戦闘の戦死傷者数を聞いて、愕然とした。
上官や部下も含めて、戦友も大勢死んだ。
それを考えれば、自分は単に運が良かっただけだとつくづく思う。
殆ど外傷も無ければ脳や内臓の損傷も無く、今を五体満足で過ごせているのだ。
散っていった者達のためにも、無駄な争い事は早急に収めなければならない。
「キリエ嬢、貴女は重大な罪を犯した。いや、今も犯している。
外の賊は全員死んだか捕えられた。残るは貴女だけだ。
おとなしく降伏すれば、貴族の娘として扱っても良い」
「扱っても良い……ですって? 私は貴族よ!」
「しかし、貴女の父上は爵位を剥奪され、平民として亡くなった。
だから本来は、あなたもただの平民だ。平民として扱うのが筋だ」
キリエはグラスを口に付け、一気に飲み干した。
「平民のくせに……将校だからって! 調子に乗るな!」
グラスをテーブルに置くと、懐から短剣を取り出し、レフィルに襲い掛かる。
銃声が数発響くと、キリエは倒れた。
換気が良いとは言えない室内に、白煙と硝煙の臭いが留まる。
「隊長! お怪我は?」
「俺は何とも無い」
レフィルの前で、キリエはよろよろと立ち上がり、吐血した。
そしてグラスにワインを注ぎ、ちびちびと飲み始めた。
「将校さん、ご一緒して下さらない?」
「あ、ああ……ここに、座って良いのかな?」
レフィルはキリエに向かい合うように椅子に座る。
「隊長! 毒が入っているかも知れません。
あんな女の言う通りにする必要が何処にありますか!」
「大丈夫だ。宜しいですか、キリエ嬢?」
「い、いいわよ……」
キリエは震える手でグラスを掴み、必死にワインを飲んでいる。
「このワインね……私が産まれた年のものなの」
「そうか。なかなか良い香りの酒だ」
「私が成人したら飲んでも良いって、お父様が誕生祝にくれたのよ」
「それは、良かったな……」
体中を撃ち抜かれて、真っ青な顔でグラスを持つキリエの鬼気迫る表情は
見ていられない程だが、レフィルは何とか目を逸らさずにグラスを傾ける。
「成人して、毎日少しずつ、そして全部飲んだら、幸せになれるんですって」
「……誕生日は、いつなんだ?」
「今日よ……今日、私は……成人したの」
「なら、大人だな。好きなだけ飲める」
「でも……の、飲みきれない……まだ、こんなにある……」
レフィルは、グラスに口を付けるふりをして、上手い具合に傾けては戻している。
必死なキリエは、そんなレフィルの小細工に気付かない。
「また、明日飲めばいいだろう。毎日少しずつ」
「そ、そうか……そうすれば、私も……きっと……」
キリエは、口から血とワインの混ざったものを垂れ流しながら、事切れた。
「隊長……」
「貴族の娘として埋めておけ。墓を立てるとまずいから、目立たない所にな」
「はい……」
「これも一緒にな。間違っても、盗み飲みはするなよ。毒が入っているかも知れんからな」
そう言って、レフィルは飲みかけのワインボトルを部下に手渡した。