皇国の転移したこの新世界においても、陸軍の主力は歩兵部隊であり、歩兵の主力武器は小銃(歩兵銃)である。
歩兵部隊の殆どを占める戦列歩兵の場合、白兵戦時のための銃剣と、日用品としても使えるナイフが支給される。
下士官以上であればサーベルを装備したり、ピストルを装備する場合もあるが、下士官以下の基本装備は小銃。
西大陸で皇国の同盟国であるイルフェス王国の歩兵の友たる小銃には、近衛兵や
選抜狙撃兵用のジリール銃と、一般戦列歩兵用のコルール銃という二種類がある。
数的には圧倒的にコルール銃が多く、ジリール銃を持つ事は誉れとされる。
しかし、どちらも皇国の元世界における西欧諸国の中世~近世頃の
前装式マスケット銃、所謂ゲベール銃そのもので、つまりライフル銃でない
滑腔銃であるから、選抜狙撃兵と言えども皇国兵のような遠距離狙撃は出来ない。
この世界の銃は、点火方式はマッチロック式やフリントロック式等、数種類
あったが、全てが前装式の滑腔銃身であり、皇国の元世界では西欧で普及した
ヤーゲル銃やミニエー銃のような簡単なライフル銃すら、影も形も無かったのだ。
ジリール銃は、コルール銃に比べて銃身や弾丸自体の製品精度を高めた高品質の銃
というだけで、皇国の旋条銃や後装銃のような、銃そのものの構造的な違いは無い。
点火方式は両者共にフリントロック式であり、使う火薬に至っては全く同じである。
コルール銃は、銃口径は7/8シクル(≒17.5mm)で、弾丸には27/32シクル(≒16.875mm)の鉛弾を使う。
ただし、数万丁の単位で生産される雑兵用という事で、実際は±2~5%程度の精度の誤差がある。
ジリール銃はコルール銃より大型で、銃口径は1/64ロシル=15/16シクル(≒18.75mm)で、
弾丸に29/32シクル(≒18.125mm)の鉛弾を使い、装薬量もコルール銃より相応に多くなる。
火薬の質は全く同じ(厳密には、生産場所によって微妙に違う)でも、コルール銃より
多目の火薬で約25%重い弾丸を飛ばす事になるから、それだけ威力に優れるのは当然だ。
また、数の少ない精鋭用という事で、部品の品質検査も厳しく、コルール銃のように
“同じ部品でも、規格が合わないのが当たり前”といった事は殆ど無い。
ジリール銃は、銃身や弾丸の精度が高いと先に述べたが、と言っても皇国や
皇国の元居た世界の欧米諸国並みの高品質の製品を量産出来る訳では当然ない。
列強国で最も高品質の王室御用達の武器工房であっても、元世界の西欧諸国の
18世紀末~19世紀初め頃の部品精度が精々で、多くは18世紀の初期と同等だ。
列強国未満の諸国家の武器工房の品質はピンキリだが、最も良くて西欧の
18世紀中頃の技術力であろうか。悪ければ15世紀以前の中世レベルだ。
だから命中精度が高いといっても、20世紀の皇国製小銃に比べれば高が知れている。
50m~100m程度であればまだしも、200m以上になれば命中率の高さも殆ど関係なくなる。
皇国軍からすれば、この程度の性能差は戦術的、戦略的に意味のある差ではないのである。
では、コルール銃の倍の価格のジリール銃の、100m以内における高い命中率の秘密は何なのか?
……それは実に単純な理由によるものだった。
ジリール銃は、コルール銃に比べて重く、銃の重心位置がより銃口寄りになっている。
つまり、射撃時の反動を抑え易く、銃身や銃口のブレもそれだけ
少なくなるから弾道が安定し、結果的に命中精度が高まるのだ。
銃本体が重く、狙撃時の保持が難しい分、扱うのに体力や技量が必要で、
だから体格や技量に優れた近衛兵や選抜兵用に使われるのは正解だろう。
皇国軍の技術者が調査した範囲で、最も命中率に影響を与えているのは
この部分だったのだが、しかし実際にこの世界に生きて戦って来た人々は、
ジリール銃の高性能は銃身と弾丸の工作精度に拠る物だと信じて疑っていなかった。
具体的には、銃身や火薬の質や部品精度は勿論重要だが、何よりも弾丸の形状が
真球に近ければ近い程、発射後の飛翔が極めて安定すると考えられて来たのである。
球体こそが最も完成されて安定した形であり、この地球や月を始めとする
様々な天体が球体なのも、最高神や創造神がそのように定めたからなのだと。
だから『聖典』にそう記されている訳でもないのに、宇宙全体の形はきっと
真球に違いないと、漠然と誰もがそう考えている程『球体信仰』は強かった。
古代や中世の礫による投擲戦でも“より真球に近い礫”にするため、
石ころを砥石や鑢で表面が鏡のようになるまで丹念に磨き上げ、
見事な“真球の礫”に仕上げた職人の逸話などが残っている。
皇国人は、この『真球職人』の技術や努力は認めても、実用上の意味を理解は出来ないだろう。
単価の安い石ころを投げるだけで効果があるから、戦争において意味があるのであって、
それを金と時間をかけて真球に近づける努力をするのは、かえってマイナス効果だ。
それで幾らか飛距離や命中精度が高まったとしても、だから何だという話である。
「そんな努力をしている暇があるなら、一つでも多くの石ころを拾って投げろよ!」
しかしこの世界においては、『真球職人』はそれなりの敬意を払われ、職人ギルドもある。
それ故、武器職人の中には『銃職人』ならぬ『弾丸職人』という専門職人がおり、
彼等は如何にして安価で安定的に“真球の弾丸”を量産出来るかを競っていた。
“弾丸職人”の造る弾丸は、戦時に女子供までを動員して造る、バリが残っていたり、
歪な形だったりする粗悪な量産品とは違い“より真球に近い”高品質の弾丸なのだ。
であるから、同じ量の火薬で撃てば、より遠くまで飛ぶ筈だし、弾道も安定する筈だ。
その筈だった……皆、そう信じていた。
今まで各国は、大国も小国もそのように四苦八苦して銃の命中率を上げようと努力して来た訳だが、
皇国のもたらした『旋条銃』という技術が、もっと単純に、劇的に命中率を高めると知れてから、
今までの先祖代々の努力は何だったのかと、虚脱感に見舞われた『弾丸職人』も居たという。
東西両大陸で、皇国軍兵士の見せた三八式歩兵銃による狙撃演武は、
それだけで多くの人々の『球体信仰』を打ち砕くのに効果絶大だった。
皇国軍の使う銃砲弾は真球からは程遠く、球形ですら無かったのだから……。
『そもそも、完璧な球体など在り得ず、複雑な空気抵抗がある中で、球体に
任意の回転を与えず、そのまま飛ばすから余計に弾道が不安定になるのだ』
という事実は、軍人や物理学者に限らず、野球の“ナックルボール”を武器にする投手なら肌で感じる事だろう。
さらに追い討ちをかけると、その後の数十年に及ぶ皇国人科学者達の
研究に拠れば、『弾丸職人』の努力はかえって弾道を不安定にさせていた。
『表面の凹凸が少ない理想的な球形弾を、滑腔銃によって殆ど回転をかけずに撃つ』
というのは、弾道が最も不安定になるので、射的としては一番不味いやり方なのだ。
本当の意味で「弾丸の行く末は、神が決めている」と言える程に、予測不能になる。
逆に“相手に当てない”ためには、一番良い方法でもある。
例えば、サッカーボールを無回転で蹴れば、ボールは不規則に飛び、ゴールキーパーは
蹴られたボールの弾道を予測出来ないため捕球が難しく、“魔球”のように感じるだろう。
古来からの『真球職人』や、そこから派生した近代の『弾丸職人』達の数百年来の技術の蓄積は、
このように全く別方面の研究に生かされはしたが、本来意図していた結果を実は損ねていた。
という現実は、彼等の職人ギルドにとっては死刑宣告に等しかった。
自主廃業する『真球職人』は大勢居たが、それでも『真球職人』が絶滅する事は無かった。
『真球職人』の造る『真球の何某か』は、皇国転移後の世界においては『実用品』ではなく、
単なる『芸術品』として評価されるように、人々の価値観が劇的に変わってしまったのである。
『単なる球体に加工された岩』に何万円もの値が付くとか、転移前の皇国人なら有り得ないと思うだろう。
しかし皮肉にも、皇国の東京には『真球美術館』なる摩訶不思議な現代美術館が建ってしまったくらいで、
やはり職人の魂が篭った『真球』には、人々を惹き付ける何らかの“魔力”が備わっているのであろうか……。
歩兵部隊の殆どを占める戦列歩兵の場合、白兵戦時のための銃剣と、日用品としても使えるナイフが支給される。
下士官以上であればサーベルを装備したり、ピストルを装備する場合もあるが、下士官以下の基本装備は小銃。
西大陸で皇国の同盟国であるイルフェス王国の歩兵の友たる小銃には、近衛兵や
選抜狙撃兵用のジリール銃と、一般戦列歩兵用のコルール銃という二種類がある。
数的には圧倒的にコルール銃が多く、ジリール銃を持つ事は誉れとされる。
しかし、どちらも皇国の元世界における西欧諸国の中世~近世頃の
前装式マスケット銃、所謂ゲベール銃そのもので、つまりライフル銃でない
滑腔銃であるから、選抜狙撃兵と言えども皇国兵のような遠距離狙撃は出来ない。
この世界の銃は、点火方式はマッチロック式やフリントロック式等、数種類
あったが、全てが前装式の滑腔銃身であり、皇国の元世界では西欧で普及した
ヤーゲル銃やミニエー銃のような簡単なライフル銃すら、影も形も無かったのだ。
ジリール銃は、コルール銃に比べて銃身や弾丸自体の製品精度を高めた高品質の銃
というだけで、皇国の旋条銃や後装銃のような、銃そのものの構造的な違いは無い。
点火方式は両者共にフリントロック式であり、使う火薬に至っては全く同じである。
コルール銃は、銃口径は7/8シクル(≒17.5mm)で、弾丸には27/32シクル(≒16.875mm)の鉛弾を使う。
ただし、数万丁の単位で生産される雑兵用という事で、実際は±2~5%程度の精度の誤差がある。
ジリール銃はコルール銃より大型で、銃口径は1/64ロシル=15/16シクル(≒18.75mm)で、
弾丸に29/32シクル(≒18.125mm)の鉛弾を使い、装薬量もコルール銃より相応に多くなる。
火薬の質は全く同じ(厳密には、生産場所によって微妙に違う)でも、コルール銃より
多目の火薬で約25%重い弾丸を飛ばす事になるから、それだけ威力に優れるのは当然だ。
また、数の少ない精鋭用という事で、部品の品質検査も厳しく、コルール銃のように
“同じ部品でも、規格が合わないのが当たり前”といった事は殆ど無い。
ジリール銃は、銃身や弾丸の精度が高いと先に述べたが、と言っても皇国や
皇国の元居た世界の欧米諸国並みの高品質の製品を量産出来る訳では当然ない。
列強国で最も高品質の王室御用達の武器工房であっても、元世界の西欧諸国の
18世紀末~19世紀初め頃の部品精度が精々で、多くは18世紀の初期と同等だ。
列強国未満の諸国家の武器工房の品質はピンキリだが、最も良くて西欧の
18世紀中頃の技術力であろうか。悪ければ15世紀以前の中世レベルだ。
だから命中精度が高いといっても、20世紀の皇国製小銃に比べれば高が知れている。
50m~100m程度であればまだしも、200m以上になれば命中率の高さも殆ど関係なくなる。
皇国軍からすれば、この程度の性能差は戦術的、戦略的に意味のある差ではないのである。
では、コルール銃の倍の価格のジリール銃の、100m以内における高い命中率の秘密は何なのか?
……それは実に単純な理由によるものだった。
ジリール銃は、コルール銃に比べて重く、銃の重心位置がより銃口寄りになっている。
つまり、射撃時の反動を抑え易く、銃身や銃口のブレもそれだけ
少なくなるから弾道が安定し、結果的に命中精度が高まるのだ。
銃本体が重く、狙撃時の保持が難しい分、扱うのに体力や技量が必要で、
だから体格や技量に優れた近衛兵や選抜兵用に使われるのは正解だろう。
皇国軍の技術者が調査した範囲で、最も命中率に影響を与えているのは
この部分だったのだが、しかし実際にこの世界に生きて戦って来た人々は、
ジリール銃の高性能は銃身と弾丸の工作精度に拠る物だと信じて疑っていなかった。
具体的には、銃身や火薬の質や部品精度は勿論重要だが、何よりも弾丸の形状が
真球に近ければ近い程、発射後の飛翔が極めて安定すると考えられて来たのである。
球体こそが最も完成されて安定した形であり、この地球や月を始めとする
様々な天体が球体なのも、最高神や創造神がそのように定めたからなのだと。
だから『聖典』にそう記されている訳でもないのに、宇宙全体の形はきっと
真球に違いないと、漠然と誰もがそう考えている程『球体信仰』は強かった。
古代や中世の礫による投擲戦でも“より真球に近い礫”にするため、
石ころを砥石や鑢で表面が鏡のようになるまで丹念に磨き上げ、
見事な“真球の礫”に仕上げた職人の逸話などが残っている。
皇国人は、この『真球職人』の技術や努力は認めても、実用上の意味を理解は出来ないだろう。
単価の安い石ころを投げるだけで効果があるから、戦争において意味があるのであって、
それを金と時間をかけて真球に近づける努力をするのは、かえってマイナス効果だ。
それで幾らか飛距離や命中精度が高まったとしても、だから何だという話である。
「そんな努力をしている暇があるなら、一つでも多くの石ころを拾って投げろよ!」
しかしこの世界においては、『真球職人』はそれなりの敬意を払われ、職人ギルドもある。
それ故、武器職人の中には『銃職人』ならぬ『弾丸職人』という専門職人がおり、
彼等は如何にして安価で安定的に“真球の弾丸”を量産出来るかを競っていた。
“弾丸職人”の造る弾丸は、戦時に女子供までを動員して造る、バリが残っていたり、
歪な形だったりする粗悪な量産品とは違い“より真球に近い”高品質の弾丸なのだ。
であるから、同じ量の火薬で撃てば、より遠くまで飛ぶ筈だし、弾道も安定する筈だ。
その筈だった……皆、そう信じていた。
今まで各国は、大国も小国もそのように四苦八苦して銃の命中率を上げようと努力して来た訳だが、
皇国のもたらした『旋条銃』という技術が、もっと単純に、劇的に命中率を高めると知れてから、
今までの先祖代々の努力は何だったのかと、虚脱感に見舞われた『弾丸職人』も居たという。
東西両大陸で、皇国軍兵士の見せた三八式歩兵銃による狙撃演武は、
それだけで多くの人々の『球体信仰』を打ち砕くのに効果絶大だった。
皇国軍の使う銃砲弾は真球からは程遠く、球形ですら無かったのだから……。
『そもそも、完璧な球体など在り得ず、複雑な空気抵抗がある中で、球体に
任意の回転を与えず、そのまま飛ばすから余計に弾道が不安定になるのだ』
という事実は、軍人や物理学者に限らず、野球の“ナックルボール”を武器にする投手なら肌で感じる事だろう。
さらに追い討ちをかけると、その後の数十年に及ぶ皇国人科学者達の
研究に拠れば、『弾丸職人』の努力はかえって弾道を不安定にさせていた。
『表面の凹凸が少ない理想的な球形弾を、滑腔銃によって殆ど回転をかけずに撃つ』
というのは、弾道が最も不安定になるので、射的としては一番不味いやり方なのだ。
本当の意味で「弾丸の行く末は、神が決めている」と言える程に、予測不能になる。
逆に“相手に当てない”ためには、一番良い方法でもある。
例えば、サッカーボールを無回転で蹴れば、ボールは不規則に飛び、ゴールキーパーは
蹴られたボールの弾道を予測出来ないため捕球が難しく、“魔球”のように感じるだろう。
古来からの『真球職人』や、そこから派生した近代の『弾丸職人』達の数百年来の技術の蓄積は、
このように全く別方面の研究に生かされはしたが、本来意図していた結果を実は損ねていた。
という現実は、彼等の職人ギルドにとっては死刑宣告に等しかった。
自主廃業する『真球職人』は大勢居たが、それでも『真球職人』が絶滅する事は無かった。
『真球職人』の造る『真球の何某か』は、皇国転移後の世界においては『実用品』ではなく、
単なる『芸術品』として評価されるように、人々の価値観が劇的に変わってしまったのである。
『単なる球体に加工された岩』に何万円もの値が付くとか、転移前の皇国人なら有り得ないと思うだろう。
しかし皮肉にも、皇国の東京には『真球美術館』なる摩訶不思議な現代美術館が建ってしまったくらいで、
やはり職人の魂が篭った『真球』には、人々を惹き付ける何らかの“魔力”が備わっているのであろうか……。