皇国では、転移以降も捕鯨母船と捕鯨砲船を中心とした捕鯨船団を複数運用していた。
穀物の供給が減った事で、手っ取り早く栄養を補うためには野生の動物を捕まえる他無く、
その場合も神賜島の猪や熊のような野生動物に加えて、海に出て大型の鯨を狙っても
良かろうという考えから、むしろ船団は転移以前よりも活発に動き回っていた。
元世界ではニューギニア島の辺りに相当する南大内洋を航海する
捕鯨船団が、やはりここは異世界なのだと痛感する瞬間がやって来た。
海軍の技術を元に開発された捕鯨砲である平頭銛の
効果は上々で、熟練捕鯨砲手にかかれば正に一撃必中。
それは捕鯨船団員達を大いに喜ばせたが、命中した標的に落胆する。
「また海竜か!」
船長は水面付近に浮かぶ黒い影に向けて船を進め、捕鯨銛が突き刺さった動物を見て落胆する。
魚形海竜。皇国の元世界における『魚竜』に分類されるであろう“爬虫類”だ。
姿形がイルカに似ていても、それが“爬虫類”という現実からは目を背けられない。
言うまでも無く、本来の獲物であるイルカやクジラは哺乳類。
船長でなくても
「イルカに擬態したトカゲなんぞ食えるか!」
と、文句の一つも出るだろう。
実際、安全性を確認した上で焼いて食べてみた所、海竜の肉は独特の臭みがあり、
船員達は皆、一口食べた瞬間に微妙な表情で顔を見合わせ、箸を置いてしまった。
この世界の住人は、海竜は塩漬けにした上で天日干しにして食べるらしいが、塩や味噌を擦り込んで
数日間甲板で干してからよく焼いて食べてみた所、むしろ臭みが凝縮されて食べられた物ではなった。
もっと長期間、じっくり乾燥させれば良いのかも知れないが、そんな手の込んだ事をしている暇は無い。
食料資源として見た場合、このような小型の魚形海竜より大型の首長海竜の方が肉の量は多くなるが、
爬虫類であるという現実からは目を背けられない。陸上のトカゲやヘビの方がまだ食べられるだろう。
この世界に、イルカやクジラが存在しないという事ではない。
鯨肉は食べられているし鯨油も利用されている。髭も武器や道具類の部品として使われている。
が、海竜もそうなのだが、ある程度以上大型の鯨相手では、この世界の技術力では立ち向かえない。
たまたま死体が海辺に打ち上げられた等でない限り、ナガスクジラやミンククジラのような10m前後の
体長の鯨を安定供給する事は不可能なので、食料という意味ではイルカや小型の魚形海竜が主になる。
だから大型の鯨類は、捕鯨技術の優れる皇国の取り放題だと思っていた結果がこれだ。
鯨類と竜類は互いに餌を取り合う敵だから、ある海域に海竜が多いと、その海域では鯨は少ない。
これは逆も然りで、鯨天国の海域であればそれだけ海竜は少ない。
“いかに鯨の多い海域を発見するか”という宝探しの冒険家の気分だ。
「海竜を絶滅させてやれば、鯨は増えるかな?」
「海竜の餌となってた魚が増える分、鯨に回ってくる餌も増えるやも知れませんが、
逆に魚が増えてプランクトンやオキアミが減り、鯨の餌が減るかも知れませんな」
「トカゲの癖に、人間を悩ませるとは!」
「この世界の海でやって行くなら、海竜との付き合い方も学ばねばなりません。
このトカゲモドキをどう、上手く調理するかという付き合い方になるでしょうが……」
同行する海洋生物学者も、“生物としての海竜”は
ともかく“食料としての海竜”の扱いをどうして良いやらだ。
これはもう、生物学者の仕事ではなく料理人の仕事ではないか?
その後、内地での料理人も交えた試行錯誤では、カレー粉を塗して焼いたらどうか?
という案が最も好評を得た。
塩や胡椒よりも、様々な香辛料が調合されているカレー粉が、最も“臭い消し”に効果があったのだ。
まあ、それでも美味しくなったというよりは、不味くはなくなりなんとか食べられる
という程度で、それは勿論、肉ならば牛肉や豚肉の方が美味しいに決まっているし、
海洋動物ならば鯨肉の方が食べ慣れているのもあって、それ以外に調理のしようが無いから
仕方なくカレー粉で誤魔化しているという事だ。誰も好き好んで“トカゲの肉”など食べない。
それまで学校給食で、カレーライスというとハイカラで美味しい人気の献立だったのだが、
海竜カレーが出されるようになると、カレーという物の人気が急降下したものだ。
どんなに香辛料で誤魔化したって、経験した事の無い臭みの肉に対しては生理的に拒否反応も出よう。
漢方薬でもある香辛料が入っているにも関わらず、お腹を壊したり臭いに耐え切れずに戻してしまう子供が続出した。
あまりに酷い有様だったので、学校給食に出すというのは半年程で中止されたが、その短い期間に
カレーに対する恐怖心を植えつけられた子供達は『カレー狂騒曲世代』と呼ばれるようになる。
割を食ったのは官吏達だ。
子供に負担を押し付けて、自分達は普通の豚肉のカレーを食べるなど
許されないだろうという事で、官庁の食堂で海竜カレーを出すことになった。
しかし献立に用意はしても率先して誰も食べないので、総理大臣や農林水産大臣などが
週に一度の海竜カレーを自らに課すと、ついに恐れていた事が起こった。
天皇が自ら食べると言い出したのだ!
生物学の研究者として興味があるだけでなく、食料としても興味を示された……。
御所の料理長が、初めて触る海竜肉を用いて作ったカレーライス。
終始無言の後、「ありがとう」という言葉で締め括られた昼食は、気まずい雰囲気の中で終了した。
鯨ばかり獲っていると海竜が繁殖してしまうので、バランス調整のために“捕竜”も続けられたが、
その肉は輸出用になったり、飛竜の餌として使われるくらいで、皇国人の口に入る機会は急速に減って行く。
料理として存続はしても、もはや物好きの食べる珍味の扱いだ。
その後、本土や神賜島の食糧生産や供給体制が整うに連れて省みられなくなった『海竜カレー』は、
しかし昭和も終わる頃になると『懐かしの味』として、若い世代を中心にレトロブームに祭り上げられた。
本格的なインド式カリーを売りにする新宿の西洋料理店でも、高級な『海竜カリー』が人気だ。
新宿のデパートで買い物をしたら、海竜カリーを食べる。というのがちょっとお洒落な休日の過ごし方。
だが、転移直後を知る高齢世代は口を揃えて言う。
「今の海竜カレーは、美味しくなってしまって海竜肉としての持ち味が無い。昔はもっと不味かった」
「これを“本当の海竜カレー”と誤解されては困るな。こんな美味い物を食べていた覚えは無い」
「我々は嫌々食べていたのに、今の若い世代と来たら、他に幾らでも食べ物があるのに……」
「だから転移後世代は軟弱なのだ。というより馬鹿だろう、こんな物をありがたがるとは」
いつの間にか、ビーフカレーよりも高級な料理になっていた海竜カレーと、肉の鮮度を保つ
冷凍技術や調理法の発展によって、美味しくなってしまった事に愚痴る高齢者達なのである。
穀物の供給が減った事で、手っ取り早く栄養を補うためには野生の動物を捕まえる他無く、
その場合も神賜島の猪や熊のような野生動物に加えて、海に出て大型の鯨を狙っても
良かろうという考えから、むしろ船団は転移以前よりも活発に動き回っていた。
元世界ではニューギニア島の辺りに相当する南大内洋を航海する
捕鯨船団が、やはりここは異世界なのだと痛感する瞬間がやって来た。
海軍の技術を元に開発された捕鯨砲である平頭銛の
効果は上々で、熟練捕鯨砲手にかかれば正に一撃必中。
それは捕鯨船団員達を大いに喜ばせたが、命中した標的に落胆する。
「また海竜か!」
船長は水面付近に浮かぶ黒い影に向けて船を進め、捕鯨銛が突き刺さった動物を見て落胆する。
魚形海竜。皇国の元世界における『魚竜』に分類されるであろう“爬虫類”だ。
姿形がイルカに似ていても、それが“爬虫類”という現実からは目を背けられない。
言うまでも無く、本来の獲物であるイルカやクジラは哺乳類。
船長でなくても
「イルカに擬態したトカゲなんぞ食えるか!」
と、文句の一つも出るだろう。
実際、安全性を確認した上で焼いて食べてみた所、海竜の肉は独特の臭みがあり、
船員達は皆、一口食べた瞬間に微妙な表情で顔を見合わせ、箸を置いてしまった。
この世界の住人は、海竜は塩漬けにした上で天日干しにして食べるらしいが、塩や味噌を擦り込んで
数日間甲板で干してからよく焼いて食べてみた所、むしろ臭みが凝縮されて食べられた物ではなった。
もっと長期間、じっくり乾燥させれば良いのかも知れないが、そんな手の込んだ事をしている暇は無い。
食料資源として見た場合、このような小型の魚形海竜より大型の首長海竜の方が肉の量は多くなるが、
爬虫類であるという現実からは目を背けられない。陸上のトカゲやヘビの方がまだ食べられるだろう。
この世界に、イルカやクジラが存在しないという事ではない。
鯨肉は食べられているし鯨油も利用されている。髭も武器や道具類の部品として使われている。
が、海竜もそうなのだが、ある程度以上大型の鯨相手では、この世界の技術力では立ち向かえない。
たまたま死体が海辺に打ち上げられた等でない限り、ナガスクジラやミンククジラのような10m前後の
体長の鯨を安定供給する事は不可能なので、食料という意味ではイルカや小型の魚形海竜が主になる。
だから大型の鯨類は、捕鯨技術の優れる皇国の取り放題だと思っていた結果がこれだ。
鯨類と竜類は互いに餌を取り合う敵だから、ある海域に海竜が多いと、その海域では鯨は少ない。
これは逆も然りで、鯨天国の海域であればそれだけ海竜は少ない。
“いかに鯨の多い海域を発見するか”という宝探しの冒険家の気分だ。
「海竜を絶滅させてやれば、鯨は増えるかな?」
「海竜の餌となってた魚が増える分、鯨に回ってくる餌も増えるやも知れませんが、
逆に魚が増えてプランクトンやオキアミが減り、鯨の餌が減るかも知れませんな」
「トカゲの癖に、人間を悩ませるとは!」
「この世界の海でやって行くなら、海竜との付き合い方も学ばねばなりません。
このトカゲモドキをどう、上手く調理するかという付き合い方になるでしょうが……」
同行する海洋生物学者も、“生物としての海竜”は
ともかく“食料としての海竜”の扱いをどうして良いやらだ。
これはもう、生物学者の仕事ではなく料理人の仕事ではないか?
その後、内地での料理人も交えた試行錯誤では、カレー粉を塗して焼いたらどうか?
という案が最も好評を得た。
塩や胡椒よりも、様々な香辛料が調合されているカレー粉が、最も“臭い消し”に効果があったのだ。
まあ、それでも美味しくなったというよりは、不味くはなくなりなんとか食べられる
という程度で、それは勿論、肉ならば牛肉や豚肉の方が美味しいに決まっているし、
海洋動物ならば鯨肉の方が食べ慣れているのもあって、それ以外に調理のしようが無いから
仕方なくカレー粉で誤魔化しているという事だ。誰も好き好んで“トカゲの肉”など食べない。
それまで学校給食で、カレーライスというとハイカラで美味しい人気の献立だったのだが、
海竜カレーが出されるようになると、カレーという物の人気が急降下したものだ。
どんなに香辛料で誤魔化したって、経験した事の無い臭みの肉に対しては生理的に拒否反応も出よう。
漢方薬でもある香辛料が入っているにも関わらず、お腹を壊したり臭いに耐え切れずに戻してしまう子供が続出した。
あまりに酷い有様だったので、学校給食に出すというのは半年程で中止されたが、その短い期間に
カレーに対する恐怖心を植えつけられた子供達は『カレー狂騒曲世代』と呼ばれるようになる。
割を食ったのは官吏達だ。
子供に負担を押し付けて、自分達は普通の豚肉のカレーを食べるなど
許されないだろうという事で、官庁の食堂で海竜カレーを出すことになった。
しかし献立に用意はしても率先して誰も食べないので、総理大臣や農林水産大臣などが
週に一度の海竜カレーを自らに課すと、ついに恐れていた事が起こった。
天皇が自ら食べると言い出したのだ!
生物学の研究者として興味があるだけでなく、食料としても興味を示された……。
御所の料理長が、初めて触る海竜肉を用いて作ったカレーライス。
終始無言の後、「ありがとう」という言葉で締め括られた昼食は、気まずい雰囲気の中で終了した。
鯨ばかり獲っていると海竜が繁殖してしまうので、バランス調整のために“捕竜”も続けられたが、
その肉は輸出用になったり、飛竜の餌として使われるくらいで、皇国人の口に入る機会は急速に減って行く。
料理として存続はしても、もはや物好きの食べる珍味の扱いだ。
その後、本土や神賜島の食糧生産や供給体制が整うに連れて省みられなくなった『海竜カレー』は、
しかし昭和も終わる頃になると『懐かしの味』として、若い世代を中心にレトロブームに祭り上げられた。
本格的なインド式カリーを売りにする新宿の西洋料理店でも、高級な『海竜カリー』が人気だ。
新宿のデパートで買い物をしたら、海竜カリーを食べる。というのがちょっとお洒落な休日の過ごし方。
だが、転移直後を知る高齢世代は口を揃えて言う。
「今の海竜カレーは、美味しくなってしまって海竜肉としての持ち味が無い。昔はもっと不味かった」
「これを“本当の海竜カレー”と誤解されては困るな。こんな美味い物を食べていた覚えは無い」
「我々は嫌々食べていたのに、今の若い世代と来たら、他に幾らでも食べ物があるのに……」
「だから転移後世代は軟弱なのだ。というより馬鹿だろう、こんな物をありがたがるとは」
いつの間にか、ビーフカレーよりも高級な料理になっていた海竜カレーと、肉の鮮度を保つ
冷凍技術や調理法の発展によって、美味しくなってしまった事に愚痴る高齢者達なのである。